GOD BREATH YOU
□Feeling
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「どっちへ行った!」
「必ずこの辺りに潜んでいる筈だ! 探せ!」
「……あーあ、すごい数」
窓の外を窺っていた男は、組織立って動く兵士の数に堪らず顔をしかめた。
「ごめんねえ子猫ちゃん。痛くない?」
抵抗するアイクを連れて逃げるには無理があり、彼は手近な部屋に逃げ込むとアイクが腰に下げていた刀剣と近衛の軍服を奪って縛り上げた。
「そう睨むなよ。ゾクゾクしちまうじゃないか」
「んんーっ!」
窓の下で猿轡をされて転がる半裸のアイクを、彼は軍服に着替えながら見下ろしている。
「神子様は何処かって? そいつは俺も知らない。でも、神子様のお身体は安全だと思う」
「ん、んーんーっ!」
「嘘じゃないさ。俺は神官を廊下に足止めする役を頼まれただけなんだ。でも、連中に神子様を害する理由がないのは確かだ。手厚く扱われている筈さ」
「……」
「俺の言うこと信じるの?」
嬉しそうに頬笑む男に、アイクは顔を紅く染めた。悔しそうに体を揺らす。
「んんんーっ、んーっ!」
「ふふ。最初に会った時も思ったけど、あんた本当に可愛いね。結構強引に廊下に連れ出したのに、なんの疑いもなく子犬みたいに着いてきて。俺なんかの為に親身になって考えてくれてさ」
「……?」
ふと目を細めた男に、アイクは内心で首を傾げた。自分を縛り上げた男の心象が、神子を誘拐するような極悪人と、どうにも一致しないのだ。宮廷画家の弟子の時とも違う、これが彼の本来の姿なのだろう。
「あんたを拐って一緒に逃げたいとこだけど、さすがに素直に着いて来ちゃくれないんだろうね」
「……んーんっ」
「もっと早くに会いたかったなあ」
男はアイクの身体を抱き起こすと、汗ばんだ前髪を指で掻き上げ、そこにそっと口付けた。
「……!?」
「これ、外したら助けを呼ぶ?」
アイクは少し考えて、コクリと頷く。
「ははっ、正直だなあ。でも外すね。最後にちゃんと、お別れしたいから」
「……んっ」
猿轡を口からずらし、男はアイクに深く口付けた。嫌でも情の伝わってくる優しい唇に、アイクは抵抗することができない。彼はアイクを胸に抱き、切なげに目を閉じた。
「どうして叫ばないの?」
「……何故こんなことをしたのですか」
「こんなことしか出来ることがなかったからさ。不思議だなあ。ほんの僅かな時間だったのに、あんたと話した時、世の中汚ねえだけじゃねえって初めて思えたんだ」
「……」
「糞みたいな人生だけど、あんたと一緒に歳を取ってみたいなんて夢を見たりして。……こんな綺麗なもんがあるんだな」
アイクの匂いを確かめるように首元で一度大きく息を吸い込んだ男は、覚悟を決めた顔で立ち上がった。
「直に世が明ける。俺は今から逃げるよ。助けを呼ぶのは、少しだけ待って貰えると助かるかな」
「……待って」
「なに?」
「名前……本当の名前は?」
「あんたと対になる、花の名前だよ。アイク」
裏のない顔で笑って去っていく男の背中を、アイクは無言で見送った。どうしようもなく溢れる涙を静かに流し、やがて窓の外が明るくなった頃、アイクは声を張り上げて助けを呼んだ。
「ジョーンズ神官っ」
法衣のままアイクを探して邸内を駆けずり回っていたジョーンズは、廊下で近衛兵に付き添われているアイクと鉢合わせた。
「アイク! 無事だったんだな」
「すみません。私が余計なことをしたせいで、犯人を逃がしてしまいました」
近衛兵の上着にくるまったアイクの声が痛々しく震えている。
「……いや、君に無茶なことを頼んだのはこちらの方だ。危険な目に合わせてすまなかったな」
「いいえ。犯人を取り逃がしたのは将軍閣下の責任ですよ」
「っ!」
ジョーンズの言葉に横槍を入れたのはマナート大臣だった。何故今このような場所に居るのか、連れている供がロメスではないことにジョーンズは拝礼しながら眉を顰める。
「まったく、彼の独断専行にも困ったものだよ。今度ばかりは責任を取ってもらわねばならん」
右手で口髭を撫で付け、マナートは泣き腫らしたアイクの顔をじろりと眺めた。
「アイクさんといったか。君は犯人から、なにか手掛かりになるようなことは聞いていないのかね?」
「……申し訳ございませんっ」
「いやいや、君を責めているつもりはないのだよ。ないなら仕方がないさ。うんうん」
泣きながら頭を下げたアイクに、マナートはニコニコと薄ら寒い笑顔を見せた。余程らしくない行動だったのか、近衛兵が胡乱な眼差しを向けている。
「マナート様。猊下が心配してお待ちでございますので、私達はこれで……」
「おお、そうだな。それが宜しい。君、お二人を部屋まで送って差し上げなさい」
「はっ」
近衛兵に指示を残し、マナートは早々に去っていった。どこか揚々と見える背中を三人は拝礼で見送る。
「……では、行きましょうか」
「いや、その前に。猊下の指示でビショウ閣下を探しているのですが、居場所をご存知ないでしょうか?」
ジョーンズが尋ねると、近衛兵はニヤリと笑って左手を刀剣の上に置いた。