GOD BREATH YOU
□Feeling
41ページ/45ページ
「おい、怪しい奴はどこだっ」
「あそこだ! 目が合った途端、逃げやがった。追うぞっ」
「お、おい待てっ、閣下の指示は」
門の外に集まる市民に目を凝らしていた近衛兵は、強引に門外へ出ようとする仲間の顔を見た。女のようにも見える不思議なその容姿に、まったく見覚えがない。
「お前……?」
「逃げてえええええええ!!!」
「っ!?」
聖典暗唱の声の隙間を縫って奇跡的に届いたアイクの叫びに振り返った男の眼前に、彼の死を告げる矢が迫っていた。しかし男の両目は、声の主を必死に探している。
「伏せろお!!」
瞬時に走り出したビショウの声も虚しく、音もなく弧を描く一筋の矢が男の胸を捉えたその瞬間、正門の外から城内に向かって突風が吹き荒れた。
「うわあああっ」
轟々と唸りを上げる風は正門の前で渦を巻き、鍛え抜いた近衛兵達が為す術なくなぎ倒されていく。
「クソッ、どうなってる! 門を閉じよ!」
ビショウは剣を抜き、果敢にも風の中へ進んでいった。風の中で目を凝らしてみても、砂埃で黄色く煙って何も解らない。激しい轟音で、自分の声さえ聞こえなかった。
「門を閉、……あ?」
唐突に風が止み、嘘のように静寂が訪れる。巻き上げられた砂塵が降り積もるなかで、耳鳴りに顔を歪めるビショウが辺りを見回すと、四方に倒れている近衛兵達の中にあって、あの男だけが無傷で立ち尽くしていた。胸に矢を受けた様子もない。
「あちゃー、やりすぢだよ、のっく」
男に剣を向けるビショウの耳に、暢気な子供の声が届いた。門扉や蓄光石が破壊され、暗く陰った城門の中から銀髪のくるくる頭がトコトコと顔を出す。
「……ヨシヤス!?」
「ただいま?」
ビショウは男を剣の柄で殴り倒し、寝間着のまま手を振る美保に駆け寄った。すぐさま抱き上げ、ぎゅうぎゅうと抱き締める。
「うひょっ、ひげがいたいよっ!」
倒れていた近衛兵達がぞろぞろと立ちあがり、ビショウに殴られた男を縛り上げていた。
「やかましいっ。心配させやがってこのチビッ。イル! 二階の部屋を調べ……」
言い終わる前に、ビショウの指差した翠明宮二階の窓を突き破り、近衛服を着た男が降ってきた。仰向けに地面に叩きつけられた男は、左肩に深い傷を負っている。
「……この者が、大臣補佐官のロメスでございます。猊下」
近付こうとするドノヴァンをイルが止めた。
「申し訳ありません。なにせ私、怪我人なもので手間取りました」
同じく近衛服を着たジョーンズが割れた窓からひょっこり顔を出すと、呆然と見ていたマクエルベスが弾かれたように美保のもとへ走った。ドノヴァンとジョーンズは無言で顔を見合わせる。
「神子様! 神子様ああ!」
「まっく、ただいまっ」
ビショウの腕から下ろされた美保は、迷いなくマクエルベスの胸に飛び込んだ。むせび泣くマクエルベスを笑顔で宥める美保に溜息を吐き、ビショウは黙って縛られている男を見た。
殴られて腫れた彼の目は、ただアイクだけを見つめている。しかしアイクは俯いて彼を一度も見ようとしないまま、私兵に連れられ部屋へと戻っていった。
「……」
「閣下。この男は如何なさいますか」
「ああ?」
近衛兵に腕を捕まれオドオドと落ち着かない男に、八つ当りのようにビショウの睨みが落ちた。美保と一緒に正門から入って来た男だが、ビショウの視界に入っていなかったのだ。
「誰だ」
「めのわさんだよ」
泣きじゃくるマクエルベスの頭を撫でていた美保が、くるりと振り返る。
「メノワ?」
「ア、アロントスの翼神殿の神官でございます。いえ、元神官でございます」
男の返答に、ビショウは詰まらなそうな顔をした。長がった夜が、本当に呆気なく終ったのだ。空では相変わらず鷹が鳴いている。砂だらけの顔を掌で拭い、いつの間にか傍らに控えていたイルを見た。
「……イル、マナートを」
「既に兵を向かわせております閣下」
「そうか。アロントスの翼には」
「神殿は封鎖、関係者を拘束しております」
「……そうか」
ビショウは、ゆっくりと破れた門の外に目をやった。神子の力を間近で見ていた人々が、地面に両手をついて神に祈りを捧げているのが見える。
「何でもいい、早急に門を閉じろ。ヨシヤスお前、その格好で歩いて来たのか?」
「うん。めだってたねー」
白い寝間着一枚に、寝癖で後頭部が潰れたくるくる頭。そんな神子が人混みを掻き分けて歩く姿を想像し、ビショウは苦笑する。
「マクエルベス。ジョーンズが、またどこか痛めたようだぞ」
ドノヴァンの言葉で、マクエルベスは涙に濡れた顔のまま再び駆けていった。
「ヨシュアス、恐くなかったか?」
「へーちだよ。めのわさんかだ、ぜんぶちいた。どうしても、おでとはなしたくて、やったんだって。おわっただ、しぬちゅもりだったって」
「そうか」
「……早く牢に入れておけっ」
「はっ」
情にほだされては敵わぬと、ビショウは殊更強く言い付けた。本人が言うように「元」が付く神官であれば、神殿側に引き渡すことなく誘拐犯として裁くことができる。
「めのわさん」
美保が呼びかけると、近衛兵は足を止めて男から手を放した。
「しんじゃ、だめだよ?」
「神子様……」
「早く行け!」
甘い裁きになりそうな予感に、ビショウはまた新たな頭痛の種を抱えるのだった。