GOD BREATH YOU
□Feeling
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「それで、神子様にお怪我はないのだな?」
病避けの絢爛な寝台に体を起こしたタラントは、傍らの椅子で飄々と足を組むビショウを嗜めるように眉を顰めた。神子誘拐の大事件を事も無げに語る異母弟の図太さが、半分羨ましくもある。
「ああ。閉じ込められて部屋で自棄食いしてやがったから、今は爺の話し相手をさせてる」
「またお前は、そのように……」
「グレゴール猊下は事を荒立てるつもりはないと言ったが、マナートに利用されたとは言え神子を浚ったんだ。アロントスの神官は総取っ替えだろ。となると、ちと面倒くせえことにはなるかな」
「……二国が黙ってはおるまい」
血の気のないタラントの痩せた指が、疼くこめかみを揉んだ。病体に触るとして蓄光石が外された仄暗い室内で、小さな蝋燭の炎が花瓶の花を橙に染めている。
「ま、ヴェセルメーテには貴族共がやらかした負い目があるからな。厄介なのはプレグスだろうが、こっちもケジメだけは着けとかねえと」
「……可哀想だが、エナを明日までに後宮から出すようアガスに伝えよ。身の振り方は追って知らせる。しかし神子様がご無事で犯人も捕らえているのであれば、後は謝罪を表明して毅然としておればよい。ビショウ、くれぐれもプレグスの挑発にのるようなことだけは……ゴホッ! ゴホゴホゴホ!」
「へいへい。連中の陰険なやり方は熟知してるさ。面倒なことは俺に任せて、アンタは精々養生しててくれ」
咳き込み始めたタラントを寝台に横たえると、部屋の前に控えていた薬師達と入れ替わりに皇帝の居室を後にした。すれ違い様にビショウの沈黙と眼光を向けられた薬師長は、じっとりと汗をかいていた。
「とまあ、ざっとそういうことだ」
雲ひとつない空が紺色の幕を下ろし、ようやく部屋に戻ったドノヴァンは疲れきった顔を歪ませた。怪我人のジョーンズは、早々に部屋に下がらせている。
「……アロントス神の為に神子様との会見を願う過ぎた想いを、マナート大臣に利用されたのでございますね」
長椅子で脱力するドノヴァンに、マクエルベスは硬く絞った手拭いを手渡した。ベタつく顔を拭い、幾らかさっぱりした表情で話を続ける。
「ふぅ、城内に手引きする者があれば実行も可能と踏んだのだろうな。他国の大使まで巻き込んで、愚かなことだ。神官ともあろう者が、危うくガムジェスを大惨事にするところだった」
「神殿の者達は、どうなさるのでございますか? 神子様が、アロントスの翼神殿に行きたいと申されているのですが」
「言うだろうと思っておった。……で、これはなんだ?」
二人は、マクエルベスの隣で椅子に座ったまま舟を漕ぐ美保を見下ろした。小さな頭をグラグラ揺らし、その両腕は何故か肘掛部分を抱えている。
「アイク神官のことを甚く気にしておいでなのです。精霊を使役されてお疲れのはずでございますのに、お昼寝もなさらず。先程から何度もお部屋へお連れしようとしているのですが、その度に目を覚まされてしまいまして」
「頑固な奴め……」
やれやれと立ち上がったドノヴァンは、美保の前に膝を着いた。少し伸びて巻きの緩んできた柔らかな銀髪を指で掬い上げる。
「こらヨシュアス。ちゃんと部屋に行って寝なさ」
美保の紫の瞳がカッと見開き、ドノヴァンの手がギクリと固まった。目の前に屈むドノヴァンを、眠い目で睨み付けている。
「……なに」
「あ、いや。寝るなら部屋でな?」
「あいくは」
「え、まだ眠ってる、だろう?」
ドノヴァンの問いにマクエルベスが苦笑いで頷いた。美保の機嫌はすこぶる悪い。寝台へ運ばれては堪るかと、肘掛にすがり付いている。
「あいくのとこ、いちたいんですけど」
「あー、今夜はもう遅い。明日の朝」
「いちたいんですけど」
「……」
「いちたいんですけど」
「神子様」
「いちたいんですけど?」
「うむ。行こうか」
「猊下!?」
あっさりと折れた大神官を、マクエルベスは軽蔑の眼差しで見るのだった。