子犬とワルツを
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「とうとう来たんだなぁ」
薄紅色の雪を降らせるソメイヨシノの並木を時間も忘れて長々楽しんだ遊木智輝(ユキ トモキ)は、これから三年間世話になる高校の門を感慨深く潜った。
ここ宮ノ森学園の歴史は古く、過去には内閣総理大臣を何人も輩出した名門私立校である。全国でも珍しい中高一貫の全寮制男子校は、多感な年頃の少年達を俗世から隔離し「健全な精神と肉体を持つ次世代のリーダーを造る」という理念の下、創立より脈々と続いてきた。
事実、出身者名簿には現在も政財界の成功者達の名を増やし続けている。
「よしっ」
設立当初から残るという古めかしい木造の洋風建築を正面に見据えた遊木少年は、その繊細な横顔に真っ直ぐな気持ちを湛えて一歩を踏み出した。
「急げチビ」
「急いでます!」
「もっと速く走れ」
「限界です!」
「死ぬ気で走れ」
「生きたいですううう!」
人気のない薄暗い廊下に、男の低い声と少年の声が反響する。黒いスーツの男に返事を返すのは、下ろし立ての制服を着こんだ遊木少年だ。
暗い建物内に彼ら以外の気配は一切無く、二人は堂々と廊下の真ん中を走っている。男は、もたつく遊木の背後から冷淡な声で急かしていた。
「チッ、鈍くせえな」
「わっ!?」
身長差からくるコンパスの差は遊木の努力だけでは埋め難く、痺れを切らした男は遊木の体を乱暴に担ぎ上げた。
優しさの欠片もないその行動は正しく運搬に他ならず、遊木の体は上下左右に激しく揺れる。
「口閉じてろっ」
「っ!」
校舎の階段を一気に駆け下りる目の前の男に、遊木は必死にしがみついた。遊木が最初に見た洋風校舎の裏口から外へと飛び出し、男は遠くに見える大講堂へ向かって一直線に駆け抜ける。
「おい、お前はあの扉から中に入れ。今ならまだ式に……おい?」
「き、気持ち悪……」
「っざけやがって」
大講堂の裏手で遊木を降ろした男は、顔面蒼白でフラつく少年を抱え直すと再び別の建物へと走った。
入学式の終了時刻を告げる厳かな鐘の音が、無情に響いていた。