カルテ

□弁論大会原稿「共存」
1ページ/3ページ

今、現代社会に蔓延る心の病。特に鬱病は最も多く取り上げられ有名ですが心の病はそれだけではありません。
日本での自殺者は毎年3万人を越え、その中で精神科の通院歴がある人は死亡者では半分近く、未遂者では約7割いるそうです。
現在の日本ではまだ「心の病」と聞くと何かと偏見の目で見られがちです。自分は心の病だと告白するにも心臓が飛び出る程の勇気がいることでしょう。
近年、日本でもメディアで心の病が取り上げられるようになりましたが、浸透していないのが現状です。

私は「強迫性障害」という心の病を抱えています。

初めて心療内科で診察を受けたのは中学一年の時です。不登校になり毎日のように身体の不調を訴えては学校を休み続けるので、身体の病気ではなく心の病気なのではと察したのか、両親は父の通院している心療内科に私を診察に連れて行きました。
その心療内科の診察では「ストレスから来る病気」とまだ子供の私に判り易いように説明されました。後から聞いたところ「自律神経失調症」だったそうです。
正直、初めて心療内科に連れて行かれた時はショックでした。
まだ自分は心の病とは無縁で、幼いなりに心療内科等に偏見があったのだと思います。他の病院で何度も診察を受け異常なしと言われたのにも拘わらず心療内科に連れて行かれたことがショックで私は心を閉ざしてしまいました。

それからです。強迫性障害の症状が現れたのは。

元々、小学校を卒業する頃から登校拒否を何度か起こしていて中学の時は完全に不登校でした。不登校になった本当の理由は今でも判りません。ただ一つ思い浮かぶことは良い子ぶってる自分が嫌いでそんな毎日にストレスを感じていたことです。その頃から入浴や外出の準備など、何をするにも時間がかかるなど病気の兆しは出ていたのですがそれからが本当の闘いでした。

強迫性障害は、頭の中では無意味、不合理だと思っていても、強迫観念といって、あることが気にかかり同じ行為を繰り返さずにはいられなくなる症状が出てきます。
私の中学時代は強迫症状という苦難の連続でした。
洗浄強迫といって「手が汚い。不潔だ」という強迫観念に駆られては何度も手を洗い続けることがありました。潔癖症と言った方が判り易いと思います。汚い汚い汚いまだ汚いと手洗いに時間がかかり、手がボロボロになっても止められない状態でした。手洗い以外においても常に汚れが異常な程、気になって仕方ないものでした。
前にも述べたようにあることが気にかかり同じ行為を繰り返してしまいます。例えばドアの鍵をかけたかどうか不安になり何度も確認する。今まで通った道を行ったり来たりするなどという確認強迫の症状に悩まされました。
このような行為を阿呆らしい意味のないことだと本人は自覚しているんです。意味のないことだと自覚していながらも意志とは裏腹に行為を繰り返してしまうのが強迫性障害の特徴です。
他に被害妄想から来る症状がありました。あることないこと考えては不安に駆られたり、強迫性障害の症状とは別に自分が何処にいて何をしているのか判らなかったり、生きているという実感が湧かず、自分はこのまま消えてしまうのではないかという離人感に怯えることもありました。薬の副作用も辛く、不眠などに悩まされたものです。
また当時の私は心を閉ざし、家族など特定の人以外とは全く話すことが出来ず、ただ黙りこくってしまうといった場面的緘黙の状態が続き教育相談室や児童相談所のお世話になることもありました。

そうした状況の中で強迫症状などに悩まされ普通の生活もままならない日々が続きました。苦しい辛い。私は生きることだけに必死だった。

心療内科への通院と処方された薬を服むことによって、中学を卒業する頃には症状も改善されだいぶ良くなってきました。

不登校になった時、通信制高校の存在を知りました。自分の精神面のことも考えて高校は通信制の学校へ行こうと決めていたので中学を卒業後、今の学校の通信制へ入学しました。

無事に高校へ入学し、物事が順調に進んでいきました。今まで様々な症状に苛まれ、ただ毎日を生きることに必死で余裕がなかったことの反動が来たのでしょうか、当時16歳の私の心は何処か空虚だったのを覚えています。
辛い症状に悩まされることはなくなったけど、情緒不安定で自分の存在について考えることが多くなりました。
誰にも愛されていない気がして「私が死んだら泣いてくれる人はいるのだろうか」と馬鹿なことを考えた挙げ句、薬を大量に服んだり手首を切るなど自虐に走ることもありました。
愛されていながらも愛されたいと強く願い周囲の愛情に気付くことの出来ない傲慢で愚かな自分がいました。
何故なのか16歳の私は死ぬことばかり考えていました。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ