駄文(小説ver)

□エッセイ
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坂の上にあるからか、
それとも小説の勝手なイメージからか。
金子は病棟の外に出て、近所の
薬局に出かけることを
「下山する」と言うようになった。


実際、病院の売店は破格の物を
破格の値段で売っている。
例えば、洗剤。
今日使われているコンパクト洗剤、
あれになる前の洗剤…
つまり一回洗濯するごとに
コップ一杯分もの量を洗濯機に
放りこまないといけない奴だ。
そんな昔ながらのを少し買っただけで
三百円はかかってしまう。
しかも、一回すすぐだけじゃ
汚れも洗剤も全く落ちず、
何度も強くすすぐ必要があるという
素晴らしさ…。
洗い触りもとっておきの特別で、
バリバリ、ゴワゴワ、ガシガシ、と
擬音には事欠くことがない。
(ちなみに今主流のコンパクト洗剤は
そもそも売店に存在しない)

菓子類はもっと酷く、
小さな袋売りのかりん糖にさえ
二百円もかかる。
よそだと百円で変えるスナック菓子も
ここでは三百円の値札をつけられている。


こうしたこの売店の、行きすぎた
周到さに対抗する人間…
つまりは病院に入院している、患者。
彼らは一体何を始めるか。


そう
――近所の薬局へと下山をするのだ。


暗雲垂れ込める空と泥土に満ちた大地。
空も地も光をたたえることなく、
ただ血糊混じりの泥濘が
その情景を支配している。
この濁り無く濁りきった地獄は、
咆哮を上げるかのように
鋭利で凍てついた風を、絶えず
患者達の歩む道に送る。
生ける亡者、患者達は
風に裂かれ、霧に吹かれ、
血に塗れながらも、淀んだ空気の中
ただ生活用品を求めて歩みを進めるのだ。

ある者は足を引き摺りながら、
ある者は突然の発作に苦悶の声を
上げながら、
ある者は湿った咳を繰り返し
肺を痛めつけながら。
その生ける亡者達の
水を吸った足取りは限り無く重く、
髄まで淀みに侵されているかのようだ。

その地獄では腐臭も耐え難い程強い。
地表に時折露出している、暗い灰色の
屍肉は、小さな穴を幾つも空け、
其処から漏れる腐液で泥土を濡らしている。
また泥土に塗れた何らかの皮と、
この地獄を横行する亡者達の
胃液を伴う嘔吐物、どこからか
薄く流れる血糊が、
その腐臭をより強固なものにしていた。

患者の呻き声と、足を動かす度起こる
籠った水音が幾重にも重なり、
彼らのための行進曲を奏でる。
そして重なっている内の
一つの音が途絶えた時、生ける亡者は
動かぬ肉塊と成れ果て、
真の死を迎える。
それを後に続いていた患者が
貪り喰らい、残りを薄汚い鼠、
黒光りした羽虫が蹂躙した後、
自らもこの地を腐敗に濡れ染め
上げるのである。

突如、死を纏いたる空に、
一筋の稲光が走る。

ピカッ
「ドラッグスギヤマ」


薄闇に包まれた地獄に、一瞬だが
光が姿を現した。
それは、意思を持たぬ傀儡のような
彼ら患者にとっても同じだった。
耳をつんざく爆音。
雄叫びとも悲鳴ともつかぬその叫びは、
地獄の釜の底でドラッグスギヤマを
見た者の、歓喜の叫びだ。
亡者達は獲物を求め
その無骨な手を突き出す。
「お会計、  円になります」
患者の財布に入ったなけなしの硬貨が
不協和音を奏でる―――。

どこからか漏れ聞こえる呻き声を
頼りにして……。
続く亡者達は薬局に下山を試みる。
…最後尾に居る亡者金子は
ボソッと呟く。

売店が、高くなければこんなことには。

その声も、霧の中に紛れて消えた。
 

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