□恋愛トリガー
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赤、青、黄、紫。
色とりどりの色に染められたガラスがはまるステンドグラスは外から差し込む日光を通し、教会の床を神秘的な色に染め上げていた。
白を基調とした天井や壁、床には信者たちが祈りをささげるための木造りの椅子が等間隔で並べられていた。
その木造りの椅子に、1人の女が座っていた。
膝の上には分厚い英語で書かれた本──聖書──が置かれており、彼女はぶつぶつとその内容を呟いている。
女というにはまだ幼く、少女というには大人びた彼女の名は園田悠香。
黒い髪に黒い眼を持つ、生粋の日本人だ。
悠香が一人教会内にいる間にも、外からは賑やかな声が聞こえてくる。
定時時間に行われる礼拝はつい数十分前に終わり、他の信者たちはもう教会を後にしていたのだ。

聖書に集中しているのであろう、悠香は気付かない。
あけっぱなしになっている扉から、一人の青年が教会内に足を踏み入れたことに。
青年は足音も立てず、着実に悠香に近づいていった。
そして背後に立つと、口を開く。

「悠香」

名前を呼ばれ、悠香はようやく聖書から視線を外した。
驚いたのか、その目は僅かに見開かれている。

「リョーマ…」

「もう、ミサはとっくに終わってるけど?」

リョーマと呼ばれた青年は、呆れたように声をあげた。
毎週日曜日、この教会で行われているミサ。
それがつい数十分前に終わった礼拝のことだ。
悠香はようやくそれに気がついたのか、どこか眠たそうな眼で教会内を見渡した。

「あれ…?」

「ホント、集中すると周りが見えなくなるんだから。…ほら、帰るよ」

「うん…」

悠香はまだ途中であった聖書を閉じ、それを片手に椅子から腰を上げた。
リョーマは慣れたように悠香が隣まで移動してくるのを待つと、まるで悠香がどこにも行ってしまわないようにするためか素早く、けれど自然にその手をとった。

リョーマと悠香は、幼い頃からずっと一緒に成長してきた幼馴染だ。
だからこそリョーマは、毎週行われるミサが終わってもすぐに悠香が気がつかないことを知っていて毎週迎えに来ている。
リョーマはミサ出席することはなく、むしろ聖書を読むことすらも滅多にない。

手を繋ぎながら教会の建物を出た悠香とリョーマ。
時々すれ違うシスターや信者たちと朗らかな笑顔で挨拶を交わし、そのまま敷地を出た。
敷地を出れば、先ほどまでの自然豊かな景色は一変してビルや住宅が立ち並ぶ景色が広がる。

「毎週毎週、飽きもせずによくやるよね」

自宅へと向かう途中、他に人が近くにいないことを確認して、リョーマが言葉を漏らした。
不思議そうに首を傾げる悠香に、リョーマはふぅと小さく息を吐く。

「信者でもないくせに、わざわざミサに参加する意味がわかんないって言ってんの」

悠香は毎週ミサに出席し、ミサが終わった後も聖書を読むとして信者たちの間では比較的知名度の高い"信仰心の強い少女"だと言われている。
けれど実際は悠香は信者などではなく、ただ神を崇め、拝み、崇拝などしているわけではない。

「だって…父さんと母さんは、ミサには出席しろって言ってたわ」

信者でもないのにミサに参加する理由、それは幼い頃から両親に言われ続けていたからだ。
両親は熱心な信者であった。
そして一人娘である悠香にも信仰を強要し、まだ言葉の意味もわからないうちからミサに出席させられていた。
要するに、信仰などしていない今現在もミサに参加しているのは、幼い頃からの習慣というわけだ。

「……おじさんとおばさんは、ここにいないよ」

ここは、アメリカ。
中学に入学する前に日本へと渡っていた越前家と園田家。
それは両家の母親の仕事の都合で日本に行かなければならなかったからだ。
しかし中学・高校ともに日本で卒業した2人は、家族を日本に残して単身渡米していた。
それはリョーマが幼い頃から父である南次郎に教えられていたテニスの腕を見込まれてスカウトされたから。
悠香とリョーマの中に離れ離れになるという選択肢はなく、当然のように2人だけで生まれ故郷であるアメリカに舞い戻ったのだ。
現在、リョーマと悠香は、以前リョーマが住んでいた家に2人で生活している。
もしかしたらアメリカに戻ってくるかもしれないからと両親は家を残していたのだ。
定期的に掃除も頼んでいたらしく、2人がアメリカに来た頃は昔となんら変わりない越前家がそこにはあった。

「わかってるけど…でも、ダメなの」

もうすっかりと身体が覚えてしまった習慣を、今更変えることなどできない。
両親の強要がなければきっと悠香は崇拝などしていない神のためにミサに参加することはないだろう。

「…ま、どっちでもいいんだけどさ。それより、今日の飯何すんの?」

この教会では、日曜日のミサは夕方に行われている。
ミサの時間もそれなりに長く、そこからリョーマが迎えに来るまでの数十分悠香は教会から動かないため、帰宅するときにはもういつも夕食を作り始める時間だ。

「んー、昨日はパスタだったからねぇ…何が食べたい?」

「……魚」

「わかったよ、じゃあ今日はお魚ね。たしか冷蔵庫に入ってたと思うから」

リョーマは和食好きであり、それを知っている悠香は最低でも2日に1回は和食を出している。
前日が洋食であれば翌日は和食と2人の中で決まっている。
悠香はもちろんそれを理解しており、和食の中で何を食べたいかと問うていたのだ。

「悠香は昔から料理がうまいからね、楽しみだよ」

「期待にこたえられるように頑張るよー」

ふっと笑みを浮かべながら言うリョーマに、悠香もまたふわりと笑みを浮かべてそう答えた。
リョーマと悠香は、交際しているわけではない。
しかし誰よりも互いが一番近くにおり、一番互いを理解していることを知っている。
きっとこのまま他に誰かを好きになることもなく、一緒になるのだろうと互いが思っているはずだ。

「もうすぐ20歳だね」

「…もうそんな時期か。ねぇ、成人式はどうする?」

リョーマにも悠香にも、日本には多くの友人がいる。
成人式の後は同じ中学の卒業生たちが集まり同窓会が催される。
アメリカにも確かに友人はいるが、どうせなら久しぶりに会いたいという気持ちもある。

「やっぱり日本かなぁ。久しぶりに杏ちゃんにも会いたいし」

「あの人、年齢違うじゃん」

「でも日本に行ったら会えるよ。アメリカと日本じゃ遠すぎるもの」

悠香の日本の一番の親友は、ひとつ上の橘杏という女性だ。
当然のようにリョーマについて渡米したが、やはり多少の寂しさは感じているのだろう。

「…後悔、してる?俺についてきたこと」

きゅ、と繋いでいる手に少しだけ力を込めてリョーマが呟くように問う。
悠香は首を横に振り、優しげな笑みを浮かべて口を開いた。

「私はリョーマと一緒にいたいからついてきたの。確かに杏ちゃんに会えないのは寂しいけど、もしリョーマと離れてたらもっと寂しかったから」

「……ありがと」

昔からずっと一緒にいた、一緒にいて当たり前だった存在。
そんな相手がもし目の前から消えてしまえば、離れ離れになった二人はきっと耐えられなかっただろう。
だからこそリョーマも悠香も二人で渡米した。
リョーマは夢を追いかけるために、悠香はリョーマを支えるために。

「…ね、悠香」

「なぁに?」

互いに微笑み合い、二人は自然と足を止めた。
道路に沿って生えている並木が、風に揺れて葉を散らした。
夕日のせいで赤く染まったリョーマと悠香、そして周囲の景色。

「俺達、そろそろ結婚しない?」

二人は交際をしているわけではない。
けれど交際している恋人以上に互いを想い合っているのは事実だ。
驚いたように目を見開いた悠香は、すぐに嬉しそうに口角を持ち上げてこくりと頷いた。




恋愛トリガー



(あっ、せんぱーい!久しぶりっス!)

(久しぶりだね、桃)

(久しぶりーっ)

(と、いっても最後に集まったのは先月だがな)

(毎月集まってるっスよね、越前以外)

(越前はアメリカだからなぁ)

(越前と言えば…手紙、届いたかい?)

(ああ、来たよ。皆のところにも?)

(正直、やっとかーって感じもしますけどね)
(あーあ、でもそしたら唯一の既婚者は一番下の越前かよ…つれーな、つれーよ)

("結婚することになりました")
(随分と淡白な、あいつららしい報告だな)



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上から
桃城→不二→菊丸→手塚→海堂→大石→乾→河村です。
最後の二つは、桃城→手塚です。
たぶんわからないよなぁ、と思ったので。
 

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