□赤いクレヨン
1ページ/1ページ






「やっぱり、いいところだねぇ」

引っ越し用の荷物を降ろしながら、妻である悠香が呟いた。
悠香が見上げる先には、俺達がこれから住む新しい家がある。
中古ながらも日当たり良好で周囲の環境も悪くなく、何より安い。
たまたま不動産屋で見つけたものをすっかり悠香が気に入ってしまい、新居でいいと言ったにも関わらず中古のこの家を購入することになったのだ。

「…そーだね」

俺達は今年で21歳になる。
籍を入れたのは昨年のことで、仕事が落ち着くまでは安アパートで2人暮らしをしていた。
いい加減に子供のこととかも考えたいし、そろそろ新しい家を買ったらどうかという悠香の両親の勧めに従ったのだ。
確かに今の年収で新居は厳しいかもしれないが、それでも手が届かないわけではない。
何度も何度も話し合って、結局この家に落ち着いた。

「ほら、早く荷物降ろさないと日が暮れるよ」

「はーい」

親父から借りたトラックの荷台には、荷物の入ったダンボールが置かれている。
もともと、粗末ながらも家具つきの家だったので必要最低限のものしか持ってきていない。
最初は引っ越し業者に頼む予定だったのだが、いざ荷物整理をすると予想以上に量が少なく、もったいないからという理由で自分たちで引っ越し準備をすることになった。
ダンボールにはマジックペンで、中に何が入っているか書かれている。
衣服と書かれたダンボールを持ちあげながら、悠香は新しい家の玄関に向かった。



******************



この家に来て数日。
すっかり悠香も俺もこの家にすっかり慣れ、今ではまるで昔から住んでいるかのような暮らしを送っている。

「リョーマ、ご飯出来たよーっ」

「今行くーっ」

この家は値段の割にそれなりの広さがあるが、俺のいる部屋と悠香のいるキッチンはそこまで離れていない。
だから声を出せば少しくぐもりながらもしっかりと聞こえ、俺は開いていた雑誌を閉じた。
今ではもうすっかり趣味の域にまでなり下がってしまったテニスの雑誌だ。
趣味、と言っても最低でも週1ペースで中学時代の先輩か親父と打ってるからまだまだ体はなまってないけど。
部屋を出てキッチンと繋がっているリビングに向かう途中の廊下は、それなりの年月が経っているのかギシギシと軋む音がする。

「…ん?」

ふと廊下の端に目を向ければ、そこには、なぜか、赤い色をしたクレヨンがころんと横たわっていた。
残念ながら俺達の間にまだ子供はおらず、この家にクレヨンがあるはずがない。
しかしもしかすると前の住人に子供がいて、その人たちの忘れものかもしれない。
早く子供が欲しいな、なんて頭の隅で考えながらクレヨンを拾い、入ったリビングでゴミ箱に捨てた。

「何かあったの?」

「ん、別に何も?」

ゴミ箱にかけてあるゴミ袋とクレヨンの擦れる音が聞こえたのか、不思議そうに首を傾げる悠香。
何でもないと首を横に振れば、そうなんだ、とへにゃりと可愛らしい笑顔を浮かべた。


「……なんで、」

そんな出来事がつい数日前にあり、俺は再びあの場所にいた。
この前と違ったのは、今は朝で、俺は悠香に言われて新聞を取りに行こうと玄関に向かっていた途中ということだけだろう。
前と全く同じ場所に、前と同じような長さの、前と同じ色をしたクレヨンが落ちていた。
そう、まるで血を溶かして固めたように独特の鮮やかな色をした、赤いクレヨンが。
思わず寄せた眉をそのままに、俺はクレヨンを拾ってから新聞を取りに玄関へ向かった。

玄関を開ければ、冷たい空気が家の中に入り込み、俺の顔や髪を撫でていく。
目的である新聞を手に取ると、早々に家の中に引っ込んだ。

「ったく、何だよいったい…」

「どうしたの?」

新聞をばさっと音を立ててリビングのテーブルに置く。
そしてゴミ箱の中に、叩きつけるようにクレヨンを投げ込んだ。
その荒々しい動作に、悠香がどこか不安そうに流していた水を止めて問うてきた。

「クレヨンだよ。廊下の途中で、赤いクレヨンが落ちてた。初めてじゃないんだ、前にもあった」

不満そうな口調を隠さずに言えば、悠香は目を見開いて口元を覆った。
そしてみるみる顔を青ざめさせ、震えた身体で声を絞り出す。

「わ、私も、掃除中にクレヨンを拾ったことがあるの…」

「え?」

どうやら、クレヨンを拾っていたのは悠香もだったらしい。
詳しく聞いてみれば、それはちょうど俺がクレヨンを拾ったのと全く同じ場所で。
不安そうに震える悠香を抱き締めれば、いつもは恥ずかしがる悠香がすぐに俺の背中に腕を回してきた。

「近所の子供のイタズラ…って可能性は?」

「なら、落書きとかがあってもおかしくないわ。でも、そんなもの見たことがないから…」

少しでも安心させたくて、ごく当たり前のことを言ってみる。
しかし悠香は目を伏せたまま首を振り、それは逆に悠香を不安がらせる言葉だったらしい。
別に俺としてはクレヨンが落ちているくらいどうということはないのだが、悠香は落ち着かないらしい。
とりあえず早く原因を調べようということで、ひとまずは朝食を食べることにした。



「…あ、あったよ!」

朝食を食べ終えて食器類を片付けたあと。
確かどこかにしまったはずだ、と俺と悠香はこの家の見取り図を探していた。
見つけたのは悠香で、書類をまとめるファイルに入っていた紙を一枚取り出した。

「じゃあ、確認していこう」

その見取り図を受け取って立ち上がれば、悠香は神妙そうな顔つきでこくりと頷いた。

俺達の寝室として使っている部屋。
キッチンと連なるリビング。
本棚や本が多量に置かれている書斎。
トイレ。
バスルーム。
洗面所。

「…なんで?」

この家の部屋は、物置としてもすべて使用している。
その一つ一つを確認していくうちに、あることに気がついた。
そして言葉を漏らしたのは悠香だ。

「合わないね、部屋…」

見取り図からすると、今確認した部屋の他にもう1つの部屋があるようだ。
とにかくその部屋を探そうと見取り図片手に歩き、それほど広くはない家ですぐに目的の場所は見つかる。
…それは、あろうことか、悠香が不安がるクレヨンの落ちていたあの廊下の場所だった。

ふぅ、とひとつ息を漏らしてから、その壁を軽く握りこぶしを作った手の甲で叩いてみる。
すると、ある場所で突然音が変わった。
まるでそこに空洞があるような軽い音になり、よくよく目を凝らして見てみると、その音が変わった場所の壁紙は、明らかに他の壁紙よりも後に貼られたものであることがわかった。

「はがすよ?」

「う、うん」

念のために悠香の了承をとって、その壁紙をはがしにかかった。
素人に貼られたものなのか、俺が少しいじればその壁紙は簡単にはがれ始めた。
すべてをはがした後に現れたのは、念入りに釘が打ちつけられた引き戸だった。
慌てて打ち付けたのか、釘は斜めを向いていたり途中で折れ曲がったりしていて、その釘すべては例外なく錆ついていた。

「はずす、か」

かなり重労働になりそうだと溜息を吐き、工具を取りに軋む廊下を走った。
独りになるのが嫌なのか、悠香も一緒についてくる。
すぐに目的の釘抜きを掴み、再び元いた引き戸の前に立った。
地道に一本ずつ抜いていくしかなくて、四苦八苦しながらも着実に刺さっている釘の量は減っていく。
ようやくすべての釘を抜き終えたときには、それから約1時間程度経っていた。

「…あけるよ?」

声をかければ、悠香が俺の服の裾を握ってくる。
大丈夫だと安心させるように頭を撫でてから、その引き戸に手をかけた。

そこは、何もない部屋だった。
薄暗く、ずっと閉め切られていたからか埃っぽくて、カビ臭い。
思わず服で鼻と口を覆い、目を凝らしてみた。

「………!」
「………!」

そして、思わず、目を見開いて、息を呑みこんだ。
白い壁紙が貼られているのであろうその壁には、あの赤いクレヨンで、一面に、ただひたすら、狂気的なまでに、文字が踊っていたのだ。
まだ幼子が書いたであろう、下手くそな、歪んだ字で。

おかあさん ごめんなさい
だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん だして ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい おかあさん だして ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい おかあさん だして だして ごめんなさい ごめんなさい おかあさん ごめんなさい だして だして ごめんなさい おかあさん おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん おかあさん ごめんなさい おかあさん ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん だして だして ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん だして おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん ごめんなさい だして ごめんなさい おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい だして ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん だして ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい おかあさん だして ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい おかあさん だして だして ごめんなさい ごめんなさい おかあさん ごめんなさい だして だして ごめんなさい おかあさん おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん おかあさん ごめんなさい おかあさん ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん だして だして ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん だして おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん ごめんなさい だして ごめんなさい おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい だして ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん だして ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい おかあさん だして ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい おかあさん だして だして ごめんなさい ごめんなさい おかあさん ごめんなさい だして だして ごめんなさい おかあさん おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん おかあさん ごめんなさい おかあさん ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん だして だして ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい だして おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい おかあさん だして おかあさん おかあさん ごめんなさい ごめんなさい・・・・・・・・・




赤いクレヨン
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ