□ルジェカシスミルク
1ページ/1ページ


※カクテル等については当然ながら未成年の管理人は口にしたことがないのですべてネット情報です。





「ワリッ、他に好きなやつ出来たから別れて欲しいんだわ」

ケラケラと笑いながら、デートの約束を取り付けるように軽く言われた言葉に頭がついていかなかった。
しかしすぐに我に返って、私は彼を引きとめることもできず「…そう」と一言告げることしかできなかった。
途端に目の前の彼は不満げに笑みを消し、チッと舌打ちを漏らして。

「お前、最後まで可愛げねーよな」

そんな言葉を残して去っていった。
ズキズキと胸に広がる痛みは確かにあって、私は少なからず彼のことを好きだったのだということを思い知らされる。

私は確かに彼が好きだった。
けれど就職したばかりの仕事で手一杯で、ようやく軌道に乗り始めて仕事が楽しくなっていた時で。
彼の相手なんてしている暇はなかった。
彼が最初は私のことを見ていたか否かは置いておいて、私が仕事一筋になったことが後押ししたことは間違いないだろう。
好きとか愛してるとか甘い言葉を吐くことはできなくて、仕事で忙しいからと彼と遊ぶ時間もなくて。
まぁそんな相手に対して気持ちが冷めるのは当たり前かななんて考える時点で可愛げがないのだろう。

「可愛くなくて結構」

結局、私と彼は合わなかった。
ただそれだけの話だ。
私たちは別に結婚を視野に入れていたわけじゃないから、同棲なんてしていない。
互いの家に必要最低限の道具は置いてあるけれど、そんなものはゴミ袋一枚にも満たない量だけだ。
明日はちょうど仕事も休みでゴミの日だし、久しぶりに家の掃除をしようかな。
そんなことを思って、わざわざ彼に呼び出されて来たファミリーレストランを後にした。




******************




「いらっしゃいませ」

カラン、と扉のベルが鳴ると同時にバーカウンターにいたバーテンダーがにこりと微笑みながら言ってきた。

ここは、職場の先輩に紹介されてきた東京某所のバーだ。
最近彼にフられたばかりの私を心配したのか、バーテンダーがイケメンだという店を紹介されたのだ。
…といっても私はまだ成人したばかりなんだけど。
未成年者の飲酒喫煙は禁止というルールに従って、私は生まれてこのかたほとんどお酒というものを飲んだことがない。
当然ながらバーなんて初めてで、あまり失礼にならないように視線を動かしていたのに気づいたのかバーテンダーさんがクスリと笑みを浮かべた。

「カクテルバーは初めてですか?」

落ち着いた暗めのランプが照らす、翡翠色の髪に琥珀色の瞳をもったイケメン。
この人が先輩の言っていた"イケメンバーテンダー"だろう。
イケメンというか美人さん。

「はい。あまりお酒も飲まないので…」

「そうですか。では、まずはバーの雰囲気に慣れるために度数の低いカクテルはいかがでしょう?」

バーテンダーさんが身につけている黒いベストの胸元にはシンプルな名札で越前と書かれていた。
どうやらこの美人バーテンダーさんは越前という苗字らしい。

「ええと、よくわからないので…お任せしても?」

「もちろんでございます。では、甘めのルジェカシス・ミルクはいかがでしょう?ルジェクレームドカシスとミルクを合わせたものです」

「お願いします」

「かしこまりました」

ふっと笑みを浮かべた越前さんが、そのままカクテルの用意を始めた。
その間にもう一度店に視線を向けてみる。
落ち着いたシックな雰囲気の店内は決して女性向のものではないはずだが、店内のお客さんは9割がたが女性だ。
皆頬を染めながら越前さんのほうを見ていて、きっとお酒を楽しむというよりは越前さんと関わりたいのかなぁなんて思った。

「お待たせしました」

すっと音もなく目の前に差し出されたお酒。
タンブラーグラスの中にピンクの液体と氷が浮かんでいて、これがルジェカシス・ミルクらしい。
見た目はまるでいちごミルクのようだ。

「ありがとうございます、いただきます」

今思えばカクテル人生初挑戦だ。
グラスを手にとって一口含めば、甘さが口の中に広がって。
度数が低いという話だが、やはり私はお酒があわないのか一口飲んだだけで頭がふわふわした。

「いかがでしょう?」

「おいしいです!」

「それはよかった」

越前さんは私の言葉にニコリと笑みを浮かべて、使用した後らしいグラスを布巾で拭き始めた。
すると私から数席離れたところに座っていた女性が、「越前くんっ」と頬を真っ赤にしながら呼んだ。
瞬間、越前さんは不快そうに眉を寄せて小さく小さく舌打ちを漏らした。
その不快そうな表情は一瞬で、舌打ちはきっと私以外には聞こえなかっただろうけれど。

「いかがいたしましたか?」

横目でそれを見ていれば、女性の前に移動した越前さんに女性が何かメモのようなものを差し出した。

「これっ、あたしのアドレス!ねぇ越前くんっ、よかったら今度美味しいご飯でも食べにいかない?」

どうやらアドレスの書かれたメモだったらしい。
越前さんは小さく息を漏らし、表情を変えずに口を開いた。

「申し訳ありません、お客様とプライベートな関わりはお断りさせていただいております」

もう何回も言い続けてきたのだろう、越前さんの口から発せられた言葉はどこか言い慣れたようにも聞こえた。
えー、でもーっと食い下がる女性に、越前さんは他のお客様がいらっしゃいますので失礼しますと言い、また元の位置に戻ってきた。
元の位置というのが偶然なのだろうけど私の前で。

「…お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません」

少しだけ目を伏せながら、越前さんがぼそりと言った。
どうやら先ほどの光景を私が見ていたということは越前さんにバレていたらしい。

「いえ、私の方こそ…すみません」

「お客様が頭を下げる必要はありませんよ」

「でも…なんだか越前さん、女性で苦労なさっているようで」

私の言葉に越前さんが苦笑を漏らしたのがわかった。
どうやら図星らしい。
数席離れたところに座っていた女性は、もうっと文句のような言葉を漏らしてカウンターテーブルにお札を数枚ばんっと叩きつけるようにして店を出ていった。
越前さんは再び溜息を漏らしてそのお金を回収しに行き、計算をしているようだ。

「…釣銭どうすんだよ」

どうやらそのお金は実際の会計金額よりも多かったようで、越前さんははぁーっと本日何度目かの溜息を吐いた。
私がお店に入ってまだ十数分しか経っていないのに、既に何度も溜息を聞いてしまったなんて…一晩の間にいったい何度溜息を吐いているんだろうか。

「大丈夫ですか?」

「…ええ、すみません」

どうやら越前さんは私に少しながら警戒心を抱いているようだ。
警戒心って言い方はアレだけど、私とさっきの女性を同じように思っているというかなんというか。
一種の女性不信的な。

「これ、おいしいですね」

「ありがとうございます。当店のカクテルはすべて自慢の品ですから、お気に召していただけると思っていました」

あ、ちょっと雰囲気和らいだ。
どうやら越前さんはお店のカクテルに自信をもっているらしい。
実際美味しいんだけど、だったらなおさら嫌なんだろうなぁ…。
ちょっと見た限り、ここに来る女の人たちは大半がお酒というか越前さん目当てみたいだから。

「でも、私やっぱりお酒弱いんですかね。一気に飲めそうにないし…」

「ルジェカシス・ミルクはロングカクテルですから。お時間をかけてゆっくり楽しんでください」

「時間をかけるお酒なんてあるんですか?」

目を瞬かせる私に、越前さんはクスリと笑みを浮かべて口を開いた。
どうやら越前さん、カクテルについて話をするのが好きみたいだ。

「はい。カクテルにはロング、ショートの二種類が存在します。名前の通り、ロングは時間をかけてゆっくり飲むのに適したカクテル。ショートは短時間で飲むのに適したカクテルでございます」

ちなみに、と続ける越前さん。
ロングは度数が低く、ショートは度数が高いらしい。
また、ロングは時間をかけて飲むために氷が入っており、ショートは氷がなし。
ショートに氷を入れないのは、氷が解けると水っぽくなって味が落ちるからなんだとか。

「へぇ…カクテルって面白いんですね」

「ええ、奥が深いですよ。学んでみるとそれがよくわかります」

「わざわざありがとうございます」

「いえ、お気に召していただけたのなら光栄です」

越前さんは再び笑みを浮かべて、軽く頭を下げてきた。
そして顔をあげたとき、越前さんはどこか含んだような笑みを浮かべていて。

そこから会話が続くこともなく、私は結局時間をかけてかけてようやく一杯を呑みほし、会計をするためにバッグを持って席を立った。
レジで会計をしてくれるのは越前さんで、言われた値段分を差し出した。
途端。
腕を掴まれ、耳元に越前さんの口が。

「アンタのこと、結構気に入った。また明日ここにおいで…」

それと同時にお金を抜き取られたのか、越前さんはすっと体を離して「ちょうど頂きます」とレジを打ち始めた。
ポカンとしている私に、越前さんはニヤリと妖艶な笑みを浮かべて。

「お客様、随分酔っていらっしゃいますね。足元、十分にお気をつけてお帰りください」

さっきの越前さんのせいですっかり酔いが覚めました。
越前さんの笑顔に見送られ、私は促されるまま店を出た。




ルジェカシスミルク




(あ、悠香ちゃん)
(紹介したお店行ったー?)

(先輩…ええ、一応)

(ね、イケメンだったでしょ!)

(そうですねー、カッコイイと思います)

(悠香ちゃんの元カレもよかったけど、やっぱ越前様よねぇー!)

((越前"様"!?))
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ