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□心地良いソレ
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さっきから、ずっと視線を感じている。
効果音をつけるとしたら、"じーっ"といったところだろうか。
既に空が茜色に染まり始めていた、放課後。
私は自身の教室で、日直の仕事である日誌を書いていた。
「……書かないの?」
視線に耐えかねて、思わず手が止まる。
それに気付いて視線の主──越前リョーマ先輩が首を傾げて問うてきた。
この青春学園中等部の男子テニス部は強豪と謳われ、リョーマ先輩はそこのレギュラー。
私はリョーマ先輩のテニスに憧れて、強豪ではないけれど決して弱くもない女子テニス部に入部した。
とはいえ私は素人だから、リョーマ先輩みたく仮入部期間中にレギュラーに、とかはないんだけど。
「書きますけど……」
リョーマ先輩の質問に、思わず眉が寄るのがわかった。
だって私が手をとめたのはリョーマ先輩の視線に耐えかねたからで。
先輩が私に視線を送ってこなければ、さっさと日誌を書き終えてオフの日を堪能しようと思ってたのに。
「っていうか、なんでいるんですか」
「俺もオフだから」
今日は珍しく、男子テニス部と女子テニス部のオフが重なった日だ。
どうやら顧問が出張だったり用事だったりで部活ができないらしい。
他のメンバーはさっさと遊びに行ったり、熱心な人たちはどこかで練習をしているのだとか。
だから後者の部活熱心…というかテニスバカに分類されるリョーマ先輩ならストテニに行きそうなんだけど。
「先輩、テニス誘われてませんでした?」
「誘われてたけど…断った」
リョーマ先輩は、その整った容姿の影響からかモテる。
モテにモテて、もう学園一の美少年なんじゃないだろうかというくらいだ。
当然女テニの私の先輩たちの中にもリョーマ先輩に好意を寄せている人はいて、その先輩たちに誘われていたのをたまたま耳に挟んでいたのだ。
どうして断ったのかという私の問いに、リョーマ先輩は意地悪気に笑って口を開く。
「あんなやつらと過ごすより、陽菜と一緒にいたいんだよ。言ってるでしょ?」
「そういうのやめてくださいっ!」
リョーマ先輩の笑みと言葉に、思わず顔が熱くなる。
私が照れていることに対し、先輩はクツクツとどこか楽しそうに笑った。
ひどい、リョーマ先輩は私を恥ずかしさで殺す気だ。
「俺さ、陽菜のそばにいると落ち着くんだよね」
今度は意地悪そうな笑みじゃなくて、優しそうな表情で。
私の髪を自身の指に絡めて、まるでいつか聞いたおとぎ話のようにそこにキスをした。
リョーマ先輩の、唇が。
私の、髪の毛に。
「……カオ、真っ赤」
「う、ううううるさいですっ」
改めて意識した瞬間、顔から火がでるほど恥ずかしかった。
リョーマ先輩は嬉しそうにそれを指摘してきて、ああもう顔が熱くて熱くてしょうがない。
何回でも言うけど、リョーマ先輩はカッコいいのだ。
容姿だけじゃなくて、内面も、テニスも、全部が。
性格はクールで少し意地悪でカッコいいし、幼い頃から続けているというテニスをしているときなんてもう最高にカッコイイ。
他の人ならカッコ悪いと思えるようなことも、たぶんリョーマ先輩がやったらカッコ悪いなんて言えないんだろうななんて思うくらい。
でもやっぱりリョーマ先輩のカッコ悪いとこなんてわからないくらい、リョーマ先輩はカッコイイ。
「っていうかそういうのホントやめてください!いいですか、女の子は勘違いしやすい生き物なんですから。そんなこと誰にでもしてたら、そのうち後ろから刺されますよ!?」
「女子って怖いよね」
リョーマ先輩はわかっているのかいないのか、答えながらコクリと頷く。
だいたいこんなことされたら誰だって勘違いするだろう。
男の子ってそう簡単に人の髪の毛にキスしたりできるの?
……ああそれはリョーマ先輩が帰国子女だからできることなのか。
このキザ野郎め。
「あと、もう一つ言っとくけど…俺、こういうのは好きなやつにしかしないから安心してよ」
「あ、よかった。リョーマ先輩一途そうですもんねー」
…ん?
今サラッと流したけど、…え?
なんとかシャーペンを持って再び走らせていた手がぴたりと止まった。
ギギギと恐る恐る顔をあげれみれば、リョーマ先輩はどこか呆れたような顔をしていて。
「わかってないだろ、陽菜」
「……えっと、その…っ」
先輩には鈍い鈍いって言われるけど、ここまでされてわからないほどの鈍感ではない(はずだ)。
好きなヒトにしかやらないっていうのは、つまり、えっと……。
「だから、俺が好きなのは陽菜。気付かなかったわけ?」
「え───っ!?」
リョーマ先輩の言葉に、思わず悲鳴をあげてしまったのは仕方ないだろう。
そんなに驚くわけ?と言いながら、リョーマ先輩はケラケラと笑っていた。
だって、そんな、なんで。
確かに前々から女テニの先輩から「最近、リョーマ君と仲良いよね」とか言われてたけど。
仲は良い方だと思ってたけど!
「他のやつにはソッコーで気付かれたし、結構わかりやすいアピールしてたんだけどね」
やっぱり鈍感じゃん、ってリョーマ先輩が笑う。
窓から差し込む夕日に照らされた先輩は、穏やかに微笑んで頬杖をついていた。
「ねぇ、陽菜…」
「、……」
あれ、言葉ってどうやってだすんだっけ。
はい、って返事したはずなのに、私の口からは何も発せられることがなかった。
リョーマ先輩はどこか困ったように笑って、唇が薄く開く。
「……好き」
静かな、少し照れを孕んだその言葉は、ただただ私を歓喜させるだけの甘い言葉だった。
瞬間、涙腺が崩壊したようにぶわっと涙があふれ出す。
驚いたように目を見開いたリョーマ先輩は、すぐに「泣き虫」って笑った。
「リョーマ先輩、」
「ん?」
横を見上げれば、去年よりも随分身長が伸びたというリョーマ先輩の顔。
私が名前を呼べば、笑みを浮かべて顔を見てくれる。
「私たち、恋人ですか?」
「まあ、そうだろうね。俺としては、今はそれが一番いいかな」
笑いながら、リョーマ先輩がきゅっと少しだけ手に力を込めた。
少しだけ冷えた私の指先が、リョーマ先輩の手の甲に触れる。
リョーマ先輩に答えるように、私もその手を握り返した。
あのあとなんとか泣きやんで、中断していた日誌も早々に書きあげることができた。
そのあと先輩に「一緒に帰ろ?」と誘われて、今私の隣にはリョーマ先輩がいる。
ゆらゆらと揺れる瞳で、恥ずかしげに、でも真剣そうに「好き」と言ってくれたリョーマ先輩は何事もなかったかのように一緒に校舎をでて。
それで、学校の敷地から一歩外に出た瞬間、突然、ごく自然に、流れるような動作でリョーマ先輩に手を取られた。
あれは本当に告白で、私たちは付き合うことになるのだろうか。
そう訊ねれば、リョーマ先輩はあっさりと頷いて。
今は、という言葉が少し気になったけれど、特に追求することなく口を閉じた。
ひろがる沈黙。
すぐそばの車道をせわしなく行き交う車の音だとか、信号機の音。
生活音でざわざわとあたりが騒がしい。
けれど私たちの間に言葉はなくて、ただそれは決してイヤな沈黙ではなかった。
心地良いソレ
(ねぇ、陽菜)
(なんですか?)
(陽菜は、俺のことどう思ってる?)
(……それ、言わなきゃダメですか)
(当たり前。だって俺しか気持ち伝えてないし、それだと一方通行じゃん)
(…………じゃないです、)
(聞こえない)
(っ嫌いじゃないです!)
(もういいですかこれでっ)
(全然足りない)
(…けど、まぁ、今回は許してあげる)
(次はちゃんと言ってよ?好きだって)
(……つ、次は言います)
(約束ね)
((今から訊くのは有効かな…?))