□大きく、1歩前進。
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青春学園中等部、男子テニス部部室。
部活を終えたばかりの部員たちは、更衣室として兼用している部室で他愛ない話をしながら着替えていた。
強豪と謳われるだけあって練習内容は厳しく、元気に談笑しているのは一部の部員だけだ。
入部してしばらく経ったことでようやく慣れ始めてきたばかりの1年生たちは、一人を除いて疲れ果てていた。
その唯一平然としている1年生は、この青学テニス部でレギュラーでもある少年だ。
愛用のFILAの帽子を脱ぎ、タオルで軽く汗を拭いた少年──越前リョーマは、着替えより先に携帯電話を手に取った。
待ち受け画面は、リョーマが飼っている愛猫のカルピン。
画面には新着メールが1件あり、リョーマはそれに目を通した瞬間無意識に頬を緩めていた。
早々に返信をして、一旦携帯電話から視線を外す。
帰り支度を始めた途端、携帯電話がヴー、ヴー、と振動した。
再び視線を向け、またメールを見て、返信して、すぐに返信が来る。
その一連の動作を何回も繰り返すリョーマに、他愛ない話をしていたはずの先輩たちの視線は集中していた。

「………何スか?」

返信し終えたのか、ようやく視線が自分に集中していることに気がついたリョーマ。
先ほどまでの緩んだ表情はどこへ行ったのか、どこか警戒する猫を思わすように眉を寄せる。

「いや、さっきからメールしてるから…」

「俺がメールすんの、そんなに珍しいっスか」

連絡事項のため、ということで携帯電話を持っている部員たちは全員アドレスを交換している。
特に仲の良いレギュラーたちは他愛ないメールをすることもあり、リョーマも暇つぶし程度にそれに付き合うことはあった(返信がないときもあるが)。

「だってさー、おチビめちゃめちゃ嬉しそうだし」

「そうだぜ、なんだよそのだらしない顔。好きなやつからのメールかー?」

リョーマが嬉しそうなのも、頬が緩みきっていたのも、この数ヶ月ともに練習してきた仲間である部員たちにはわかる。
からかうように先輩である菊丸と桃城がそう言った瞬間、リョーマはカァッと顔を真っ赤に染めあげた。

……え?

もちろん、顔を真っ赤にしたリョーマなどみたことがあるはずもない部員たちは思わず固まる。
リョーマはまるで何かを誤魔化すよにわたわたと手を動かした後、誤魔化し方が浮かばなかったのかロッカーに置いていた帽子をがばっとかぶった。
顔を見られたくないのか、帽子を押さえて深くかぶるリョーマ。
一瞬呆けた部員たちは、すぐに面白いネタがみつかったと言わんばかりにリョーマに絡み始めた。

「えっ、ウソだろ越前!?」
「好きな子いんのっ!?」
「マジかよ誰?誰?教えろって、なぁ!」
「ちょっ、てか越前照れてんの!?」
「うわっ、かわいーとこあんじゃん越前!」

やいのやいのと騒ぎたてる部員たちに、リョーマはもともと小柄な体躯をさらに縮まらせる。
その、普段の生意気でクールな態度からは想像も出来ないリョーマの姿に、部員たちはさらに盛り上がりを見せた。

「…お前たち、いい加減にしろ」

いよいよリョーマに詰め寄る部員たちも出始めたところで、部長である手塚が呆れ気味に声をかけた。
ちぇー、という軽い不満が漏れるが、さすがに部長には逆らえないと部員たちもリョーマから離れる。
が、だからと言って興味がなくなるわけでもない。

「しかし、面白いデータだな。越前の想い人か…どんな人物だ」

特に反応を示していたのは、テニス部一情報通である乾。
キラン、と眼鏡を反射させて指で位置を直すと、ノートとシャーペンを片手にリョーマに近づいた。

「さぁ、どんな人物なのか言うんだ越前。大丈夫、悪いようには扱わないさ」

「……うう、うるさいっ!」

珍しくどもるリョーマに、敬語が抜けているのにも気にならないのかさぁ、さぁ、と詰め寄る乾。
しかしリョーマはますます帽子を深くかぶってしまい、ツバのせいで顔を見ることはできなかった。

「安心しろ、越前。何もお前をからかおうと思っているわけじゃないさ」

仕方なさそうに体を離し、乾が言う。

「お前はオレたちにとって可愛い後輩だ。後輩の恋路を応援したいのが日本人の性というものだ。…面白半分に広めることはないし、からかいもしないよ」

乾の言葉に、リョーマがおそるおそると言った様子で帽子を外す。
その頬はやはり赤らんでいて、どことなく琥珀色の瞳も潤んでいるようにみえた。
視線を向ければ、先ほどまでからかい気味だった部員たちは全員穏やかな表情を浮かべている。
どうやらそれは本音のようであった。

「そもそも、人間というのは生き物だからな。年頃の男子中学生である越前が誰かに恋をしても不思議ではないさ。むしろ当然のことと言える」

なおも口を開かないリョーマに、乾はたたみかけるように続けた。
戸惑ったようにほんのりと赤い頬をのまま部員たちを見渡してから、リョーマは薄く口を開く。

「……笑わないでくださいよ?」

いつもよりも覇気のない小さな声に、もちろん、と部員たちが笑った。
リョーマは小さくほっと息を吐き、それから意を決したように口を開いた。

「その、えっと……」

何かを話すつもりではいるのだが、やはり恥ずかしいのかなかなか本題に入れないリョーマ。
徐々に顔が赤らんでいき、困ったように眉を寄せた。
何から話すべきか悩んでいるらしい。
そこに見かねたのか、桃城が質問をした。

「その相手って、うちの学校か?」

「不動峰なんスけど…」

「不動峰?っつーと、橘さんがいるところか」

桃城から問われ、リョーマはどこか安心したように答える。
やはり自分から話すよりも、質問されて答える方がどこか気が楽らしい。
不動峰中とは、大会で対戦したことがあったため部員たちもよく覚えているメンバーだ。

「どこで知り合ったんだよ?」

自分たちが質問した方が早いと感じたのか、桃城に続いて他の部員が質問をする。
その問いに、リョーマは大会で初めて会ったのだと答えた。
部員が質問して、リョーマが答える。
それを何度も繰り返し、ようやくリョーマの想い人の像が見えてきた。

不動峰中の2年生。
男テニ部長の妹である橘杏の親友で、よく一緒に行動している。
テニスはそこそこの実力。
ポニーテールが似合っている。
よく笑う可愛い子。
名前は和泉陽菜。

そしてもう一つわかったことは、リョーマが本気でその少女を想っているということだった。
彼女の話をするとき、無意識なのだろうがリョーマは優しげな表情をしている。
ただのメール一つで嬉しそうな表情をするほどに、その少女、陽菜に惚れこんでいるのだ。

「まぁ、なんとなくわかったけど…越前」

部員に名前を呼ばれ、リョーマが首を傾げる。
その部員と、他の部員たちは、どこか楽しげにニヤニヤと笑みを浮かべていた。

「顔、真っ赤だぜ?」

「え」

やはり想い人の話をするのは恥ずかしかったのか、リョーマの顔は話し始めたときよりも赤らんでいた。
指摘され、顔に熱が集まっていることを自覚したのか、ますます顔が赤くなる。
きちんと人間らしいところもあって、実は少し安心している部員もいることをリョーマは知らない。

「し、しょうがないじゃないっスか!…こういうの、初めてだし…」

結局開き直ったリョーマは、しかし徐々に声を小さくしていく。
こういう恋愛が初めてなのか、恋愛相談が初めてなのかは不明だが、この照れ具合からすればおそらく前者なのだろう。
リョーマはもう赤い顔を隠すのを諦めたのか、ぶすっと唇をとがらせた。

「いいか越前、男はアタックあるのみだ!」
「勢いで告白しちまえ!」
「お前ならいける!」

部員たちのアドバイスといえるのかもわからないアドバイス。
リョーマは苦笑を漏らし「たぶん無理っスけど」と応えた。
なんでだよ!という不満げな声に、リョーマは赤い頬を人差し指でかいて答える。

「……その、先輩を前にすると、まともに顔見れないっていうか、しゃべれないっていうか…」

話を聞かれるだけで顔を真っ赤にするリョーマのことだ、きっと本人を前にすれば緊張と照れでいつものリョーマではいられないのだろう。
この数十分で安易に想像ができるようなリョーマの光景に、部員たちが「あー…」と落胆の声を漏らした。
可愛い後輩の恋路、うまくいってほしいと願うのは当然のことだった。

「…なら、まずはデートでもするといい。男女二人で一緒に出かければ立派なデートだ」
「と、いうことで越前」
「メールでも電話でもいいから、早速誘え!」

どこか鬼気迫る部員たちに、リョーマは戸惑い気味にこくりと頷いた。




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