□先生、わかりません。
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あ、リョーマ君だ。
お手洗いから教室に戻る途中、廊下の窓からふと外を見て気がついた。
どうやらこれから体育らしく、リョーマ君は体操服に身を包んでどこか退屈そうに見える。
同じクラスらしい男の子が、リョーマ君に話しかけているのがわかった。
グラウンドには男子のほかに女子もいる。
人数の多い青学では、体育は3クラス合同で行われることになっていた。
私は4組だから、残念なことに体育はこのあとだ。
1組と2組と3組の女の子たちの中には、ほんのりと頬を染めながらリョーマ君を見ている子たちもいる。
この人数の多い青春学園中等部で、リョーマ君に好意を寄せている人たちは一体どれだけいるのだろうか。
きっと私の想像もつかないほど多いだろうし、もしかしたら、他校にもリョーマ君を好きなひとがいるかもしれない。
もちろん私もその中の1人で、リョーマ君のことはずっと前から好きだった。

…初めてリョーマ君のことを知ったのは、入学する前のことだった。
兄の参加するテニス大会の見学にいったときに、その大会にリョーマ君が参加していたのだ。
私自身が、弱いけれどプレイをする影響からか、リョーマ君とは知り合ってすぐに打ち解けたと思う。
入学式まで日が短かったからか、クラス分けを見ていた時にリョーマ君から声をかけてくれたし。
それからリョーマ君が男子テニス部に入部して、レギュラーになって、大会で活躍して。
その時はまだすごいなあって他人事みたいに思ってるだけだったんだけど。

気がついたら、リョーマ君のことを目で追うようになっていた。
リョーマ君のことが、好き。
だけどリョーマ君とはクラスも離れてしまったし、共通の友人もいないし。
結局、あれから会話をすることはあまりなかった。
もしかしたら、もうリョーマ君には忘れられているかもしれない。
だってリョーマ君、人の顔と名前を覚えるのが苦手だって言ってたから。
忘れられたら忘れられたなんだろうけど、絶対悲しいよなぁ…。

小さく溜息を漏らして、窓から離れた。
一瞬だけリョーマ君と目があった気がしたけど、きっと気のせいだよね。



******************



今日は、いつも一緒に昼食をとっている友人が彼氏と過ごすらしい。
他の子たちも各々が楽しげに昼食をとっているし、その輪に入れてもらう気もわかなくて弁当を持って1人屋上にあがった。
青学は私立校だからか、お昼を食べる場所は自由だった。
屋上といえば人気スポットのような気もするけれど、実はあまり人はいない。
夏は暑いし、冬は寒い。
日除けもないし、コンクリートだし、風の強い日は砂埃がひどいし。
つまり昼食には不向きな場所。
それでも私が屋上を選んだのは、ただ、屋上から見る街の景色が好きだから。
日暮れが一番きれいな時間帯なんだけど、お昼はお昼でなかなか趣があると思う。

「……陽菜?」

屋上の扉を開けた瞬間、外からの風が吹きつけてきた。
その風に乗って聞こえてきたのは、ずっと聞きたかった声で。

「リョーマ、君」

屋上にはリョーマ君がいて、珍しくぽかんと呆けたように口を開けていた。
リョーマ君の前には美味しそうなお弁当がひろげられていて、はっと我に返ったようにリョーマ君が手まねきする。

「どうせ誰もいないし、一緒に食う?」

「う、うんっ」

願ってもないチャンスである。
下心は確かに少しだけあるが、それ以上にリョーマ君に覚えてもらえていたことが嬉しかった。
リョーマ君から人ひとり分くらいの距離を開けて腰をおろす。
既におかずを食べ始めていたのだろう、リョーマ君が箸をお弁当に伸ばしていた。

「いただきます」

手を合わせてから弁当を開く。
いつもどおりお母さんの手作りが入っていて、見栄えもいい。
リョーマ君も食べ始めていることだし、私も自分の弁当に箸を伸ばした。

「…なんか、陽菜と一緒にいるの久しぶりだよね」

おかずをつつきながら、リョーマ君がぽつりと言葉を漏らす。
そういえば、最後にリョーマ君と話したのはいつだっただろうか?

「リョーマ君、いっつも人に囲まれてるもんね。クラスも離れちゃったし、しょうがないよ」

リョーマ君は男女問わず人気が高い。
休み時間になればリョーマ君の周りにはいつも人がいて、たとえリョーマ君本人が興味なさそうに頬杖をついていたり眠っていたりしても周囲は関係なく話しかけている。
思わず苦笑が漏れるけれど、リョーマ君は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

「………まあ、クラス遠いしね」

「2組と4組だからねー」

もし同じクラスだったら、きっと私はもっと積極的にリョーマ君に話しかけていただろう。
同じクラスじゃないにしろ、1組とか3組だったら顔を出しに行ったかも知れない。

「…陽菜は、さ」

そういえば、リョーマ君は私のことを名前で呼んでいただろうか?
…ああ、そういえば、いつだったか苗字は慣れないから名前で呼んでほしいとお願いしたことがあったっけ。
まさか了承されるとは思わなかったんだけど。

「俺と離れて、寂しくないの」

「…え?」

リョーマ君が、すごく悲しそうな表情をしていて。
思わず、箸が指先から滑り落ちた。
幸いにも落ちたのはナフキンを広げた上で、ギリギリセーフ。
でも、そんなものよりもリョーマ君の憂いを帯びた顔と、らしくない言葉に何よりも驚いた。

「リョー、」

「陽菜と話せなくなって、一緒にいれなくて、…俺、結構寂しかったんだよ?」

私の言葉を遮って、リョーマ君が言う。
今、彼は何と言った?
私と話せないことが、一緒にいられないことが、寂しい…?

そう言ってもらえるのは、すごくうれしい。
…でも、全くわけがわからなかった。
だって私は、そう言ってもらえるほどリョーマ君と時間を過ごしたわけじゃない。

「…どうして?」

思わず漏れた言葉に、リョーマ君がふっと笑った。
さっきまでのどこか悲しそうな表情じゃなくて、穏やかな、優しい表情。

「……どうしてだと思う?」

「…、わかんない」

私の問いに問いで返すリョーマ君。
わからないという言葉に、リョーマ君は「言うと思った」なんて笑う。

「まだ、わかんなくていいよ。すぐにわからせてあげるからさ」

「え」

リョーマ君はそう言って、ニヤリと妖しげな笑みを浮かべた。

リョーマ君の、この言葉の意味がわかるのは、果たしていつのことなのだろうか。



先生、わかりません。



(…ねー、お兄ちゃん。どういうことだと思う?)

(あ?そんぐらい自分で考えろよ)

(わかんないから聞いてるんじゃん!)

(あー、はいはい。そのうちわかんじゃね?)
(しかし、我が妹にもついに春が来たなー)

(…はぁ?)
 

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