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□天からの贈り物
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高校生活も落ち着き、高校生になって始めた一人暮らしにもようやく慣れてきた頃。
越前リョーマは、父親名義で借りているアパートの一室でテニス雑誌を読んでいた。
外では雨が降っており、本日予定されていた部活動は中止になり、リョーマは暇を持て余していた。
しかし時折顔をあげては時計に目を向けているのは、つい先ほど恋人である和泉陽菜に連絡を入れたからだろう。
部活動がなくなったと知った途端、陽菜はリョーマの部屋に来ると連絡が入ったのだ。
陽菜とともにすごすのはリョーマにとって心安らぐ時間であり、今まではテニス一筋だったリョーマも、すっかり陽菜に惚れこんでいる状態だ。
雑誌に目を通すも、一度隅々まで読みつくしたからか暇がつぶれることはない。
仕方なく、リョーマは雑誌をテーブルの上に無造作において溜息を吐いた。
喉の渇きを潤すために用意していた熱い緑茶は、すっかり冷めきっている。
冷たくなった緑茶を流し込み、リョーマは腰を上げた。
新しく淹れなおそうと考えたからだ。
が、リョーマがキッチンに向かうよりも先に来客を知らせるインターフォンが鳴る。
きっと陽菜が来たのだろうと判断したリョーマは、手に持っていたコップをテーブルに置いてキッチンではなく玄関に向かった。
覗き穴から確認してみれば、来客はやはり陽菜である。
リョーマは頬が緩むのを自覚しながら、施錠していた玄関の扉を開けた。
「陽菜、いらっしゃ………は?」
浮かんでいた笑みは、陽菜を見た瞬間に消え、困惑気味の表情が浮かんでいた。
より正確に言うならば──陽菜の腕にいるものを見て、だ。
「リョーマ……どうしよう、」
ソレを両手で大事そうに抱えているからか、陽菜の体は雨にぬれていた。
一瞬思考が停止するリョーマだが、まずは陽菜の濡れた身体を温めなければとすぐに思い立つ。
陽菜を慌てて部屋の中にあげ、施錠してからタオルの置いてある洗面所に急いだ。
「陽菜、これつかって」
「ありがとう。…でも、この子…」
「赤ん坊はいったん俺が預かるから」
陽菜が両腕で大事そうに抱えていたもの。
それは、まだ幼い赤ん坊であった。
陽菜が雨からかばいながらここまで来たからか、赤ん坊はほとんど濡れておらずスヤスヤと気持ち良さそうに寝息を立てている。
リョーマは陽菜にタオルを渡してから赤ん坊を預かり、確かに腕にある温もりと重みに思わず眉を寄せた。
「どうしたの、これ」
「実は……」
借りたタオルで頭を拭きながら、陽菜が簡単に状況を説明した。
リョーマから部活動がなくなったという連絡を受けた陽菜は、リョーマの家に行くとメールを入れてから自宅を出た。
雨が降っていたため、お気に入りの傘をさしてリョーマ宅に向かっていた途中。
雨が降っているから近道しようと入った横道に、まるで捨て猫のように、申し訳程度に傘を開いた状態のダンボールに赤ん坊が捨てられていたのだ。
ダンボールには、「私たちの代わりにこの子をよろしくお願いします。」とだけ書かれていたらしい。
最初は動物が捨てられているのかと思い近づいた陽菜だったが、赤ん坊だったのを見てあわてて連れてきた、というのがことのてん末らしい。
「赤ちゃんだし、あのままにしておくわけにもいかなくて…」
「……」
もし陽菜よりも先に誰かが発見していれば、リョーマと陽菜のもとにこの赤ん坊が来ることはなかっただろう。
しかし外では土砂降りとまではいかないまでも雨が降っているのだから、わざわざ外に出るような物好きもいない。
「私が、あの道を通らなかったら……」
もしも陽菜がいつもの道を通っていたら。
もしも陽菜があの道を通らなかったら。
きっと、この赤ん坊は──…。
そこまで考えて、陽菜はぶるりと身体を震わせた。
リョーマはどこか悲しげに眉を下げ、陽菜はの名前を呼ぶ。
その声に赤ん坊が気づいたのか、うっすらと目を開いた。
ピシリとリョーマが固まる。
もしも自分の両親ではないと知った赤ん坊が泣き始めたら──。
そんな不安をよそに、赤ん坊は不思議そうにリョーマと陽菜を見つめる。
そして、嬉しそうに、「だぁ!」と笑いながら声をあげた。
「り、りりりリョーマこの子笑った!」
「まあ、笑うだろうね」
「可愛いっ」
陽菜は子供が好きなため、ニコニコと笑って手を伸ばす赤ん坊を可愛いと感じたのだろう。
リョーマの腕からそっと抱きあげ、あやすように顔を身体に近づけて赤ん坊の機嫌をとった。
嬉しそうに笑う赤ん坊と陽菜。
そんな微笑ましくも思える光景を目にしながら、リョーマはこれからどうするべきかと頭を抱えた。
───捨て子。
日本のマスコミなどでは差別用語に当たるとして赤ちゃん置き去りなどと言い換えることが大半だ。
随分前にはコインロッカーに赤ん坊を放置していくという事件が多発し、社会問題にもなった現象。
自分が生きていく上でそんなものに関わることなどほぼ皆無であろうと思っていたが、実際に赤ん坊はリョーマの目の前で、陽菜にあやされている。
動物などでは「物」として扱われることもあり、警察に届け出て本来の飼い主が現れるのを待つのが基本だ。
もしこの届け出を出さずに勝手に飼い始めれば、それは罪だと罰せられることもある。
が、相手は犬や猫ではない動物。
人間社会においての動物がものとして扱われるなら、赤ん坊ははたしてどうなるのか。
「…その子、どうするの?」
きゃっきゃとはしゃぐ赤ん坊、微笑みながら赤ん坊を相手する陽菜。
陽菜に疑問をぶつけてみれば、そこまで気が付いていなかったのか陽菜の表情がみるみる曇っていく。
「俺らはまだ高校生だし、その赤ん坊が誰の子供かなんて分かんない」
「………そう、だよね。ごめんなさい」
「別に、謝ってほしいわけじゃなくて…」
ただ疑問をぶつけてみただけなのに、陽菜は悲しげに眼を伏せる。
違う、そうじゃない。
俺は陽菜にそんな顔をしてほしいわけじゃないんだ。
心の中で焦ったように呟き、そしていつも言葉が足りない自分に対して小さく舌打ちを漏らす。
リョーマと陽菜は分かりあえているけれど、それでもリョーマの足りない言葉のせいで時々意味が違って伝わることもいまだにある。
「……あのさ、陽菜」
「…何?」
陽菜が顔を上げる。
悲しげな表情をしているからか、赤ん坊は不思議そうにぺちぺちと陽菜の頬を叩いていた。
「これからどうすればいいか分かんないし、一旦警察に行こう?そこで詳しく話を聞いて、それからどうするか考えるのが一番だと思う」
「リョーマ…」
「…もし陽菜がこの子を育てたいっていうんなら俺は最大限協力するし、母さんや親父にも相談する。だから、まずは話を聞きに行こう?」
「……うん、わかった」
リョーマの言葉に、陽菜はようやくへにゃりと笑みを浮かべた。
最大限協力する、それはこの赤ん坊をリョーマが疎ましがっているわけではないという証拠だから。
「さ、話は早いうちにしといた方がいいし…今から行こうか」
「うんっ」
リョーマは微笑みながら陽菜に手を差し出した。
陽菜は嬉しそうに頷き、リョーマの手を取った。
天からの贈り物
(もしこの子を育てることになったらどうする?)
(あー…それもそれでいいかもね)
(俺は陽菜が喜ぶならそれでいいよ)
(もう!もし育てるなんてことになったら、リョーマも手伝ってもらうんだからね!?)
(わかってるよ)
(…俺、ガキってあんまり好きじゃないけど、この子ならいいかもね)
(…リョーマ大好きっ)