□虚空をつかむ
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ねぇ、生物が死んだらどうなると思う?

屋上のフェンスに手を触れさせ、そこから遠くを見つめる彼女が唐突に問うた。
授業中である今、この屋上にいるのは俺と彼女だけだ。
ただでさえ最近は夏の蒸し暑さのせいで屋上に近づくものはいない。
俺らがここにいる、ということを想像すらしないやつが大半だろう。

彼女──篠宮愛海先輩は、不二先輩の幼馴染らしい。
らしい、というのは幼馴染だと言っているが不二先輩だけで、愛海先輩はそれを否定しているからだ。
まぁ、不二先輩がそんなくだらない嘘つくわけないし、愛海先輩のこと色々知ってるから事実なんだと思う。

「何スか?急にそんなこと言いだして」

俺はまだ中1だし、死んだ場合のことなんて考えたことはない。
当然だろう、俺ら中学生はまだ人生の極1部しか生きていないつもりなのだから。
ただ、俺は自分がいつ死ぬかなんて知らない。
明日死ぬかもしれないし、明後日死ぬかもしれないし。
あるいは、今日の学校帰りに事故って死ぬかもしれない。
5分ごとか10分後に、ここから落ちて死ぬかもしれない。

人間ってそんなもんだ。
自分だけじゃない、すべてにおいて1秒先に何が起きるかわからないんだから。
絶対死なないとか、絶対平均寿命まで生きるとか、そんな保証はどこにもないくせに。
ヒトは自分がまだ死なないなんて勘違いしてる。
もちろん俺も、その勘違いしている──正確には、勘違いしていたい人間だ。
だってまだ12年しか生きてないし、もっといろんなやつとテニスがしたい。

「なんとなく、ね。考えてみたの」

だからこそ愛海先輩はよくわからない。
以前から彼女は何度も生きるのがイヤだと言っている。
ならば自殺願望があるのか、といえばそうではない。
生きるのがイヤだというくせに、死ぬのもイヤだというのだ。
俺より2年しか長生きしてないくせに、そのたった2年で何をどうしたらこうなるのか、愛海先輩は俺が今まであった誰よりも捻くれてると思う。

「私はね、死んだあとってなにもないと思うんだ」

「…?」

ずっと遠くの町並みをみていた先輩が肩越しに振り返る。
手はいまだにフェンスにかけられており、先輩の口元にはわずかに笑みすら浮かんでいた。

「だって死んだら、その人が生きていたって証拠は紙切れだけなのよ?もしここに死んだ誰かがいたとしても、私は認識できないし越前君も認識できない。
認識できないってことはつまりそこに存在しないってこと。存在しないってことは"無"であるのと等しいことだと思うの」

「…よくわかんないっス」

俺の言葉に愛海先輩はニコリと微笑んだ。
自分の考えを理解されないということに対し別段何も思わないようだ。
というか先輩自身も納得してるかどうか怪しい。

「私、輪廻転生って信じないタイプなんだよね。越前君は?」

「転生って仏教の考えですよね。別に何か信仰してるわけじゃないけど…死んだら死んだままなんじゃないスか?」

まぁ、ぶっちゃけ輪廻転生とか母さんに聞いて初めて知ったし。
キリストだとたしか、最後の審判で復活して神の裁きを受けるんだっけ。

「生きることに絶望して死んだ場合とかさ、また生きなくちゃダメだなんてひどいよね」

「死にたくなくても死ぬしかなかった人にとっては有難いんじゃないスか?」

「それもそうなんだけどさー」

ケラケラと笑った愛海先輩は、笑みを浮かべながらフェンスに体をもたれさせた。
屋上のフェンスは、体重をかけること前提で設置されたわけではないだろう。
いくら先輩が俺と同じような身長で標準以下の体重だとしても、一点に体重をかけ続ければフェンスも少しずつ歪んでいく。

「先輩、死にたいの?いい加減にしないと危ないと思うんだけど」

「んー?生きるのは面倒だけど、死ぬのも面倒だしなぁ……」

ふふ、と小さく笑い声をもらした愛海先輩は、ようやくフェンスから体を離した。
さらに一歩下がったことにより先輩の体が完全にフェンスから離れる。
…そのことに少し安心したなんて絶対言わない。

「でも、ここから落ちたら汚いじゃない。飛び降りの死体って結構ヤバいらしいしさ。どうせなら綺麗な死体になって死にたいな。安楽死希望」

「安楽死って日本じゃ禁止されてるんスよね。夢見がちなこと言ってないで現実見れば」

先輩は厳しいなぁ、なんて言って俺に体を向ける。
わずかに吹いた風が、愛海先輩の髪と、制服を撫でていった。

「ホントはさ、一思いに飛び降りてやるつもりだったんだよ。たしか3年にあがってすぐくらい」

「何でっスか?」

「さぁ?なんでだろ。別に家庭環境に絶望したとか苛めとかがあったわけじゃないんだよね。ただ、何となく死のうかなって思って屋上に来たの」

懐かしむように目を細める愛海先輩。
でも、今3年の先輩が3年にあがってすぐと言ったってことは、それはたった数ヶ月前の出来事ということだ。
……そういや、俺が初めて愛海先輩に会ったのも4月の屋上でだったっけ?

「でもね、屋上に来たら──キミがいたんだ」

「、え」

覚えてる?と問う先輩の言葉と表情で確信した。
愛海先輩がここに死にに来た時、それが俺と先輩が初めてあった日だ。

「なんかね、越前君のこと見た瞬間にさ、死のうって思ったこと自体がくだらなく思えてさ。それで越前君に話しかけたってワケ」

「ふーん…。何でっスか?」

先輩は一瞬困ったような表情を見せ、そして口を開いた。

瞬間。

授業終了のチャイムが鳴り、パクパクと口を開閉させる先輩しかわからなかった。
小さな声で話をしていたのだろう、愛海先輩の声はチャイムにかき消されて何も聞こえない。
先輩が口を閉じた瞬間にチャイムも鳴り止んだ。

「聞こえなかったんスけど…もう一回言ってくれません?」

しかし先輩は小走りで屋上の扉に向かった。
ちょっと愛海先輩、そう呼びとめてようやく先輩は立ち止まる。

「ナイショ!」

扉目前で振り替えった先輩は、満面の笑みを浮かべてそういった。
愛海先輩がどこかに行ってしまいそうで、それが怖くなって思わず手を伸ばす。
当然ながら俺の手は先輩の髪の毛の先にすら触れることなく空を切った。



虚空をつかむ



((越前君を一目見て惹かれた、なんて))
((大きな声で言えるわけないじゃない))
((…チャイムが鳴ってよかった))

((愛海先輩、死のうなんて早まらないでよね))
((先輩がいなくなったら──俺だって寂しいし))
 

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