□夢から醒めたように
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「失礼しまーす」

「…あら、神野さんに越前君じゃない。まあまあ、手まで繋いで…。相変わらず仲がいいわねぇ」

梓紗が迷わず入った教室は、生徒会室とプレートの掲げられた、こじんまりとした部屋だった。
部屋の真ん中にどんとテーブルが置かれていて、その周りにいくつかのパイプ椅子が置かれている。
移動可能なホワイトボードには特に何も書かれておらず、きれいな状態を保っている。
そこにいたのは、きちんと制服を着こんだ女子生徒だった。
といっても彼女一人だけがいるわけではなくて、傍には数人の女子と男子がいる。

椅子に座ってなにかの冊子に目を通していた彼女は、生徒会室に入ってきたリョーマと梓紗を見つめて優しげに眼を細めた。
彼女こそが、梓紗も所属するファンクラブそのものとをまとめ上げる会長である。
会長の周りにいるのは、それぞれのファンクラブのリーダーたち。
簡単に言えば、ファンクラブ会長と幹部たち(少し違うが)が集まっていたという状況だろう。
ちなみにリョーマと梓紗の二人の交際は全生徒に応援されており、リョーマ親衛隊なるものもいるが彼女たちにも認められている仲だ。

「ごめんなさい。お話し中でした?」

「いいえ、いいのよ。こちらの話より──越前君がここに来た、ということの方が大事みたいだから」

彼女たちもファンクラブ会員、今が部活動の時間であることはよく知っている。
だからこそ会長は判断したのだろう。
普段から真面目に部活に取り組んでいるリョーマが、この時間に、わざわざ梓紗とともにやってきたことが重要である、と。

「………先輩」

「なぁに?」

「……俺、もう、限界っス。……俺だけじゃない、他の奴らだって皆言ってる。──これ以上、今の先輩らについていけない」

梓紗にはすべて話した。
少しは楽になった。
けれどリョーマが限界であることに、何ら変わりはないのだ。

「…今、ちょうどわたしたちもその話をしていたところなの。姫盛明日香さん……彼女が原因ね?」

会長の問いに、リョーマがこくりと頷いた。






全ての原因は、とある女子生徒が転入してきたところから始まった。
姫盛明日香という転入生は、転入してきて僅か数日で男子テニス部のレギュラー全員と面識を済ませ、1週間で彼らに気に入られた。
2週間目には男子テニス部のマネージャーになり──そこですべてが狂い始めたのだ。
彼女が真面目に仕事をするのなら、問題はなかった。
たしかに今までマネージャーを取らなかった男子テニス部が突然転入生をマネージャーにしたというのは驚きだが、それが彼らのためになるのならと納得していたのだ。
だが、実際はそうではなかった。
全くマネージャーの経験のなかった姫盛は、結局その仕事が何一つ出来ないままでいたのだ。
覚える努力すら、見ることはできなかった。

「ごめんね?明日香、こういうの初めてだから…わかんなくって」

ただレギュラーたちに見惚れてコート付近に突っ立っていただけなのに、わからなくって、ですませたのだ。
さらに驚いたのは、レギュラーが「仕方がないね、明日香を無理矢理マネージャーにしたのは俺たちなんだから」と認めてしまったのだ。
そこから先も姫盛は仕事を覚える気がないのか、常にコート付近でレギュラーの応援をしているか、ぺちゃくちゃお喋りをしているだけ。
姫盛は決して不細工というわけではない。
むしろ、顔だけ見ればそこら辺に入る女子よりも整った容姿だろう。
けれど、だからといって好みのタイプが全く違うはずの男たちが、一人の女を好きになるということ自体がありえないのだ。
その事に気付いたのは、同じくレギュラーでその時既に梓紗にベタ惚れであるリョーマだけだったのだが。
最初は、呆れているだけだった。
好きな人に夢中になる気持ちがわからないわけではなかったからだ。
自分だって、恋人の梓紗がマネージャーであればついつい彼女の傍にいたくなっていただろう。
だから、呆れながらも理解はしていた。
大会が近付けば彼らも熱心に部活をするだろう、と。
しかし──どれだけ時間が経っても、彼らはまじめに練習をしようとしなかったのだ。
その事に、リョーマは焦った。
大会は刻一刻と近づいているのに、肝心のレギュラーたちがそれを自覚していないからだ。
入部当初はあった先輩レギュラーたちとの実力差も、どんどんと、リョーマの納得いかない形で離れていく。
そうして遂に、彼らレギュラーは平部員たち相手のメニューにも手こずるようになったのだ。

次の大会は、確実に負けるだろう。
たった1人の女にうつつを抜かしたレギュラーたちのせいで。

──それは、リョーマにとっても平部員たちにとっても、そしておそらくライバル校の生徒たちにとっても納得できない結果。

だからリョーマは、レギュラーたちに直接聞いたのだ。

「先輩ら、そんなんでどうすんの?」

「はー?だーいじょーぶだって、勝てる勝てる」

…彼らはまともに取り合おうとしなかった。
今までの実力や結果に、絶対の自信があるから。
彼らだって知らないわけではないだろう。
一日サボれば、その倍以上の時間をかけなければ元には戻らないことを。
休息は確かに必要だ。
けれど彼らのそれは、明らかに休息の域を超えていた。





「次の大会、このままじゃ絶対負ける」

「…でしょうねぇ」

「先輩、何とかなりませんか?」

困ったように腕を組む会長に、梓紗が眉根を寄せながら問う。
大好きな恋人のためにも、何とかしたい。
…実際は男子テニス部がどうなろうと関係ないのだが。
テニス部が負けようがボロボロになろうが、本来梓紗には関係のなかった話。
ただ、ここまで必死になるのは──やはり、リョーマのことを本気で好きだからだろう。

「…よし、わかった。氷帝学園に練習試合の申し込みをしましょう。それで、彼らに自覚させるの」

「……ひょーてい?」

「跡部さんがいるとこ」

首を傾げる梓紗に、少々あきれながらリョーマが言う。
その説明で本当に理解できているかは不明だが、梓紗はああ、と納得したように頷いた。

「大会前だけど…跡部君なら受けてくれるはずよ」

会長は跡部と知り合いなのだろう。
ふふ、と小さく笑みを浮かべ、テーブルの上に置いてある固定電話の受話器を手に取った。





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