□夢から醒めたように
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ああ、もう、幸せっ!
今の気持ちを表すなら、それだけしかないと思うの。

──明日香がこの世界に、所謂トリップしてきたのは少し前のことだ。

漫画も全巻そろえてアニメも全部観るくらい好きで。
夢小説も読みまくってて。
だからトリップできた時は、嘘みたい!と思わず叫ぶところだった。
大好きな皆が、そこにいる。
しかも本当に夢小説みたいな展開で、あっという間にテニス部のマネージャーになれたの。
もちろんマネージャーなんて全く出来ないけど、ごめんね?と謝れば「いいんだよ!」って許してくれて。

…でも、最初は、少しだけ嫌だったんだよ?

だって明日香の大好きだった皆は、テニスをしないで明日香の傍にいるんだもん。
ほんの少しだけ、嫌悪感っていうの?
そういう感情があった。

ただ、すぐにそれは違うなって思ったんだけど。

だって、みんな明日香の傍にいたいっていうんだもん。
大好きな皆にチヤホヤされるなんて、当然嬉しいじゃない?
どうせ明日香がトリップしたからって原作が変わることなんてないんだから。
大会優勝は青学なんだし、少しくらい夢見たっていいよね。
そう何度も何度もいい訳をしているうちに、ふと気がついた。
これは別に、何もおかしいことじゃないんじゃないかって。

ココは、明日香のための世界なんでしょ?
夢小説の世界。
だったら好きなことしたっていいじゃない。
明日香は、お姫様なんだもん!




「氷帝と練習試合?」

ざわり、と部室がざわめいた。
顧問である竜崎に告げられたのは、ライバル氷帝学園との練習試合が決定したということだった。
もちろんその事はリョーマ以外の誰も知らないため、部内は僅かに騒然としている。

「お黙り!」

その騒がしさを、腰に手をあてながら竜崎が叱咤した。
竜崎も今回の練習試合を仕組んだのはリョーマやファンクラブの会長であることを知っている。
それでも認めたのは、現在のレギュラーたちの堕落ぶりにほとほとあきれていたからだろう。

「いいかい、今回は大会前にわざわざ向こうが申し出てくれたんだ。恥をさらすんじゃないよ」

一番最初に手をまわしたのは会長なのだが、竜崎はあえて"氷帝から"練習試合を申し込まれたと告げた。
氷帝側とも口裏は合わせており、現在のリョーマを除くレギュラーに幻滅されないよう既に部で起きている一部始終は伝えてあるのだ。

「それと…。今回、もしお前たちが負ければレギュラー降格も覚悟しておくんだね。大会前なんだ、厳しくいくよ!」

もっともらしい理由。
しかし竜崎もリョーマも、きっと彼らレギュラーは大敗するであろうと予想していた。
確かに彼らは今まで部に貢献してくれた。
しかしこのまま弱者を──弱くなってしまった人物をレギュラーのままにしておくわけにはいかない。
竜崎は一瞬だけ眉を寄せると、すぐに表情を戻して続きを話し始めた。


そして練習試合当日。
青春学園中等部の男子テニスコートに、青学テニス部と氷帝学園男子テニス部の正レギュラー数人だけがいた。
軽く三桁になる部員全員を連れてこなかったのは単にスペースがないからか、はたまたライバル青学の堕落ぶりを内密にするためかは不明である。

「よろしく頼む」

「…ああ」

す、と手を差し出す手塚。
跡部は僅かに眉を寄せながらその手を取り、握手を交わした。
練習試合は普段の大会通り、シングルスとダブルス数試合で行われる。

今までであれば、この試合は日が暮れるまで続いていただろう。
けれど──実際は、本当にすぐ。
予定終了時刻までに長い時間を残してあっという間に終了した。
青学レギュラーはリョーマが1勝しただけという圧倒的な実力差を見せつけられて。

「おいおい手塚よ、まさかこれがテメェらの本気だなんていわねェよな…?」

額に青筋を立てながら、跡部が問う。
しかしその問うた相手である手塚は、なかなか息が整わないらしい。
驚いたというよりも、呆れたというよりも、どちらかといえば強いのは怒りだろう。
氷帝のレギュラーたちは、青学レギュラーたちをライバルだと認めていた。
だからこそ──以前よりもはるかに弱くなっている彼らが、許せないのだろう。
その原因をなまじ知っているから、余計に。

「テメェら、このままだと予選敗退もあり得るぜ。アーン?」

「…っ!」

氷帝との練習試合で、レギュラーたちは自分たちがどれほど弱くなったか自覚したのだろうか。
跡部の言葉に表情を強張らせて息を呑む。
ようやく自覚したのかと溜息をつき、跡部はそのままリョーマに視線を移した。

「それに比べて越前よ。お前は随分実力を伸ばしたみてぇじゃねーか。アーン?」

「そりゃどーも」

跡部に褒められたリョーマは、しかし照れるでもなく返事をする。
レギュラーたちが姫盛にうつつをぬかしている間、リョーマは今まで以上にテニスに打ち込んでいたのだ。
当然といえば、当然だろう。

「ま、恋人が見に来てるんなら負けるわけにもいかねぇだろうがな」

ハッ、と笑いながらコートの外に目を向ける跡部。
コートの周りには、主にリョーマを応援するためか大勢の生徒がいた。
休日にも関わらず律儀に制服を着ていて、中には氷帝の制服を着ている生徒もいる。
そんなフェンスを挟んだ一番近くの場所には、にっこりと笑みを浮かべる梓紗の姿があった。
どうやら跡部は、リョーマと梓紗が交際をしていることを知っているらしい。

「ホンマ、神野ちゃんって足きれいやんなぁ…。あー、羨ましいわ」

「……人の彼女変な眼で見るの、やめてくんない?」

「え、ちょ、そういう意味とちゃうやん!そんなごっつ冷たい眼せんでも…!」

氷帝の天才こと忍足の言葉に、リョーマは冷めきった目を向ける。
忍足は焦ったようにリョーマと梓紗を交互に見比べる。
声は聞こえないだろうがリョーマの表情に気がついたのか、梓紗は苦笑を浮かべていた。

リョーマと和やかに会話をする氷帝レギュラーたち。
きっと青学レギュラーたちも、実力が落ちていなければその輪に混じっていただろう。

「えっと…み、みんなカッコよかったよ!」

僅かに戸惑いながら声をかける姫盛。
普段ならそうか?と喜んでいただろうが──今の彼らに、その余裕はなかった。
気づいてしまったからだ。
自分たちの実力が落ちている原因を。
…原因、といっても自業自得といえばそれで終わりなのだが。

そう、単に自分たちは彼女に夢中になりすぎていた。
大好きだった、青春をかけてきたテニスを、忘れてしまうほどに。
それに気がついてしまったため、彼らの中で姫盛の存在が一気にしぼんでいくのがわかった。
それに伴いどんどん冷めていく表情。

「…っ」

一方の姫盛もそれに気付いたのだろう。
彼らの表情が冷めていくにつれ、だんだんと顔が青ざめていった。




夢から醒めたように



((先輩たちも、まだまだだね))
((好きなら、諦めなきゃいいのに))
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