桜の話

□序章
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「ここが、京の都・・・」

我知らず唇から、ほう、と感嘆の息が洩れた。
京に暮らす人々は誰も彼も、優しげな笑顔を浮かべている。交わされる言葉達でさえ、この都にはしっくりと似合っているような気がした。
でも・・・。
京の市中に漂っている空気は不思議と冷えているように思える。田舎者を排斥しようとする高い壁が密やかに存在しているかのようで・・・。

「なんだか・・・」

ちょっと居心地が悪いような・・・。

「ううん・・・、気のせいだよね」

京まで歩き通しだったから、心も身体も疲れているだけかもしれない。
だけど、もちろん立ち尽くしているわけにはいかないのだ。

「あの、すみません!」

私は少しの勇気を出して町の人に声をかけた。

「道をお尋ねしたいのですが―」


「・・・どうしよう、かな」

私は今度こそ立ち尽くしていた。ぼんやりと見上げた空は、いつの間にか黄昏れh締め手いる。
京の人は別に、意地悪をするでもなく、親切に道順を教えてくれたんだけど・・・。

「まさかお留守だなんて・・・」

私が京で頼れる人は―、父様を除けば、松本先生ひとりだけだった。
松本先生は幕府に仕えているお医者様。私が直接お会いしたことはないのだけれど、父様がとても信頼している人だ。父様が留守の間に困った事があれば、まず先生を頼るようにと言われていた。
でも、その松本先生はしばらく前から京を離れているらしい。

「・・・少し、急ぎすぎちゃったのかな」

突然訪ねるのは失礼だし、事前にお手紙を送ったとだけれど・・・。京を離れている先生は当然、私の手紙なんて呼んでいないはず。
先生からお返事が届くまで、ちゃんと待っていれば良かったのかな。
「でも・・・」でも、これ以上は待てなかった。父様から連絡が取れなくなって既に一ヶ月が過ぎていたからだ。

「父様・・・」

あちこちから浪士達が集まっている今の京は、決して平穏な場所ではない。武士に生活しているだけのお金をくれるのは、彼らが仕えている主家だけど・・・。主家を持たない浪士達は、人々から無理矢理お金を巻き上げる事もある。
侍という権力を使い暴力を振るう乱暴者達。そんな浪士達が集まっている京の都・・・。
父様は大丈夫なんだろうか・・・。
良くない可能性ばかり考えて、どんどん気持ちが落ち込んでしまう。

「でも・・・まずは泊まる場所を探さなくちゃ」

気づけば夜も更けている。
父様を探すのにどれくらいかかるか、正直なところ見当もつかないし・・・。待ち合わせにだって限りがある。
でも、上手に節約すれば一ヶ月くらいは京で生活していけるはず。その間に父様が見つかれば最良だし、松本先生だって帰ってくるかもしれない。
最悪、父様とも松本先生とも会えないようなら、私も家に帰らなければならないけど・・・。

「とにかく、できるだけ出費は安く抑えないと・・・」

私は大股で歩き出す。普段の服装なら出来ない急ぎ方だけど、今は袴をはいているから大丈夫。女の子の一人旅は色々な意味で狙われやすいから、ぱっと見で男の子に見えるよう変装したのだ。この格好のおかげなのか、道中は何の問題も起こらなかった。
・・・だから私は変に油断していたのかもしれない。
ここは決して安全ではない【京の都】だと知っていたはずなのに。その危険は現実味を帯びない、どこか他人事じみたものだった。


「おい、そこの小僧」


ーー実際に、浪士から声をかけられるまでは。

「っ!?」

弾かれたように振り返ると、三人の浪士が私に視線を向けていた。

「・・・何か?」

私は平静を装いながら、とっさに小太刀へ手をかける。父様は私に護身術を学ばせてくれた。道場通いを続けたおかげで、私もそれなりには武術で対抗することができる。・・・だけど、自分の身を自分で護れるという過信が、この現状を招いてしまったのかもしれない。
・・・失敗した。油断し過ぎていた。私は内心で反省しながらも、三人を相手取るのは面倒だと冷静に判断する。

「ガキのくせに、いいもん持ってんじゃねえか」

浪士達が見ていたのは、私というよりも、私の小太刀だった。

「小僧には過ぎたもんだろ?」
「寄越せ、国のために俺達が使ってやる」

「これはーー」私の家に代々受け継がれている、とてもとても大切な小太刀だ。絶対に渡すわけにはいかない。でも、話して分かってくれそうな相手じゃない。
・・・こういう時は、逃げるが勝ちって言うんだと思う!
私はきびすを返そうと脚に力を入れた。するとー

「そなたら、そやつを放してやれ」

背後から流れる風と共に桜の香りがした。振り返ると藍色の頭巾のようなもの(フード)を目が見えないくらい深く被った人が一人立っていた。白い着流しに頭巾のついた藍色の羽織。でも、それより印象的だったのは頭巾から覗く銀色の髪と、両腰にたずさえられた二本の刀だった。
こんな刀の持ち方、侍、じゃないよね。

「西洋人風情がなんの用だ、この小僧の連れか?」
「否」
「しゃあさっさと失せろ、今なら特別に見逃してやる」
「あいにくじゃが、そうもいかぬ」

何!?と浪士達は不思議な風貌の人に詰め寄る。

「貴様、異人のくせに俺達侍に刃向かうつもりか!」
「おやおや、大層な口をききやる」

青筋を立てる浪士達の脅しにもその人は余裕げな口調を変えない。

「そこな小僧や」

自分の事だと気付き、その人へと顔を向けた。

「まだ何もされてはおらぬかや?」
「は、はい」
「そうか・・・、それは困ったの・・・」

何もされていないのは良い事なはずなのに、何故かその人は軽く腕を組んでみせた。

「未遂であっては余は手を下せぬな・・・、よし、逃げるぞ」

言うが早いが私の手を掴み、先程私がしようとしていたようにきびすを返して駆け出した。

「ーーあ!?おい、まちやがれ!」
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