桜の話

□序章
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「もう、しつこいなあ・・・!」
「・・・そうじゃのう」

随分走ったような気がするけれど、いまだ浪士達ば怒鳴りながら追いかけてくる。私達は更に狭い路地を駆け抜ける。彼らがまだ追いついてこないのを確認して、私達は家と家の間の陰に身を滑りこませた。
すると、私は少し奥にあった木の板の間に押し込まれた。立てかけられた木の板達は、しゃがみこんだ私の姿を覆い隠してくれる。その人は器用に私の隠れる板の陰に身を潜めた。これで上手くやり過ごせるといいんだけど・・・。
・・・・・・。

「・・・あれ?」

私は思わず首を傾げた。どこに行ったんだ、と彼らが声を荒げる場面を想像していたんだけれど・・・、いくら待っても浪士達は現れない。
さすがに不審に思ったのか、後ろで身を潜めていた人も、立ち上がって様子を伺おうとした。
その時ーー

「ぎゃああああああ!?」

彼らの絶叫が聞こえた。

「な、何・・・!?」

静かに隠れ続けているのが本当なら一番賢い行動だったと思う。でも・・・。

「畜生、やりやがったな!」
「くそ、なんで死なねぇんだよ!・・・駄目だ、こいつら刀が効かねぇ‼」

私は怖かった。
人の命を刈り取る可能性を秘めた、得体の知れない何かが間近に存在している。その可能性を考えると、怖くて怖くてたまらなくなった。そして私は、その【何か】を知ろうとしてしまう。
路地から顔を出し、駆けて来た道を覗き込む。

「馬鹿っ、何をーー」

後ろから静止をかける声が聞こえたが、構わず首をのばした。そして、私の目に映ったのはーー
月光に照らされた白刃の閃き、ひるがえる浅葱色の羽織。

ーー助けてくれたの?

そんな甘い考えは一瞬で吹き飛んだ。

「ひ、ひひひひ・・・」
「た、助けーー」

浪士は命乞いをしながら後ずさる。
でも、浅葱色の羽織を着た人はなんのためらいもなく刀を振るった。

「うぎゃああああああ!?」
「ひゃははははははは‼」

断末魔に、甲高い哄笑が重なった。暴力に任せて刀を振るう。技巧も何もない滅多斬り、耳をつんざくような絶叫が次第に弱々しく消えていく。
ーーああ、今私の目の前で人が殺されたんだ。
・・・足に力が入らなくて、私はその場にへたり込んでしまう。見開いた目を閉じることもできない。
彼らは息絶えた浪士を、何度も何度も何度も何度も、繰り返し斬って刺して突いて裂いた。肉を切り、骨を断ち、血を流す。他者の命を暴力で侵したい。ただそれだけの狂気があった。
・・・こんなの、人間じゃない。彼らは壊れてしまっていた。

「ーー」

喉が詰まるようで息が出来ない。鼻先をかすめた濃い気配こそ、溢れかえる血の匂いだとようやく気付いた。背筋を這う恐怖がゆっくりと身体に染み込んでいく。
怖い、どうしよう・・・どうしよう・・・。

「おい、立てるか?」

小さく舌打ちしながら、物陰から出ていた人は私を立たせようのする。

「・・・逃げなきゃ」

震える唇は、何とか息を吐き出した。

「ならばさっさと立たぬか・・・!」

その人はどこなく焦った様子で私に強く囁いた。それにようやく我に返った私は慌てて立ち上がろうとした。でも

ーーガタガタッ
「!!!」

恐怖にしびれた身体は上手く動かなくて、支える間もなく木の板を倒してしまう。
浅葱の羽織を赤黒く染めた彼らが振り返る。その、人ではない【何か】達は、新たな獲物を見つけた歓喜に打ち震える。

「ーーっ!」

逃げなくちゃ、怖い、私、まだ死にたくない。なのに、足がもつれて立ち上がれない。
私を立たせようとしていた人は、私を守るように数歩前に進み出ると、刀の柄に手を添えていつでも抜刀できる体勢をとった。
狂った殺意は笑いながら駆けて来る。

・・・私、もう駄目かもしれない。

構えたままの人は迎え撃つつもりなのか、変わらず立っていたが、あの狂った人達を一人で相手をできる、とは到底思えなかった。私は目の前の現実に身体を強張らせた。
ーーその時だった。
「え・・・?」
彼らは私達に触れる寸前でより鋭い白光に両断された。びしゃり、と音をたてて地面に広がる鮮血。
しかし、私の前に立っている人は刀を抜いていない。
じゃあ、誰が・・・?
悲惨な光景により私の胸に生まれた嫌悪感は、その直後、より強い風に吹き飛ばされた。

「あーあ、残念だな・・・」

言葉の持つ意味とは裏腹に、その声はおかしげに弾んでいた。

「僕ひとりで始末しちゃうつもりだったのに、斎藤君、こんな時に限って仕事が速いよね」

その人は恨み言を告げながらも、楽しそうに微笑む。

「俺は務めを果たすべく動いたまでだ。・・・あんたと違って、俺に戦闘狂の気はない」

「うわ、酷い言い草だなあ」まるで僕が戦闘狂みたいだ、とその人は笑う。

「・・・否定はしないのか」

斎藤と呼ばれた人は呆れ混じりの溜息を吐き、私の方に視線を投げかけてきた。正しくは私の前の人、だったが。

「して、何故あんたがここにいる」

私は、自分が言われたのかと少し慌てると、目の前に立っていた人が肩を小さく肩をすくめてみせた。どうやら、この人もあの人達の仲間らしい。

「巡察をしていたらこやつが浪士達に絡まれておった故、助けようとしていたら、な」
「じゃあさ、その子が殺されてから悠があいつらを殺しちゃってれば僕達の手間も省けたのかな?」

妙に無邪気なその人の言葉で、私は自分が追い込まれていることを改めて理解する。異様な状況はまだ続いているのだ。

「さあな・・・。少なくとも、その判断は俺達が下すべきものではない」

「え・・・?」判断を下す人はまだ他に居る、ということ・・・?
彼らの言動に組織的な気配を感じると共に、浅葱色の隊服を着込んだ集団の話を思い出す。

「まさかーー」

その時、不意にふっと影が差した。
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