臨時講師は虎と獅子

□蛇・遣・正・体
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「昼に見たオフィウクスこそ、偽者だったと言う可能性は無いのか?」
「……昼のスコーピオン曰く、『オフィウクスの邪魔はさせん』だそーだが」
 がしがしと頭を掻き毟りながら、俺は歌星の問いに素直に答える。だからこそ、俺は昼に見た奴を「オフィウクス」だと思ったし、硝子にもそう伝えた。それに、設楽が変わった姿は、蛇が無いだけで、昼に見たオフィウクスとほぼ同じ。
 蛇を操れる「蛇遣座」。それは分る。だが、「操る」の範囲はどこまでだ?
 設楽のオフィウクスは、蛇の動きのみを操っている印象がある。だが、昼に出会った「オフィウクス」は動きと数を操っていた。もしもこの差が「消えた蛇」に関係しているのだとすれば、どうして「蛇」は消えた?
 オフィウクスって、マスカレイドドーパントみたいに何人もいるものなのか?
「蛇の真ん中にいた川奈さんに、オフィウクスだった設楽君、オフィウクスから消えた蛇…………蛇遣座?」
 分らず、うんうんと唸る俺の横で、硝子も何かを考えているらしい。小さくブツブツと色々と呟き……
 だが、唐突に何かに思い至ったのか。彼女ははっとしたように顔を上げると、俺をはじめ、周囲の面々の顔を覗き込んで鋭い声を放った。
「どうやら、私は……いえ、私達は大きな勘違いをしていたようです」
「どう言う事だ、彩塔ちゃん?」
「『オフィウクス』は本来、二人一組なのではないでしょうか。消えた『蛇』もそれで説明が付きます」
 二人一組? 消えた蛇?
 ……つまり、硝子が言いたいのは……
「『蛇使い』である人間部分と、『蛇』は別の人間、別のゾディアーツって事か?」
「はい。その可能性は高いかと」
 真剣な表情で硝子が頷くのだが、俺にはまだよくわからない。
 大文字や風城、JK、野座間、そして如月も同じらしい。不思議そうに首を傾げ、硝子の顔を見つめている。
 そして、今挙げなかった二人……城島と歌星には、硝子の言葉の意味を理解出来たのだろう。城島はぽんと手を打ち、歌星もはっとしたように息を呑んだ。
「あ、そっか! 『オフィウクス』と『セルペンス』!」
「そうか……それなら確かに、先生達の持つ違和感に説明が付く」
「ちょ、ちょっと待て、賢吾。俺にもわかるように説明してくれって!」
 このままでは置いてけぼりを喰らいそうな俺達を代表して、如月が流れを断ち切るように言葉を放つ。
 世の中、星座に強い人間ばかりじゃないんだぞ。俺が知っているのはせいぜい星占いに出てくる星座程度で、それだって名前くらいだ。形? んなもん知るか。
「……『蛇遣座』は、かつては全天一の大きさを誇る星座でした。しかしその大きさ故に、天文学者であるクラウディオス・プトレマイオスによってその身を分けられたんです」
「『トレミーの四十八星座』で言う蛇遣座(オフィウクス)蛇座(セルペンス)の二つにな。だが、蛇座は蛇遣座によって頭と尾に分断されている形をとっている事から、今でもこの二つをあわせて『蛇遣座』と呼ぶ事が多い」
 モニターに「蛇遣座」と「蛇座」の図を出しながら、歌星は硝子の補足をするように説明を続けた。
 星だけで描かれる図に星座絵を重ねられると、「二つを合わせる」と言った理由も理解出来る。確かに「蛇遣座」と呼ばれるおっさんの体が、「蛇座」の蛇をぶっつりと分断している。
 ……と言うか、何故分けたプトレマイオス。分ける必要あるか、これ?
 と思わなくもないが、それで既に国際基準と化しているのだから、今更文句を言っても仕方が無い。
 しかしそれで考えるとすると、だ。スコーピオンの言っていた「オフィウクス」とは、人間部分である「蛇遣座(オフィウクス)」の設楽と、蛇である「蛇座(セルペンス)」の「誰か」。そしてこの場合、「誰か」なんて曖昧な表現は不要なはずだ。何故なら、硝子を襲った「蛇」を呼んだのは……
「川奈瑠美。おそらく奴が、『セルペンス』のスイッチャーだ」
 歌星が鋭く言った瞬間。俺の耳に、こちらに向かって来る足音が二つ届いた。
 直後に感じたのは、纏わりつくような悪意。感覚としては、硝子と出会ってすぐくらいに対峙した天候を操るドーパントの醸し出す気配に似ている。……まあ、あの時の相手に比べれば、今感じられる悪意など随分と可愛いと言えるだろうが。
 とは言え、危機感を煽るには十分な気配だ。即座に俺は扉の方へ一歩近付き、後ろにいる生徒達が前に出ないよう、右腕を横に出して制止を促す。
 恐らく、硝子も同じ気配を察知したのだろう。すっと目を細めて臨戦態勢を整えると、俺と左右対称になるような形で左腕を横に突き出して俺の右に立った。
「先生? どうかしたんですか?」
「来るぞ」
「来ます」
 大文字の訝る声に、俺と硝子の短い答えが重なる。
 ただ、それだけで理解できるとは思っていない。こう言う感覚は勘に近い物だ。こいつらがどれだけ戦いに慣れているのかは知らないが、正直こんな悪意や敵意に反応出来るとは思えないし、反応出来る程慣れて欲しくもない。
 ……そんな物に慣れるのは、俺や硝子みたいな特異な存在だけで充分だ。
 ある程度、後ろにいる連中にもこちらの緊張が伝わったらしい。彼らもまた、扉の向こうへ警戒するような気配を示し、動かずじっとしてくれている。
 さて、鬼が出るか蛇が出るか。
――九割方「蛇」だろうけどな――
 残りの一割でスコーピオンと言う名の「鬼」も一緒ってか?
 アッシュの声に心の中で返したのと、屋上の扉が開いたのはほぼ同時。見えた姿は、やはりと言うべきか何と言うか……設楽明草と川奈瑠美の二人だ。
 左右対称の格好で如月達の前に立っている俺と硝子の姿に驚いているのか、彼らはそれを見るなり一瞬だけぎょっとしたような表情を浮かべ……しかしすぐに敵意と殺意の混じった視線を、俺以外の面々……特に硝子に向けた。
 その視線に硝子も軽く苦笑を浮かべ……
「こんな所まで追いかけてくるなんて。慕われていますね、『灰猫先生』」
「ははっ。嫉妬ですか、『彩塔先生』? 俺には先生の方が想われているように見えますが」
「好意的とは取れませんが」
 「仲の悪い二人」の口調で言葉をかけつつも、俺も硝子も……そして後ろの面々も、彼らへじっと視線を向け、様子を窺う。
 いつもはごく普通の生徒だ。熱心に化学を学ぼうとするし、理科部に属しているだけあって生物関係にも興味を持っているらしく、生物学の本にも造詣が深い。特に生物の命に関して、並々ならぬ関心を示している。
 ただ、自分が慕う相手以外には攻撃的な一面を持っている事も知っている。少なくとも、俺と敵対している「彩塔先生」の事は確実に冷めた目で見ていたし、彼女の周囲にいた生徒にも同じ様な視線を送っていた。
 ……が。今はその時とは比にならない程の冷たい視線をこちらに向けている。例えて言うなら、威嚇する蛇か。気のせいだろうが、シュウシュウと蛇の威嚇する「声」も聞こえる気がする。
「……灰猫先生、何故そんなトラシュ達と一緒にいるんですか?」
「……灰猫先生、何故そんな嫌味な教師と一緒にいるんですか?」
「補講の時間でしょう?」
「設楽君の言う通りです。時間が勿体無い」
 瞬きをせず、ただじっと俺を見ながら、設楽と川奈は軽く首を傾げて問う。
 だが、その声に答えを求めている気配は無い。俺をどこかへ連れて行きたい、俺を他人に引き合わせたくない……そんな感情が透けて見えた。
「今日の補講は無しだ。昨日言わなかったかな?」
「……それは、彼らと話す時間を取る為の措置だと思うかい、川奈君」
「そうだと思うわ、設楽君。私達よりも彼らを優先させるつもりなのよ」
「それは酷いな」
「ええ酷いわ」
 俺の言葉に、彼らはようやく視線を外すと、今度は互いを見つめ合うようにして言葉を紡ぐ。
 俯きがちになっているせいで分り難いが、その目には剣呑な光が宿っているのが見える。その事に気付いたのか、硝子の瞳にも一瞬だけではあるが、剣呑な光が宿る。設楽と川奈の場合は「物の例え」で済むが、硝子の場合本当に瞳の色が変わる。ファンガイアの特徴とも言える、虹色に。
 だが、設楽達はその一瞬の変化には気付けなかったのだろう。驚く程よく似た笑みを浮かべると、彼らはじっとこちらを見つめ……
「僕達は灰猫先生を信じていたのに」
「灰猫先生は、私達を導いてくれると思ったのに」
「……それは君達の勘違いだ。俺はそんなに良い奴じゃない」
 他人を導ける程、悟りきっていない。俺は自分の事で手一杯だし、その俺の邪魔をするなら容赦なく叩き潰す。他人より少しだけ奇異な人生を送り、他人より少しだけ闇を見る機会が多いと言うだけ。
 闇に引きずり込むような事は出来ても、光に導くような真似は、絶対に出来ない。そう言う意味では、やはり俺は教師には向いていない。
 俺の言葉に何を思ったのだろう。その顔からすぅっと表情を消し、不気味な程同じ顔つきで俺達を一瞥すると、これまた不気味な程同時に軽く頷いた。
「そうか」
「残念だわ」
 言葉と同時に、彼らがブレザーのポケットから取り出したのは、何かのスイッチ。色は銀、白いドーム型の天頂には、赤いボタンが一つ。それに親指をかけ、いつでも押せるような体勢を取っている。
 恐らくアレが、クークが言っていた「アストロスイッチ」。それもガイアメモリ同様、財団Xによる何らかの細工済みなのだろう、かつて風都に蔓延していたメモリと同じ質の「悪意」を感じる。
「蛇は脱皮を繰り返す」
「蛇は死と再生を意味する」
「何でだろうね川奈君。先生からは同じ気配がしたんだよ」
「何ででしょうね設楽君。先生からは死と再生の臭いを感じたのに」
――こいつら、本能的にお前の持つオルフェノクとしての力を嗅ぎ分けたって事か?――
「死と再生。……だから、俺に惹かれたってか?」
「そう。先生なら、分ってくれると思っていた」
「先生なら、その素晴らしさを理解してくれると思っていた」
「大切なヒトを失うのは辛い」
「それを知るヒトの目だったから」
 陶酔しきった声で言う二人を、後ろの面々は薄ら寒そうな視線で迎え撃ち、隣に立つ硝子は頭痛を堪えるように眉を顰め、そして俺自身は……無意識の内に、嫌悪の篭った視線で見やった。
 「死と再生」は「使徒再生」。オルフェノクは一度死んで再生した存在であり、また「殺した相手をオルフェノクとして再生させる」事も可能な存在。特にこの俺……タイガーオルフェノクには、亡骸さえ残っていれば、オルフェノクを完全に蘇らせる力も宿っていると聞く。
 その力を感じ取ったからなのかは不明だが、少なからず俺からも「死」の気配を感じ取ったと言う事だろう。だから、彼らは無意識の内に惹かれた。
『それなのに、裏切るなんて』
 二人の中では、俺が硝子や如月達とつるんでいる事が「裏切り」に当たるのだろう。
 相変わらず瞬きをしない目でギロリと俺を睨み付け、同時にそう言葉を吐き出した瞬間。
『Last One』
 地を這うような低い音声が響く。直後、彼らが持っていたスイッチの形状が変化した。
 それまではプラネタリウムを連想させる色と形をしていたそれは、まるで充血した眼球のような色に染まり、天頂にあったスイッチもやや斜め……地球の自転軸と同じくらいの角度に移動。更に装置その物には棘が生え、見た目にグロい。
 それはまるで、スイッチに宿る「悪意」が強くなったかのような変化。同時にそれに呼応するように、二人の身からも悪意が強まるような気がした。
 本能的に、そのスイッチを押させてはいけないと認識し、それを奪うべく足を踏み出す。硝子も同じ事を感じたらしい。俺と同時に前へその足を踏み出して手を伸ばす。
 だが。
 俺達の手が、相手に触れる寸前。スイッチはかちりと小さな音を鳴らして押下され、設楽と川奈の体を取り巻くように、ぶわりと闇が広がった。
 その一瞬で浮かび上がる、蛇遣座と蛇座の星の並び。二つに分断されていたはずのそれは、ゆっくりと重なって、プトレマイオスに分断される「前」の「蛇遣座」へ変化。取り巻いていた闇が引き、そこには昼に見たのと同じ「蛇を巻きつけた男(オフィウクス)が立っている。
 更に、それから排出されたかのような形で、薄い繭に包まれた設楽と川奈が、ゆっくりと倒れんだ。
「おっと!」
「危ない」
 俺が設楽を、そして硝子が川奈の体を支え、何とか床に思い切り衝突、と言う状況は防いだ物の、オフィウクスはそれをフンと鼻で笑い飛ばし……
『そんな体、もう必要ないのに』
『私達は、人間に戻る必要なくなったのに』
 人と蛇、両方からそんな言葉が聞こえ、俺はギロリと相手を睨みつける。が、相手は俺をただの人間と認識しているからだろうか。別段恐れた風でもなく肩で笑う。
 人でなくなる事の恐怖を、まるで理解していない。それどころか、今の力を楽しんでいる。その証拠に、オフィウクスの蛇……セルペンスは、ギラリと目を赤く光らせてこの場に蛇を呼び出し、オフィウクスはそれに向かって、俺達を取り囲むよう指示を出す。
 どこから湧いてくるのかは知らないが、わらわらと群がる蛇に嫌悪を示す如月達。それを見て、オフィウクスとセルペンスはくつくつと喉の奥で笑い、冷たい声を放った。
『神話におけるオフィウクスは、死者をも蘇らせた。……実験させてもらうわ。あなた達の亡骸で』
『だから……蛇に噛まれて死んでくれ』
 それと同時に、蛇が一斉に俺達に向って飛び掛る。大きく口を開け、こちらを丸呑みにしようと。逃げ場は無い。俺と硝子だけなら何とか突破できるだろうが、俺達の後ろには如月達がいるし、何より設楽と川奈の体もある。彼らが無傷かわす事は、恐らく不可能。ならば……
――迎え撃つしかないよなぁ?――
――Bullet. Upgrade――
 アッシュの声には答えず、俺は持っている「弾丸の記憶(バレットメモリ)」にガイアメモリ強化アダプターを取り付ける。いつものバレットは、引鉄を一回引く事で六発の弾丸型のエネルギー弾を撃ち出す事が可能だが、強化されたバレットは、一回で十五発の射撃を可能にする。
 強化したバレットを専用のマグナムへと装填し、俺は数回引鉄を引く。引く度にいつもよりも大きな反動を腕に感じながらも、黙々と引鉄を引き続け……数秒後には蛇の亡骸が、山となって転がっていた。
 そして……自分でも殺気立っていると感じられる程剣呑な声で、彼らに向って言葉を放つ。
「…………お前らの『死ね』は軽いんだよ」
 と。


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