校医代行は薄紅の蜉蝣

□急・転・直・下
1ページ/2ページ

監・視・対・象


 昼休み、カエルムゾディアーツに襲われた女生徒は、「呪い仮面」の被害者の一人である梅中の恋人、桜と言う名の美術部員だった。
 よく考えれば、昨日の放課後に襲われていたのも彼女だったのを思い出す。
 疑わしいポーンのいる保健室は危険だと判断し、まだ少し錯乱状態にある彼女を教室で休ませていたのだが……今はどうやら落ち着いたようだ。
「……ごめんなさい、取り乱して」
「いやいや、怪物に襲われたんだから、アレくらいの反応は当然っしょ? 俺だったらもう少し立ち直るの遅いカモ」
 謝った桜を宥めるように、JKが軽く肩を竦めて言葉を返す。
 そんな彼につられた様に、桜は軽く笑った。そんな彼女を見て、ユウキもほっとしたように胸を撫で下ろし……
「でも、良かったよぉ。仮面が完全に着けられた訳じゃなくて」
「完全に被ってたら外せなかったし」
「……へ?」
 ユウキと野座間の言葉に、桜が不思議そうに首を傾げる。
 何だ? 何かおかしな事を言ったか?
 彼女の仮面は、俺達が外せる状態だった。いや、着いていなかった、と表現する方が妥当か。
 カエルムの仮面は、簡単に外す事が出来ないようになっている。だからこそ、俺達は「完全には装着されていなかった」と思ったんだが……
「ねえ、何か勘違いしてない? 私、本当に仮面を着けられたのよ?」
「何だって!?」
 きょとん、とした表情で言った桜に、今度は如月が驚きの表情を浮かべる。
 いや、如月だけじゃない。他の面々……そして勿論俺も、彼女の言葉に驚きを隠せずにいる。
 しかしそんな俺達に気付いていないのか、彼女は自分が襲われた際の状況を簡単に説明し始めた。
「目の前の赤っぽい怪人が出てきて、『お前の存在は邪魔だ』って言われて。そして持っていた仮面を着けられて、気が遠くなって……でも、気絶する直前に、校医の先生の『起きろ』って声が聞こえたんだけど……結局、そのまま気絶しちゃって」
「ちょっと待て」
「何? 歌星君?」
「ポーンの……校医代行の声が聞こえたのか? その、『起きろ』と」
「うん。『そこで寝るな、起きろ、通行の邪魔だ』って」
 俺の問いに、桜はこくりと頷いて言葉を返す。
 もしも彼女の言葉が夢現の中で聞いた幻聴ではないとしたら。「仮面を着けた張本人」が「起きろ」というのはおかしい。
 仮面を着けた本人は、「桜を排除する」目的で襲ったのだから。
「だからね。きっとウメちゃんの時みたいに、先生が私の仮面を外してくれたんだと思うの」
 ぽん、と軽く手を叩きながら、桜はにこやかな笑顔でそう言った。
 そしてその言葉に、改めて俺は先程のポーンの様子を思い返す。
 俺達が見たのは、「桜の仮面に手をかけているポーンの姿」であって、「桜に仮面を被せた瞬間」じゃない。
 あの時は、「カエルムに女生徒が襲われている」、「ポーンはスイッチを持っている」という事前情報があった。そして倒れた女生徒と、その顔に手をかけているポーンがいた。
 ……だからこそ、「ポーンに桜が襲われた」と思い込んだ。彼の言動も、そう思わせるに充分なものだったのも確かだ。
 だが、前提を見直した上で、彼の言動を振り返ったらどうなる?
 俺達が到着した時、彼は仮面を「着けていた」のではなく、「外していた」のだとしたら。
――やるべき事は……まあ既に終わっていると言って良いだろう――
 あの言葉は、「襲うという目的を果たした」という意味ではなく、「仮面を外す仕事を終えた」という意味にも取れないだろうか。
 いや、だがそうだと決めるにはまだ早い。
 まだポーンがカエルムである可能性も残っている。
「……とにかく、しばらくの間はまだ警戒した方が良い。むしろ、君が助かったと知れれば、また怪人が襲ってくるだろう」
「うーん……私って言うより、美術部員が、って感じだけど……うん。気をつけるね」
 俺の言葉に、桜は軽く首を捻りながらも頷きを返すと、すっくと立ち上がってそのまま彼女の教室へと戻っていく。そんな彼女を、慌ててJKと野座間が追う。
 ……気をつけると言ったそばから無用心な奴だな。
 そんな風に思いながら、俺はその後姿を見送った。


 そして放課後。
 午後の授業は大きな問題もなく終わり、如月達とラビットハッチに向かう途中。妙な感覚と共に、そいつは俺の前に姿を現した。
 フレームのない眼鏡をかけ、白衣を纏った、吊り目気味の男。
「ポーンっ!」
 校医代行であり、「ポーンと呼べ」と言った彼が、まるで俺を待ち伏せでもしていたかのように立って、こちらをじっと見つめている。
 だが、今の彼はカエルムの筆頭候補だ。姿を見せれば如月と朔田が黙ってはいないはず。
 そう思い、俺は反射的に如月達の方を振り返る。だが……
「どういう事だ!? 何故誰もいない!?」
「少し貴様に用があってな。共鳴けっ……いや、少し特殊な細工をさせてもらった」
「特殊な細工? それで俺は如月達と分断されたのか?」
 思わず訝るような声で問えば、ポーンは軽く肩を竦め……
「主観の問題だな。貴様からすれば消えたのは連中だろうが、連中からすれば消えたのは貴様の方になる。数の暴力で言うなら、消えたのは貴様の方だ」
 ……確かに、今この場には俺とポーン以外は誰もいない。普段ならもう少し人の気配があるはずなのに、それすらもない。
 と言う事は、消えたのはポーンの言う通り俺の方だと言う事か。
 そう思いつつ、俺は真っ直ぐに向けられたポーンの視線を受け止め、こちらからも見返す。
 下手をすれば睨まれている様にも見えるが、彼の目付きは常にあんな感じだ。睨んでいる訳ではないのだろう。
 互いに黙ったまま、しばらく「睨み合い」が続き……だが、すぐにポーンの方が疲れたような溜息を吐き出すと、小さく言葉を紡いだ。
「ふむ。一応、効いてはいるようだな。少しはマシな色になっている」
「……何の話だ?」
「貴様の、魂の色の話だ。毎度毎度、会う度に無色になりかけているのはひやりとさせられる」
 そう言って、ポーンは自分の眼鏡を軽くずらす。
 正直、魂の色云々という話はよく分らん。だが、彼なりの「健康の基準」であり、それを独特の表現で示しているのだろう。
 だが、「効いている」というのはどういう事だ? この男に薬を処方された記憶はないから、「効く」という表現はおかしいと思うのだが。
「それにしてもだ。貴様には危機感と言う物はないのか?」
 唐突なその言葉が示すところが分らず、俺は思わず訝るような表情を浮かべる。
 それを見たポーンが、呆れたような口調で言葉を続けた。
「敵かもしれないという疑いを抱く存在を前に、のんびりと構えるなど、襲ってくれと言っているようなものだぞ? まして、分断までされたこの状況なら、なおの事焦るべきだと思うが」
「……確かに、カエルムかもしれないという疑念はある。だが、俺個人としては、違うと確信している」
 ポーンの言いたい事は分る。彼の言う通り、本来ならもっと焦るべきだ。
 ゾディアーツである可能性の捨てきれない男に、如月達と何らかの方法で分断され、孤立させられている。普通なら危険だと判断して逃げるべき状況だろう。
 だが……言葉の通りだ。灰猫や桜が「ゾディアーツじゃない」と言い切ったように、「歌星賢吾」という一個人として、ポーンはゾディアーツではないと確信している。
 だからだろうか。不思議と焦りは沸いてこない。
 そんな俺の言葉に、ポーンは珍しくきょとんと目を見開き……そして次の瞬間。
「クッ……クックック……」
 大笑い、というには語弊があるが、少なくとも普段の彼からは想像出来ないほどの「爆笑」を始めた。
 右手で自身の顔を覆い、体を軽く仰け反らせ、ただただくつくつと喉の奥で笑い続けている。
「……何かおかしな事を言ったか?」
「クックック……成程、俺がそのカエルムとやらではない。だから安全であると、そう思っている訳か」
 その言葉に、そうだ、と肯定しようと口を開きかけた瞬間。
 ポーンは顔を覆っていた手を下した。……それと同時に、彼の全身が変化していく。
 パキパキと小さな音を鳴らしながら、それまでの「白衣の男」の姿から、ステンドグラスの様な模様の「薄紅の蜉蝣」へ。
 スイッチを使った様子はない。と言う事は、ゾディアーツではない、別の、怪人。足首から腿にかけて、フラミンゴを象ったモザイク画が施されている。
 恐らく昼休み中、一瞬だけ見たのは、この姿だったと言う事か。
 驚きよりも、納得の方が大きい。どことなく人間離れしているとは思っていたし、灰猫からもそれらしい話は聞いていた。
 ……彼は、人間とは違う存在なのだ。そしてそれを隠すつもりもない。
「生憎と、俺はこの通り人間ではなくてな。……これでもまだ、危機感は沸かないと言えるか?」
 いつもと同じポーンの声が、楽しげに響く。
 俺に何を期待しているのかは分らないが……少なくとも、今の彼の姿を見ても、危機感と言う物は沸きそうにない。それは多分……
「本当に襲うつもりなら、いくらでも機会はあった。だが、今まで俺は襲われていない。……つまり、襲うつもりはないと言う事だ」
 思っている事をそのまま口に出せば、ポーンは笑うのを止めた。
 同時にその背後に、フォーゼのマグネットステイツの電磁砲を連想させる一対の「牙」の様な物が浮かび、その切っ先がゆっくりと俺の方へ狙いを定めた。
 その瞬間、初めて俺はポーンという男に危機感を抱く。
 それまでは一切感じなかった「命の危険」を、今は痛いぐらいに感じる。口の中は乾き、呼吸をする事さえも忘れ、ただ俺は目を見開いてその「牙」に視線を向けるしか出来ない。
「……不味そうな色である事は変わりないが、このまま断続的な苦しみを与えるより、いっそこの場で……」
 感情の読めないポーンの声が響く。そして「牙」をこちらに向けたまま、その薄紅の蜉蝣は俺に向かって歩みを進め……
 だが、次の瞬間。
「歌星君!」
 女の声が聞こえたと認識すると同時に、俺の腕は何者かに引かれ、強引に蜉蝣の進路から引き離された。
 危機感から解放された俺は、弾かれたように声の主、つまり腕を引いた人物の顔を見やる。
 そこには、妙に真剣な表情を浮かべた彩塔硝子が、蜉蝣……ポーンを睨みつけていた。
「彩塔?」
「……妙に覚えのある気配がすると思って来てみれば。……簡易型の共鳴結界まで張って、何をしているんです、この駄眼鏡」
 俺の呼びかけには答えず、彼女は蜉蝣を睨んだままに硬い声を飛ばす。
 ……だが待て。今のポーンは蜉蝣の怪人であって、眼鏡はかけていない。と言う事は、彩塔は今のポーンを見た上で、彼の「普段の姿」が分っているというのか?
「見て分らんか?」
「『分らない』のではなく、『分りたくない』から聞いているんです」
「『分りたくない』のに聞くのは矛盾した行動だが……そうだな、俺は校医代行としてこの学園に存在している」
「…………最悪の展開ですね。あなたがマトモに仕事をするとは思えません」
「仕事はする。だが、趣味も実行する」
 混乱する俺を置いて、二人はぽんぽんと会話を続ける。しかし、緊張感や危機感は、互いの声には存在しない。
 彩塔は呆れと怒りの混ざったような印象だし、ポーンは姿を除けばいつも通りだ。俺も既に、先程感じていたはずの恐怖……危機感は消えてしまっている。
 妙に親しげに感じるのは、この二人が顔見知りか何かだからなのだろうか。
「本当に最悪です。ですが、聞きたいのはそれではありません。……あなた今、歌星君に何をしようとしていました?」
「それこそ見た通りだ。少し……脅していた」
 その言葉と同時に、ポーンの姿がいつもの怜悧な校医代行の物へ戻る。
 あまりにも「いつも通り」過ぎるその表情で、ようやく俺はからかわれたのだと理解した。
 普段からゾディアーツを相手取っているせいか、怪人に対する危機感が薄れてしまっているのかもしれない。それを警告した……と言う事なのだろう。
 だが、彩塔の方はそう思ってはいないらしい。疑わしげな瞳でじっとポーンを睨んでいる。
「貴様も、俺の嗜好は知っているだろう。誰が好き好んでそんな不味そうな色をした人間を食うか」
「……分りませんよ。あなた、実は結構病んでますから」
「病人を診る方ではあるが、病人ではないぞ」
「いいえ。あなた、頭の……というより、もっと深い部分でビョーキです。それも、おそらく治る見込みゼロです」
「……ふむ。それは確かに専門外だな」
 彩塔の棘を含んだ言葉に、何故か楽しげな様子でそう言うと、ポーンはくるりと踵を返してどこかへ消えてしまった。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ