灰の虎とガラスの獅子

□C達の邂逅/虎は彼女に見抜かれる
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C達の邂逅/越して来た女


 隣に越してきた女は、「彩塔硝子」と名乗った。変わった名前だ、「ガラス」と書いて「しょうこ」とは。それに、苗字の字面も……いや、それは人の事言えないか。
 思いながら、俺……灰猫弓は、彼女をしげしげと観察する。
 肩線辺りで切られた黒髪、切れ長の目。俺と同い年くらい……二十代前半と言った所だろうか、アクティブな印象を持たせる格好で、ボーイッシュな美女と言う印象だ。
 が、気になるのは彼女の右手。そちらだけ、白い手袋が嵌められていた。
 日に焼けたくない、と言うのなら両手とも嵌める筈だ。どちらかと言えば、見られたくない物を隠している、と言う風に見えた。
 そして……これは俺の悪い癖なのだが……一度気になると、聞かずにはいられないらしい。思わずその手袋を指さし、俺は彼女に問いかけた。
「こんな事聞くの、失礼だとは思うんだけどさ。右手……どうかしたのか? そっちだけ手袋してるなんて」
 その瞬間、彼女は一瞬息を呑み……困ったような表情で俯いた。
 あ、まずい。やっぱり何か物凄く言い難い理由があるらしい。悪い事を聞いた。俺にだって、言いたくない事はあるのに。
 そう思うと、俺は慌てて彼女のフォローに入る。女に無理強いをするのは良くない事だと、昔俺をどん底から救ってくれた探偵が言っていた。
「あー……悪い、プライベートだな」
「すみません」
「いや、良いって。誰だって秘密の一つや二つ、抱えてるもんだろ? 俺だって、知られたくない秘密はあるし。うん、今のはナシ。忘れてくれ」
 そう、誰にだって秘密はある。
 俺にも絶対に知られたくない秘密があるように。
 重い沈黙がその場に流れ、俺は居た堪れなくなり……
「それじゃ」
 とだけ呟いて、室内に戻る。
 ベランダに出たのは煮詰っていた頭を冷やす為だったんだが……逆に自己嫌悪に陥るハメになっちまったなぁ。
 どうして俺はこう……いつも後悔してばかりいるんだろうか。何と言うか、間が悪いと言うか。
 その場に蹲り、頭を抱えてはあ、と深い溜息を一つ吐くと、今度は部屋の電話が鳴り出す。
 …………この凶悪な鳴り方は、担当だ。間違いない。出たくない気持ちは山々だが、出なかったら出なかったで、何を言われるかわからない。またしても深い溜息を吐いて、俺はその電話に出る。
「……もしもし?」
『あ、先生! どうですか!?』
 かんらかんらと独特な笑い声を上げながら、俺の担当は電話口に問うて来た。返事をするまでに間を空けたのは、ささやかな抵抗だと思ってくれ。どうせ担当にとっては無駄な抵抗でしか無いのだが。
 ……俺は、「刃稲 虎丘」と言うペンネームで小説を書いている、しがない作家の端くれだ。得意分野はファンタジーやSF。不得意分野は恋愛や官能系。
 ……以前書いた「灰の虎」と言う作品が、図らずも当たってしまった為、そのシリーズの執筆を続けているのだが……既に俺の方にネタのストックは無く、しかも担当からは「恋愛要素を入れましょう!」などと無茶な要求が出されている。
 恋愛物が書けないと言ってごねたものの、結局押し切られる形でヒロインを登場させる事になったのだが…………まっっっったく筆が進まない。
 パソコンの画面は真っ白。ヒロインの容姿も思い浮かばない。
 そもそも、俺は恋愛などした事が無い。「あの事」が起こって以降、人との付き合いがめっきり減ったからだ。
 経験した事のない物を、どうやって書けと!?
「……一行も進まないです……」
『え〜!? 困りますよぉ……』
「困るのは俺の方ですよ! 経験した事の無い物は書けませんって!!」
『そこは想像力でカバーして下さいよ。主人公の苦悩だって、先生の想像力の産物でしょ?』
 主人公……「怪人」になってしまった青年の苦悩。
 人間を守りたい、人間の中で暮らしたい。そう願うのに、人間からは「怪人」であるがために、恐れられ、迫害される青年。
 あれだって、本当は……
『とにかく、締め切りには間に合わせて下さいね。それじゃ』
 それだけ言うと、担当は容赦なく電話を切りやがる。
 ……たしかに、締め切りはまだ先だ。だが……
「書けない物は書けないっつてんだろうがっ!」
 聞こえていないと分っているのだが、毒づかずにはいられない。何しろ、これで飯を食っているのだ。やらなきゃいけないと言う事くらいは俺にだってわかる。
 最低でも、ヒロインの容姿を決めないとなぁ……
 うう、と唸りながらパソコンの前に座る。その瞬間、俺の脳裏に閃いたのは先程会った「隣人」……つまり彩塔硝子の姿だった。
 ……姿だけなら、拝借しても良いよな……?
 と、脳内に住まう彼女に平謝りしつつも、俺は「ヒロイン」の容姿を打ち始める。

――肩線で切り揃えられた髪、切れ長の黒目勝ちな目には強い意思が宿っている。己のスタイルに絶対の自信を持っているのか、余計な装飾はされていない。反ってそのシンプルなシャツとジーンズ姿が、彼女の魅力を引き出している様にも感じた――


 ここまで打って……やはり気になる。彼女の右手の、あの手袋の事が。
 勿論、小説の中のヒロインにつけさせる気は無いが……右手を見られたくないのだろうか。物凄い火傷を負っているとか、タトゥーが入っているとか……或いは、義手とか。
 想像は膨らむばかりだが、やはりそこはプライベートだ。踏み込むのはよそう。失礼だ。
 そう思い、俺はがりがりと頭を掻き毟りながら、彼女が引越し蕎麦を持ってくるまで、ひたすら文章を打ち続けた。
 自分でも意外な事に……彩塔さんは、俺に物語を書かせるために神が遣わした存在なのでは無いかと思えるくらい、すんなりと文章が出てくるのであった。


 ……煮詰まった。
 彩塔さんが越してきて、早数日。物語が佳境に入った所で、俺の脳みそは文章を作成できなくなった。
 ヒロインの前に、主人公の「敵」が現れた所までは書いた。しかし問題はこの後だ。
 ヒロインの前で主人公が「怪人」に変身すべきか、それとも最初から「怪人」の姿で助けるか。
 ……ちなみに、俺なら後者だ。自分が「怪人」であるとは知られたくない。だが、その場合……ヒロインはどんな反応を示すだろう。
 「怪人」を罵る? それとも、受け入れる?
 ……分らない。と言うか、分るはずもない。男心が女に理解できないように、女心もまた、男には理解できない物なのだから。
「あー……悩んでても仕方ねぇ……飯でも作るか」
 誰にと言う訳でもなくそう独りごちると、俺は買っておいた豚肉とジャガイモと人参、そして糸こんにゃくを使って家庭の伝統料理肉じゃがをこしらえる。
 全ての材料を適当な大きさにぶった切り、これまた適当に調味料をぶち込む。
 調味料の「さしすせそ」とか言うが、俺は知らん。「そ」はソースだと仮定しても、「せ」って何だ? 背脂か? いや、んな訳が無い。
 などと、自分に対して全身全霊でツッコミを入れながらも、何とか肉じゃがは完成した。
 ……味は悪くない。俺が味覚音痴でなければの話だが。だが、問題は量だ。あまりにも適当に放り込みすぎたが為に、一人では食いきれない量になっている。
 と、なるとやはりここは量減らしの定番の「お裾分け」に行くのがセオリーと言うものだろう。
 思い立ったら即実行。小鉢に適当量の肉じゃがを放り込み、俺はまずお隣さん……つまり彩塔さんに突撃に行く。チャイムを鳴らすと、不思議そうな彼女の声がドア越しに聞こえてきた。
「はい?」
「あ、こんばんは。ちょいと作りすぎたんで、お裾分けに」
「ありがとうございます、灰猫さん」
 そう言って、何の警戒も無く彼女は扉を開け、綺麗な笑顔を浮かべて、俺が差し出した小鉢を受け取る。
 ……女の独り暮らしだって言うのに、なんでそんなにあっさりと扉全開にするかな。警戒心は大切だぞ?
「……無用心だな。俺が、あんたを襲うつもりだったらどうしたんだ?」
「そうですね……返り討ちにしました。これでも、護身術には覚えがありますから。並の人間相手なら、ある程度対処できると自負しています」
 これまたにっこりと綺麗な笑顔で返してくれるが……それは過信って物だろう。あまり自分を信じすぎると、後で痛い目にあう。
 まして、この街はちょくちょく「怪人」の目撃情報がラジオ番組に寄せられるのだ。そんな「怪人」から人間を守る、「仮面ライダー」までいる始末。つまり、油断は禁物って事だ。……俺も含めて。
「……人間ばかりとは限らないんだ。特にこの街は……な」
「え?」
「とにかく、気をつけなよ? 最近、特に若い女ばかりを狙う通り魔が出没してるって噂だ」
 こっちはテレビや新聞でも報道されている情報だ。襲われた人間の話じゃ、夜道を歩いている最中、いきなり街灯が消えて、襲われたらしい。それも、凶悪なまでの電流が流れる、スタンガンのような物で。
 いくら護身術に長けていても、スタンガン相手じゃどうしようもないはずだ。
 とは思う物の、声には出さず、俺はひらひらと手を振って自室に戻る。
 ……これで、少しは警戒心と言う物を持ってくれれば良いのだが……って、俺が心配する義理は無いし、痛い目を見るのは彼女なんだから放っておけば良いんだけど……何だかなぁ……彼女からは、何となく、「俺と同じニオイ」がするんだよ。
 ヒトとの関わりを、極力避けようとする……地味に、ひっそりと生きていたいんですオーラみたいな物がある様な気が。
 と、ここまで考えたその時。俺の耳に、バタンと扉の閉まる音が聞こえた。
 ……まさか、彼女……あれだけ言ったのに外に出かけたのか!?
 慌ててベランダから道路の方を見下ろすと、そこには財布を持って出かける彩塔硝子の姿。その後ろを、黒尽くめの格好の男が、付かず離れずの距離を保って追っている。
 …………言わんこっちゃ無い!!
 ガシガシと頭を掻き毟りながらも、俺は急いで彼女の後を追う。
 黒服の男が通り魔だと言う確証は無いが、そうでないと言う保証もない。万が一、あれが通り魔で……おまけに「怪人」だとしたら、彼女は間違いなく次の犠牲者になる。
 そして、彼女の姿を見つけた時……全く緊張感の無い顔で、コンビニの袋を手からぶら下げ、鼻歌混じりに帰路についている所だった。
 ……どうか、取り越し苦労でありますように。
 そう願った、まさにその瞬間。
――Current――
 聞き慣れない電子音が響いたかと思うと、周囲の街灯が、一斉に消えた。それこそ、スイッチを切ったように。
 ……予感、的中らしい。それも最悪の方向で。
『夜遊びはいけないって、ママに教わらなかったのかなぁ?』
 低く、くぐもった……だが、楽しげな印象の声が聞こえた。周囲に反響して、どこから声をかけられているかわからないだろう。
 ……普通なら。
 しかし残念な事に、俺は「普通」ではない。常人よりも優れた視覚でゆっくりと周囲を見回すと彼女の前に伸びる一つの影を見つけた。
 人間のようでいて、間違いなく異なるシルエット。「怪人」と呼ぶに相応しい。尖った両腕に、背中には所謂雷神の様な太鼓状の何か。更に、パチパチと体から放電している。
 「Current」……「電流」。成程、一連の通り魔は、やっぱりあの「怪人」の仕業だったのか。
 理解すると同時に、俺の中に怒りがこみ上げた。
 風都は俺が生まれ育った街だ。その街に、俺は誇りを持っている。だが、その誇りを汚す奴は……絶対に許せない。
 その感情が引鉄になったらしい。俺もまた、ヒトの姿からは程遠い姿……つまり「怪人」の姿へと変貌した。
 虎の特性を持つ、「タイガーオルフェノク」と呼ばれる姿に。この姿になっていつも不思議に思うのは、一体どこから武器……弓矢が現れるのかって事だ。だが、今はそれを不思議に思っている場合ではない。
 そして、彼女が右手の手袋を外した瞬間。相手の足元へ、牽制の矢を放ち、同時に彼女の体をぐいと引っ張ってこちらに引き寄せる。
『な、何だ……!?』
 怪人同様、彼女もそう思ったらしい。俺の方を振り返り、ぽかんとした表情を浮かべた。
 どうやら、この姿を見て驚いているらしい。それもそうか、今の俺の姿は怪人……つまり「化物」だもんな。
 心の中で苦笑しながらも、俺はとりあえず不機嫌な声で彼女にどうしても言いたかった苦言を呈す。
「夜道を一人で歩くな。無用心だ」
「すみません。お味噌を切らしてしまっていたもので」
 にこやかな笑顔と共に言葉を返され、俺は思わず深い溜息を零した。
 いやいや、味噌を切らしたって……そんなもん、俺の家とかに分けて貰えば済む話じゃ無いのか?
 とか思うが、まあ今は彼女の迂闊な行動よりも目の前の「怪人」だ。相手の方は、それはもう悔しげに俺を睨みつけ、声を荒げる。
『邪魔をしやがってぇぇぇっ!』
「邪魔もする。この街で通り魔とか……俺の誇りが傷付く」
 それだけ言ってやると、俺は持っていた弓でまず一矢。それをかわされたのを確認すると、今度は相手の動線上に向かって矢を放つ。当てるつもりは無い。ただの威嚇だ。何しろ俺達「オルフェノク」の攻撃は、その気が無くとも毒性を帯びている。
 その毒にやられれば、十中八九の人間は灰になって死ぬ。俺は人間を殺すつもりなんて無いから、出来るだけ威嚇で留めておきたい……と言うのが本音だ。
『ちっ……分が悪いか』
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