灰の虎とガラスの獅子

□誇りのR/隣人の事情
1ページ/2ページ

C達の邂逅/虎は彼女に見抜かれる


 マンションに帰りつくまでの道程。私達は互いに無言だった。
 恐らく、灰猫さんは正体を明かすつもり無く、私を助けたのだろう。小説の主人公と同じ様に。
 だが、私は気付いてしまった。灰色の虎の異形が、隣人である「灰猫弓」その人である事に。助けて貰っておいて礼を言わないのは、私の一族としての誇りに反する。故に、思わず「灰猫さん」と呼んでしまったのだが……やはり、まずかっただろうか。
 とは言え、私も知られたくない事……即ちみずからの右手の甲にある「ルークの紋章」の事も知られたのだし、ほぼ五分五分だろう。
 と考えている間に、あっという間に私達は自分の部屋の前に到着してしまう。
 元々それ程遠い所に出かけていた訳では無いので、道理と言えば道理なのだが。
「……あの、さ」
「はい、何でしょうか?」
「話があるんだけど……俺の部屋、上がってかない……か?」
 困った様にガリガリと頭を掻きながら、彼は私に向かってそう声をかける。
 口止めだろうか? そんな事をしなくても、私は誰にも言わないのに。
 思いながらも、私はにこやかな笑顔を向け、良いですよと言葉を返した。
「……本当に無用心だな……あの姿見て、まだそんな平然と……」
 私の答えに不満でもあるのか、彼は困った様にブツブツと何かを言いながら、結局は私を部屋に上げる。
 自分で招いておきながら、何故に不満げなのだろうか。と思わなくもないが、それは彼なりに何か理由があるのだろう。確かに普通に考えれば、年頃の男性が、見た目だけとは言え年の近い女性を家に上げるという行為は、微妙かもしれない。
「あー……とりあえず、そこ座って。ついでに飯も食ってけ」
「あ、お気遣いなく……」
「と言うか食ってってくれ。この量は流石に多い」
 そう言って彼が台所から持って来たのは、お鍋いっぱいの肉じゃが。今にも溢れそうな量だ。確かにこれは「作りすぎ」だと言える。
 苦笑しながら見つめた私に、彼は少しだけ恥ずかしそうに顔を背けながら、その肉じゃがをつつき始める。
「それでは、お言葉に甘えて……いただきます」
 適度に味の滲みたそれは、私の味覚に非常によく合った。気を抜くと、この鍋の中身を全て平らげかねない程に。とは言え、ここはよそ様のお宅だ。そんなはしたない真似はしないつもりだが。
 とは言え、私は体質的に太らない……と言うか、太れない。今でこそ、世の中の女性がうらやむ様な体質だ。気を抜くとどこまでも底無しに食べてしまう。それは、ヒトの食事が私達の本来の食事とは異なるからだ。いくら食べても、私の血肉にならない……つまり空腹は満たされない。
 まあ、だからと言ってヒトと同じ物を食べられないと言う訳ではない。煙草やコーヒー、紅茶の様な「嗜好品」としての位置付けになるだろうか。だが、それでも思う。
 ああ、やっぱり美味しい食事は幸せになるなぁ……


「あのさ」
 食事も終わり、少しだけ食後の余韻に浸っていた所に、灰猫さんは真剣な表情で私の顔を覗き込んで言葉を紡いだ。その真剣さに応える様に、私も居住まいを正して彼の言葉を待つ。
 恐らく、本題の「口止め」だろう。私を助けた彼の事だ、恐らく「口封じに殺す」と言う事は無いだろう。仮にそんな事になったとしても、負けるとは思わないが。
「あんたは、俺が怖くないのか?」
「……口止めが来るかと思っていましたけれど、そっちが先ですか」
「いや、勿論俺のあの姿に関しては黙っていて欲しいんだけど……」
 灰猫さんは、困った様にそう言いながらガリガリと頭を掻く。どうやら彼のこの仕草は、癖らしい。それも、困った時特有の。
 しかし、そうか……口止めよりも先にそっちを気にするのか。
 まあ、納得出来ない訳ではないが。
「怖い訳が無いじゃないですか。と言うか、何故怖がらなければならないのでしょう?」
「いやほら、俺ってその……『怪人』な訳だし……」
 ……成程。彼はどうやら、あの虎人間としての姿にコンプレックスの様な物を抱いているらしい。確かに、異形はヒトから忌み嫌われる物だ。ひょっとすると彼は迫害された過去を持つのかもしれない。
 と、そこまで考えた瞬間。私の脳裏に先程まで読んでいた小説の作者の名を思い出した。
――刃稲 虎丘――
 ……我ながら、何と鈍い事だろう。このペンネームは、彼の名前そのままではないか。「はいねこきゅう」の切り方を変えただけの。
 それに気付くと、殆ど全てに合点がいく。あの小説の主人公の心理描写がやたらと緻密だったのも、先程の灰猫さんの姿が、小説の中の主人公の姿と重なるのも、そして彼が、私に対して「怖がらないのか」と聞いた理由も。
 あの小説は、「ファンタジー」などでは無い。彼の「自叙伝」の様な物なのだ。それを周囲の人間が、勝手に「よく出来たファンタジー」と勘違いし、そのまま売り出したと言う事だろう。
 そこまで思うと、私は軽く笑い……そして、俯き気味な彼の頭を撫でた。
「……は?」
「申し上げたはずです。あなたは私を助けて下さったと。その方を恐れるのは、我が一族としても許されない行為」
 そう。灰猫さんが「この街の住人である事」に誇りを持っているように、私も「己の一族」に対して誇りを持っている。
「……さっきから聞こうと思ってたんだけど……あんたの言う『一族』って何なんだ? それと俺を怖がらない事と、何か関係があるのか?」
 ……おっとヤブヘビだったかしら。見たところ、この人のあの「虎の異形」の姿は「一族」とは趣が異なった。私を襲ってきた異形も、また種類が異なるようだったが、今回、それは横に置いておこう。
 「ルークの紋章」の事も知らなかった様だし、出来る事なら黙ってやり過ごしたいが……それはどうやら許されるような雰囲気ではない。
 ……こうなったら……話すしかないか。勿論、全てを話すつもりは無いけれど……
 そう考えると、私は居住まいを正し、真っ直ぐに灰猫さんの目を見つめた。
「……信じ難い事かも知れませんが……この地上には『他者の生命力を糧に生きる種族』が十三種ほど存在します」
 そう言った瞬間、灰猫さんはぽかんと口を開け、信じられないと言った表情になった。
 それもそうだろう。普通に考えれば、こんな話は信じられそうに無い。とは言え、事実だ。
「彼らのほとんどの種は、『他者の命のエネルギー』……『ライフエナジー』と呼ぶそれを『ヒト』から吸収しなければ、生きていけません。……俗に言う、狼男や魚人やフランケンシュタイン、ドラゴンなどがそれに当たります。そして我が一族は、彼らと深く関わりのある者。異形と呼ぶべき存在は見慣れている為、恐怖も嫌悪も覚えません」
 ……嘘は吐いていない。実際に我が一族は、先に挙げた存在……ウルフェン族、マーマン族、フランケン族、そしてドラン族と深い関わりを持つ。彼らが他者のライフエナジーを吸って生きている事だって事実だ。
 ただ……「我が一族」ことファンガイア種族もまた、ライフエナジーを吸って生きる、異形の一族であると言うだけで。
 今は我らの長である「キング」が、「人との共存」を打ち出し「ライフエナジーに代わる新しいエネルギーの開発」を急務としている為、他の種族もヒトを襲わずに今のところ「食事」を我慢しているらしい。
「人の命を糧とするって……随分とまた、ぶっ飛んだ話だな」
「しかし、事実です」
「ああ、疑ってる訳じゃ無い。ただちょっと、俺とのスケール差に驚いているだけだ」
「こちらとしては、一度死んだ人間が異形として蘇る、と言われた方が驚きですが」
 彼の言葉に軽く返しながら、私は彼のパソコンラックの上にあった小説に向けて言い放つ。
 私の言いたい事を察したのか、彼は軽くこめかみを押さえ、深い溜息を一つ吐き出した。
「……読んでたんだな、アレ」
「ええ、まあ。バイト先の店長に勧められまして」
「で、アレがただのファンタジーじゃなくて、俺の実体験に基づく物だと推測した訳だ」
「そうですね。主人公の所謂(いわゆる)『怪人態』の描写と、先程の灰猫さんの姿があまりにもよく似ていたので」
 気付いたのはつい先程だが、それは特に言わなくてもいいだろう。
 それに、驚いたのは本当の事だ。
 我々ファンガイアは、死を「偽装」する事はあれど、実際に死を迎えてしまったら蘇る事は殆ど無い。仮に蘇ったとしても、元の自我が存在しているとは限らず、ただの獣と化している事の方が多いと言う。
 そもそも、我々の亡骸自体がガラスの様に砕けて散ってしまうのだ。それで五体満足、元の状態で復活できる道理など、あるはずも無い。間違いなく、何かしらが欠けているに決まっている。
 さて、灰猫さんの説明によると……彼のように、ある特定の条件を持つ人間が一旦死を迎えた後に再度覚醒した存在を「オルフェノク」と呼ぶらしい。
 小説にも載っていた事だが、通常時の外見は人間だった時と変わらない。しかし動植物の特性と高い攻撃力を持った異形の姿も併せ持ち、中には更に別の形態へ変化する者もいるのだそうだ。この辺りは、自分の意思で変えられる……その点では、我々ファンガイアと似ているかもしれない。
 もっとも、彼らは「元は人間」であるのに対し、我々は「人間に擬態した存在」と言う相違点はあるが。
 灰猫さんは、虎の特性を持つオルフェノク……「タイガーオルフェノク」と呼ばれる存在なのだそうだ。
 更に驚くべき事に、オルフェノクの大半は自らを「人類の進化系」と位置付け、人間を見下していると言う。
 かつてのファンガイアも、「人間は我らの家畜」と言う考え方を持つ者が多かったが、それは元々人間と異なる種だったからだと理解できる。同意できるかと問われたら、答えはノーだが。
 しかし、オルフェノクは元を正せば人間だ。それなのに人間を見下すなど……正直、不愉快だ。
 そしてその「不愉快」と言う考えは灰猫さんも同じらしい。自分がオルフェノクになってしまって以降、偶にこの風都に現れて人間を襲うオルフェノクと戦い、それらを退けてきたらしい。
 最も驚いたのは、オルフェノクに攻撃された人間の末期。
 彼らの攻撃には何やら毒性があり、並の人間はその「毒」によって灰化してしまうのだそうだ。そして、ごく偶に……本当に偶にらしいのだが、その毒をきっかけにオルフェノクに覚醒してしまう人間もいるらしい。
 道理で、灰猫さんは先程の異形に向かって攻撃を当てる気が無かった訳だ。当ててしまえば、相手を殺してしまうかもしれないから。
「まあ……正直な話、あんたが普通に接してくれたのは、本当に嬉しい」
「そんな物でしょうか?」
「そんな物だよ。特に……俺みたいに、身内からも恐れられた奴にとっては、な」
 ……ああ、そうか。彼は私のように、親類縁者が皆異形、と言う訳ではないのだ。
 私は「異形」を見慣れているし、そんな中で生活していたから特に気にしないが、彼の家族は違う。唐突に自分の身内が、「ヒトではない者」になってしまったら、確かに恐怖するだろう。
 私がかつて出会った人々と、同じ様に。
「まあ、改めて言うのも難だけどさ……これからも、仲良くしてくれないかな?」
「何を当たり前の事を仰っているんですか。こちらこそ、この街に不慣れな者ですから……色々とお教え頂けると嬉しいです」
 ガリガリと気恥ずかしげに頭を掻き毟りながら言った彼に、私はにこやかな笑顔を向けてそう答える。
 改めて……私は隣人、灰猫弓と言う男を知る事が出来た。それが嬉しいと思うと同時に……先程の異形の事が、妙に胸に引っかかっていた……


 翌朝。
 今日の予定は……午前中は警察署へ清掃のお仕事、午後から本屋のアルバイトだ。
 警察署が派遣清掃員を雇う、と言うのはいかがな物かと思うのだが、そこはのんびり気質の風都故なのだろう。
 制服である薄い水色の作業着に着替え、私はガラガラと清掃用具の入ったカートを押しながら、自分の割り当てられた区域を掃除する。
 普段の掃除が行き届いているのだろう。割と綺麗だ。
 だからと言って、掃除をサボるような真似はしないが。
「えーっと次は……『超常犯罪捜査課』と……」
 建物の三階奥に位置する部屋の前に立ち、私は軽くノックをしてその部屋に入る。
 ……って、何、超常犯罪捜査課って。普通の警察署には、そんな物無い……わよね?
 不思議に思いながら軽く部屋を見渡す。
 デスクの数は三、そこには赤い革ジャンを来た青年と、水色のツボ押し器を肩からぶら下げた中年男性、そして黒いスーツの若い青年。
「……失礼致します」
「お、掃除? ご苦労さん」
 深々と一礼をしながら部屋に入ると、中年男性が気さくに話しかけてきた。
 しかし徹夜明けなのか、随分と疲れているように見える。スーツの青年もテスクの上でぐったりとしているし、赤ジャンバーの青年も心なしか苛立っているように見える。
「いやぁ、若いのに清掃の仕事をしているなんて関心関心」
 ……この人、ひょっとすると徹夜明けハイテンションなのではなかろうか。疲れているように見えるのに、こちらに絡んでくる時は妙に元気だ。
 それに、私は若くないと思うのだが……
 適当に相槌を打ちながら、私は自分の仕事を淡々とこなす。
「しかし、最近流行の通り魔には気をつけるんだ。お嬢さんも、出来るだけ夜は出歩かない方が、良い」
 通り魔……と言うと、昨日のあの雷様みたいな格好をした、異形の事だろう。私が襲われる直前、灰猫さんは「Current」と言う、宣言に似た電子音を聞いたと言う。
 「電流」を意味する英語だが、何故わざわざそんな電子音が……
「犯人はカレントのメモリを使っているらしいって事はわかっているんですけどねー」
「おーい真倉、軽々しくそう言う事は言わないように」
 ……「カレントのメモリ」……?
 何の事だろうと思うが、どうやらそれは聞いてはいけない事……つまり機密に当たるらしい。聞こえなかったふりをしてやり過ごそう。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ