灰の虎とガラスの獅子

□そのAは崩れない/虹の牙
1ページ/2ページ

そのAは崩れない/懐かしめない再会


 ガン、とドラム缶が派手に鳴ったのを聞きながら、俺は前方を悠然と歩く敵……ウェザードーパントこと、井坂深紅郎を睨みつける。
 畜生、おかしいだろあの人。俺のこの姿を見て、「感動すら覚えている」とは。しかも何で俺にメモリを挿したがる?
 軽く首を振り、体勢を立て直したその時になって、俺はようやく視界の端で、きょとんとした顔の彩塔さんの姿を見つけた。
 ……何でここにいるかな、あの人はぁぁぁぁっ!
 心の中で大絶叫をかましながらも、俺はとりあえず彼女とウェザードーパントの間に立つ。
 そんな俺の後ろで、彼女はウェザーの姿が見えていないのか、いつも通りの声音で声をかけてくる。
「こんにちは、灰猫さん。派手な音がしていましたけれど、大丈夫ですか?」
「何を呑気に俺の心配なんてしてんだ、あんたは!? この状況見て、もう少し緊張感って物を……」
「……いくら私でも、あの『白騎士』が危険だと言う事くらいは認識しています」
 俺の言葉に彼女は軽く眉を顰めてそう答える。って言うか見えているなら本当に逃げてくれ。
 そう俺が思ったのと、彼女が獲物を狙う猛獣のように、すぅっとその目を細めたのはほぼ同時。彼女が浮かべたその表情に、俺の背中に冷たい物が走る。俺に向けられた訳でもないのに、彼女が放つ敵意は、周囲の気温を一気に下げた。
 だが、ウェザーの方はその気温の変化すらも楽しんでいるらしい。ほう、と感嘆の声を上げると、実に楽しそうに俺達に向かって声を放つ。
『実に面白い。貴女もドーパントに対する、未知の可能性を秘めているようですねぇ……!』
「ドーパント……その単語は先も聞きました。正確な定義はわかりませんが、『メモリのような物を使って、人から異形へと変じた者』……と言う解釈で宜しいのでしょうか?」
「ほぼ正解。ただし、『メモリのような物』じゃなくて、『メモリその物』だけど……な!」
 彼女の問いに答えながら、俺は左手で彼女の体を抱え、その場に落ちてきた雷をギリギリでかわす。
 おいおいおいおい! 話の途中で攻撃を仕掛けてくるって、流石に卑怯だろ!?
『おや、なかなか素早い反応ですねぇ』
「そいつはどうも! でも、何でかな。あんたに褒められても嬉しくない!」
 楽しそうな相手に対し、俺は自分でも分るほど苛立った声で答え……とりあえず何本か矢を放つ。勿論当てるつもりは無い。単なる威嚇だ。
 しかし俺の矢は、相手の起こした旋風……と言うか竜巻に遮られ、粉砕されてしまう。
 いや、もう本当に何なんだよあの人!? こっちに向かってガイアメモリを挿したがるわ、この姿を見て楽しそうに笑うわ、俺の矢を風で粉砕するわ……挙句、何となくだが彩塔さんにも目をつけてる雰囲気あるわ。
 勘弁してくれ、マジで!!
「彩塔さん、とりあえず逃げろ。何と言うか……今回は『守りながら戦う』のは難しいと思う」
「……後半部分については同意します。確かに、あの『白騎士』相手に、誰かを守りながら……と言うのは難しいでしょう」
 俺の言葉にこくりと頷きながら、彼女は真剣な表情でそう答える。
 ……同意してくれるのは嬉しいんだが、「後半部分については」って言ったって事は……前半部分、つまり「逃げろ」には同意できないと言う事だろうか。
 ……守りながら戦うのは難しいと分っているのに、逃げるつもりは無いってか!?
 何を考えてるんだ、と俺が怒鳴るよりも先に、彼女はウェザーの方に視線を向け、恐怖も何も無い……純粋に疑問に思っているような表情で、声を発した。
「お伺いしますが、仮に私が逃げようとしたとして……あなたは私を逃がしてくれますか?」
『それは出来ない相談ですねぇ。貴女にも興味があります。ドーパントとは異なり、そして灰猫弓とも違う存在である貴女にも』
「と、言う事だそうです。彼は私を見逃してくれません」
 逃がさない、と宣言されたにもかかわらず、彼女は特に慌てた様子も無く淡々とした口調で俺に言う。それどころか、口元にはうっすらと笑みが浮んでいるようにさえ見えた。
 何でそんなに冷静でいられるのかと言うのも疑問だが、それ以上に……何でそんなに楽しそうなんだ、この人は。楽しめるような状況じゃないだろう?
「灰猫さん。この状況で言うのも、非常に申し訳ないのですが……」
「……何?」
 あ、何だろう。何だか妙な予感がする。
 嫌な予感……とは少し違うが、「胸騒ぎ」と言う点では似ているかもしれない。
 彼女の声に不穏な物を感じ、俺は軽く眉を顰めて彼女の声に応える。
 「一緒に逃げよう」ならまだ良い。癪だが、逃げに専念するというのは一つの手だ。
 あるいは、「相手の足止め」を俺に頼むか。それなら、彼女が逃げ切ったのを見計らって、こっちも全力で行けば良い。まあ、こちらの手段は少々俺の心証を悪くするが、この場合は仕方ない。相手が悪すぎる。
 しかし……しかしだ。出会って、付き合いも短いがはっきりわかっている事がある。
 彩塔硝子と言う女性は、卑怯な真似をこの上なく嫌っている。その上、プライドが滅茶苦茶高い。
 それから考えれば、後者は多分無いだろう。ならば、やはり「一緒に逃げよう」と言って欲しい所だ。いや、むしろそう言って下さい、お願いします。
 そう願う俺をよそに、彼女はじっと俺を見つめ、その口を開く。
「一緒に……」
 よし来た、逃げるんだな。そうだよ、今回は分が悪すぎる。いや、勝てない相手だとは思わないが、やっぱり誰かを守りながら戦う、ってこの状況は流石に不利って言うか。
 一瞬でそんな事を考え、俺は彼女を抱えて逃げる準備をしようと……
「一緒に、戦わせて下さいませんか」
 ………………
「大却下だぁぁぁぁっ!」
「何故ですか?」
「聞くか!? この状況でそれ!?」
 俺の渾身の怒声すらもさらりと流し、彼女は心底不思議そうにこちらを見上げている。
 ……だが、気のせいだろうか。心なしか彼女の瞳の色が、虹色に染まっているように見えるのは。
 いやいや、きっと光の加減のせいだ。それよりも今は彼女の説得が先だろう、うん。
「良いか? 相手はドーパントであって、その辺に転がる痴漢じゃない。しかも、昨日のカレントドーパントよりも遥かに強い」
「それは認識しています」
「なら、尚更普通は『逃げよう』と言う考えに至るだろ!? 勇敢なのは美徳かもしれないが、今回の場合は無謀すぎる!」
 本気で何を考えているんだ、この人は!?
 相手が強い、それも凶悪な方向の存在だと分っていながら、さらっと「戦う」などと言ってしまう。並の女性の様に、異形を見て悲鳴上げる、なんて事は昨日の時点から期待はしていないが、だからと言って立ち向かう事も期待していない。
 言葉にもしたが、「勇敢」と「無謀」は違う。今回の場合は、明らかに後者だ。
 曲がりなりにもオルフェノクである俺が、「簡単に勝てない」と思っている相手だぞ? 普通の人間である彼女が手を貸してくれたところで、足手纏いになるだけだ。
 そう思ったその瞬間、彼女はにっこりと俺に向かって笑いかけ……
「しかしそれは、普通の人間の場合、ですよね?」
「……あ?」
 一瞬、心を読まれたのかと思った。だってそうだろう? 俺はさっき、「普通の人間である彼女」がと思ったのだから。
 だからこそ、間の抜けた声が俺の口から漏れたんだと思う。
 だが、そんな俺の……そして律儀にもこちらのやり取りを見ているウェザードーパントの目の前で。
 ……彼女の姿が、変わった。
 最初の変化は、下顎から頬にかけて。ピシピシと音が鳴ると共に、その顔にステンドグラスの様な色合いのモザイクが浮かび上がった。
 それはまるで、虹色の牙。
 気が強そうでありながらおっとりしている……そんな印象を抱いていたが、とんでもない。彼女は見た目通り、気が強いのだ。
 普段、その牙を隠しているだけで。
 そして次の瞬間、彼女の姿が「白い怪人」に変わった。両肩には、笛を吹く天使像のような物、どこから召喚したのか不明だが、彼女の身長と同じくらいの大きさの棍棒。
 動物っぽさを感じるが、これは……
「……羊……?」
「……そう仰る方は初めてです。一応、これでも獅子なのですが」
 苦笑めいた声で、彼女が俺の呟きに答える。
 よく見れば、ステンドグラスの様な模様のひとつひとつに、まんま苦笑している彼女の顔が浮んでいる。
「昨日は黙っていましたが……私、この通り人間じゃありませんから」
 そう言うと、彼女はいきなり持っていた棍棒を構え、ウェザーの方に向き直る。
「二対一ではありますが、お覚悟を」
 ぺこりと頭を下げてそう言ったかと思うと、彼女はウェザーに向かって駆け出し、その棍棒をフルスウィング。
 って、いきなり殴りかかるか!?
 心の中でツッコミを入れるが、ウェザーはその攻撃を後ろに飛んでかわす。
 彼女の攻撃に、スピードはそれ程無い。だが、あの細腕であれだけの大物を振り回したという事は、結構な腕力を誇っているという事だ。
 恐らく、当たればただでは済まない。
「ああ、やはりかわされましたか」
『痛そうですからねぇ』
 かわされた事に特に思うところもないのか、淡々と呟いた彼女に対し、ウェザーの方は楽しそうな声で言葉を返す。
 少なくとも、ウェザーはこの状況を楽しんでいる。喜んでいる、と言っても過言ではないかもしれない。
 しかし、これなら行けるかもしれない。
 彼女が怪人だったという事実には流石に驚いたが、今はそれを追及している場合ではない。ウェザーを追い返す事が先決だ。
「彩塔さん、もう一丁頼む!」
「了解しました、灰猫さん」
 俺の声で、何を意図しているのか分ったらしい。彼女はこくりと軽く頷くと、もう一度棍棒を軽々と振ってウェザーに殴りかかる。
『おっと……』
 小ばかにしたような声を上げて、その攻撃をもう一度後ろに飛んでかわすが……それはこちらの狙い通りだ。
 大抵、人間には咄嗟の攻撃をかわす時に癖が出る。
 ある人は右、ある人は左と言うように、無意識のうちに一方向に避けるものだ。ウェザーの場合は、それが「後ろ」……つまり、相手の間合いから外れようと動くらしい。
 その癖さえわかれば簡単だ。囮の攻撃をかました後、その「癖」の方向に待ち伏せして攻撃すれば良い。幸いにも今回は俺と彩塔さんの二人がかりだ。
「俺がいるのを忘れてもらっちゃ困るな!」
『しま……っ!!』
 拳を固め、殴りかかろうとする俺にようやく気付いたのか、彼は慌てたような声を上げる。
 だが、遅い。俺の拳が相手の顔面を捉える方が早い!
 思いながら、俺は相手の顎目掛けて思い切りアッパーを繰り出す。その拳は、間違いなく狙った場所を捉えた。
 ……いや。捉えたと、思った。
「んなっ!?」
 相手の姿が、まるで幻影のように透けたのだ。視覚的には相手の顎を殴っているのに、手応えが無い。だからと言って、残像、と言う訳でもない。それならとっくに消えているはずだ。
 だとすると、これは……何だ!?
「走れ!」
「え……っておうわっ!?」
 彩塔さんの「命令」に、反射的に走ると同時に、俺は今さっきまで自分の置かれた状況を確認する。
 そこには、何やら銃のような物……確か、ガイアメモリのコネクタを打ち込む機械だったはずだ……を持って、まさにその引鉄を引こうとしているウェザーの姿があった。
 危ねぇ。マジで危ねぇ。
 あの人俺に「メモリを挿す」って目的、やっぱり覚えてやがる!
『おや、気付かれましたか。やはり二人相手だと、少々厄介ですねぇ』
 あまり困った風でもなくそう言うと、さっきまで俺が相手をしていた方のウェザーの姿がゆらりと歪んで消える。
 ……ウェザー、「天候」。成程、あのおっさん、自分の蜃気楼を作って、それで相手してきてた訳か……!
 全く、「厄介」ってのはこっちの台詞だ。
 彼女が声をかけてくれなきゃ、今頃俺、オルフェノクでありながらドーパントって言う、妙な怪人になっていた。
「サンキュ、彩塔さん」
「いえ。それより、命令などしてしまって、申し訳ありません」
「いやいや、助かったから」
「ですが……困りましたね。この様な厄介な相手、この世に生を受けてから六十年以上経ちますが、阿鐘(アベル)以来です」
 確かに、結構厄介な相手だよな……
 ……って待て。またこの人、さらりとトンデモ発言しなかったか!?
 この世に生を受けてから六十年以上経つって……つまりこの人、こう見えて六十代!? ダブルスコア以上トリプルスコア未満!?
 何だそれ、本当に人間か!?
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ