灰の虎とガラスの獅子

□Sの落とし穴/過剰不適合者
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そのAは崩れない/虹の牙


 攻撃をしかけた「白騎士」が、彼の生んだ蜃気楼だと気付いた瞬間。
 灰猫さんの左隣に、その白騎士の本体がいるのが、視界に入った。
 ……しまった、迂闊だった! あの人の狙いは灰猫さんだったのに!!
「灰猫さん!」
 逃げて下さい、と叫ぶよりも白騎士が動く方が早かった。
 彼は手に持っていた銃型の「何か」を灰猫さんの左腕に押し当てると、躊躇なくその引鉄を引いた。バシュ、と言う音から考えるに、恐らくは何かを打ち込む機械なのだろう。
 「何か」など……今までのやり取りから推測するに、「ヒトをドーパントに変えるメモリ」とやら以外に考えられない。
「が……うあああああぁぁぁっ!?」
 それを打ち込まれた刹那。灰猫さんは咆哮にも似た悲鳴をあげながら、その姿をオルフェノクからヒトに戻す。
 いつも見る彼とは違い、髪形が整えられており、無精髭も剃られているためか、割と良い男っぷりを見せてはいるが、今はそんな呑気な感想を抱いている場合ではない。
 あの苦しみ方を見る限り、灰猫さんの持つオルフェノクの力と「メモリ」の持つ力が互いに反応しあい、彼に激痛をもたらしているのだと予測できる。
『フフフフ……素晴らしい。実に素晴らしい! これ程の拒絶反応を示すとは!!』
「あなた……こうなるとわかっていて、灰猫さんに今の物を打ち込んだのですか!?」
『ええ。しかし、少々予想とは異なりますねぇ』
「予想……?」
 ゴッ、ガッと、私は持っている棍を振りながら、楽しそうな声を上げている相手に向かって問う。
 自分でも自覚できる程、攻撃が荒い。声に苛立ちが混じっている。しかし、わかっているのに抑えきれない。
 ……何なのだろうか、この感情は。酷く……腹立たしい。
『ええ。私の予想では彼はすぐにメモリを体外に排出すると思ったのですが……あの力のお陰でしょうかねぇ?』
 「あの力」……恐らくはオルフェノクの力の事だろう。
 しかし何故、目の前に立つ男はそんな風に思っていたメモリをわざわざ打ち込んだのだろう。
 灰猫さんをドーパントにする気は無かったのか?
 いや、今はそんな事を考えている場合ではない。とにかく灰猫さんから、メモリを抜き出さないと、彼の苦しみが長引く。
 軽く一つ舌打ちをし、私は棍を白騎士に向かって思い切り放り投げると、自分の姿を人間の姿に変えて、彼の顔を覗き込む。
「灰猫さん、大丈夫ですか!? しっかりして下さい!」
 虚ろな瞳、低く呟かれた怨嗟の言葉、悪意に取り付かれたような笑み。背中に冷たい物が走るくらい、その雰囲気は恐ろしかった。
 だが……すぐに私を認識したらしい。彼の瞳に、徐々にいつもの光が戻り、雰囲気も全てを灰にしてしまいそうな邪悪なものから、普段通りの飄々とした物に変わる。
「彩……塔、さん……?」
 彼が、そう呟いた瞬間、その腕からポロリとメモリが抜け落ちた。それと同時に、灰猫さんは軽く笑うと、余程疲弊していたのかその場で崩れ落ちるように倒れこんでしまう。
 抜け落ちたメモリの色は灰。真ん中に書かれた文字は「A」。
「こんな物……!」
『おっと、破壊されては困りますねぇ』
 私がメモリを手に取るよりも先に、白騎士がそれを奪い取る方が早かった。まるで一陣の風の様に私達の横をすり抜けると、彼はその手にあるメモリを見せびらかす。
 ……鬱陶しい真似を……!
 ギリと奥歯を噛み締めながら、私は相手を睨みつける。
 だが、相手にとっては私の睨みなど対した事では無いらしく、フフ、と軽く笑い……
『彼に伝えておいて下さい。またいずれ……このメモリを挿してあげましょう、とね』
 それだけ言い残すと、白騎士は私の前に雷を落とし、その場から姿を消した。地面に、焦げ跡だけを残して。
 「またいずれ」? 冗談ではない。あんな害意の塊の様な輩とは、二度と会いたくない。……少なくとも、私は。
 正直に言えば、今すぐにでもあの物騒な存在を見つけ出し、灰猫さんに打ち込んだメモリを回収、破壊したいのだが……打ち込まれた本人は、現在絶賛気絶中。流石に放っておく訳にはいかない。
「とにかく、病院に……」
 そう呟いた瞬間、意識を取り戻したらしい灰猫さんが、グイと私の腕を掴み、首を横に振った。
 先程の余韻なのだろうか、まだ彼の様子は弱々しい。
「病院は……駄目だ。オルフェノクだと……気付かれる」
 真剣な表情で、だが苦しげに息を切らせながら、彼は私にそう告げる。
 ……成程、確かにそれもそうだ。オルフェノクはどうなのかわからないが、少なくとも我々ファンガイアが病院で検査を受けようものなら、きっと大騒ぎだ。我々は擬態しているだけで、根本的に体組織が異なるのだから。
「放っとけば……治る、だろ。それよりも、行って欲しい場所が……ある」
「どこですか?」
「鳴海探偵事務所……って場所」
 探偵事務所? また、なぜそんな所に?
 そう不思議に思いながらも、私は彼の指示した場所に向かうのだった。
 ……そう言えば、まだ私、清掃の方の終了報告をしていなかった気がするのだが……クビにならない事を祈ろう、うん。


 息も絶え絶えの灰猫さんに案内されたその探偵事務所には、四人の「人間(ヒト)」がいた。
 スーツ姿でいかにも「ドラマの中のハードボイルド探偵」のような格好の青年に、分厚い本を持った青年、室内なのに鞄を肩から斜めにかけた女性、それから……妙な事に、「超常犯罪捜査課」の課長さんだ。
「弓さん!?」
 スーツの青年は、真っ先に灰猫さんの惨状に気付いたらしい。心配そうに声を上げ、こちらに向かって駆け寄ってきた。
 ……彼は灰猫さんの知り合いらしい。声同様、心配そうな表情で彼の顔を覗き込むと、近くのソファに運んで寝かせる。
 その際に、どうやら彼も気付いたらしい。
 灰猫さんの左腕に存在する、刻印に似た模様に。
「これは……」
「生体コネクタだな。と言う事はこの男、ドーパントか」
 驚いたような声を上げる探偵さんに対し、課長さんが険しい目で灰猫さんを睨み、どこからか手錠を取り出した。
 この反応を見る限り、あのメモリを扱った時点で「犯罪」と言う扱いらしい。
 ある意味、麻薬などと同じ扱いと言う事か。
 ……とは言え、灰猫さんの場合は無理矢理打ち込まれた物だ。これで逮捕、と言うのは流石に気分が悪い。
「これは……無理矢理打たれた物です。灰猫さんの意思ではありません」
「何?」
「無理矢理って……」
 軽く眉を顰め、課長さんと探偵さんが深刻な表情で呟く。
 それを聞いていたのか、灰猫さんはうっすらと目を開け、軽く頷くと……
「ちょっと……油断した。何でかはよくわからないが、俺にメモリを挿したがってたんだ」
 確かに、よくわからない。あの白騎士は、何を目的に灰猫さんに対してあの灰色のメモリを挿したがっていたのか。そして、それが抜け落ちた後も、「また挿しに来る」と言った理由も。
 本当に、わからない事だらけ。
「わからないから……調べてもらおうか、って思ってさ。俺が狙われる理由を。勿論、礼はする」
「……弓さん……」
「わかっているのは、相手の持っていたメモリが『灰色』の『A』だって事くらいだ」
 灰猫さんがそう言うと、本を持っていた青年がフム、と小さく頷き……くるりと踵を返すと、奥の部屋へと引っ込んでしまった。
 ……一体、何だと言うのだろうか。扉の向こうは何かデータベースのようにでもなっていて、部外者は立ち入り禁止……と言う事だろう。
 一人納得した瞬間、不思議そうな表情で女性が私の顔を覗き込み……
「それより、あの……あなた、どちら様?」
 そう言えば、確かにこの人達には自己紹介をしていなかった。
 課長さんすらも、恐らくは私への認識は「掃除婦」でしかないだろう。ましてあった事も無い探偵事務所の皆さんにとっては、私は正体不明の女でしかない。
 思い、私はぺこりと頭を下げて一礼すると……
「彩塔硝子と申します。灰猫さんの隣人です」
「ああ、あんたが弓さんの言っていた!」
「……は?」
 灰猫さんが、この人達に私の事を……? それはまた何故だろうか。
 なぜか納得したように頷く探偵さんと、女性の二人に対し、私の方は頭にクエスチョンマークを浮かべたような表情で首を軽く傾げる。
 私の事を調べさせようとした?
 いや、それなら軽々しく「灰猫さんから私の名を聞いた」とは言わないだろう。
 少なくともマイナスの方向で知られている雰囲気は無い。
「あんたを狙っていたカレントドーパントは、無事に逮捕されたそうだ。照井から聞いた」
 ……ああ、成程。つまり灰猫さんは、昨日のあの「雷様」の台詞を聞いて心配したのだろう。私が次に狙われている、と彼らに言って、警護なり雷様を捕まえる囮にするなり……と考えたに違いない。
 まあ、その雷様も、私の力ずくの「説得」で、ここにいる課長さんに対して自首した訳だが。
「それは、どうもご丁寧に……」
 ありがとうございます、と言うよりも先に。
 奥に引っ込んでいた青年が、不思議そうな顔をして出てきた。その表情は……何故だろう、灰猫さんを睨んでいるようにも見えた。
「検索が完了した。少々奇妙な事もわかったけれどね」
 パタンと本を閉じ、彼は軽く自分の顎を撫でながら、辛そうにソファでぐったりしている灰猫さんの方を見やった。
 何だろう、どことなくだが……彼は灰猫さんに、疑念を抱いている……?
「まずはメモリの正体。これは『Ash』、つまり『灰』だ。そして、灰猫弓は『Ash』の『過剰不適合者』だと言う事もわかった」
 灰色のメモリで、「灰」。成程、非常に納得できる。
 しかし問題はその後の台詞。「過剰不適合者」とは、一体何の事だろう。
「過剰不適合者?何だそりゃ?」
「そのままだ。灰猫弓は、アッシュメモリとはとことん合わない体質と言う事だよ翔太郎。過剰適合者の真逆さ」
「つまり、この男がメモリを挿しても、すぐに拒絶反応が出てメモリが排出されるという事か?」
「…………その通り。怪人態になる暇も無い。だが、挿された人間の体に大きな負荷をかける点では、過剰適合者と変わらない。排出するだけでも相当の体力を消耗する」
 成程、だから灰猫さんはこれ程までに衰弱しているのか。
 そう言えば白騎士も、拒絶反応がどうとか言っていたが、あれはそう言う事だったのか。最初からあの白騎士は、灰猫さんがその過剰不適合者とやらだと知っていて挿したのだろう。
 ……とは言え、少し気になる事がある。白騎士も言っていた事だが「予想とは異なる」……つまり、本来ならば挿されてもすぐに出るはずのメモリが、灰猫さんの場合僅かだが体内に留まり、灰猫さんを苦しめていたと言う点。
 やはり白騎士の言う通り、灰猫さんがオルフェノクである事が影響しているのだろうか。
 だから、しばらくの間彼の体内にメモリは留まり、彼を苦しめていたと言うのだろうか。
 どこまでも厄介な……
「そんな物を持っていて、他人に挿そうとする奴なんて……一人しかいねぇな」
「ああ。……ほぼ間違いなく井坂だ」
 ……あの白騎士、課長さんや探偵さんが真っ先に思い浮かべる事が出来る程の常習犯なのか。
 井坂、とか言うらしいが……やはり逃がすべきではなかった。言葉は悪いが、ボコボコのけちょんけちょんにしておくべきだったと悔まれてならない。
 悔しいが、あれだけの実力者だ。私が力の限り殴りつけたとしても、死にはしないだろう。
 よし。今度会ったら、そうしよう。平手ではなく、全力の拳で。
 などと、暗い決意を心に秘め、もう一度本を持っている青年を見つめる。
 ……やはり、灰猫さんに対する疑念の視線は変っていない。何を疑っているのかはわからないが、彼の言う「検索」と言うキーワードがどうにも引っかかった。
 どれ程充実したネットワークがあの扉の向こうにあるのかはわからないが、あれだけの短時間……しかも、「灰色」、「A」それから「灰猫弓」と言う数少ないキーワードだけで、あれだけの情報を検索できる物だろうか。
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