灰の虎とガラスの獅子

□Sの落とし穴/知りたくもない事実
1ページ/2ページ

Sの落とし穴/過剰不適合者


「……ところで翔太郎」
「ん? どうした、フィリップ?」
 言い方はアレだが、彩塔さんに無理矢理押し倒された直後。さっきもここにいた青年……フィリップとか言うらしいそいつが、唐突に翔太郎に声をかけた。
 しかし、何でかねぇ。胡散臭そうに俺の方を見ているのは。
 そう思ったその時、彼はその先の言葉を紡いだ。
「本当に、ここにいる彼は、『灰猫弓』なのかい?」
「……どう言う意味だ?」
 全くだ。
 翔太郎の問い返しに、俺も心の中で同意する。
 俺は、俺だ。生まれてこの方、「灰猫弓」以外の存在になった事は無い。まあ、小説家「刃稲虎丘」と言う名もあれば「タイガーオルフェノク」である事もあるが、基本的には灰猫弓である事に変わりは無い。
 無いのだが……
「ここにいる男は、『灰猫弓』を名乗る別人……と言いたいのか?」
 そんな訳ないだろうと反論したいが、アッシュメモリとの相性の悪さから、物凄く体力を消耗しているせいか、声を出すのも実は億劫だったりする。
 ああ、くそ。やっぱり井坂先生(あのひと)厄介だ。人の体力奪いやがって。

――次ニ会ッタラ、殺シテヤル――

「その通りだよ、照井竜」
 何だか邪悪な考えが頭を過ぎったような気がしたが、それを俺自身が認識するよりも先にフィリップが赤ジャケットのにーちゃん……照井と言う名らしい青年の言葉を肯定した。
 何を根拠にしているのかは知らないが、やたらきっぱりとフィリップが頷くものだから、俺は反論するのも忘れて思わずぽかんと口を開けたまま、何も言えなくなってしまう。
 「灰猫弓()」に成りすました別人の「俺」?
 それを確信しているという事は……フィリップが既に別の「灰猫弓」、つまり俺の「偽者」を知っている場合と、「灰猫弓」と言う人物の情報だけを知った上で、何か確信を得るに至る根拠がある場合が考えられる。
 だが、この場合はどちらだろうか。
 ぼんやりする頭で考えていると、軽く眉を顰めた翔太郎が、俺を庇うようにして心底不思議そうに声を上げた。
「何言ってんだフィリップ。ここにいるのは正真正銘、俺の幼馴染の灰猫弓さんだ」
「いきなりどうしちゃったの、フィリップ君」
 翔太郎に同意するように、亜樹子さんもこくこくと首を縦に振った。
 その横では、まるで敵を見るかのような視線をフィリップに送る彩塔さんの姿がある。
 そう言えば、この人も「怪人」だったんだよな。俺と同い年くらいに見えて、六十五歳だ、とか言ってたっけ。
 あんたは吸血鬼か。どれだけ長命なんだよと、今更の様に思い…………そして、ある可能性に気付く。
 確かに「その事」に気付いたなら、フィリップの言葉は納得出来る。どうやって知ったのかは知らないが……俺が彼の立場なら、確かに「灰猫弓なのか」と言う問いに至る。
 納得した俺に気付いているのかは知らないが、フィリップは軽く眉を顰めて不思議そうな表情を作ると、俺の思っていた通りの言葉を放った。
「実は、『灰猫弓』に関して少し検索をしてみたんだ。そしてその結果……『灰猫弓』と言う男は、五年前に既に死亡している」
 ……ああ、やっぱりそれに気付いたのか。
 思いつつ、心の中で軽く納得する。
 「検索した」とか言っているから、おそらく彼は俺……いや、「灰猫弓と言う人間」に関する資料を見ていたんだろう。そして、俺の死亡届だか何だかを発見、「今、ここにいる俺」が「灰猫弓と言う人間ではない」と結論付けたに違いない。
 それは、ある意味正しい。確かに俺は、五年前に人間としての生を終えている。だから、ここにいる「俺」は、「灰猫弓と言う人間」では無い。「灰猫弓と言う人間だったオルフェノク」だ。
「既に死亡した人間がここにいる。そんな事はありえない。何故なら、死者が蘇る事は無いのだから」
「……それは……そうだけどよ……」
 追い討ちをかけるかのようなフィリップの言葉に、翔太郎は悔しげに言葉を吐き出しながら、信じられないと言った表情で俺の顔を見つめる。
 観察するようなその目の真意は、俺が「灰猫弓」であると確信したいからなのか、それとも逆に「灰猫弓とは異なる存在」である証拠を見つけたいからなのか。
「なあ、弓さん。本当なのか? あんたが……俺の知ってる『灰猫弓』じゃないって」
「……それに対して、俺がどう答えれば、お前は満足するんだ、翔?」
 苦しそうな表情で言った翔太郎に、俺は気だるさの残る体を起こして言葉を返した。
 多少の息苦しさは残ってはいるものの、歩ける程度には回復した。こう言う時、普段は毛嫌いしている、オルフェノクとしての力に感謝をするんだから、案外と俺も現金なものだ。
「弓さん……」
「『何言ってんだよ、そんな訳無いだろう』と言う否定か? それとも、『そいつの言う通りだ』と言う肯定? どちらにしろ、お前は腑に落ちないんじゃないのか?」
「……ああ」
「俺から言えるのは、俺の……『灰猫弓』の死亡届は、確かに五年前、受理されているという事実だけだ。後は自分で考えて決めろ」
 必要最低限の事しか言わず、俺はゆっくりと立ち上がる。
 まだ少し頭がくらくらするが、家に帰るくらいなら問題ないはずだ。
 ……途中でまた、井坂先生に襲われなければの話だが。
「今度こそ、帰らせてもらうぜ。……文句は無いよな、彩塔さん」
「……不本意ですが、この状況下では仕方ありません。私もそろそろ次のバイトの時間が迫っていますから、余計な時間は食いたくありませんし」
 渋々と言う感じで答えると、彩塔さんは深く翔太郎達に向かって一礼し……そのまま俺の首根っこを引掴んで、この探偵事務所を出たのである。
 ……彩塔さんよ。俺は猫か……?


――「刃稲虎丘サイン&握手会」――
 そう書かれた看板の下、俺は愛想笑いを浮かべて座っていた。ちなみに横には担当の斉藤が立っている。
 ……昨日は何とか無事に家に帰り着き、そのまま泥のように眠ってしまったらしい。お陰で随分とすっきりしたし、体力もいつも通り。
 それに……余計な事を考えずに済んだのも、良かった。
 正直な話、翔太郎にまで疑われるのはキツイものがある。だが、自分でも言ったが……決めるのはあいつだ。幸いにも、オルフェノクである事までは知られていない。せいぜい俺を「灰猫弓を騙る偽者」として扱う程度だろう。
 それも結構堪えるが……化物を見るような視線を向ける事はないだろう。そりゃあ出来れば今まで通りの付き合いをしてくれればありがたいが。
 ……で、だ。
「何でいるんですか、彩塔さん……」
「私、ここのアルバイト店員ですから。それに、『見かけによらず力持ち』と言う部分を店長に買われまして」
「あー確かに。昨日も俺の首掴んで連れ帰ってたしなぁ……。でも、それで整列要員って言うのもどうなんだ?」
 そう。俺の目の前には、開始前から並ぶ熱烈なファンを押し留める彩塔さんの姿がある。
 濃い緑色のエプロンはこの本屋のコスチュームなのだろうか。袖をたくし上げ、かなりの勢いで押しかけようとするファンの皆々様方を、たった一人で止めている姿は、何と言うか……勇者に見えた。
 実際の所は、モンスターらしいのだが……その辺の詳しい説明を、俺はまだ受けていない。受けたいという気持ちはあるにはあるのだが、彼女が話したがらない以上、無理に聞くのは俺の矜持に反する。
「で、その店長さんはちゃっかり列に並んでる訳だ」
「そのようです。しかし、卑怯な真似はせず、正々堂々、一ファンとして並んでいるようですから、文句は出ないと思いますよ」
 苦笑気味に言った俺に対し、彼女はいつも通り淡々と言葉を返してくれる。
 その変わらない態度に、俺は心の底から安堵する。
 彼女は事情を知っている。その上で、俺に普通に接してくれている。
 それは、彼女もまた、普通とは異なるからなのか、それとも彼女の人間性なのか。そこまではわからないが、それはとても嬉しくて、同時に凄くくすぐったい気分にさせた。
 ……だが、一方で。俺は彼女に対して、「今まで通り」の接し方が出来ているだろうかと不安になる。
 彼女は俺に、何の偏見も持たずに接してくれているのに、俺は……
「それでは、定刻になりましたので、只今より刃稲虎丘サイン会を開催いたします」
 暗くなりかけた俺を無視するかのような、担当の馬鹿みたいに明るい声が響き渡る。
 ……今は公人としてここにいるんだ。俺の個人的な感情は後回しにしよう。そうでなければ、並んでくれている人達に対して失礼だ。
 思い直し、俺は並んでくれた人達に対して感謝の意を込めつつ、サインと握手を交わす。
 楽しみにしています、大ファンです、これからも頑張って下さい、主人公が格好良いです等。一人一人が、個々人の感想を短く副えながら、俺に言ってくれる。
 嬉しいと思う反面で、妙な寂しさもこみ上げた。この人達は、俺を人間だと思っているから、好意を示してくれているのだ。もしも俺が、人間で無いと知ったら……?
 ……って、何でまたこんな暗い考えをしてるんだ、俺!?
 軽く頭を振り、そんなネガティブな考えを頭から追い出して、俺はとにかく目の前にいる人達に集中する。
 少なくとも今は、この人達の思いに応えるのが、俺の義務だと、そう自分に言い聞かせて。


「かんらかんらかんら! いやぁ先生、大盛況でしたね!!」
「流石に……今日はもう無理です。右腕は腱鞘炎一歩手前、左手は握手のし過ぎで腫れまくりですよ」
 書店の控え室にて、呑気に笑う担当に向けて、俺は恨めしげな視線を送った。
 言葉の通りの症状だ。右腕は限界寸前。左手もパンパンに腫れている。少なくとも今日一日、俺の手は使い物になりそうにない。
 だが、そんな俺の視線を受けて。斉藤は何故かすぅ、と目を細め……そしてじゅるりと垂れた涎をすすった。
 ……どうした、こいつ? 何か今日は、いつにも増しておかしいぞ?
「…………ヘタレてる先生って、美味しそうな匂いをさせますよね……」
「……はぁ!? いきなり何ですか!?」
「かんらかんらかんらっ! そんな頓狂な声を上げないで下さいよ。しょうがないじゃないですか、僕の好物はダメ男のライフエナジーなんですから」
 特徴的な笑い声を上げつつ、担当は何だかよくわからん単語を放つ。
 俺が「ダメ男」と言われた事は理解できる。電話越しでもこの男によく言われる事だ、それは良い。問題はその後の「ライフエナジー」と言う単語。
 何の事だかさっぱりわからない俺を余所に、相手は口元に垂れた涎を拭っている。
 いや……いやいやいや、何なんだこの人、今までこんな様子見せた事無かったぞ!? そりゃあ、出会ってから数年経っているが老けた様子も無いし、この人がまともに食事をしているシーンなど見た事もないが!
「……ちょっとだけ、死なない程度になら……頂いちゃって構いませんかね?」
 そう、担当が物騒な一言を呟いた瞬間。彼の下顎に、虹色の模様が浮かび上がった。
 あれは、彩塔さんと同じ……!?
 そう思い、反射的に身構えた瞬間。担当の後ろに何者かの影が現れたかと思うと、ごっすと言う鈍い音と共に、斉藤は床と熱いキスを交わしていた。
「…………構う訳が無いでしょう、帝虎」
 何があった、と思うよりも先に、呆れたような彩塔さんの声が響く。
 よくよく見ると、担当は彼女の足の下で頭を抑えながら呻いている。
 これはえーっと……踏み潰されてるのか、斉藤が。彩塔さんに。
「ぬおおおおおおっ! いきなり本気の踵落し!?」
「当然です。私の目の前で何をしようとしているのですか、あなたは。このまま踏み潰しますよ、本気で」
「やめてやめて、マジやめて硝子ちゃん! あ、何か背骨がミシミシ言ってる! ギブギブギブ!! そして先生も呆然と見てないで助けて下さい〜!!」
 パンパンと床を叩きながら、担当は涙目でこちらを見上げながらそう訴えるが……何でだろうか、いっそ死んでしまえ貴様、と思わなくも無い。
 とは言え、俺を小説家として成功させてくれた恩もあるし……
 軽く一つ溜息を吐き、苦笑を浮かべながらも、俺は彼女に向かって首を横に振る。生かしておいてくれ、と言う意味を込めて。
 それを見た瞬間、彼女の形の整った眉が、きゅぅっと寄り……心底残念そうな表情で、足元の担当を見下ろした。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ