灰の虎とガラスの獅子

□アブないW/ご褒美の後のキケン
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Sの落とし穴/知りたくもない事実


 灰猫さんの「担当さん」が、あの不出来、不肖、不気味な兄である「斉藤帝虎」であると知った日から、早数日。
 掃除の仕事をしていると照井さんから睨むような視線を受け、買い物途中で白騎士に会わないかとドキドキの毎日ではあるが、それ以外は、基本的に概ね平和だ。
 今日は本屋のバイトのお給料日。この中から今月の光熱費、家賃、その他諸々の雑費を差し引き、貯金する分も加味した上で……少しだけ、「贅沢」が出来ると判断した。
 ……初給料とは言え、頑張って働いていたのだ。私は私にご褒美をあげてしかるべき。
 と、まあ自分でもちょっと言い訳がましいかなとは思うが……とにかく、帰路の途中にある喫茶店に入り、私はメニューをじっと見つめる。
 うーん、この「季節限定マンゴーパフェ」も捨てがたいが、こっちの「抹茶葛きり」もおいしそうだ。ああ、でも定番メニューの「滑らかプリン」も……ああ、どうしてこうも甘味とは誘惑が多いのだろう。
 メニューを見て悶え、悩みに悩んだ挙句、私は結局「抹茶ガトーショコラセット」を頼んだ。
 ちなみに内容は、上質の抹茶を生地に練りこんだガトーショコラと、落雁つきのお抹茶。
 抹茶系統は苦味があって嫌いだと言って聞かない身内がいるが、私は抹茶が大好きだ。渋みと仄かな苦味が良い。洋菓子も好きだが、どちらかと言えば和菓子が好きな理由も、抹茶によく合うからだろう。
 しばらくして、私の席にやって来たケーキとお抹茶を眺めてから、ケーキをフォークで一口大に切ってから口の中に運ぶ。
 チョコレート独特の甘さの中に、練りこまれた抹茶のほろ苦さがちらりと顔をのぞかせる。
 ……至福……!!
 やはり甘い物は最高だ。人の生み出した食文化の中で、甘味は特に秀逸だと思っている。
 最初にチョコレートを「お菓子」として扱った人に感謝したい。父が若い頃は、チョコレート……と言うよりもカカオは、「菓子」ではなく「薬」と言う扱いだったと聞いている。確かに高カカオのチョコレートは、抹茶とはまた違った渋みと苦味がある。薬と言われても納得がいく。
 ああ、チョコレートが菓子として存在する世の中に生まれて来て良かった……!!
 心の底からそう思いつつ、私はもう一口頂こうとして……こちらに向けられている視線に気付いた。
 この感じは……後ろからだろうか。振り返らずに後ろを確認する為、私は髪を直す振りをして鏡を取り出し、背後を確認する。
 そこにいたのは、何と言うか……派手な女性。
 真っ赤な口紅を引き、紫のアイシャドウが毒々しい。ファンデーションも肌色ではなく白に近い色で、血色が悪く見える。目が落ち窪んでいるせいで、綺麗とか、けばけばしいとかそれ以前に恐怖を感じさせる。服装と化粧が、全く合っていない。
 その彼女が、半ば睨むようにしながら私の方を見つめていた。
 ……私、何をしたかしら?
 不審に思うが、あからさまに探りを入れても仕方が無い。鏡をしまうと、私は残っているガトーショコラを頬張った。
 この感覚からすると、彼女は恐らく人間。それならば、気を張る必要は殆ど無い。折角の「ご褒美」なのだから、のんびりと食べていたい。
 そんな風に思いながら、ガトーショコラの最後の一切れを口に頬張った……刹那。ふと、私の頭上に影が差し、声が振ってきた。
「あなた、彩塔硝子?」
 聞き覚えのない女の声。しかも人の事を呼び捨てとは。随分と礼儀のなっていない人だ。
 若干の怒りを覚えながら、私は頬張ったガトーショコラを嚥下すると、声の主……後ろの席に座っていたはずの女性へと、その視線を向けた。
 背格好は私に似ているかもしれない。肩線で切られた髪に、ボーイッシュな服装。靴も、私と同じ様に動き易さを重視しているのか、スニーカーだ。
 だが、顔は全然違う。少なくとも、私はあんな化粧はしないし、こんなに血色も悪くない……はず。一般的なファンガイア氏族なら、彼女のライフエナジーを吸おうとは思わないだろう。明らかに不味そうだ。
 顔を上げた事で、彼女の問いに肯定を返したと取ったのか、相手は真っ赤な唇をニィと吊り上げ、私の顔を覗き込んだ。
「綺麗ね、羨ましいわ……」
「……あの?」
「髪も艶やか、肌も凝脂。噂通りの綺麗な人」
 するりと頬を撫でられ、一瞬私は顔を顰めた。
 見ず知らずの人間に撫でられた事に対する嫌悪もあるが、それ以上に、彼女の指先から伝わる「悪意」が、私の肌を焼いた様に思えたのだ。
「……私に、何か御用でしょうか?」
「知ってる? あなた今、この風都で話題の女性の一人なのよ」
「それは存じませんでした。大食いとか、怪力とか、そんな方面での噂でしょうか?」
 私に関する話題と言えば、おそらくそれくらいの物だろう。しかし話題にされるなど、実に困った物だ。私は地味にひっそりと生きていたいのに。
 しかしそんな私の言葉に気分を害したのか、女性は思い切り顔を憎悪で歪めると、勢い良く私の髪を掴み、自分の方へと強引に引き寄せた。……ブチブチと何本か髪が抜ける音が聞こえるくらい、勢い良く。
 その様子を見て、何人かの客がひそひそと何事か話している。遠巻きに見ているのは、やはり厄介事に巻き込まれたくないという事なのだろう。私だって、当事者でなければ遠巻きに見ている。
「あなた、私を馬鹿にしているのね」
「馬鹿に、と言うか……私は思った事を述べたまでです」
 掴んでいる彼女の手をバシリと払い、私はきつく相手を睨みながら言ってやる。
 彼女は私に喧嘩を売ったのだ。ならばこちらもそれ相応の態度でお相手してしかるべきだろう。
 私は、一族の中では割と穏やかな方だと馬鹿兄達は言うが……それでも、人並みに怒るし苛立ちもする。まして今は自分へのご褒美タイム。それを邪魔されたのだから、苛立つのも当然と言う物だ。
 まだお抹茶も落雁も残っているのに。
「本当に……ムカつくわ、あなた。こんなに綺麗で、しかもその自覚が無いなんて」
 ギラギラと狂気じみた視線を私に向けながら、女性は私の苛立ちに気付いていないかの様に言葉を放つ。
 私も苛立っているが、どうやらそれ以上に彼女の苛立ちの方が上回っているらしい。
 それにしても、彼女の目……嫉妬と憎悪に彩られた瞳。あれは以前、「雷様」になった警官と同じ印象を受ける。
 まさかとは思うが、彼女もドーパントとか言う存在ではなかろうか。だとすれば、私は今までの人生の中で、今は確実にトラブルを呼び込む時期に差し掛かっていると見た。
 半ば呆れ混じりにそう思いつつ、私は一気にお抹茶を呷る。どうせ厄介事が起こるのなら、美味しい思いだけはしておこうと思ったからなのだが……
 私の考えとは裏腹に、彼女はすっと私の耳元に唇を寄せ、そして低く囁いた。
 無事に家路につける日ばかりとは思わない事ね、と。
「思っていませんから安心して下さい」
 偽りの笑顔を向けてそう言うと、彼女はフンと鼻で笑って店から姿を消したのだった。
 ……ああ、多分待ち伏せしているんだろうなぁ……


 予想通りと言うか何と言うか。
 店を出てから少し歩いた場所に、「そいつ」は居た。
 見た目の印象としては、「ミロのヴィーナス」。白い、石膏の様にも見えるその姿に腕は無く、顔には歪な笑みが浮かんでいる。穏やかな印象を抱かせるはずの女神は、今は邪神の様にさえ映る。まるで、質の悪い贋作のようだ。
 だがこんな道の真ん中に、こんな石膏像などあるはず無い。しかもこちらに向かって歩み寄る像など……正直、ただのホラーでしかない。マネキンでも充分怖いと思うが、石膏像はそれに近いものがある。
「こんばんは」
『呑気なものね、この状況で挨拶なんて』
「よく言われます」
 相手は女性言葉だが、聞こえた声はまるで機械で加工した様に、高くなったり低くなったりしている。それが、私には非常に奇異に思えた。
 まさか、それが仕様と言う訳でも無いと思うのだが……
『まあ、良いわ。死んで頂戴』
 その言葉に、私は妙な予感を覚え……思わず左へと、転がるようにして体を動かす。しかし、特に何か起こる、と言う訳でもなく、端から見たら勝手に転んだように見えた事だろう。
 だが、私は確信していた。相手が、何らかの攻撃を仕掛けてきていたであろう事を。
 その証拠に、相手はちぃ、と小さく舌打ちをすると、ギロリと私の顔を睨んだ。
 ……美術品にこれと言った愛着がある訳では無いが、それでもこれだけは言える。「邪悪な顔のミロのヴィーナス」は、作者に対する冒涜であると。何と言うか、その顔だけで普通の人なら逃げ出しそうだ。
『風都の女神は、私だけで良い。園咲若菜も、クイーン&エリザベスも、レディ・ウィンドも、そしてあなたも要らない!』
 かろうじて園咲若菜は知っている。灰猫さんの好きなラジオのパーソナリティで、この街のアイドルだ。確か、「若菜姫」の愛称で呼ばれていたか。
 クイーン&エリザベスは、最近「フーティックアイドル」と言うアイドル発掘番組から、特別にデビューした女子高生二人組だったか。最近、仕事先の有線で彼女達のデビュー曲がかかっているので、流石にそのくらいは知っているが……
 もう一人の名前は初耳だし、そもそも私は女神などでは無い。ただの異形だ。
 思いながらも、私はまたしても「妙な予感」に押され、その場から離れるべく大きく後ろに跳び退る。
 その瞬間、微かにだが、首に何か触れた気がした。
 感覚としては……人の指、だろうか。それがまるで、私の首を締め上げるかのような……
 まさか、相手の力は……見えない腕、と言う事か? だとすれば、どれだけ凶悪な力である事か!
『あら、上手くかわしたわね』
「お褒めのお言葉、恐縮です」
 この間の「雷様」……カレントドーパントとかになっていた警官もそうだったが、どうやらドーパントの皆々さんは、「ヒトの姿をした者」を見くびっている傾向にあるらしい。つまり、相手の力量を見極められないのだ。
 かく言う私とて、完璧に相手との力量差を量れると言う訳ではないが。
 今だってそうだ。勘と言う不確かな物で何とかかわしているに過ぎない。いつまでもかわし続ける事が出来るとは、到底思えない。
 さて、どうする、私。
 自分に問いつつ、相手との距離を稼ごうとしたその時。私の頬を、一滴の水滴が叩いた。
「……雨……?」
『ちっ……運が良いわね、あなた』
 徐々に強くなる雨足を気にしているのか、相手は忌々しげに空を見上げ……そして、歪んでいる顔を更に歪めて私を睨みつけると、そのままどこかへと走り去ってしまった。
 ……恐らく、腕は見えないだけで存在している。と言う事は、雨が降ればその「見えない腕」に当たってしまい、腕の場所がバレる。
 それでなくとも私はその「見えない腕」を二回かわしている。腕の場所がばれてしまえば、殺す事は出来ないとでも判断したのだろう。
「なかなか、引き際を心得ている……」
 呆れ半分、関心半分で思いつつ、私は土砂降りとも言える雨の中で軽く溜息を吐いた。
 既に服はびしょ濡れだ。今更雨宿りをした所で意味は無いだろう。この程度で風邪をひく程やわな体ではないが、やはり濡れて肌に張り付く服は気持ちが悪い。
 帰ってすぐに着替えて寝よう。
 と、心に決めたのも束の間。私の進路を、見覚えのある影が遮った。
 闇の中でも目立つ、白い姿。高く結われた髪は甲冑につく房の様にも見える。
 ……「白騎士」こと、「井坂」。この間、灰猫さんにアッシュのメモリを挿した存在。灰猫さんに聞いた所、こいつは「ウェザードーパント」と呼ぶべき存在らしい。天候を操り、私が「会ったら絶対に殴る」と心に決めていた人物だ。
『おやおや、奇遇ですねぇ』
「今日は、灰猫さんはいません。ですが、とりあえず一発殴らせなさい」
 言いながら、私はぐっと拳を固めて相手の頬めがけて殴りかかる。
 本気も本気、いっそ殺してしまおうかと思うくらいの力を込めて。
 しかし相手は私と自分の間に氷の壁を張って、私の攻撃を防ごうとする。氷は、かなり厚い。しかも空気を全く含んでいないらしく、白ではなくどこまでも清んだ色をしている。
 こう言う氷は、非常に硬い。だが……悪いが本気の私の前では、そんな物は無いに等しい。
 当たった拳は透明な壁を一瞬で真っ白なひびを入れ、僅かなタイムラグの後、その壁を粉々に破壊、勢いを殺さず白騎士の頬を捕え、その体を吹き飛ばした。
 まさか壊せるとは思っていなかったのか、彼は低く呻きながらも、近くの壁に叩きつけられる。
 感触からすると、相手の歯の二、三本は折ったか。いや、ドーパントの姿なので分らないが。
「私の全力の拳喰らって、この程度で済むとは、感嘆に値します」
『ぐっ……これは予想外でしたねぇ。まさかあの壁をあっさりと砕くとは』
「我が一族を甘く見すぎです。『人間風情が』などと言うつもりはありませんが、見くびられる謂れもありません」
 殴られていながらも、どこか楽しそうな相手に対し、私は自分に出来る最大限の冷ややかな視線で相手を見下ろす。これでもファンガイアだ、ヒトを見下す事が出来ない訳ではない。
 ……やろうと思わないだけで。
 それにしても、何故この男が、この格好でここにいるのか。
 「奇遇」と言っていた事を考えると、私を狙っていた訳ではないのだろう。普段から「白騎士(ウェザー)」の格好でうろついているとも考え難い。そんな事をすれば、非常に目立つ。
 この男、誰かにメモリを挿す事……と言うか、それによってもたらされる効果に執着している節がある。
 だとすると……考えられる事は、一つだ。
「あなた……また誰かを襲ったんですか!?」
『おや、よくお分かりですねぇ』
 はっと気付き、怒鳴るように言った私に対し、相手は心底楽しそうな声で肯定の言葉を返す。
 こちらも人の命を吸って生きる者だ。「人を襲ってはいけません」などと説教出来る立場に無い事は、自分が一番良く分っている。分っているが……自身の快楽の為に人を襲うなど……
 かぁっと頭に血が上り、もう一発殴ろうとした瞬間。
『それ以上はさせないわよ』
 女の声が、響いた。何も無いはずの真上から。慌てて上を見やると、そこにいたのはまた別の異形。
 女性らしいボディラインは、先程の「ミロのヴィーナス」と同じ。色は赤系統に紫が混じっている。それだけでも充分毒々しいと思うのに、問題は「彼女」の形。上半身は人間と同じ様な印象だが、足は無く、ふわふわと浮いている。全体としてのボディラインは、どこと無く人差し指のような……
『井坂先生を殴るなんて、良い度胸しているじゃない、小娘が』
 相手はそう言うと同時に、虚空にいくつかのエネルギー弾を生み出す。ジリジリと黒いプラズマを放つその弾を、彼女は容赦なく私に向かって放り投げた。
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