臨時講師は虎と獅子

□臨・時・事・情
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「先生、さようならー」
「はい、さようなら」
「また明日ね、彩塔(さいとう)先生」
「ええ、また明日」
 ひらりと手を振って追い抜かしていく青いブレザーを纏った学生達に、こちらも言葉と手袋を着けた右手を振り返し、私……彩塔 硝子(しょうこ)は笑顔で彼らを見送る。
 ここは、天ノ川学園高等学校。都心から少し離れた場所にある、天ノ川学園都市の中にある高校だ。
 で、私がそこで何をしているのかと言えば。聞いてお分かりかと思うが、「先生」をしている。
 と言っても、私は別に常勤講師ではない。産休に入った教師の代わり、つまり臨時講師として、お仕事をしているのだ。
 担当教科は社会科、主に世界史。既にこの学校に来て一週間が経過しているが、生徒の数が多い事や受け持ちのクラスも然程多くない事から、まだまだ覚え切れていない生徒も多い。
 臨時とは言え、生徒から見れば「先生」である事には変わりなく、容赦ない質問攻めに合う事もしばしば。
 ……その殆どが授業の内容ではなく、ごく個人的な物……「恋人はいるのか」から始まり、「好みのタイプ」、「以前の職業」などである事はご愛嬌。この年頃の子供は、勉学よりも己の興味に夢中になる頃合だ。「先生」と言っても、友人の延長くらいの感覚で付き合ってくれる女子生徒が多いし、男子生徒もごく普通に声をかけてくれるので、恐らく私個人の人格は認めてもらえているのだろう。
 ……授業の方は不明だが、文句が聞こえない事を考えれば、それなりに認めてもらえていると思いたい。
 実際、分り難い授業をしよう物なら、この年代の少年少女は容赦なく授業を崩壊させるし、こちらに対しても攻撃的な態度を取る。
 普段から右手に嵌めている手袋に関しては、「チョークに弱い体質」と言って誤魔化していた所、それがまた彼らのツボにはまったらしく、(えら)く心配もしてくれる。受け持ちのクラスの子からは手荒れに効くと言うハンドクリームを多数貰い、受け持ちでないはずのクラスの子からは「こっちの方が似合う」と言って新しい手袋を貰ったりもしている。
 そんな風に懐いてもらうのは、ひどくありがたい事ではあるのだけれど、他の先生方からは、当たり前だがあまりいい顔はされない。
 それに、私がこの学園にいられる期間はおよそ半年。懐かれすぎれば、別れが辛くなると言うのもあるし、何より私はある目的を持ってこの学園に来たのだ。
 彼らを騙すようで心苦しいが、その目的を達成する事が第一である以上、あまり親しくなりすぎるのも良くない。
 思いながら、ふぅ、と深い溜息を吐き出した瞬間。
「相変わらず、生徒に随分と懐かれているんですね、彩塔先生? お友達感覚って奴かな?」
 馬鹿にするような声に反応して振り返れば、そこには幾人かの生徒を引き連れた、すらりと背の高いハンサムな先生が、声同様どこか馬鹿にしたような笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
 白衣を纏っている姿は、あからさまに「理科の教員」と言う感じがするし、彼からは今日の授業で使ったらしい薬品の匂いが微かに漂っている。
 その両脇では、私の「アンチ」を公言して憚らない生徒達が冷たい視線を送っている。その中でも特に冷たい視線を送ってくれているのが、相手の両脇に立つ一組の男女。理科部部長の設楽(したら) 明草(あけくさ)君と、副部長の川奈(かわな) 瑠美(るび)さんだったか。
 万人に好かれるとは微塵も思っていないのだけど、ここまで嫌われる理由も……ないと思う。うん。
 そんな事を考えながらも私は小さく息を吐き出すと、こちらも嘘くささ満開の作り笑顔を浮かべ、声をかけてきた「その人物」に向って、言葉を返した。
「あら、灰猫(はいねこ)先生。先生こそ生徒さん……特に理科部の皆さんに懐かれていらっしゃるようで。何故でしょう、若い女性を侍らせている様は、若干犯罪の様な印象を受けます」
「はっ、手厳しいな。けど、あくまでも俺の人徳って奴ですよ。……体質で気を引くあなたとは違って」
 にこにこ。
 バチバチバチバチ。
 相手……灰猫 (きゅう)先生との間に、あからさまな火花を散らせながら、互いに満面の笑み……に見せかけた冷笑を浮かべて言葉を交わす。
 恐らく第三者の視点から見れば、火花どころかブリザードが吹き荒れている幻覚が見える事だろう。それ程までに「灰猫先生」と「彩塔先生(わたし)」の間柄は険悪だ。
 灰猫弓。彼もまた、私と同じ「臨時講師」である。こちらは怪我をした教員の代理として、私よりも二週間程先にこの学園に来ており、そのすらりとした見目とフェミニストぶりから、一気に女子生徒の人気者となった人物である。
 見目だけでなく「分り易い授業」や「相談に乗ってくれる、良いお兄さん」と言う部分もあるのか、男子生徒からの信頼も厚い。
 なお、彼の教科は理科、特に化学。それ故なのか、彼の信奉者は理科部の生徒が多い。
 私とは赴任時期が近い事もあるせいか、いつの間にか本人達の知らぬ間に、生徒間で「灰猫派」、「彩塔派」と言う派閥めいた物まで出来ている始末。
 授業スタイルも教科も全く違うのに、比較されるのはあまり好ましくないのだが……
「気を引いたつもりは。そのように見られるなんて、随分と穿った見方をされるのですね」
「ははっ。彩塔先生程じゃありませんよ」
「先入観で物を言っている事は認めます。ですが灰猫先生、あなたに関して妙な噂が飛び交っている以上、そう見ても仕方ないのでは?」
「噂? どんな物かは知りませんが、俺にやましい所なんてこれっぽっちもありませんよ」
 私が赴任した時から、「何故か」彼は私を敵視し、突っかかってくる。その為、こちらも「お返しとして」言葉を返す……と言うのが、この学園に来てから一週間続いているのである。
 ある意味、今ではすっかりおなじみの光景と言う事で、最初の頃は止めようとしていた生徒達も、今ではいつもの事かと無視するか、あるいはもっとやれと煽る始末。
 大人気無いとは分っているし、その様に言われる事は多々あるのだが……生来の負けず嫌いとか、売られた喧嘩は利子つきで返すとか……その他諸々の事情ゆえに、そう簡単にやめられないのが現状だ。
 それに……「噂」の真偽も気になる事でもあるし。
「まあ、ご存じないんですか? 『灰猫先生は女の子と同居している』、『灰猫先生に楯突くと、異形に襲われる』などの噂があるんですが」
 にこやかな笑みと共にその言葉を放った瞬間、彼らの方からぶわりと突き刺すような気配が放たれた。
 敵意などと言う生易しい物ではない。これは、殺気。本気で私を殺すつもりの気配。その気配にゾクゾクとした感覚を覚えながらも、私は平静を装って相手の言葉を待つ。
 だが、これ以上私と灰猫先生の睨み合いを見ていたくないのか、それとも単純に私の顔を見たくないのか、灰猫先生の後ろに控えていた川奈さんが、フンと鼻を鳴らし……
「先生、そんな失礼な人放っておいて、早く行きましょう?」
「川奈君の言う通りです。貴重な補習の時間がなくなってしまう」
 彼女に同意するように設楽君が言えば、残りの子達も同意するように頷き、全員で敵意の篭った視線を私に向ける。
 彼の方も、ニヤリと勝ち誇ったような笑みを浮かべて「そうだね」とだけ言うと、スタスタと私の脇をすり抜けるようにして歩を進め……
「猫かぶり」
「エセホスト」
 すれ違い様、互いに捨て台詞のように吐き捨てた言葉は、彼の親衛隊の耳にも届いていたのだろう。ギロリと殺気の篭った複数の視線を受けながら、私もまた馬鹿にしたように鼻で笑う。
 勿論、そんなあからさまな挑発に彼が乗るような事はない。……生徒の何人かは、乗ってきそうな勢いではあったが、結局は歩き去っていく灰猫先生の後を追ってその姿を消した。
 そんな彼らの気配が完全に消えたのを確認し……私はふうと一つ大きな溜息を吐き出して、思う。
 いつまでこんな、精神衛生上よろしくない「茶番」を続けなければならないのか、と……


 さて。私の事を少し話そう。
 名は、先にも述べたように彩塔硝子と言う。ただしこれはヒトの中で生活する為の仮の名であり、本来の名……「真名」は別にある。それに、今の姿もヒトの中で生きていく為の擬態。擬態を解いた姿は、ヒトからは「ライオンファンガイア」と呼ばれている。
 この事からも分るように、私は「ヒト」ではなく、「ファンガイア」と言う種の異形、それもファンガイア氏族の中でも上位に位置する、「チェックメイトフォー」の一人であり、「ルーク」と言う称号を頂いている。普段から右手に手袋を着けているのは、手の甲に浮かぶ「ルークの紋章」を隠す為だ。
 私達ファンガイア氏族をはじめとする「魔族」と呼ばれる存在は、他者から「ライフエナジー」と言うエネルギーを奪う事でしかその生命を維持出来ない生命体である。ライフエナジーさえ途切れなければ、百年二百年は優に過ごせる半面、ライフエナジーその物は他の生命体から奪わねばならない。
 かつては、短命ながらも豊富にライフエナジーを持つ「ヒト」からそれを奪い、「人間はファンガイアの家畜である」と言う考えが横行していた。
 しかし現在は我らの長である「キング」の意向によって「ヒトとの共存」が打ち出され、「ライフエナジーに代わる新しいエネルギー」を開発。それによって我々は何とか命をつないでいる。
 …………何が言いたいのかというと、「私は異形だが、人間に手を出すつもりはない」と言う事だ。それさえ理解しておいて頂ければ問題はない。
 住まいは風都と言う名の、「政令指定都市一歩手前」の街にあるマンスリーマンションの一室で、二人の同居人と生活を共にしている。
 普段はそこで色々なアルバイトをして生活している。本屋の店員、ビルの清掃、探偵事務所への情報提供、時折ファンガイアのキングのご命令で、風都案内などもしている。
 そんな私が、何故いきなり臨時講師などしているのか。
 …………話は一月ほど前に遡る。


「……高校への潜入、ですか?」
『うん』
 その話を持ってきたのは、あまり見慣れたくないのに見慣れてしまった一人の異形。
 黒タキシードを纏い、顔は多足類の足、もしくは肋骨を連想させるような白い模様が施されたフルフェイスの仮面をつけた者……マスカレイドドーパントと呼ばれる存在で、「クーク」を自称するその人物は、私の言葉にこっくりと大きく頷いた。
 なお、ドーパントと言うのは「『地球の記憶』を記録した『ガイアメモリ』と言うツールを使って、人から異形へと変じた者」の事である。
 あくまでもメモリの力で異形と化しているだけなので、メモリを体から抜くか、壊すかさえすれば普通のヒトに戻るのだが……このクークは、曰く「ボク、シャイだから〜。素顔晒したくないんだよね〜」と、変装気分でメモリを使っているのだから如何ともし難い。
『いやね、最近、ある学校で奇妙な出来事が起こっててさぁ。……ボクじゃどうにも出来ないから、君らで解決してくれないかなぁって』
「何で警察じゃなくて、俺らに来るか」
 思い切り顰め面をしながら、同居人の一人が聞こえよがしに呟く。
 その意見には同意したいところですが、このヒトが警察とか探偵に頼みに行っても、騒ぎになるだけのような気がします。何しろ異形、それも風都名物のドーパントですし。
 と、心の中でのみ呟きを落としつつ、私はじっとクークの顔を見る。
 この存在が絡むと、ろくな事がないのは良く知っている。嫌な予感を覚えつつ、私は無言で先を促すと、相手は口元と思しき部分に人指し指を当て……
『う〜ん、警察とか〜あるいは探偵とか〜、そう言うのじゃちょっとまずいんだよね〜。…………何しろウチの組織絡みだから』
「……は?」
『ざーいだーんエーッッックス!!』
 しゅばっという擬音が聞こえそうな勢いで腕を顔の前でクロスさせ、クークは何故かやたら楽しそうな声で言の葉を放った。
 ……そう。この奇妙な人物、これまた実に奇妙な組織に属している。
 その名は「財団X」。かつてはこの風都をガイアメモリの実験都市と定め、メモリの持つ力を利用して、何やら途方もない事をしでかそうと企んでいた組織。
 現在はメモリへの関心を失っているらしく、風都に彼らの痕跡は残っていないが、他にも様々なツールや実験やらに手を出し、私の主観で「良からぬ事」を企んでいるらしい。
 「らしい」などと曖昧な事を言うのも、彼らの全容、目的が一切不明だからである。
 そしてクークはそこに属していながらも、「面白い物が見たい」と言うだけで、その組織のやる事為す事を影からひっそりと邪魔すると言う「変人(KOOK)」なのだ。
「……あの組織、まだ何かやっていやがるんですか?」
『勿論。って言うか諦めの悪さが売りの悪人組織だからねー』
「そこに属してる奴の台詞じゃないだろ……」
 力の限り顔を顰めながら、私も同居人も呻くように言葉を紡ぐ。
 それもそのはず、あの組織には私達二人……いや、もう一人の同居人含め、三人とも良い思い出が無い。正直に言えば、さっさと潰れてしまえば良いのにとさえ思っている。しかし世界的な広がりと潤沢な資金があるらしく、個人的な思惑如きではびくともしないらしい。
 ……まあ、「悪の組織」などと言うのは、得てしてそう言う物なのだろうけれど。
「……それで、何が起こっているんでしょう?」
『うん。傷害事件』
「毎度毎度、さらりととんでもない事言うよな、お前」
 それもまた同意します。
 やはりそれも心の中でのみ呟きながら、私達はクークの話に耳を傾けた。
 ……概要は、こうだ。
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