過去シリーズ

□悪夢は闇の中で踊る
2ページ/7ページ

 それは、袖井(そでい) 魁雅(かいが)古道(こどう) 伴都(はんと)をはじめとする「クークの部下」達が、彼女に対してまだ僅かな不信感を抱いていた頃の話。
 その頃の彼らは、まだ小学生であり、元気も有り余る盛りの夏休み最中。その事件は起こった。
「クーク。起きて、クーク」
「うー……何、魁雅ぁ。今は夏休みだよぉ? もう少しだらけさせておくんなまグースカ」
「って、ソッコーで寝るなバカ主! いいから、起きろ!」
 寝惚けた声をあげ、布団の中に潜り込んでいくクークを見てカッとなったのか、彼……「袖井 魁雅」と名付けられた「ゾディアーツスイッチの力を扱う」少年は、床に散らばっている玩具達の中から三角形の積み木を拾い上げる。そしてそれを躊躇なくクークの頭めがけて振り下ろした。しかも、振り下ろした部位は、当たれば相当に痛いであろう積み木の角だ。
 だが、その積み木はクークの頭に触れられず空振り、彼女が先程まで頭を乗せていた枕へと沈み込む。更には勢いがつきすぎたのか、魁雅は顔からベッドに向って倒れ込み、ベッドの持ち主に体をがっしりと抱きかかえられてしまった。
「んー……一緒に寝たいならそー言えばいいでしょ、魁雅。丁度良い感じで抱き枕〜」
「寝惚けた事言うな! あーもう放せよ、暑苦しいっ!」
 ぐぎぎ、と歯を食いしばりながらも、魁雅はクークの腕から逃れようと必死にもがく。
 しかし彼の胴はしっかりとクークの腕にホールドされており、小学生の力で抜け出すのは困難だった。
 見上げれば、数年前に自分達を財団の研究所から「拾った」時から全く変わっていない顔が視界に入る。
 財団の研究サンプルでしかなかった自分達に、「面白そうだから」という理由で手を差し伸べ、半ば強制的に「部下」にした、優しくも忌々しい女。
 コードナンバーしか持たなかった自分達に「名前」を与え、「普通の子供」と同じ学校や幼稚園に通わせ、その中で「部下としての教育」……簡単な戦闘訓練や諜報活動の基礎などを教える、気紛れな上司。
 彼女もまた、財団の実験体「Killing Dolls」の一人だったという話は聞いている。
 財団Xの誇る暗殺者チーム、「Killing Dolls」。優秀な「暗殺者」や「殺人鬼」の遺伝子を組み合わせ、「完璧な暗殺者」の遺伝子を作成。それをクローン技術で量産し、細胞増殖技術を用いて二日で十代後半にまで成長させ、固定技術で外観を固定。その後、洗脳の要領で一般知識や財団への忠誠心、そして暗殺技術を脳内に刷り込んで、一般的な「殺戮人形」が完成する。
 だが、クークは初期の段階……クローニングの時点で、研究者のミスが生じた「欠陥品」だったらしい。
 本来なら「男性」として成長するはずの「殺戮人形」は、「遺伝子の部分欠損」によって女性化してしまった。それだけに留まらず、クークには「財団への忠誠心」を刷り込む事が出来なかったらしい。最初の「性能テスト」の際、彼女と同じ遺伝子から生まれた「殺戮人形」は全て彼女の手によって葬られたと聞いている。
 とは言え、これらは全てクークが語った事なので、どこまでが本当の話なのかは分からない。だが、少なくともクークが財団を好ましく思っていない事や、自分の顔を嫌っている事、そして外見が変わらない事は変えようのない事実だ。
――そして、僕達みたいな「被験体」を……それもこんな子供を部下にしても、何も言われない立場にある事も――
 ひょっとしたら、「子供」を部下にしている事に関して何か言われているのかも知れない。だが、少なくともそんな事実を魁雅達に気取らせず、「普通の生活」を送らせるだけの力は持っている。
 だが……
「全然、偉い奴には見えないんだよなぁ」
 抱きつきから抜け出す事を諦めたのか、人指し指で彼女の頬をプニプニと突きながら、思わず魁雅はポツリと呟く。
 自分達の「上司」であるにも関わらず、研究所の人間達より怖くない。研究所の人間にとって、被験体はあくまでも「物」だ。どのような非人道的な実験を施そうとも、誰も咎めない。幼かろうが痛がろうがお構いなし。死ねば「廃棄物」として淡々と処分される。
 しかし、無表情な研究員とは違い、クークはいつもヘラヘラと笑っていて、今のような情けない格好を平然と晒し、地位ある者のはずなのに、威厳も何も感じさせない。クークという名が指し示す通りの「変人」。
 ……だからこそ、魁雅は心のどこかで見下していた。
 こいつからは、いつでも逃げられる。いつでも殺して、自由になれる、と。
 そんな風に考えながらも、ひたすらクークの頬を突いていると、部屋の扉が開いた。
 恐らくは戻ってこない自分を心配して、誰かが来てくれたのだろう。そう思って顔を扉の方へ向けると、そこには呆れ顔でこちらに近付いてくる少女の姿があった。
「仲良いわねー、あんた達」
「良くない。お願いだから助けてよ、(あい)
 やって来た少女……「部下」の中でも年長者の部類に入る「繰糸(くりいと) 愛」に、魁雅は軽く顔を顰めて言葉を返す。
 魁雅よりも二つ年上。彼が「アストロスイッチの実験」に使われていた被験体であったのに対し、彼女は人の欲望を形にした物である「コアメダル」の調査の為に、研究所に囚われていた存在。
 ……研究所にいた頃に聞いた話だが、彼女はかつて、大きな事故に逢ったらしい。その際、両親と妹は死を迎え、彼女自身も死にかけた。だが、彼女の切実な「死にたくない、生きていたい」という欲望に、「お守り」として持っていた「十枚目のコアメダル」が反応。彼女の心臓と同化。彼女を「セミグリード」とも呼べる存在に変質させ、生かし続けている。
 そんな彼女は、魁雅の言葉に軽く眉を顰めると、すっと彼の頬に手を伸ばし……そして、思い切りその頬を左右に引っ張った。
「いひゃいっ! ひゃにふるんらよ、はい!」
「あらやだ魁雅。あんた、『姉』に向ってなんて口利いてるの? こういう時は、『助けて下さい、愛姉さん』でしょう?」
 抗議の声を上げた魁雅の頬を更に引き伸ばしながら、愛は綺麗な笑顔でそう告げる。
 ……クークに引き取られた時に下された、二つの命令。一つは「クークへの敬語の禁止」、そしてもう一つは、「この家に住む限り、全員が家族として接する事」だった。
 その命令のせいなのだろうか。基本的にこの家の中では、血のつながりなど一切関係なく、年長者には「兄さん」、「姉さん」と付けて呼ぶ風習がある。
「ひゃ、ひゃふへへふははい、はいひぇえはん」
「よろしい。……ほらクーク! あんたが起きないと困るのよ。さっさと起きなさい」
 引き伸ばされた頬が痛むせいか、涙目で彼女の言葉を復唱すると、それに満足したのか、愛は一つ頷き、同時にクークの体を勢い良く蹴り飛ばす。
 蹴られた事で緩んだクークの腕から魁雅が逃れたのと、クークの体がベッドの下へ転がり落ちたのはほぼ同時だった。
 ……戦闘訓練時にはこちらの攻撃など掠りもしないというのに、普段は何故こんなにもマヌケなのかと、魁雅としては理解に苦しむ。それは愛も同じらしく、落下したクークの姿を覗き込みながら、頭痛を堪えるような表情を浮かべた。
 そんな彼等に向けて薄く開いた目を向けながら、クークの方は床に転がったまま抗議の声を上げた。
「うー……ねーむーいー。だって仕事しててさぁ。寝たのは今日の午前四時だよ?」
「知らないわよそんな事。多分、自業自得でしょ? どうせ溜め込んでいたデスクワークが終わらなくて、夏休み最終日の子供みたいにピーピー言ってたんじゃないの? いつも通り」
「うわーい、否定できなーい」
 呆れ返った声で言った愛に、クークは上半身を起こしながら言葉を返す。
 どうやらこれ以上眠れないと観念したらしい。緩慢な動きではあるが、床に転がっていた某オペラに出てくる怪人のような仮面を着け、財団から幹部に支給されている「白い制服」……ではなく、風都のブランドである「WIND SCALE」のTシャツとジーンズを掴んだ。
「ちゃんと財団の制服着れば良いのに。支給されてるんだし」
「呼び出しを喰らっているならともかく、プライベートまでその格好はおかしいでしょ。いくらタダでも、財団の趣味悪い服はあまり着たくないなぁ」
「その服装で、その仮面を着けている方が、悪趣味に見えるわよ」
 仮面のせいで表情が読みにくくなったクークに対し、魁雅と愛は呆れたような声を上げた。
 いつもの事だと頭では理解しているが、どうしても突っ込みたくて仕方がない。何しろ一応は自分達の「保護者」なのだ。そんな奇抜な格好で外をうろつかれては、子供心に恥ずかしい。
「んっふっふ〜。そんなにこの仮面が嫌なら、奪って別の仮面を被せれば良いじゃな〜い。それが出来ないのは、キミらが弱っちぃからだよぉ?」
 いつの間に着替えが完了したのか。既にクークは先程まで身に纏っていたパジャマを脱ぎ捨て、拾っていた服に着替えていた。
 ……腹立たしい事に、仮面に覆われていない口元には小馬鹿にしたような笑みが浮いており、仮面越しに見える目はニヤニヤと歪んでいる。挑発されているのだと理解はするが、それを軽く流せる程の余裕が、小学生である魁雅と愛にあるはずもない。
 ピキリ、と額に青筋を浮かべ魁雅は自身が持つゾディアーツスイッチを、愛はどこからか取り出した一枚のセルメダルを手に取り……
『今日こそやっぱり殺してやるぅぅっ!』
 声を揃えて、そう叫ぶのであった。



 それからきっかり三十分後。
 夏場だと言うのに汗の玉一つ浮かせていないクークと、逆に思い切り息が上がっている魁雅と愛が、リビングにその姿を現した。
 既に他の「部下」達は集まっており、入って来た三人にちらりと視線を向けた。それだけで、何があったのかを察したらしい。
 年少者から順に、「九龍(くりゅう) 義人(よしひと)」、「石儀(いしぎ) 代虫(たいむ)」、「アンディ・エンド」、「古道 伴都」、「袖井 魁雅」、「(おうぎ) 大地(だいち)」、「織笛(おるふえ) 邑久(おく)」、「疾風(はやて) ノエル」、「繰糸 愛」、「(かがみ) 海寿(かいじゅ)」、そして「釜生(かもう) 姫子(ひめこ)」と名付けられている。
 彼らの背景は様々であり、財団の研究の手で人工的に生み出された存在もいれば、どこからか拉致されて実験に使われた者、挙句は両親によって財団に売られた者もいる。
 ……魁雅は、その中でも最後のケースに当てはまる。厳密には彼を売ったのは「両親」ではなかったが、「両親のように慕っていた存在」であった事は確かだ。
 そんな背景があるからこそ、魁雅はクークを……というより、他人を信用出来ないのかもしれない。同じ背景を持ち、「自分よりも不幸」である伴都にのみ、本音を漏らすだけ。それ以外の「仲間」に対してすら、魁雅は心を開いているとは言い難かった。
 そんな魁雅を見やりながら、お下げ髪の少女……ノエルは呆れたような表情で懐からノートを取り出すと、「負け」の字の下に線を一本書き足して「正」の字を一つ完成させた。
「愛ちゃんと魁雅は、二人共これで今月四十五敗目……と。単純計算で一日三敗ペースだよ?」
「く……っ! 言葉にして聞くと更にムカつく……っ」
「そ、そんなに……負けてる?」
「うん。あたし、クークには嘘吐くけど、愛ちゃん達には嘘は吐かないわ」
 ぐいと額に浮いた汗を拭いながら魁雅は忌々しげに吐き捨て、一方で愛は呼吸を整えながらノエルに問う。一方で問われた方はこくりと一つ頷きを返すと、持っていたノートをパタンと閉じた。
「アレ? ノエルはかかってこないのかな?」
「あたしなんかより、熱烈にクークを待っていた子がいるから」
「クーク! やっと起きたのかよ! この寝ぼすけ! 俺、すっげー待ってたんだぜ!」
 ノエルの声に被せるようにして、最年少である義人が目を吊り上げて怒鳴る。向日葵の花弁に金属光沢を足したような髪色をしているが、不自然な所はない事を鑑みると地毛なのだろう。トテトテと軽い足音を響かせながら、頬を膨らませてクークの側に駆け寄り……直後、大きく跳ねた。
 子供では……否、人間では恐らく無理であろう高さまで飛び上がると、そのまま天井を蹴って加速。弾丸の如き速度でクークに向って落ちて行く。
「ボボボゴ……ギベ!」
 拳を構え、人語とは異なる言語で「今日こそ死ね」と言い放つ少年に対し、クークの方は全くと言って良い程緊張感のない表情を浮かべ……
「おはよう義人。朝から元気だねぇ。……あと、そんな真っ直ぐな攻撃じゃボクを殺して下剋上なんて、夢のまた夢だよ〜」
 言うと同時に、トトン、と軽くステップを踏んで体を半分だけずらす。そして自身の眼前に飛んできた彼の体を捕え、直後何かから逃れるように大きく後ろへ飛び退いた。
「わっ! 何しやがるクーク! はーなーせー!!」
「離しても良いけど……そうするとキミがノエルの攻撃の餌食になるよ? 良いの?」
「へっ!?」
「ほいっ」
 義人の間の抜けた声と、クークが飛び退りながらポケットの中に潜ませていたらしい積み木を投げたのは同時。積み木がクークの手を離れた瞬間、まるで何かに侵食されていくかのようにジワジワと黒く染まり……やがて空気に溶ける様にして消えた。いや、消えたように見えただけだ。積み木は恐らく、この家の床と「同化」したのだろう。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ