その他

□しあわせな夢
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え?
俺の頭はなかなか動きださない。目も、見えているのに目の前の状況を正しく脳へと伝達してくれない。

氷室さんが、俺に壁ドンしてるって、どういう状況?






     しあわせな夢




「……………………あの」
「…………」
「状況の、説明を求めます」
「君が逃げないようにしたうえで、話をしようとしている」
「えー、俺、逃げませんよ?っていうかこれ壁ドンじゃないですかー。やるならほら、女の子相手のほうが効果ありますよ」
「俺は、君に、話がある」
「……はい」

これ、話聞いても大丈夫じゃない気がする。この体勢だし、十中八九、俺に不利だ。一番いいのは逃げることだけどこの状況では無理に等しい。さらにここは人通りも少ない。くそっ、迂闊だった。まさかこんなところで氷室さんに遭遇するなんて思ってもみなかった。どうする……考えろ、なんとしてもここから脱出しないと。

「考え事か?逃がさないからな。考えるだけ無駄だぞ」

お見通しかー。さすがだなぁー。じゃあもうはぐらかそうとしても読まれるよなぁ。

「ああ、わかるぞ。君は存外顔に出やすいからな」
「……じゃあ俺が忙しいのもお分かりでしょう?今日は見逃してくださいよ」
「忙しいのは本当だろうが、今は俺から逃げたいだけだろう。それと、今日も、の間違いだな。気付いていないとでも思ったのか?」

はは、ばれてる。
ここ数日、やけに氷室さんを見かけるからあの手この手でなんとか接触しないように気を付けていたのについに捕まってしまった。というか、この人そんなに暇なんだろうか。

「氷室さんだって御多忙の身でしょう?俺なんかに構ってないで、お仕事に専念されてください」
「安心しろ、もう片付けた」
「……流石ですね」
「さて、気は済んだか?本題に入るぞ」
「あー、手短にお願いしますよ。立ち話ですし」
「……それもそうだな」

じゃあ家に来い。
そう言った氷室さんに思わず頭突きを食らわせてしまった。
この状況ですら逃げようとしていることが分かっているのに、どうしてわざわざ二人きりになりそうな危うい状況に進展させると思ったんだ。氷室さんて頭良いほうなのになんで時々馬鹿みたいなこと言いだすんだろうか。
しかしそれどころじゃない。一瞬の隙が命取り。今がチャンスだ、せめて人通りのある所まで走れば。

「失礼します」

力強く踏み出して、念のため角をいくつか曲がって大通りに出る。動揺のせいか少し息が上がってしまった。まだまだ鍛錬がたりないかな。体力があることに越したことはないし、逃げ足が速いことに越したことはない。
思わぬハプニングだったけれど、気を取り直して買い物にでも行こう。日用品がいくつか足りなくなってきたはず。

「こーぐーれー」
「ひッ!!」

いた。後ろに。すぐ、後ろに。
なんで、だって、ちゃんと確認した、追ってきていなかったはずなのに。

「さすがに痛かったぞ、石頭。さて」

一緒に来てもらおうか。
氷室さんはそれは綺麗に、にっこりと笑った。



******




「俺に何の用なんですか」
「やっと観念したか」
「時間の無駄でしたしね」
「まあ、掛けてくれ。すぐ終わる話だ、君次第では」

俺次第。仕事の話か?だとしたらわざわざこんな手の込んだことをする必要はない。それこそ電話一本で特務課に呼び出せばいい。じゃあ、個人的に依頼とか?何の?情報なら加賀さんや霧崎さんでもいいはず。あの子達のことなら、尚更俺に話がくることはない。ざっと考えてみても自分に関係することが思いつかない。
となると、本人から聞いたほうが早いか。

「わかりませんね。いったい、なんだって言うんですか?」

最低限片付いた、シンプルな家具だけが並ぶ氷室さんのマンション一室。大きくはないテーブルを挟んで、彼は真面目な顔で言った。

「好きだ。付き合ってくれ」
「はい?」
「そうか、良かった」
「待て、明らかに疑問形で返したでしょうが何で承諾で取ってるんですか」
「ん?」
「ん?じゃないですよ。俺にそんな趣味はありません。他をあたってください」

どんな話かと思えば、馬鹿馬鹿しい。
好きだって?氷室さんが?俺を?ふざけているのか。

「じゃ、今度こそ失礼しますよ」
「小暮」
「そんな顔してもダメですよ。さっきも言いましたけど、そういうのは女の子相手に」

しゅんと悲しげな顔でこちらを見やるが、成人男性がやったところで可愛げも何もない。俺は一体何を見せられているんだ。若干イライラしながら椅子から立ち上がると、すかさず腕を捕まれる。訳が分からない。恋愛ドラマでもないのに、どうしてこんなことになっているんだ。お願いだからやめてほしい。

「俺は、君がいい」
「だから、お断りしますって。氷室さんまさかご存じなかったんですか?俺男ですよ」
「それがどうした」
「あー、はいはい、アンタは気にしなさそうですもんね。でも俺はそんな冗談に付き合っている暇はないので離してください」

最初の壁ドンもやばかったのに、腕を捕まれるとか冗談じゃない。というかこれ本当に氷室さんか?俺はなにか見知らぬ怪異に絡まれているのか?ああ、そうかもしれない。そうじゃなきゃ、こんな――ありえない。

「氷室さんが俺を好きなんて、ありえない」

だから、怪異だってんならさっさと正体を現せ。これ以上、惨めな思いをさせないで。

「小暮、俺の話を聞いてたか?」
「ええ、聞いてましたよ。俺のこと好きなんでしょう?一体何の怪異か知らねぇが、いい加減にしろ」
「怪異?小暮、なにを」

怪訝そうな顔をする氷室さんが、目の前の存在が心底気に入らなくて、元々短気な俺はぶち切れた。あーあ、少しはましになってきてたのにな。

「対象に都合のいいまやかしを見せる怪異か?そうやって取り込もうとしても、そうはいかない。これ《この感情》は俺のものだ。てめぇなんかが、勝手に触って言い訳ねぇだろうが!!」

あの人への憧れも、あの人への尊敬も、あの人への恋慕も、俺の大切なものだ。怪異ごときが、汚い手で俺の大切なものに触るな。

「許さない」

逃げる前に、滅する前に一発殴らなきゃ気が済まない。
掴まれた腕は先程と打って変わってあっさりと振りほどけた。そのまま拳を強く握りしめて、氷室さんの姿をした怪異へ構える、と。

「…………」

驚いたような、困ったような顔をした氷室さんがぱくぱくと口を動かして、目を泳がせて、それから大きな溜息をついた。片手で顔を覆って、俺に向かって待てというようにもう片方の手を差し出した。

「小暮、あの、ちょっと、待ってくれ」
「まだ氷室さんを騙るか」
「あー、その、俺は怪異じゃない。まずはそこからだ」
「はぁ?」
「いや、そこからどころかそれだけなんだが……どうしたらいいんだこれ」
「そんなのこっちが聞きたいですよ」

顔を覆っていた手をどけた氷室さんの顔は微かに赤くなっていた。なんだ?どうしたんだ。

「確かにそういう怪異はありそうだし、対象の知る人間に化ける怪異もいる。が、俺は氷室等だ」
「それが本当だという証拠はない」
「そこなんだよなぁ。とりあえず、夢ではない。頬でもつねればわかるだろ?」
「夢と怪異は同一ではないですよ」

ううんと唸って氷室さんは立ち上がる。テーブルを迂回して、近づいてくるのを同じ分俺も移動して距離を取る。氷室さんが止まると俺も止まる。氷室さんが動けば俺も動く。何度かそれを繰り返したところで、氷室さんが素早く俺との距離を詰めた。しまったと思った時には、俺の体は彼の腕の中。

「手がかかるな、君は」
「!離せ!」

じたばた藻掻いても氷室さんは困ったように微笑むだけでびくともしない。体格はあまり変わらないはずなのに、悔しい。

「落ち着け。俺が怪異だったとして、それならこの時点で勝負はついてる。つまり、俺は本物だ」

確かに。対象を喰らう怪異なら、こんな藻掻く暇もなく喰われている。ということは、本当に、氷室さん?

「わかってくれたか?」

本物の、氷室さん。
俺は、彼に、結構まずいことをしてしまった。

「……う、すみません。てっきり怪異だとばかり。失礼しました」
「いや、わかってくれたならいい。それで、さっき君が言ったこと」
「やっぱり無礼にもほどがありましたし後日菓子折りでも持ってきますね、今日はもう帰ります」
「待て」

必死の誤魔化しは悲しくも通用しなかった。するりと腕の中から抜け出たのに、数歩も歩かぬ内に再び腕の中へ捕まってしまう。ああ、見逃してください。貴方は何も聞いていない。

「さっきの君の言葉を踏まえたうえで返事が欲しい」
「……何のことですか。ああ、言ってませんでしたっけ?俺、アンタのこと少なからず尊敬してるんですよ。だからちょっと腹が立ったというか」
「小暮」
「何ですか、ちゃんと返事してるじゃないですか」

お願いだ、やめてくれ。

「小暮、俺を見ろ」

男同士とか生産性がないとか世間の目とか、そんなの全部取り払ったって、それでも伝えないと決めたんだ。

「何をそんなに怯えている」
「いやだな、怯える?俺が何に怯えてるっていうんですか」

顔を上げない俺に、氷室さんは半ば無理やり目を合わせようと正面から抱きしめてきた。せっかく顔が見えない後ろからだったのに。そのまま頤に触れられ、目が合った。

「小暮。俺は君が好きだ」

嫌だ。溢れてしまう。
大切なものは、俺から離れていく。

「紳一、俺を選べ」

目の前の氷室さんの顔が、滲んでいく。ぼやけていく。
頬が冷たいと気付いた時には、氷室さんの指がいつの間にか流れていた涙を拭っていた。ぱちぱちと瞬きをするたびに、溢れた想いが零れていく。

「すまない、泣かせるつもりはなかった」
「…………」
「そんなに、嫌か?」

そんな顔しないでくださいよ。わかってるくせに。
ずるいなぁ。

「……好きですよ」
「!」

小さく返事したら、氷室さんははじかれた様に顔を上げて、表情が、嬉しいって語っていた。それを見て、なんだかくすぐったくて、想いが、留められなくて。

「好きです。氷室さん。アンタのこと、尊敬してるのは嘘じゃない。でも、俺は……貴方のこと、好きです」

顔を見られてたくなくて、その温もりが欲しくて、氷室さんに抱き着いた。彼の背に回した両手に、無意識に力が入るのをなんとか押しとどめて、静かに涙した。きっと長続きはしないしあわせな夢だから、覚えていよう。この温もりを、忘れたくない。大好きな貴方を、俺のことなんかを好きだと言ってくれた貴方を、覚えていたい。

「ありがとう」

氷室さんが零した小さなその言葉に、目を閉じた。
優しく抱きしめてくれた彼の腕は、ほんの少し震えているように感じたけれど、こっそり覗き見たその表情はやっぱり嬉しいって語っていた。



End...?
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