贖罪の悪夢

□その日まで
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「ルクレツィア……」



    その日まで



もう何度目になるかわからない呟きは、その名前の持ち主に届くことは無くわずかに空気を震わせ消えていく。
どうしたら君に会えるのだろう。いや、何もできなかった私に、彼女に会う資格など無いのだろう。例えば。
例えばあの時に戻れたとして。
私は彼女を護ることができるだろうか?
ただ惹かれ、恋しく思っていた自分と違い、重なった負の感情に苛まれ己を戒めたルクレツィア。知ってしまった彼女の過去と、悲しみ。
自分に癒すことができるだろうか。

「どうしてこうも……すまない」

タークスとして数々の任務をこなしてはきたが、どんなに難しい仕事ができようと、どんなに強いモンスターを狩りとろうと、どんなに優秀だと評価されようと……人と向き合い関わっていくことができなければこんなにも無力だ。愛しいひとの傷を癒すどころか、安堵の時間を与えることすらできない。
どこへともなく消えていく謝罪の言葉。
決して許されない罪への償い。


と。

何かの気配がした。
ルクレツィアがいなくなってから、この泉に何度か足を運んだが彼女にも誰にも遭遇したことは無い。
それほど広くはない場所だ。見渡せばすぐに見つけられる。入り口の人影も、私がここにいることに気付いているだろう。怪しまれないよう静かに警戒態勢をとる。
果たして。


「……ルクレツィア?」


そこに立っていたのはルクレツィアだった。
私の声に彼女は今気づいたという表情でこちらを見た。

「ヴィンセント?」

すぐに駆け寄って外傷はないか顔色はと無事を確認した。

「ルクレツィア……よかった……無事でよかった……!!」

彼女が無事なことに安心して、けれどもその体を抱きしめることも、手を取ることもできなかった。罪に塗れたこの手で、彼女の白い手を取るなんて。

「ヴィンセント……私……気付いたら外にいて。ずっとあの結晶の中だと思っていたのに」

ルクレツィアがいなくなったとき、何かの理由で消えてしまった、もしくは外に出ることができたのだと考えた。忌まわしい細胞のせいで簡単に死ぬことは叶わない。リユニオンというものが関わっているなら消えてしまっても不思議はない。しかし、可能性の高さから言えばわずか程しかない後者であってほしいと思っていた。彼女が再び、笑顔になれる日がくればいいと。

「ここにいても何もない。外へ出て、歩き回っていたけれど行く宛なんてないもの……ここへ戻ってきていたわ」

そしたら、あなたがいた。
そう言ってルクレツィアはどこか安心したように溜め息をついた。

「もうあれから、何十年も経っているのでしょう?あの頃のままだなんて思えない」
「そんなことはない。確かに変わった場所もあるが、それほど変わらなかった場所もある。君を知っている人間もいる。行く宛がないなら、彼らと話をしてみてから考えても遅くはないだろう。今からリーブ……WROという機関の局長でかつて仲間だった男に連絡する。彼は信用できる」

仲間たちに有無を言わさず持たされた携帯電話を取り出し、リーブに連絡をとった。

「リーブか?」
『おやヴィンセント。仕事以外であなたから連絡とは珍しいですね。何かありましたか?』
「ルクレツィアが見つかった」
『!それは本当ですか?!』
「ああ、今からそちらへ向かいたいのだが構わないか?聞いたところによると行く宛もないらしい」
『もちろん構いませんよ。すぐに迎えを送ります。携帯の電源は切らないでくださいね。それと、行く宛がないのでしたらWROに就職していただければ。シャルアさんも喜ぶでしょう』
「本人に聞いてみてからになるがおそらくそうなるだろう。彼女を頼む。では、またあとで」
『お待ちしております』

通話を終え振り替えると、ルクレツィアが悲しそうな顔で立っていた。話の展開が早すぎたのだろうか。それとも、余計なことをしてしまったのか。

「すまない、ルクレツィア。余計なことをしてしまっただろうか?君が無事で本当に安心したんだ……」
「……あなたは、一緒じゃないの?」
「私も本部まで同行する。話がまとまるまではいるつもりだ」
「それが終わったら、どこかへ行ってしまうの?」

ルクレツィアが弱々しく私の手をとった。

「私は、あなたと一緒にいては駄目?」

かつて……いや、今でも愛している彼女とともにいられたら、どんなに幸せだろう。けれども、私の身は幸せを享受できない。幸せになってはいけないと、躊躇してしまう。
こんな私が、普通に幸せになるなんて。

「もう、私のことは嫌いになった?」
「そんなことはない!!」

思わず大声を出してしまいルクレツィアを驚かせてしまった。その拍子に離れてしまった手をとり、そっと両手で包んだ。

「私はただ、君が幸せならそれでいい。今でも愛している、ルクレツィア」

どうか、笑っていて。
微笑む君のその隣に、私はいなくてもいいから。

「どうして……?私はあなたといたいのに、一緒にいてくれないの?」
「……ルクレツィア。私は君とはいられない」
「!…………罪があるからというなら私も同じよ」

きっ、とまるで睨み付けるような眼差しに狼狽え、離しかけた私の手を今度はルクレツィアが強く握る。

「私が、私のせいで……」
「違う!」
「違わない!!ヴィンセント、あなたが背負っている罪は私が背負うべきものよ。私が逃げてしまったから……私が、投げ出してしまったから……あなたは悪くない。すべて私が招いてしまったこと」

ルクレツィアの声が震える。それでも、その瞳から雫が零れ落ちることはない。

「優しいヴィンセント。あなたが罪を背負ってくれたから、私はこうして自由になれたのね」
「……そんな、ことは……」
「ねぇ、ヴィンセント。あなたに罪があるから一緒にいられないという理由はなくなったわ。私も同じ……いいえ、あなたに罪はないのだから同じでは」
「ルクレツィア!」
「………………」
「同じだ。あんなにも近くにいたのに、悲劇を止められなかったのだから……君を、護ることができなかった」

すまない、ルクレツィア……

ぽたり、と。
落ちていく後悔の念。
幼子のように頬を濡らしていく私を、彼女は優しい瞳で見つめていた。そのことにひどく心が安らいで、後悔は次から次へと溢れてくる。

「ねぇ、私達、同じだわ。こんなにも時間がかかってしまったけれど、私と一緒にいてくれる?」
「………………」
「幸せになれなくてもいいじゃない。受け入れられないなら、受け入れられる日が来るまで待っていましょう?互いの罪が赦されるまで」

二人で罰を受けましょう。
罪の果実が朽ち果てるまで。

「私、は」

罪の果実が朽ち果てたとき、再び誓いを交わして。
そして、幸せになりましょう。

「不老の躰だもの、時間はまだまだあるわ。ヴィンセント」

私と生きて。

「――勿論」

定まらない視界で、それでも彼女をしっかりと見据えて応えた。
瞬間、ずっと見たかった笑顔がそこにあった。

「ヴィンセント……ヴィンセント」

何度も何度も、名を呼ばれた。
私の冷たい手を、白い手の温もりが包んでいく。
抱き締められた感触はあの頃焦がれていたもので。
向けられた笑顔は夢にまで望んでいたもので。

「愛している」
「ええ……私も、愛しているわ」




二人が赦されるその日まで、この誓いを抱いて



諦めていた応えとともに与えられたのは、永い時のなかではほんの僅かなけれども確かな口付けだった。


END

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