贖罪の悪夢

□要らなかった
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「お前ほんっと素直じゃねぇよなぁ」






       要らなかった





例えば何かしてもらったとき。
「助かった」とか「ありがとう」は普通に言える。これも時々言えないことはあるけど。
「好き」とか「寂しい」だとか「一緒にいたい」。これは言えない。なんだか恥ずかしくなって言葉にならず心のなかで想うだけだ。それでもサイファーは怒ったりしない。俺のそういうところ、知ってるから、ちょっと困ったように笑うだけだ。サイファーは俺が言えないような台詞を次から次へと言葉にできる。言われるこっちの方が恥ずかしくなるけれど、サイファーにそう言ってもらえることが嬉しいのも本当だ。
だから、俺だって返したいと思う。思うけどどうしても音にならない。形にできない。
「好きか?」と尋ねられれば「そこそこな」とつっけんどんな態度になり、抱き締められれば手を突っぱね距離をとろうとする。端から見れば照れ隠しととるも煩わしいととるも五分五分だろう。それでも、付き合ってると知っている仲間たちから見れば「スコール、本当にサイファーのこと好きなの?」と疑問で仕方ないらしい。俺も、そう思う。サイファーに、俺がサイファーのこと好きだって、伝わってないだろうと。周りや自分ですらそう思うのだから、きっとあいつもそう思ってることだろう。思い返してみれば、いったいどちらから付き合うなどと言い出したのか。俺からならば忘れていることも申し訳無いうえに、こんなことに付き合わせてしまっている罪悪感が込み上げてくる。あいつからなら、せっかく両思いだというのにこんな酷いことしか出来なくて申し訳無くなる。いずれにせよ、このままでは駄目なのだということと、わかっていても改善は出来ないのだということしかわからなかった。



*****



今日も、サイファーは俺の隣でこの髪を撫でる。この時間はいつも、こいつは機嫌がいいように見える。だからといって、本当に機嫌がいいとは限らないけれど。
不安は日に日に積もっていく。今日も一緒に居られるだろうか。今日はきちんと気持ちを言葉に出来るだろうか。今日も心無いことを言ってしまうのだろうか。自分のことなのに、自分の体なのに、まるで己のものではないような感覚。誰かに操られているわけじゃない。確かに自分。それなのに、どうしてこんなにちぐはぐになるのだろう?

「また考え事か?それとも、これがお気に入りか?」
「うん」
「そりゃどっちの肯定だ?」
「どっちも」

及第点、だろうか。いや、こんなのじゃ駄目だ。
けれどもサイファーは、そうか、と笑って俺を引き寄せた。

「で?」

考え事を話せ、と。再び髪を撫でながら優しく問われる。翠の眸はいつだって全て見透かしているように俺を見るのに、俺が閉じ込めた心は見えないんだ。俺が勝手に、伝わってると、わかっていると勘違いしてるだけなんだ。
それがわかった瞬間、自分がどれほど馬鹿だったか思い知る。ふっ、と顔を逸らした。とてもじゃないが、サイファーの顔をまともに見られる気がしない。サイファーも、無理に目を合わせることはせず、ただゆっくりと優しく俺の背を撫でた。
サイファーはこんなにも優しいのに。それなのに、俺の口から出てきた言葉は――

「あんたに話すことなんかない。気は済んだか?」

――その優しさを踏みにじるものだった。
サイファーが少し驚いた顔をしたけれど、俺はそれどころじゃなかった。
また言ってしまった。また、サイファーに返すことができなかった。
口にしてしまった言葉は、もう無かったことには出来ない。どうして、こんな……こんな……



こんな 自分 は 嫌だ



サイファーの腕を振り解いて俺は逃げた。呼び止めるあいつの声に振り向くことなく部屋を飛び出し、走って走って走って走って走って。自分がどんな顔をしているかなんてわからない。表情が乏しい自分のことだ、きっとただ急いでどこかに向かっている、ぐらいにしか思われないだろう。特にどこかへ行こうと思ったわけじゃない。ただ、サイファーから離れたくて。できる限り遠い場所へ、あいつが追って来ないような……追って?俺は未だに自分が好かれていると思っているのか?サイファーが、わざわざ追いかけて連れ戻してくれるなんて、信じているのか?
呆れ返った。そして自覚した。それは、祈りのように、切なる願い事なのだと。サイファーに、まだ、想われていたい。見捨てないで欲しい。置いていかないで欲しい。
ガーデンを出て、それでもまだ走って。逃げるように走って。呼吸が苦しいのは走り続けているせいかそれとも、心が悲鳴をあげているせいか。
あてもなく目指した先は、あてがないはずなのに目指したというのもおかしなものだけれど、知らない場所だった。いや、きっと知っている。けれど気持ちが高ぶっているせいか記憶を引き寄せることが難しい。潮の香りがする。海に向かって走っていたのだろうか。息を整えながら歩いていくと目の前に黒い海が広がっていた。
そこで初めて時間の感覚を取り戻した。もう陽は沈んで、月が美しく水面に揺らいでいた。寂しいような、悲しいような不思議な気持ち。抑え込んでいたものが、この瞬間だけは解放されていくような感覚。
じっと、水面の月を見つめて考える。

どうしたらいい?
どうしたら、あんたに愛してもらえる?

ゆらり、ゆらり。揺れる水面から目線を空へ。月明かりは黒い空を照らす。道標のように。

俺が……
俺が、ちゃんと、素直に気持ちを言葉に出来たなら……
真っ直ぐに、態度で表せたなら……
あんたにあげたいものを、渡すことが出来たなら……

俺が
『俺』が?

「『俺』が、居なければ……?」

こんな自分は嫌だ。
じゃあ――

「『俺』を殺せば、あんたに愛してもらえる?」

そうだ。簡単じゃないか。
こんなに簡単なことに気付かないなんて、余程サイファーしか見えてなかったんだな。
魔女の力も、ジャンクションの副作用も必要ない。記憶を消すわけでも封じ込めるわけでもない。
人格の一部を、殺してしまえばいい。

すっきりした気持ちで再び眼前に広がる風景を見る。
『俺』がこんな景色を見られるのもこれで最期だ。
ああ、幸せだった。
サイファーに好きだと言ってもらえた。愛していると囁いてもらえた。あの腕の中へと抱き締めてもらえた。
同じものを返したくて、それ以上のものをあげたくて、それは出来なかったけれど、これから少しずつ叶えていくから。

「――ッ!!」

手が震える。
ごめんなさい、と涙が零れ落ちる。
素直になれなくて、ごめん。
たくさん、思い出をくれてありがとう。
ねぇ、次に会うときは――

「愛してる、サイファー」

必ず形にして伝えるから。

「早く、会いたいな……」

深々と胸に突き刺さった感触。霞む視界。遠退いていく意識。
俺はその場に崩れ落ちた。
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