贖罪の悪夢

□遠い日の雨
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       遠い日の雨






その日は雨が降っていた。
外は暗く、大人でも外出を躊躇う程だ。室内は灯りのおかげでそんな不安も感じることはなかった。

「…………」

けれど、真っ暗な部屋で膝を抱えている少年が一人。スコールは、皆がいる明るい部屋ではなく、わざわざこの暗い部屋に一人でいた。カーテンを開けたところで、打ちつける雨が見えるだけ。いつもなら見える景色も今日はどこにもなかった。何故わざわざこんな部屋に一人でいるのかと問われてもスコールには答えられない。ただ、なんとなく皆と一緒にいるのは気が引けた。だから、肌寒いと思っても毛布を取りに行くこともなくただただ、一人膝を抱えていた。
そこに、ドアを開く音と眩しい程の光が差し込む。

「こんなところにいたのか」

ゆっくりと視線を向けると、そこに立っていたのは毛布を引きずっているサイファーだった。
もしかしたらここで眠ろうと思って来たのかもしれない。自分が先にいたのに移動するのは癪だけれど、今は一人でいたい。一人は嫌だけれど、皆といたいわけじゃない。大好きなおねえちゃんはここにはいないのだ。
次の場所を探さなくちゃとスコールが立ち上がると、サイファーが聞いてきた。

「なんだ、どこか行くのか?」
「…………」

サイファーの為に立ち去るのだから文句はないだろと思いながらスコールは何も答えずサイファーの横を通り過ぎようとした。が、その腕をサイファーに掴まれる。

「ここに用があったんでしょ?僕は違うところに行くからいいよ」
「は?」

煩わしくて理由を口にするが、サイファーはきょとんとして言った。

「ちげーよ。お前探してたんだ」
「?」
「気付いたらいないから仕方なく俺様が探しに来たんだ」
「…………」

何でわざわざ。まま先生が頼んだのかな。探しに来たのなら大人しく皆のところに戻ったほうがいいだろうか。そう思ってスコールは賑やかな方へ歩き出した。

「あ、おい待てよ。どこ行くんだ?」
「……皆のところ」
「何でだよ」
「?呼び戻しに来たんじゃないの?」
「違う」

いまいちサイファーの考えていることがわからない。用もなく、自分を探しに来たわけでもないなら何をしに来たんだろう。

「俺は、お前を探しに来たんだ。ここで何してたんだよ」

こっちから聞く前にサイファーは答えてくれたけど、僕は答えられない。だから、「何もしてない」と短く返した。
当然のようにサイファーは意味が分からないという表情になった。けれど、スコールにも答えが無い問いに答えることはできない。そして。

「何だよ、俺には言えないのか?」

嘘を吐こうが正直に伝えようが、誤解されるのはもう解りきっていることだった。
それでも、諦めの中の僅かな希望を手にしたくて言葉を吐き出した。

「何にもしてない。ただ、座ってただけ」

伝わったらいいなと思った。
わかってもらえたらいいなと思った。

「なんだ、じゃあ俺も居てもいいよな?」
「え?」
「何にもしてないんだろ?それじゃつまんねーから俺も居てやる」

そう言ってサイファーはスコールの手を引いて窓際へと座り込んだ。もちろん毛布で二人の体を包み込んで。

「これならあったかいだろ?」

冷たくなっていたスコールの両手をサイファーが握る。

「……うん」

ちょっぴり、ううん……すごく嬉しくなって、僕は頷いた。
へへっと笑ったサイファーと、毛布にくるまったままカーテンの引かれた窓を見つめていた。雨はまだ止まない。どころか、遠くで雷鳴が轟き始めた。
ビクッと怯えたスコールは、けれどもサイファーに縋ることも出来ずに必死に震える体を抑え込んだ。もちろん、サイファーがそれに気付かない訳もなく、握っていた手に力を入れた。

「俺様がいるだろ」

その手も声も、微かに震えていたけれど自分の為に気丈に振る舞っているのがわかったから、スコールは再び今度は僅かに微笑んで頷いた。

「なあ、お前夢ってあるか?」
「ゆめ?」
「俺にはあるぜ。特別に聞かせてやろうか」
「うん」

唐突に始まった夢の話に、スコールは素直に返事をした。

「俺はな、すっごくすっごく強くなるんだ」
「つよく?」
「うん。強くなって、大事な人を守るんだ」
「守る……」

大事な人を、守る。
僕がすごく強かったなら、おねえちゃんを守ることが出来たのかな。
強くなれば、おねえちゃんを迎えに行けるのかな。

「サイファー……」
「ん?」
「……僕も、強くなれるかな」

僕も、大事な人を守れるくらい強くなれるかな。

「おう!俺様もいるからな!一緒に強くなろう」
「一緒……」

暗い部屋の中なのに、サイファーのにっこり笑った顔は眩しく見えた。サイファーはいつもシド先生やまま先生を困らせているけれど、悪い子なわけじゃない。まっすぐで、とっても優しいんだ。だから、こんなふうに笑うんだ。

「あ、でも待ってやったりなんかしないからな!ちゃんとついて来いよ!」
「うん!」

そんなふうに、甘えてちゃ駄目だもん。
ひとりで、何でも出来るようにならなくちゃ。
手を引いてもらってばかりじゃなく、自分で歩いていかなくちゃ。

「スコールなら大丈夫だ!もし間違った道に行っても俺が連れ戻してやる」

元気よく返事をしたものの、それから黙り込んだスコールを心配したのかサイファーがそんなことを言い出した。

「……間違った道?」
「まだよくわかんないけど、悪いこととかしちゃ駄目だ。まま先生が悲しむようなことしちゃ駄目だ。わかるか?」
「うん……みんながよろこぶことしなさいって言ってた。サイファー」
「ん?」
「もしサイファーが間違った道に行っちゃったら、僕が連れ戻してあげるね」

サイファーが僕を助けてくれるなら、僕だってサイファーを助けたい。

「俺様が間違えるわけ無いだろ?」

でもサイファーにはそれが伝わらなかったみたいだ。得意気にそう言われたけれど、助けてもらうだけじゃ駄目だから。

「でも、誰かにとって良いことは誰かにとって悪いことかもしれないってまま先生が言ってた。だから」
「じゃあスコール、こうしよう。もしお前が、俺が間違ってると思うなら俺を止めてみろ。俺は俺が正しいと思う道を突き進む。もしそれが間違いだとしても、俺は最後までやり遂げる。俺を連れ戻せるかはお前次第だ」

僕は少し考えてから、大きく頷いた。
良いことも悪いことも、まだまだ知らないことはあるけど今から覚えていくんだ。だったら、サイファーの気持ちもちゃんとわかると思うから。どうしてその道を選んだのかわかるはずだから。

「できる。ちゃんと連れ戻しに行く」
「よし、約束な!」
「うん!」

雨はまだ降っていて、部屋は暗く冷たいままだったけど、サイファーと約束したその日の記憶はあたたかかった。









「……スコール」
「サイファー」

コツコツと足音が響く。
疲れ切っているだろうに、それを感じさせない声色。
膝をついてなお、気高い彼の前で立ち止まる。

「遅くなって、ごめん」


《もしサイファーが間違った道に行っちゃったら、僕が連れ戻してあげるね》


「………俺は、間違っているか?」

サイファー自身にもわかっているだろう問いかけを、あえて尋ねられる。


《俺は俺が正しいと思う道を突き進む》


《俺が間違ってると思うなら、お前が俺を止めてみろ》


だから、俺は答えた。

「アンタは、正しい」
「…………」
「そして、間違ったんだ」
「お前が、正しかった?」

首を横に振った。

「正しかったのはアンタで、俺は、間違ってた。俺はアンタを連れ戻しに来ただけで、正しくはなれなかった」

サイファーは、正しい道を進んでいた。その先は間違っていたけれど、その選択は間違ってはいなかった。
そして俺は、間違った道を進んで、それを――

「アンタが、連れ戻してくれたんだ」
「……何のことだか」
「ありがとう」

サイファーが連れ戻してくれたから、だから俺はサイファーが間違ってることに気付いた。
俺は正しくはなれなかった。ただ、サイファーを連れ戻すために彼を止めに行っただけだから。

「……待ちくたびれたぜ」

大きな溜め息をついて、サイファーが苦笑しながら言った。

「うん……ごめん」

俺が差し出した右手を、サイファーはしっかりと握って笑った。
幼い頃と変わらない、眩しいほどにまっすぐな笑顔だった。

「さぁて、これからどうすっかな」
「アンタは、ガーデンに戻るのか?」
「さすがに無理だろ。大罪人になっちまったしな。お前は問題ないだろうが俺は帰れねぇ」

さして気にしているふうではないが、それが俺を気遣ってのことだとわかる。無事に解決するような問題ではないのだ。
だから俺は、ひとつの提案をしたんだ。

「サイファー、一緒にガーデンを出よう」
「なっ」
「俺達、今回のことで色んな国や土地に行ったけど……まだまだ知らないことがあると思う」
「……旅でもすんのか?」
「ああ」
「つってもよ、何か目的とかあんのか?」
「アンタと一緒に色んなものを見たい」
「……お前時々すげぇこと言うよな」
「そうか?それと、金はそこそこあるし、小遣い程度の報酬で何かしらの仕事を請け負っていけば食うには困らないと思う」
「数こなしていきゃそれなりにってことか。いいんじゃねぇの。でもそれはガーデンを卒業してからでも遅くないだろ?」

それはそうだ。けれど、サイファーがガーデンに戻れないなら俺が戻ることもない。

「それじゃあアンタに逃げられそうだ」
「逃げやしねぇよ。お前から逃げようなんて考えたことねぇ」
「サイファー」

世間から見れば子供の絵空事に思えるかもしれない。確かにそんなトントン拍子にいくとは思っていないし、今までより辛いことだってそれこそ命を落とすこともあり得る。けれど、世間がどう思おうが知ったことじゃない。世間のレッテルなんて要らない。俺は俺がやりたいように生きる。

「なんだよ」

あの日約束をするずっと前から、俺はアンタに惹かれてたんだ。

「俺と一緒に生きてくれ」

サイファーの翠の目が大きく見開かれた。

「だ……から、いきなりとんでもねぇこと言うなって言ってんだろうが」
「もっと分かりやすく言い換えようか?」
「いや、いい」
「好きだサイファー、恋人になってくれ」「だから!」

じっとサイファーを、翠の双眸を見つめる。
確信なんて無い。拒絶されるかもしれないこともわかってる。それでも、どうしても。

「アンタは、俺の隣にいてくれなきゃ嫌だ」
「…………」

沈黙が長く思える。思わず俯いてしまった俺の目の前に、サイファーの右手が差し出された。

「……好きだよ、他の誰でもない、お前のことが」

弾かれたように顔を上げると、サイファーが仄かに顔を赤くしていた。

「アンタは、俺が守る」

嬉しさを抑えきれなくて、サイファーをぎゅうっと抱き締めると戸惑った声があがった。それでも、サイファーの両腕は俺を抱き返してくれた。

「んじゃ、俺がお前を守ってやるよ」
「ああ、頼む」

そっと口づけると、彼はまたあの笑顔で微笑んだ。
つられて俺も笑った。
そして思い出した。こんなふうに笑ったのは、あの日以来だということを。

いつからか再び降り出した遠い日の雨が、ようやくあがって空が見えた気がした。





End

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