贖罪の悪夢

□不幸せ
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「さぁ、フィナーレだ」



「あぁあ ぁあぁ あ ぁあ ぁあぁっ!!!!! !!!」





不幸せ




「彼方にも此方にも。いやはやこうも食事に困らないなんて、人間とは素晴らしいねぇ」

美しく調度品に彩られた豪奢な部屋の中央。白く丸いテーブルには色とりどりの菓子が並べられ、傍に蝶がデザインされたティーセットが置かれていた。カーテンの開かれた窓から差し込む光が茶器や調度品に反射し、それらをより一層美しく見せる。
そんな空間の中でありながら全く見劣りすることなく、むしろこの部屋で一番美しく、在るべくしてそこに在る彼は、上品に嗤いながらお茶の時間を愉しんでいた。

「人ならざる者は大抵、迫害されるか糧を失って滅んでいく。天敵、あるいは徒党を組んだ人間、もしくは環境、はたまた時代……力ではどうにもならないことは五万とある」

伏せられた空色の瞳が映すのは、彼、この部屋の主であり人間の不幸を喰らい絶望を糧とする異形、クジャの手にしている紅茶でありながらまるで記憶の中の世界を見ているようだった。
懐かしむように。
悔いるように。
憎むように。
彼は過去へと思いを馳せ瞳を閉じた。
それが戻れない時間であることを、嫌というほど自覚して。

「それで?何が言いたい?」

訪れた沈黙を破らんと、部屋の扉近くに佇んだ少年が口を開いた。
クジャと対照的な金色の髪に、彼もまた人ならざる者である証に金の毛並みの尾が生えていた。

「少しは静かに出来ないのかい?ジタン」
「今の今まで静かにしてたし、質問してるのはこっちだ」

呆れたように目を開いたクジャの不満そうな雰囲気を気にもせず、ジタンと呼ばれた少年は先の質問の答えを促す。

「力の使い方を誤らなければお前はこんな風にはならなかっただろ。どうして」
「すべてを理解しようなんておこがましいよ、ジタン。すべてのものに意味があるなんて思っているくちかな?」
「意味は……ある」
「ふん。やっぱりキミとは分かり合える時は来ないのだろうね」

どこか悲痛な表情で尋ねるジタンに視線をやることもなく、クジャはうんざりだと言わんばかりに大げさな溜息をついてみせる。

「そろそろ時間じゃないのかい?こんなところで油を売っていたら、キミの大好きな人間がまた一人絶望に染まっていくよ?」
「……俺は、諦めないからな」
「いつまでそうやって吠えているんだか」

くすくす嗤うクジャを置いて、ジタンは向かうべきところに急ぐ。
なんとか時間を見つけてはこうしてクジャのもとへと説得を試みるジタンだったが、説得どころかおそらくまともに話もできていないのが現状だ。
かつて共にその役目を果たし、そうやってずっと生きていくのだと思っていた。それなのに、気付いた時にはクジャは敵へとその身を翻していた。

(お前は、どうして)
(いくら最終的な絶望がこれ以上ないほどの糧になるとしても、お前が不幸を喰らうことそれ自体にもダメージがあるはずなのに)
(どうしてそんなに傷を負いながら、その道を進むんだ)

クジャに目をつけられた人間を取り戻すのは難しい。
誰だって、幸せでありたいと思うだろう。
不幸なんて要らないと、避けたいと思うだろう。
けれど。

「駄目だ、それは、その不幸からは、逃げちゃいけない!」





*****





「また、駄目だった……」

目を閉じれば、狂った人間の悲痛な最期がよみがえる。
そしてその人間の絶望を喰らう、クジャの姿。
人間からすれば、不幸を喰らってくれるというクジャはそれこそ天使のような神のような存在だっただろう。けれども実際は違う。確かに不幸を喰らうが、彼は死神だ。死神に、なってしまった。

「クジャ……お前は」

それで、幸せなのか?
そんなに傷だらけになって、傷だらけにして、お前は何を望んでいるんだ。
道を違えたあの時から、ジタンにはクジャのことが何一つわからなくなった。どうしてわざわざあんな真似をするのだろう。
人間にとって、幸福も不幸も大切なものだ。
幸福はいわずもがな、不幸だってあるべきものなのだ。大きすぎる不幸は確かに害になる。けれど、人間が成長していくためにはそれ相応の不幸を乗り越えていかなければならない。それを、すべて横から奪い取ってしまったら。根こそぎかっさらってしまったら。その人間は不幸を知らずに生きていくことになる。不幸を知らないということは、他人のことがわからないということだ。気持ちをわかってやれない、思いやることができない、共感できる心がない。
そして不幸を知らないままに幸福に包まれて、最後の最後で目の当たりにした不幸に、耐え切れずに絶望して、一切の幸福を忘れ去って、あらゆる負の感情に塗れて壊れていくのだ。
いったい誰が、そんな最期を予期できたっだろう。
不幸を引き受けよう、と自分の前に降り立った天使が実は死神だったなどと誰が思うだろうか。

(あいつの犠牲者を出さない。あいつだって救って見せる。そう、誓ったのに)

クジャを救うどころか犠牲者は増えていくばかり。どんなに必死で言葉を紡いでも、伝わる人間もいれば伝わらない人間もいる。当たり前のことだ。一人一人、考え方も見方も違う。すべての人を簡単に説得できるなどとは思っていない。けれど、だからといって見捨てることなどできない。




『どうして俺が』
『どうかされたのかな?』
『!なんだお前は!』
『ただの通りすがりだよ。ちょっと聞こえてしまってね、力になれないかと思ったんだ』
『……盗み聞きか』
『不可抗力だよ。それはさておき、僕は間違ったことが嫌いでね。間違いは正すべきだとそう思っているんだ』
『間違い?』
『聞こえた限りでは、あなたは必要以上に不幸に見舞われているように思うんだ。そんな不遇を受けるようなこと、あなたはしていないというのに』
『そうだとも!俺がすべて悪いわけじゃない!だというのにこの仕打ち!ふざけるな!』
『そうだろう?あなたが置かれている状況は間違っている。だから、僕はそれを正しに来た』
『お前、何者だ』
『獏というのをご存知かな?あれみたいなものさ。僕は悪夢ではなく、不幸を喰らう』
『不幸を?』
『キミの不幸、僕に寄越せ』





クジャに目をつけられてしまった人間を説得することは難しい。既に喰らいやすい人間を見極めているからだ。
誰だって、肯定されれば弱い。
それも、自分が不満に思っていることに賛同されれば簡単に心を許してしまう。クジャはそこに付け込む。
不幸を喰らうクジャも、少なからず傷付くというのに。そんなにも傷付いてまで、何を望んでいるのかジタンにはわからない。
何度聞いても、それこそ共にいた頃でさえもクジャは何も語りはしなかった。まるで何も話す必要はないとでもいうように。

「いったい、何を望んでいるんだ、クジャ」





『よう、どうしたんだ?』
『!なんだ、あんた』
『ただの通りすがりさ。ちょっとばかしお節介だけどな』
『お節介?』
『あんた、なんか悩んでそうだったからさ。なんか力になれないかと思って声をかけたんだ』
『悪いが、世話になる気はない』
『そうか……わかった。また必要になったら呼んでくれよな』
『…………』
『どうしたんだ?』
『あ、いや……どうして』
『どうしてだろうな』
『え?』
『わからないんだ。でも、理由なんて要らないと思う』
『……そっか。あのさ』
『うん?』
『ちょっと、話、聞いてくれるか?』
『ああ、もちろん』




力なく俯いていた彼は、少しだけ嬉しそうに笑った。それを見ただけで、ジタンは心が温かくなった気がした。
人間は強く、美しい。
弱さを乗り越え、自分が信じる世界をたくましく生きている。
世界はこんなにも、愛に溢れ美しい。
クジャも同じ望みを持っているのだと思っていた。それは違ったのだろうか。こんなにも温かいのに、彼はどうしてわざわざ寒さに凍えるのか。
それとも。
それを望んだからこそ、ああなってしまったのか。
わからない。

彼が不幸せでなければいい。
どうか幸せであってほしい。
そう願うことくらいは、許してほしいと思った。




End

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