贖罪の悪夢

□弟たちの井戸端会議
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「えーと、じゃあ!第一回弟会議!始まりっ!」

なんとなく号令を掛けたヴァンの隣でラーサーが笑顔で拍手した。
それを受けてふふんと得意気に胸を張ったヴァンはさて、と腰を下ろした。

「何故私は此処に……?」





    弟たちの井戸端会議



忙しい合間を縫って、懐かしい顔ぶれが一人また一人と集まった。誰もが簡単に割り切れるような時間を過ごしてはいない。それでも、自分の足で歩むために胸を張り、前を見据えた。やり切れない心を、大切に抱えて。
ありきたりな会話があちらこちらで飛び交う。元気だったか、最近の調子は、無理をしていないか、とっておきの話はあるか。他愛ない話から始まり、徐々に輪を広げ、面子が入れ代わり立ち代わり、楽し気な声と悲し気な声と、様々な感情が浮かんでは沈んでいった。
そんな中、ヴァンがラーサーの肩を叩き、こそこそと耳打ちした。パッと笑顔になったラーサーはヴァンと一緒に今度はガブラスの下へと歩く。気付いたガブラスが声を掛ければ、ラーサーはこっちこっちと彼の腕を引っ張っていった。ガブラスとラーサーの二人なら何の違和感も無いが、そこにヴァンが加わったことで珍しい組み合わせの三人組ができている。ちらほら視線が向けられるが、それを全く気にせずヴァンとラーサーがガブラスを連れて部屋の隅へと移動した。
連れてこられたガブラスは掛けられた号令にいよいよ訳が分からなくなり疑問を零した。

「私ではなくバッシュの方がよいのでは?」

よくわからないけれども、年の差もあることから自分よりもバッシュがここに居たほうがまだマシではとガブラスはラーサーに投げかけた。しかしラーサーは笑顔のままだ。

「ガブラスはバッシュさんの弟でしょう?ヴァンはレックスさんの弟です。そして僕も弟ですから」
「三人合わせて弟組!」
「……はぁ」
「で、今日は兄組への愚痴を零し合う!」

ヴァンの兄弟仲は知らないまでも、ラーサーにもヴェインに対して愚痴があるのかとガブラスは意外に思った。傍で見ていればラーサーがヴェインを慕っていることなどすぐにわかるからだ。自分もバッシュに対しては延々語れるほど愚痴はあるだろうなと思ったものの、しかしそれをこの子たちに聞かせるのはどうなんだと思い止まる。

「悪いが私は」
「そんで愚痴だけじゃなくて自慢もする!」

退席を願い出ようとするガブラスの声を遮ってヴァンが付け加えた。

「自慢?」

あいつの?自慢を?私が?そもそもそんなところがあるだろうか?

「要するに、弟で集まって兄の話をしようということです。こんな機会はなかなかないですから。いいでしょう?」

純粋に話し合いを楽しみたいラーサーに期待を込めた目で見られ、ヴァンからもいいだろー?とわくわくを隠し切れない雰囲気でお願いされる。ここで下手に退席した方が後々面倒になりそうだと判断して、ガブラスはとりあえず適当に話をあわせておこうと了承した。

「俺、ヴァン。あんたとちゃんと話すのは初めてだよな。えっと、ガブラス?」
「そうだな。ところで小僧、ラーサー様に対して言葉遣いが気になるが?」
「今は職務中ではありませんし、話しやすいままで構いませんよ。ガブラス、も……」

思わずヴァンを咎めたガブラスに、ラーサーは笑顔で割って入った。けれど笑顔が曇り、ガブラスを呼ぶ声が小さくなっていった。原因はわからないがラーサーが目に見えて落ち込んだのでヴァンに助けを求めて視線をやる。ヴァンも首を傾げてガブラスを見る。

「何から話しましょうか。っ、ガブラスは、何かありますか?」

さっと表情を戻して笑顔になったラーサーが口を開いた。けれどもガブラスの名前を呼ぶのがぎこちない。名前?ああ、そうか。

「ノアです、ラーサー」

主の名を呼び捨てにするのはなかなか居心地が悪いが、他でもない主の頼みならばお安い御用だ。そして恐らく原因は名前。

「!ノア!」
「!俺も、ノアって呼んでいい?」

一転、花開くようにラーサーが満面の笑みを浮かべる。嬉しそうに己の名を呼ぶ。そんなに喜んでもらえるとは思っていなかったが、ヴァンもキラキラとした笑顔を隠せぬままにおずおずと聞いてくる。

「あ、ああ。構わない」

困惑するノアを放って、ヴァンとラーサーはそれはもう喜んで飛び跳ねた。名前一つ、それも自分のもので何故そんなにも喜ばれるのか驚きつつも、年の離れた少年たちが嬉しそうにしているのは悪くない。なんとなく照れ臭くなって、苦笑でそれを隠しつつ二人に声をかける。

「俺から、でいいのか?しかし愚痴といってもすぐに思いつかないぞ」
「じゃあ自慢したいこと!」
「もっと無いな」
「では僕から話してもいいですか?」

ラーサーが小さく手を挙げて一番手に名乗り出た。確かにこのような機会は無かったのだろう、うずうずするラーサーは名乗り出たものの何から話そうかと思案している。それをヴァンと二人で少しわくわくしながら待つ。この様子ならまずは自慢からだろうかと思った矢先、聞こえたのはなんとヴェインに対する不満だった。

「兄上はよく僕を子ども扱いするんです。確かにまだ大人とは言えませんが、だからといって毎日頭を撫でるのは度が過ぎると思うんです」

ああ、よくわかるなと思ったところでヴァンもうんうんと頷いた。

「だよな!俺も、よくやられた!そりゃあ嬉しい時もあるけどさ、いつまでもちっちゃい子供じゃないのに!」

ねー!とラーサーとヴァンが意気投合してそれからノアを振り向く。何を言われるかなど分かりきっていたので先回りでそれに答える。

「どこの兄弟も同じなのだな。俺も昔はよくやられた。あの頃はまあ、嬉しくなかったとは言わないが……この歳でやるのは流石に止めてほしいな」
「最近されたんですか?」
「ああ、ついこの間」
「それは流石にむかつくなぁ」
「むかつくを通り越して軽く殺意が湧いたな」

そんなに……でも仕方ないか。とヴァンが若干引きつつもすぐに同調し、ラーサーは自分もいつまでそうされるのだろうかと溜息をついた。

「子供の頃は嬉しい時もあったのだが、難しいものだな」
「そうだな……頭を撫でてくれる兄さんも好きなのに、なんか複雑だ」
「ノアもお兄さんのことが大好きなんですね」
「……そうだな」

確かに大好きだった、兄のことは。
大切な思い出がノアの胸にあたたかな気持ちを呼び覚まし、小さく微笑んだ。それにつられてラーサーとヴァンもにっこりと笑う。

「楽しいことでもあったの?」
「パンネロ!」

ヴァンの様子が気になったのだろう、パンネロが控えめに声をかけてきた。

「今弟会議やってるから後でな」
「弟会議?ガブラスおじさまも?」
「ノアだよ」
「ノアおじさま?」

わざわざ訂正したヴァンと素直に言い直したパンネロの二人に苦笑しながら「ああ」と返す。ラーサーにも感じ取れたらしく、小さく笑っていた。

「ノアおじさまのお兄さんってことはバッシュおじさまのこと話しているんですか?」
「あんな奴は兄でも何でもない」
「えっと……?」

首を傾げるのはパンネロだけではない。今しがたノアの兄の話もしていたのに、バッシュは兄ではないと言い切った。確かに名前は出していなかったが、他にも兄がいたのだろうかと三人は疑問に思いながらノアを見る。しかしノアは口を閉ざしたまま目を伏せた。四人に沈黙が下りる。やがてパンネロがノアに尋ねる。

「大好きだったから、憎いの?」

ゆっくりとパンネロを見てノアは寂しげな表情を向けた。
何があったのかなんて知らない。けれどもその表情で痛いほどに分かった気がした。パンネロだけでなくヴァンもラーサーも、ノアの傍に居た。一人にしたくないと、思ったから。

「珍しい組み合わせだな。何の話をしているんだ?」

そこへ間の悪いことにバッシュがやってきてしまった。やはり弟が気になってはいたのだろう。しかもなかなかに珍しいメンバーだ。先程まで楽しそうに何かを話していたのに、静まり返ってしまったことでさらに興味が引かれたようだ。

「あー……今弟会議してるからバッシュは駄目だ」

流石に気まずい心地でそう制したのだが、バッシュを追い返すことはできなかった。

「弟?ということは、俺の話でもしていたのか?」

あ、と思った時には遅かった。
それまで知らんふりだったノアがばっと振り返りバッシュに怒鳴る。

「お前なぞ兄でも何でもない!!」
「……ノア、まだ怒っているのか。俺はお前のことを大切な弟だと」
「お前が!!!」

いきなり大声を出した弟をたしなめる様にバッシュが困ったように言葉を掛けるが、それを遮ってノアは叫んだ。

「お前が捨てたんだろうが!!!それを今更、大切な弟だと?ふざけるな!!!っ、ふざけるな!」

ここまで感情を露わにするガブラスに驚いて周りの目が集まる。ばつの悪そうな表情で立ちすくむバッシュに、ノアは静かに告げた。

「俺の兄はあの時死んだ」

バッシュを置き去りにノアは部屋を出ていった。ヴァンとラーサーはひとつ頷いてすぐにノアを追って部屋を出る。パンネロは悲痛な面持ちのバッシュを気遣うようにその場に残った。


心に閉まっていた気持ちがごちゃごちゃと渦巻いている。
あたたかな思い出が溢れ出す中で、封じ込めていた悲しい記憶が呼び覚まされていく。自分でもわかるほどに険しい顔をしていた。感情のコントロールが難しい。職務中ならばここまで心乱れることもありはしないのに。ごちゃごちゃの気持が少しずつ解けていく。
わかっていた。本当はわかっていた。どうしてこんな気持ちになったのか。けれどそれを認めるのがどうしてもできなくて。どうしても、認めたくなかった。溢れてしまうと思ったから。一人で立たねばならないのに、溢れさせてしまうわけにはいかなかったから。
歩くスピードが徐々にゆっくりになっていく。気持ちの整理をつける様に。
後ろから聞こえる足音が近くなって、そして止まった。

「「ノア」」

二人の少年の声がノアを呼ぶ。
その声が、いやに耳に馴染んだ。

「…………」

口を開く。

小さな声が、震えた。





「兄さんは、帰ってこなかった」




こみ上げる何かがノアを飲み込んだ。
顔を覆った両の手に、ぼろぼろとノアの気持ちが溢れていく。声にならない嗚咽が漏れていく。ずっとずっと、待っていた。仕舞い込まれた感情は、外に出られる日を待ち焦がれていた。

悲しかった。
寂しかった。
どうして。
どうして自分は置いて行かれたのか。
どうして兄さんは俺を置いて行ったのか。
悲しくて、寂しくて、仕方がなかった。
憤りも憎しみも、悲しみと寂しさを隠すために織り上げたものだ。

兄は死んだ。
そうやって、乗り越えなければ立っていられなかった。
自分は置いて行かれたのだと、認めるわけにはいかなかった。
たった一人で、半身を失って歩くには、幼な過ぎた。

ノアよりも一回りも二回りも小さな、あたたかな手が添えられる。
何も言わなかったけれど、ただ傍に居てくれる優しさが嬉しかった。




「悪い、みっともないところを見せたな」
「そんなことないよ。俺だって、兄さんに置いて行かれるのは、やだ」
「僕も、嫌です」

落ち着いてきたノアを連れて適当な空き部屋に入った後、ノアは幾分すっきりした顔で笑った。

それを見て、ヴァンもラーサーも安心して息をついた。みっともないだなんて欠片も思わなかった。大切な人が突然いなくなることがどれほど悲しくて寂しくて辛いことか、二人ともわからないなんてことはなかったから。
ほんのりと寂しさを漂わせた少年たちに、ノアは思わず手を伸ばした。左手でラーサーを、右手でヴァンを励ますように撫でる。その手つきが思っていたよりもずっと優しかったことに二人とも驚いて、でも心地よいそれがとても嬉しくてノアを見上げて笑った。

「なあ、続き!続き話そう!」
「そうだな。次は……」
「ヴァンは?」
「俺?俺はー……そうだ、兄さんは花が好きなんだ。一番好きなのはガルバナ!」
「ガルバナ……?」
「あの赤い花ですね。本物を見たのは一度だけですが、とても綺麗でした」
「だろ!ダルマスカにだけ咲くんだって。ノアは見たことある?」
「いや、どうだろう。花か。母が好きだったから、兄さんと探しに行っては飾っていた。時々、人に譲ってもらうこともあったから、もしかしたら見たことがあるかもしれないな」
「じゃあ今度、二回目の時は持ってくるな!」
「二回目?」
「言ったでしょう?今日は第一回目です!」

適当に調子を合わせておこうと参加した弟会議だが、確かに最初の宣言に一回目だと言っていた。この二人となら悪くはないかなと思いつつも、二回目が開催できるのはいつになることやらとノアは小さく溜息をついた。しかしヴァンは目ざとく気付いたようで、きょとんと首を傾げてノアを見る。ヴァンの表情を見て、ふと思った。この子たちが、新たな時代を担っていく。大乱に巻き込まれた彼らは随分と成長したことだろう。今度こそ誰もが平和を願い、穏やかな日々を暮らしていくのだろう。もう二度と。もう、自分のような思いをする者がいなくなればいい。家族が家族のまま、幸せに暮らせたらいい。自分や彼らのように、死んでいった者たちのように、望まない別れを見つめることが無くなりますように。
そのために、己がやるべきことを見誤ってはならない。

「では二回目には花を持参しよう」

ノアがそう言うと、ヴァンもラーサーもぱっと花開いたように笑顔になった。それを嬉しく思うノアは、この短時間でかなり絆されているなと内心苦笑した。これほど穏やかな時間を過ごせるのはいつぶりだろうか。
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