藤色の付喪神

□再び来る
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ふと空を見上げると、青い空にすじ雲があちらこちらと浮かんでいた。久しぶりに雨が降るのだろう。前に雨が降ったのはいつだったか、あの日は青江と一緒に部屋から、雨降る庭を眺めていた。廊下を通りかかる刀剣たちも雨が好きなもの、そうでないものがいたが皆二人を見てにっこり笑っていた。あの時間は長谷部にとってとても心地よいものだった。

「(恵まれているな……)」

審神者に顕現されて、ずっと一振りで思い悩んでいたのが嘘みたいだった。どうすればいいのかわからなくて、どうしているのかもわからなくて、ただただ時間だけが過ぎていた。叶わないだろう望みを抱え、途方に暮れていたのはまだ記憶に新しい。青江が主人となって半年程経っただろうか。これまで現世にいた時間を思えばとても短いものではあるが、これもまた大切な記憶だ。

「長谷部」

名を呼ばれて振り返る。この声は――

「ご主人」
「ふふっ、最近は随分と大胆になってきたね。僕は構わないけれど、その内誰かに聞かれてしまうかもしれないよ?」

振り返った先に立っていたのは俺の主人であるにっかり青江だった。
俺のこの特異な性質は審神者も含めこの本丸で知っているのは青江だけだ。だから青江をご主人と呼ぶことも、知られてはいない。俺と青江に関しては、恋仲ではないけれどとても仲がいいという認識だ。正直、すべて話すのは気が引ける……というよりはあまり知られるのは嫌だ。青江と一緒にいるところを見られるのは大丈夫だろうがさすがにご主人呼びまで聞かれるとまずいかもしれない。一般にへし切長谷部が主たる審神者以外に従順なところなど滅多に見られるものではない。個体差はあれど逸脱したものは知られれば目立ってしまう。

「聞かれないようにしているから問題ありませんよ」
「ふぅん?それも?」
「もちろん」

青江に対する言葉遣いは敬語だったりそうでなかったりする。これは俺の状態によって変わる。戻っているときは途切れ途切れで話すことが多く、作っているときは敬語か他のへし切長谷部と同じような話し方になる。青江は特に気にしていないようで、「主以外できみに敬語を遣われるなんてレアだよね」と笑っていた。

「…………」

そっと青江に近付き頭を低くする。青江は驚くでもなく俺の頭を撫でた。

「甘えたになったものだよ」
「…………」
「咎めている訳じゃないよ。言ってるだろう?僕はこの関係を楽しんでいるんだ。気にすることはないよ」

言われてみれば青江に寄り添い撫でてもらうことが増えたように思う。申し訳ないという気持ちがないではないが、やはり落ち着くのだ。此処にいても良いのだと安心できる。青江の優しさに、これ以上ないほどに甘えている。それを許せないと思っていた。何故かと訊かれたところで明確な理由はない。ただ、そういうものだと思っていた、思い込んでいたからとしか。

「何かをしてはいけない、なんていうのは大して重要ではないことのほうが多いんだよ」

決まり事や掟だって、元はといえばシンプルなものだろう?煩雑になればなるほど身動きがとれなくなる。
そっと青江に手を引かれ、縁側へと腰掛ける。

「…………」
「今度買い物に行こうと思うんだけど、付いて来てくれるかな」

庭を眺めながら青江は話し続ける。俺はほとんど何も話さないから、傍から見れば青江が一人で話しているように見える。いや、青江だから、もしかしたら”何か”と話しているように見えるのかもしれない。

「別段、何を買おうというのは無くてね。あー、あるにはあるんだけどこれと決まっていなくて……何があるか見ながら決めようと思っているんだ」

見えようと、見えまいと、そんなことは俺には関係がないけれど。

「気まぐれのようなものだけどやっぱり形があるもののほうがいいのかな、なんて思っちゃってね」

ご主人が……青江が、こうして隣にいてくれるだけで、俺を傍に置いてくれるだけで、それだけで俺は満たされる。これを幸せと呼ぶのかはわからないけれど、名前をつけるとしたら、”幸せ”なのかもしれない。

「長谷部」

ふと、青江が俺を呼ぶ。考え事をしてはいたが話を聞いていないつもりではなかったのに、何故だか驚いてしまった。

「おや、そんなに驚かなくても取って食ったりしないよ」
「……あ、いや」
「話を聞いてなかったわけではないのだろう?まあ、聞いていなかったところで何ら問題はないよ」
「……聞いて、た。何故か、驚いてしまって。買い物に、行くのだろう?」
「そうそう、それでね、もしよかったら今から行こうかと思ったんだけど……何か予定が入っているかい?」

基本的に俺の用事というものはない。出陣などはもちろんどうにもできないが、それ以外なら青江のことが最優先だ。だから、この場合青江が訊いている予定というのは出陣などがあるかどうか、である。

「……入っていない」
「そう、じゃあ支度をしておいで。僕は玄関で」

待っているよ、と続く前に青江の袖を掴んだ。少しだけ目を見開いた青江はくすっと笑って俺の頭を撫でる。

「ごめん、ごめん。さ、支度をしようか」

そう言って立ち上がった青江の後に続いて廊下を歩く。珍しくどの刀剣たちともすれ違わなかったが、思えば今は八つ時だ。今日も今日とて、厨番が腕によりをかけて見目華やかな美味しいお菓子を作ったに違いない。食事すらも俺にとってはさほど重要ではない部類に入る。けれども、青江と一緒に食べるようになってから少し、少しだけ美味しいというのがわかるような気がした。味覚障害でもないのに、おかしな話だろうか。
自分の部屋で支度をして青江と万屋へ向かう。道すがら、青江は色んなことを喋る。空を見上げて、花を見つけて、風を感じて、俺に言葉をかける。俺はそれに何も返さないのに、青江は気にせずに話し続ける。俺にとってはありがたいことだ。

「しかし、ここは本当に何でも揃っているね」

聞いた話では、大抵のものは手に入るという万屋。どういう仕組みなのかはわからないが、刀剣たちの時代のものから現代のものまで幅広く取り揃えているらしい。刀剣の中には、物珍しいものを見たいがために非番の日は万屋に入り浸るものもいる。

「これは……思ったより時間がかかりそうだな。うーん」

青江は綺麗に並べられた商品たちを見回して、困ったように笑った。

「長谷部」

青江がこちらを振り返る。手招きされて歩み寄ると、今度は棚を指差した。示された商品を見て、青江を見る。

「…………」

青江は何も言わずに次は違う商品を指差した。俺は先と同じように、商品を見て青江を見た。それを何度か繰り返していると、ある商品が目を引いた。

「(……これ)」

薇のついた小さな箱。それはオルゴールと呼ばれる、音の鳴る箱だった。以前青江が話してくれたことがある。蓋を開けると綺麗な音色が流れ出すと言う、からくり。今度探してみようと言っていた。ものによって、流れる音楽が違うとも。
青江を見ると、彼もまたこちらを見て、何か探っているようだった。何だろう?と首を傾げるが、青江はオルゴールに視線を戻して頷いた。

「これにしようか」

やはりオルゴールを探しに来たのか。いや、それなら真っ先にオルゴールを探せばいい。並んでいる商品を順に見ていく必要などないではないか。青江はオルゴールを探しに来たわけではないのか?ならば、何故?

「長谷部」

青江がオルゴールを手に会計へ向かう。俺もそれについて行って、一緒に店を出たところで青江からオルゴールを差し出された。

「はい、あげる」
「…………え?」
「君に贈ろうと思って買ったんだ。貰ってくれ」

そう言われてしまえば受け取らない訳にはいかない。しかしわざわざ俺のためになんて、と考えてしまうのは仕方がないことだ。俺はご主人に、傍に置いて欲しいだけ。役に立ちたいだけだから。見返りというなら、俺を必要としてくれれば、それでいい。

「……ありがとう」
「ふふっ、どういたしまして」

さぁ、帰ろうか。にっかりと笑う青江の、斜め後ろを俺は付いて歩く。

「ご主人、これ、帰ったら」
「うん?」
「一緒に、聴きたいです」

まるで機嫌を伺うように、俺はそっと青江の顔を見る。青江はくすっと小さく笑って、「そうしよう」と頷いた。
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