藤色の付喪神

□込められた想い
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至る所から聞こえる笑い声、廊下を駆ける足音、誰かを呼ぶ大きな声、畑を耕す音、床を踏みしめる音、動物たちの鳴き声、微かに聞こえる衣擦れの音、そして滅多に姿を見せない少女の声。
今日も僕たちの本丸は平和である。




           込められた想い




僕がこの本丸に顕現され、とある本丸から刀剣たちを迎え入れてからどれほど経っただろうか。未だ誰一振りとして折れることなく、皆で楽しく毎日を過ごしている。あの子も楽しんでくれていたらいいと思わないでもないけれど、きっとそんなことはないのだろうね。ここの刀剣たちは皆、彼女のことを悪く思ってはいないのに、そんなことは関係ないとばかりにあの子は当初の宣言通りめっきり姿を見せなくなった。それでも毎日誰かしらが姿を見かけるなり声をかけるなりはしている。これだけ刀剣がいれば誰の目にも触れないというのは不可能だったようだ。同じ刀剣でもまるっきり生活パターンの違うものもいるのだから当然と言えば当然である。以前はなんとか丸め込んで一緒に食事を摂ったり遊びごとに交ぜたりしていたが、まあそう長くは続かなかった。彼女のあれも筋金入りだということだ。そうでなければあんな面倒なことにはなっていないのだろうが。

「歌仙、どうしたんだいこんなところで」
「蜂須賀。いやね、なんだか音がよく聞こえたものだから」
「音?」
「そう、音。誰かの声や動物の声、足音だとか床の軋む音だとか、色んな音が聞こえたんだ。改めて聞いてみると、なかなかいいものだと思ってね」

廊下で立ち止まっていた僕に、向かいからやってきた蜂須賀が不思議そうに話しかけてきた。彼は白いリボンで髪を結っているから二振り目の蜂須賀だ。長曽根から貰ったというそのリボンを、蜂須賀はとても大切にしている。一振り目の蜂須賀は長曽根とは仲が悪いため、事あるごとに二振り目に相談しているらしい。ほんの少しだが顔を合わせた時よりも改善しているそうで、浦島も入れてさらに仲良くなれるよう張り切っていた。それを、一振り目も知らない訳ではない。彼なりに、なんとか譲歩できないかと模索しているようで、僕も相談を受けた一振りだ。きっともう直に、浦島の笑顔が見られることだろう。

「……ふっ、確かに、いいものだね。そうか、゛これ゛は変わらないんだね」

変わらない。
そう、刀であった頃も、今こうして人の身を得てからも、゛世界の音゛は変わらない。そこには命が、そこには心が、そこには想いが、そこには意味が、様々なモノが宿っている。新たに知ること、知っているものを改めて感じられること、どちらも味わえるなんて、なんて幸せなことだろう。

「ああ、そして変わったんだよ」
「……そうだね。現代のこの国で、戦の音は聞こえない」
「…………良いことなのか、悪いことなのか、僕にはわからないけれどね」

きっと多くの悲しみが減っただろう。苦しみだって、たくさん減っただろう。憎しみさえも、後悔さえも、絶望すらも格段に減っただろう。だけれど、人の命の、その儚さ故の美しい志も、華々しい生きざまも、同じように減ったのだろう。限られた短い時間だからこそ、灯が消えるその瞬間まで必死に生きる。人が生きた証の、なんと美しいことか。

「それは俺たちが決めることじゃあない」
「ああ、その通りだね」
「歌仙!」

声がした方角には宗三左文字の姿があった。慌てた様子でこちらへ駆け寄ってくる。ジャージを着ているから彼は一振り目だ。

「燈がまた」
「ああ、わかった。すぐに行こう」
「このところ頻繁だね。不安定、なのかな」
「さあね。わかるようなわからないような。彼女は未だに謎が多い」

宗三に礼を告げて、歌仙は今の所有者のもとへと急ぐ。
今に始まったわけではなかった。所有者――この本丸の審神者である燈(真名である)は、ふと情緒不安定になることがある。例えるならば迷子のように、己の身を抱き締めて、震えながら怯えているのだ。理由を聞いてもわからないの一点張り。あ、あ、と言葉にならないようなか細い声で彼女はすすり泣く。その様子に歌仙を始め乱も加州も悟った。この人の子は、脆いと。あまりに小さなその姿に、手探りで言葉を贈り一晩中傍を離れなかった。三振りがいることで落ち着いたのか震えはおさまったものの変わらず不安に苛まれている。「傍に居る」と何度も何度も囁いて、ようやっと彼女が眠ったのはもうじき朝日が昇ろうかという時間だった。
あの一件から刀達を受け入れてからも、それはなくならなかった。実に不定期で、多いのは夜だが時折昼間も訪れる。夜は必ず二振りが彼女と一緒に眠る。一振りではうっかり自殺しようとしたときに危ういからだ。力だけで考えれば短刀一振りでも彼女を抑えつけることはできるが、何を考えているかわからない以上備えておくべきだ。

「燈」
「――、っ、ぁ、う、うぅ、――、あ、――、――っ」
「歌仙、つい数分前からだ。いつもよりは軽いが……燈、長谷部がついております。ここに、ほら」
「長谷部、ありがとう。燈、僕もここにいる。何も心配は要らない」
「………………」
「ここに居る。きみの、傍に」

嗚咽は聞こえなくなったものの呼吸は荒いまま、小さな体は微かに震えている。折れてしまいそうなその手を、長谷部が両手で包み込んで心配そうに彼女を見つめる。

「長谷部」
「ああ」

歌仙は燈の身体を抱き上げ、椅子に座らせる。西洋のデザインである青いその椅子はおとぎ話にでも出てきそうな雰囲気を醸し出している。「お人形みたいで絵になるかなと思うんだけど」、そう言って髭切が用意したものだ。そこへ「どうせなら着飾ったらいいんじゃない?」とにっかり青江が提案し、黙ったまま反応を示さない本当に人形のような彼女を幾振りかで飾り付けた。洒落た椅子に華やかな着物を纏った彼女はその抜け落ちた表情から、等身大の人形と見まがうほど動かなかった。遊ぶというよりは皆彼女と触れ合いたくて、時折何事もなかったかのように戻る燈を構い倒した。

「……長谷部」
「はい、ここに」
「……歌仙」
「お呼びかな?」

ふ、とその目に光が灯る。顔を上げた彼女がそれぞれの名を呼んだ。長谷部は先と同じように燈の手を取って、歌仙は傍らに立っていた。二振りを見やって、燈は溜息交じりに口を開いた。

「また?」
「そうだね」
「貴方たちも飽きないですね。放っておいても死ねませんよ」
「俺たちが、貴女と居たい。それだけです」
「……そう」
「まだ始まったばかりだよ、この生活は。どうだろう、君には死ねないというデメリット以外、不自由はないと思うのだけど」
「構いすぎです。独りにしておいてください」
「嘘ですね。貴女は寂しがりだ。皆、傍にいますよ」
「気長に待っていておくれ。ちゃんと死なせてあげる。約束は守るさ」
「……ありがとう」

どういたしまして、と返して歌仙は燈の手を取り長谷部と一緒に彼女を連れて部屋を出た。されるがままについていく彼女は何を口にするでもなく足を引きずった。
大広間の前の縁側に着いたところで燈に座るよう促すと、それを見つけた刀達が寄ってくる。

「燈、もう大丈夫なんですか?」
「ただいま戻りました。遠征は大成功です」
「今日の誉は俺だったんだぜ!」
「最近野菜がたくさん実りまして、豊作です」
「あかり、うえきばちのおはながさきましたよ!」
「聞いてよ、倶利ちゃんたら僕の燕尾間違って洗濯しちゃったんだ」
「あれはぼーっとしていたせいで、悪かったといっただろう。光忠はうっかり醤油を入れ過ぎてたぞ」
「まあまあ。俺なんて池に落ちちゃいましたよ!」
「威張って言うことじゃないぞ、ずお」

宗三は燈の様子にほっと安堵の息を漏らし、前田と一振り目の厚、蜻蛉切と二振り目の今剣が嬉しそうに報告する。一振り目の燭台切と二振り目の大倶利伽羅は面白半分に、それに乗る形で二振り目の鯰尾と二振り目の骨喰が楽しそうに話し始める。

「ほら、君は独りじゃない。まだまだ付き合ってもらうよ?」
「…………おかしな刀」
「お嫌いですか?」
「いえ――大好きよ」

彼女は立ち上がって、静かに微笑んだ。

「ぼくはぼくなりにさせてもらうよ」
「今までと変わりないさ」
「問題ありませんよ。俺たちも俺たちで好きにします」
「そう、ならいいけど……私、気まぐれだから気を付けてね」
「承知いたしました」
「あかりがやさしいことぐらい、ぼくたちはしってますからだいじょうぶです」
「あたしだって、最低限の礼儀ぐらいは弁えてるつもりよ」
「何かあったらちゃんと言いますから心配要りませんよ!」
「心配なんて、俺がすると思う?」
「どうだろうね」

瞬きの後に彼女の表情から笑みが消える。

「さ、何をしましょうか?」

問いかけた声に、あれをしようこれをしようとさらに声が重なる。

「ええい、一度に喋るな!一振りずつだ!」
「明日も明後日もあるんだから慌てることはないよ。時間はたっぷりある。僕たちは、主の刀だからね」
「俺この間演練で練度の高い本丸に勝ったんですよ!燈の言ったこと、本当でした!」
「言われてみれば納得だった」
「俺たちは主の刀だ。その強さでもって、今の所有者である貴女と歩もうと俺たちが決めました」
「ぼくたちはけっしてよわくありません。すごしてきたじかんとかれらとのきおくは、ぼくたちにとってとてもたいせつなものです」
「証明してみせるよ。無駄ではないとね」
「ふん、当然だ」

それらを聞いて燈は笑う。目を、閉じて。

「わかっているなら問題ないですね。なんのご縁かこの小娘が呼び起こしてしまいましたけれど、あなた方の主君と共に生きてください。私が、それをこの目で見ましょう。この耳で聴きましょう。この心で感じましょう」

あなた方が生きた時間を、ボクは肯定しましょう。

「ありがとう」
「こちらこそ」

皆の気持ちを代弁した歌仙の言葉を受け取り、彼女は目を開いた。



End

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