藤色の付喪神

□流れる
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 夢が見たい。
 ご主人様に、出会える夢を。毎日、願っても願っても叶うことはなかった。それが意味することは何なのか、考えようとは思わなかった。そうして不安に駆られながら、俺は青江のもとへ向かうのだ。彼の優しさに、甘えるために。




     流れる




 互いの予定がすれ違っている時ですら、長谷部は僕のもとへ顔を出す。一日を二十四時間として、一度も会わない日はない。以前はそんなことはなかったはずだが、ここ最近は必ず長谷部が来る。来なければ僕が長谷部に会いに行くから、彼に限った話ではないんだけど。相も変わらず本丸の皆は、互いが何処にいたとかさっき見かけたとか教えてくれる。しかも新しく来た刀剣にもまずこれを教えるものだから、彼らは揃って首を傾げるのだ。
 にっかり青江とへし切長谷部の関係は。所有者と所有物。とはいえ所有者は仮ではあるが、僕らの認識はこんなところだ。ただ、審神者にも刀剣たちにも知らせてはいない。恋仲かと訊かれたことはあるが、二振りして違うのではと答えたのはついこの間な気がする。結局、本丸では物凄く仲がいいと思われている。間違ってはいないしそのままでいいかと思っている。ちゃんと訂正できるとは思えない上に、訂正したところで意味はない。むしろ悪い方に動く可能性すらある。何より、彼はあれを知られたくないのだから余計なことはすまい。

「珍しい」

 先程まで空色よりも深みのある青が広がっていたというのに、ふと気付けば白とも鈍色ともつかぬ絵の具で塗り潰されている。室内に影が差したのはそのためだったのか、と再び部屋を見回す。全体的に明度の下がった空間はそこかしこに小さな闇が生まれている。これらが一層濃くなれば、かくれんぼでも始まることだろう。
 ひたひたひた。近づいてくる足音は一定のようで乱れてもいて。ちらとその方向を見やれば見慣れたその姿。ゆらゆらとこちらへ歩いてくる長谷部の表情こそ常のものではあるが、その目は色合いを揺らしながら時折瞼の下へと隠れる。

「…………」

 そっと僕に目を止めた長谷部に、僕は黙って目を合わせる。ひとつ、ふたつ、みっつ……戻っているのか、長谷部は少しの間その場に立ち尽くして、ゆっくりと僕の前にしゃがみ込んだ。珍しいことである。すり寄ってくることはあれど、閉じた部屋の中でもないのに長谷部がここまで繕えなくなっているとは。僕はさっと立ち上がって障子を閉め、長谷部に向き直る。

「長谷部」

 ひとつ名前を呼べば、彼は僕を見上げた後目を伏せてもたれかかってきた。僕はただ、そうしなければいけないような気がして彼の頭を優しく、優しく撫でる。まるでそれしか知らないみたいに、何度も何度もこの手は同じ動きをする。少しして、そこでやっと頭が考えることを始める。甘えたいだけとは思えない。疲れているのだろうか、それとも単に睡魔に襲われているのか。しかし眠たいならば膝枕でも強請りそうなのに、否そうでなくとも横になるだろうにもたれかかってくるということは、眠たいわけではないのだろう。
 長谷部のことで、悩むことがなかったとは言わない。お互いにそこまで気負うことはないと言い出したのはこちらだけれど、この関係が心地よくなってしまったことは良いことと思えない。だが悪いことと断言も出来ない。わからない。彼を思うなら、彼のご主人様という人が(人間なのかはさておき)見つかり、そこへ帰るのが一番良いことなのだけれども。慣れてしまったせいか彼が自分のもとから離れてしまうのは寂しく感じる。
 あまり執着しない方だと思っていた僕がこうなのだから、長谷部のご主人様も彼を手放すことはしないと思うのだけれど。僕が絆されてしまっただけなのか、長谷部の性質か何かなのか。もしかして、そうだから彼のご主人様は彼を手放したのだろうか。そうだとしたら、最悪の結末が紡がれてしまうことは必至。彼が望むのは、どんな結末なのか。僕は、望まれた結末を望む。

「…………ご主人」

 意図せずして反応が遅れた。彼にそう呼ばれるのは、わりと気に入っていたのに。まさか嫉妬でもしているのか。
 こちらをじっと見る長谷部に気付いて、苦笑いで応える。

「……何、か?」
「少し考え事をね……君が、そんなふうになっているのはどうしてかなぁって」

 下手な隠し事は今でも彼を悩ませる。だから素直に問いかけてみたのだが、時機が来たようだ。長谷部はいつもと違う雰囲気を纏って、吐息交じりに小さな声で話し始めた。

「夢……せめて、夢の中でだけでも、お会いしたいと」
「…………」
「毎夜願っても、あの方は、来て下さらない。それが、答えなのではと……俺は、あの方に、もう要らない?」

 彼のご主人様とやらはいったいどこで何をしているのか。長谷部を必要としているならすぐに来ればいい。そうでないなら、はっきりと言い渡してやればよかったのだ。彼はそこまで愚かでないというのに。

「……寂しい、さび、しい。独りは、嫌だ。あの方の、お傍に……」

 声が段々と揺れ、か細くなっていく。長谷部の目に涙は浮かばないものの、その姿はひどく脆く見えた。
 会いたいと、寂しいと、繰り返し言葉にする彼は正気とは思えない。そもそもが正気を演じていただけで、それを繕えなくなってきているのは知っていた。僕のもとへ来るたびに、彼のもとへ行くたびに、少しづつ崩れていっていること。きっと長谷部もわかっていた。それでもこのごっこ遊びを止めなかったのは、それほど彼が疲弊していたからだろう。
 僕も彼も、哀れだと思った。二振りまとめて抱き締めるように長谷部の身体を引き寄せる。

「……ど、こ、あの人、は……どこに、どこ、どうして、どうし、て」

 どうして俺を、連れて行ってくれなかったのですか。
 悲痛な声が聞こえたと同時に言葉にならない音が涙のように流れてくる。力の入っていない身体はさながら人形のようで。どこを見ているのかわからない瞳が硝子玉のようで。ただひとつ、彼の口から紡がれるすすり泣きだけが物言わぬ人形ではないことの証左だった。

「もう、いいよ……もう、大丈夫」

 どこかで苦しんでいる彼を繋ぎ止めるように。
 勘違いならそれでいい。もしも、長谷部が僕のことも苦しんでいるのなら。せめてそれだけは取り除いてあげたい。時機が来てしまった今、僕が彼にしてあげられる、唯一のことだから。
 けれども叶うならば、もう少し浸っていたかった。穏やかな心地が消えていくのは、もっと後であって欲しかった。こんな悪足掻きはみっともない。頭ではわかっているのに、心が付いて行けなかった。付いて行かなかった。
 長谷部の声が聞こえなくなったことに気付いて、その顔を覗き込む。先程よりも落ち着いてはいるが依然その目は何も映していなかった。その目が閉じられでもしていたら、まるでさっきの錯乱した状態が嘘のようだった。彼の性質ゆえなのか。

「…………」

 思えば特異な性質だ。本丸の発足は遅い方ではないが、それでもこんな個体差は聞いたことが無かった。事実あったとしてもうちと同じように隠されている可能性もないではないが、噂も立たないことがあるだろうか。欠片も聞かないということは、長谷部は、この個体差は彼だけなのではないだろうか。『独りは嫌』というあの言葉は、そのままの意味で、ここには彼しかいないのでは。同属はおろか、似ているものさえいないのだとしたら。

「かえりたい」

 呟かれた言葉にはっと我に返った。
 理解者がいないと嘆いていた彼にとって、僕は少しでも癒してあげることが出来ただろうか。長谷部が求めるのは僕じゃない。そして、僕が求めるのもきっと長谷部じゃない。ぬるま湯が、心地よかっただけ。

「長谷部、君のご主人様はきっと、君を迎えに来てくれるよ」

 慰めにならない言葉を、それでも彼に投げかけて。別れの時は、君を送り出せると信じて。両の腕から解放してやれば、長谷部はすっと立ち上がって言った。

「いない」

 その言葉の意味を図りかねて次を待つも、ゆらゆらと彼は障子へ向かっていく。

「あの人は、いない」
「……それは、どういう?」
「いない……俺が」

 音もたてずに障子を開けて、その身は部屋の外へと出て行ってしまう。
 ああ、最後に髪を梳いてもらえばよかったと場違いな後悔をして、長谷部の姿をじっと見つめる。振り返った長谷部の表情はまだ何にも覆われていないものの、その目は綺麗な藤の色を宿していた。

「創ったから」

 え、と声に出せたかわからない。ただ己の顔が驚愕で覆われていることは自覚していた。いない、創った、とはどういう意味だ。彼はかつての自分の所有者を待ち侘びている筈で、だから僕が仮初の所有者となって、長谷部は彼の人を想って今しがた泣いていたというのに。

「俺はまだ、終わらないから」

 顔だけでなく身体ごとこちらに向き直って、長谷部は続ける。

「また、いっしょ」

 だから、明日また、髪を梳きに来る。
 微笑みながらそう言い残して、再び音もなく障子が閉められる。ひたひたひた。遠くなっていく足音と裏腹に、自分が自分である感覚が戻ってくる。手放したつもりはなかったのに、まるで夢でも見ていたようだ。

「いっしょ、ねぇ?」

 口惜しいと感じた関係はこれからも続いて行くらしい。しかし、彼の性質を見誤っていたかもしれない。どこからが嘘で、どこまでが本当なのか。おそらく長谷部自身にもわかってはいないのだけれど。『いないから創った』、なるほど簡潔で明瞭でこれ以上ないほどわかりやすい。彼が求めているのは所有者で間違いはない。ただ、居ると思っていたそれがそうでなかっただけで。
 考えれば考えるほど問題が複雑になっている気がしないでもない。妖しい気はしないし、そこまで悪いものでもないだろう。ただの寂しがりやだ。続きを考えるのはまた今度にしよう。既に毒されている今、終ぞ彼に食い殺されるのも悪くない。

「所有者が刀を選ぶのではなく、刀が所有者を選ぶ、か」

 彼こそ、その言葉通りだと僕は思った。




End

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