藤色の付喪神

□筋書き通り
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 例えばお気に入りの本を開いたように。例えばお気に入りの玩具を並べたように。




     筋書き通り




 鶴丸国永は一振り、月夜に気分を高揚させつつ本丸の外を人気のない場所を選んで歩いていた。ふらり、ふらり、微笑を浮かべてどこへともなく足は動く。すり足のようにほとんど足は上がらず、歩いているというよりは滑っているように見える。するり、するり、微かな足音は誰の耳にも届かず夜の静けさに消えていく。
 時折夜空を見上げて月を見つめては、うっそりと笑みを濃くし視線はそのままにふらり、ふらり、と歩み続ける。それを幾度か繰り返したところで、今度は本丸の縁側を、同じく月を見上げながらするり、するり、と足を引きずる。しかし今は明確に目的地へと向かって。

「…………」

 立ち止まったのはとある一室の前。月が見えるようにと縁側へ腰掛け、夜の空気を吸い込んだ。ゆっくり吐き出せばその身も夜に染まったようで。瞬きをふたつの後に、やはりこみ上げる喜びを表すようにうっそり微笑んだ。
 月が見える。夜空に浮かんだそれは煌々と世界を照らし、鶴丸の影を色濃く描き出していた。ここからは見えない庭の池には、水面で輝く月が拝めるだろう。満月にはまだ日があるが、それでも今宵の月も申し分ないほどに美しい。恍惚と見上げる鶴丸の、金の双眸は本来の色とは違う輝きを纏う。
 くすくす。
 こらえきれなかった声が漏れ、辺りに響く。草むらで奏でられる虫の声が、月夜をより一層魅力的に仕上げる。あの小さな身体からこうも綺麗な音色がよくもここまで響き渡るものだ。毎夜開かれる演奏会は、いつだって美しい旋律をこの耳に届けてくれる。悲しいかな雨の日にはその音に聴き入ることは叶わないが、雨音の歌声もまた乙なもの。
 そっと目を閉じて意識を耳に集中させれば、今宵の演奏会へご招待。

「国永」

 聴き慣れた声に目を開けば、へし切長谷部が浅葱色の着流しに身を包み、僅かに首を傾げて立っていた。足音をたてないままに長谷部は鶴丸の後ろ、明かりの無い部屋の障子を、やはり音もなく開け放つ。しゅっと音が聞こえたかと思うと、部屋の奥にぼんやりとあたたかな色が灯る。電気ではなく、マッチで行灯の明かりをつけたのはこの月夜に合わせてのことだろう。
 そっ、と鶴丸の隣へ膝をついた長谷部は何も言わずに月を見上げた。それを横目に鶴丸は再び目を閉じる。ああそういえば、この音色は昼間も耳にすることが出来るのだったか。しかし昼は滅多なことが無い限り誰彼騒いで賑やかだ。自分も例に漏れていないし、皆が出払っていない限り昼に演奏を楽しむのは難しい。鳥のさえずりすら、聞こえるかどうか。

「国重」

 なんとなく、隣にいる彼の名を音にしてみる。目は閉じたまま、ひとつ、ふたつ、みっつ。長谷部が動く気配がしたかと思うと、鶴丸の左肩に重さを感じる。目を開き、愛しい彼に己も頭をすり、と寄せた。放り出された右手に、左手で突いて、撫でて、重ねて、離れて、ちょっかいをかければ長谷部もまたそれに応えるように手を動かした。「国永」と彼の声が楽しそうに響いた。

「ふふ、はははっ、ぁ、っ、ふ、くくっ」

 つられたように鶴丸も笑い出す。声が上がったのは最初だけで、二振りして音もなく肩を震わせ、次いで喉を震わせて笑った。鶴丸はもともと声を上げて笑う方だった。長谷部は喉を鳴らして笑う。いつからか、二振り共にと結ばれてから長谷部は声無く笑うようになった。それは決まって鶴丸に甘えている時で、機嫌がいいときは言葉も最低限に全身でその感情を表すように鶴丸にすり寄るのだ。なんて可愛らしい伴侶だろう。まるで猫のように愛でろ愛でろと言わんばかりに鶴丸に詰め寄る。そんな長谷部をこれでもかと構い倒すのが鶴丸の楽しみだ。長谷部の機嫌がよくても、二振りでじゃれ合ったり手合わせをしたり、思い出話に花を咲かせたり幾振りかと集まって主に教えてもらった玩具で遊んだりと、大抵はそこまでだ。何の拍子か全力で甘えてくることはそうそうない。
 どうしても甘えて欲しい時なぞは、鶴丸はあれこれとちょっかいを出してみたり拗ねてみたり、押して駄目ならと必要最低限の接触で我慢してみたり、わざと「長谷部」と呼ぶこともあった。呼び名は、伴侶になる少し前に決まった。そも、最初は何処の本丸でも似通っているだろう「鶴丸」「長谷部」と呼び合っていたが、あるとき鶴丸が燭台切と大倶利伽羅を「光忠」「伽羅坊」と呼んだ際に長谷部も「国重」と呼んでみては、と燭台切が提案したのを採用したのが切欠だ。それを聞いた長谷部がならば自分も「国永」と呼んだ方がいいかと返したところ、「どちらも国がついてお揃いだな」と大倶利伽羅が呟いたことで定着した。後に燭台切と大倶利伽羅は二振りが「お揃い」を気に入っていることを惚気と共に聞かされることとなる。ちなみに、大倶利伽羅のことを廣光と呼ぶのは長谷部の特権だったりする。

「いい月夜だ」
「そうだな」

 身を寄せ合ったまま、二振り、夜空の月を眺める。

「なぁ」
「なんだ?」
「お前も気付いているか?」
「何のことだろうな」
「世界のことさ」

 なんとはなしに、鶴丸は長谷部に問いかけた。誰にも聞いたことのない、自分が思い至った世界の成り立ち。これまで、それらしい話題があがることはあれど掘り下げることはなかったそのテーマ。そっと身を起こした長谷部の貌が月明かりに照らされて、うっそりと嗤う。

「…………」

 それを見て鶴丸は、長谷部も自分と同じ結論に辿り着いたことを悟った。否、そうであったらいいと切に願った。こんな物語を知ってしまって、それが自分独りだなんて寂しかった。

「答え合わせといこうか」

 絞り出した鶴丸の声は思いの外頼りなく、それがかえって先に感じた寂しさを抑えることが出来た。

「俺達は、創られた」
「ふふっ、刀なのだから、当たり前だと言いたいところだが……」
「ああ、そういう意味じゃあないな。動物も植物も人間も」
「神ですらも、創られた存在」

 罪深いのは、果たして人間だけだろうか?

何が罪だ? そもそも、それらを決めたのは誰だ? 生きとし生けるものは本当に進化しているのか?
時の流れに逆らうことは出来ない。それは、何故? その絶対的な力はどこから?
争いは何故起こる? 何故悲劇の幕が上がる? どうして不幸が訪れる? どうして道を、踏み外す?
人を治めるのが神ならば。人に辿り着けない絶対ならば。どうして皆が幸せに暮らす世界が幻想なのか。
人に欲があるから、なんて。さりとて神も同じこと。果ては人の信仰が無ければその力は瞬く間に枯れてゆく。神が人を導くものでないなら、妖ものや人ならざるものと何が違うだろう。対価を差し出したところで、祈ったところで、人を守る訳でもなし救うわけでもなし。教えや教訓があれど必ず秩序を乱す人間が現れる。
人間が忘れる生き物といえど、あれだけ数がいてそんなふうに成長することがあり得るのだろうか?
ルールを作り協力し教えを守り生を謳歌し喜びを分かち合い努力を重ね他人を思いやり、そこまでして、どうして、わざわざそれを踏みにじる人間が生まれるのだろうか?理想郷なんて言葉は必要ない。誰しもが幸せな世界はすぐに訪れるはずなのに、それは夢の向こうできらきらと輝いているだけなのだ。

「答えは簡単だ」

それでは、つまらないから。

「悲しいことも苦しいこともなく、誰もが互いを思いやり、笑顔に溢れた幸せな物語。なるほどそこは≪自分が暮らすならこれ以上ないほど良いもの≫だろう。しかし」

しかし、≪自分がそれを見る側≫だったら?
娯楽やちょっとした遊びのように、当事者でなく第三者として、物事として見る場合。
何の問題もない平穏な幸せな物語など面白味も何も無い。悲しみに涙することも、怒りに我を忘れることも、緊張に息を飲むことも、窮地にハラハラすることも、達成感に安堵を覚えることも、何も無い。イレギュラーも刺激も無い平和な世界じゃつまらない。

だから。

「だから、面白くなるように、設定して、創る」

 くっく、と長谷部は喉を微かに震わせて嗤う。鶴丸は諦観を滲ませて唇を歪めた。
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