辺獄の影法師

□傾いたとて器の中
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「貴殿に何かあったら拙僧はどうすれば良いのですか」

不覚にも、その言葉を向けられた晴明は驚きのあまりピシッと固まってしまった。





     傾いたとて器の中




道満がカルデアに来てから数か月、他の何をも耐えようと彼の陰陽師だけには関わりたくないと毎日気を揉んでいた。規則正しい生活を送ってはいたものの、サーヴァントになった今生では人のそれをする必要は無いと説明は受けた。受けたが、だからといって道満には新しいスタイルを構築するという発想はなかった。もちろんマスターや他のサーヴァントから招集がかかれば応えるが、模索しながら生活するよりは生前の生活をなぞりながら必要であれば変えていく程度でよいだろう。そう考えていた。思いの外カルデアの生活は心地よい。心配になるくらい。何か目的があるわけではないので、かつてのように時間に追われることもない。興味をひくものをゆっくりじっくり時間をかけて楽しめばいい。さりとて新たな術式の開発も忘れない。あやつが召喚されれば拙僧も用済みであろう。せめてそれまでは、マスターの役に立てるだろうか。そう思った道満は次の瞬間にははてこれは真かそれとも偽りかと首を傾げた。

「……おはようございます」

起床時には誰にともなく挨拶を口にして。嗚呼良かった、まだ自分はここに居られると安堵して。毎日そうして朝を迎え、毎日そうして眠りにつく。マスターが召喚する時には式神を忍ばせてあやつが来やしないかと様子を伺う。常に気を張っているようでとても疲れるが、道満とて好きでそんなことをしているわけではない。出来ることなら記憶に蓋をしてしまいたい気分だが、それが出来れば苦労はしない。蓋をしたところで無意味であろうことも分かりきっている。少しでも気が楽になるのならと、最低限の心配をしながら道満は今日の過ごし方を考えることにした。
穏やかに時間は流れていく。レイシフトの時には日々の心配によって積み重なったストレスを発散しつつ、カルデアで待機しているときは他のサーヴァントと交流するときもある。本当に不思議な場所だと道満は思う。此処は集まり過ぎだ。人理のためとはいえ、果たしてこれは。やめよう、拙僧の考えることではないと頭を緩く振った。然して面白いことにもなるまい。もしかするといずれ考えることになるやもしれぬが、それはそれ、必要になった時でも遅くない。それよりも考えるべきことは山のようにある。

そうやってあれこれと考え比較的楽しく過ごしていた頃が懐かしい。道満はこれまでの日常を思い出して嘆息した。

「おや、溜息をついたら幸せが逃げていくらしいよ?」

誰のせいだ。
腹立たしい。そもそも何故ここに居るんだ。
目の前の晴明に心の中で罵倒しながらまた一つ溜息をつく。それをお構いなしににこにこと憎き男がさらに口を開く。

「それはお前、久しぶりに会えたのだし積もる話もあるだろう?」
「当たり前のように思考を読んで会話しないでくださいそんな話はありません」
「つれないことを言うな。それとも照れ隠しというやつかい?」
「…………」
「…………」

「……はぁ」
「何か悩み事かな?」

何なんだろう、本当に。拙僧此処で何か悪いことでもしましたかな?遠い目をして道満は記憶を辿るがちょっとした悪戯くらいしかしていないように思う。それこそこんな目に合うようなことはしていないと断言できる。自分に宛がわれた部屋であるのに今すぐ此処から離れたい。離れたいが道満がここを出て行く先に、晴明もついてくることが易々と想像できてそれはそれで嫌だと更に悩むことになった。

(いやこのまま二人きりでいるよりは誰かがいる場所のほうがいいだろうか)

道満のこの考えすらも読んでいるだろうに晴明はにこにこしたままだ。
何故こんなにも伝わらないのか甚だ疑問である。それこそ遠回しでなく直球でものを言っているのにそれでも伝わらないどころか曲解され滅茶苦茶前向きに取られてしまう。よくよく考えてみれば恐ろしいことこの上ない。このカルデアの、道満のことを疎ましく思っているサーヴァントですら会話が成立するというのに。

(……晴明に比べればなんと素晴らしい御仁であろうか。今度菓子折りでも持っていこう。受け取ってもらえるかはさておいて)

幾らか心穏やかになった道満は、その表情も少しばかり明るくなった。もはや目の前で未だににこにこしている晴明のことなど眼中にない。
カルデアで生活するようになって道満は学んだことがある。怒りや憎しみの感情は精神を疲労させるということ。強い感情は糧となれど、それが精神に及ぼす影響も大きい。それが特定の相手に対する負の感情ならば、振り回されているようで癪にも触る。幾人かのサーヴァントと共に、まずは少しでも慣れることから始めようと訓練していた道満である。訓練を重ねるうちに、参加したサーヴァントとは多少仲良くなったし、そのおかげか励まし合いながら皆かなりの成長を遂げた。道満が今、以前のように感情を露わにして叫び出したりせず心の中だけで晴明を罵倒できているのもこの訓練のおかげである。

(皆々様には本当にお世話になりました。やはり重ねてお礼をしなければ)

どんなお礼にしようか。物を贈るか、それとも好物でも作って差し上げるか、はたまた特別な術式でも披露しようか。道満の機嫌が目に見えて良くなっていく。口角が僅かに上がり、眦に優しさが浮かぶ。誰が見てもご機嫌な姿に、晴明は首を傾げる。悲しいかな自分と居るときに道満がこのように機嫌のよいことなど滅多にない。もはや無いに等しいかもしれない。それなのにどうしたことだろう、彼は今周りに花でも飛んでいるのかというほどに、鼻歌でも歌いだしそうなほどに機嫌が良い。もしかすると晴明のことが目に入っていないのではと少しばかり寂しいような歯がゆい気持ちになりながら、しかし声をかけてもよいものかこの近距離でこんな珍しい道満の姿をもう少しでも見ていたいとしばらく見つめるに留める。

「何か良いことでもあったのかい?」

いつまで経っても状況が変わらないのでついうっかり晴明が口を開いた。常ならば「貴殿には関係のないことです」などと言い放たれるところだが、今日は機嫌のよい道満であるからやはり常とは違う答えが返ってきた。

「ええ、ええ、とても良いことです。善は急げです」

そう言いつつも立ち上がる様子も見せないので気になったままに尋ねてみた。

「そんなに良いことならば私にも教えてくれないか」
「貴殿にお話しするようなことでは御座いません」

ああ、いつもの彼が戻ってきたようだ。どこか嬉しいと感じてしまう自分がいる。微笑みながらぴしゃりと言い放つ道満に、晴明はふと考えてしまった。カルデアに召喚されてからまだ日の浅い自分だが、道満のことは誰よりも知っていると思っていたのに。今日この数十分にも満たない時間だけで自分の知らない彼を、知ってしまった。普通に考えれば生前にも己の知らない彼がいたことだろう。しかしそれを差し引いたとて、このカルデアで彼の過ごした時間を晴明は知らない。他者を慮るようなことが出来ない晴明である。道満を思い遣ることができなかった彼は、己の知らない間に道満が何を思い何を考えていたのか、何をしていたのかとても気になった。道満は何を思っているのだろう。何故ここで、マスターのもとで戦っているのだろう。

「私もお前とレイシフトしてみたいなぁ。後でマスターにお願いに行こう」
「突然何ですか、貴殿と拙僧のレベル差では無理に決まっておりましょう」

共に戦うことができれば何かわかるだろうかと思い付きで言った晴明の言葉を道満がすぐさま切り捨てる。種火も素材もまだまだ足りない今は、毎日毎日、サーヴァントが入れ代わり立ち代わりで周回に駆り出されている。仕方のないことだ。このカルデアにどれほどのサーヴァントがいると思っているのか。晴明とてある程度レベルは上がったものの、先に召喚されていた道満との差はまだまだ大きい。けれども晴明に向かってくる道満よりも、彼の戦う姿を一等近くで見てみたい。

「私だし大丈夫じゃないかな」

軽く返した晴明に、道満はご機嫌な様子を一変させて晴明に向き直る。そして僅かに顔を顰めてこう言った。

「貴殿に何かあったら拙僧はどうしたら良いのですか」

不覚にも、その言葉を向けられた晴明は驚きのあまりピシッと固まってしまった。
まるで晴明を心配するようなその言葉を、確かに耳にして理解したというのに受け止めきれない。これは本当に現実だろうか。言葉の意味を、はき違えてはいないだろうか。突然向けられた道満の心に、晴明は混乱しっぱなしである。延々と自問自答を繰り返していく。

「晴明殿?」

道満が訝しげに晴明の様子を伺うが、晴明はそれどころではない。何故なら媚びるでもなく嫌味でもなく、ただ純粋に道満に心からの言葉を向けられたことは幾度あっただろうかというくらいだからだ。混乱しているものの晴明は必死に状況を整理していた。この胸に渦巻くこの感情はおそらく「嬉しい」であろうとアタリをつける。それがわかったところでけれど都合のいい夢を見ていたりするのではと新たな疑念も浮かぶ。
いよいよ晴明が何の反応も示さないので道満も何事かと慌て始める。名を呼び、手を翳し、肩を揺する。そうしてやっと反応した晴明は「あ、え、あ」とかろうじて音になった言葉にもならない声を漏らした。

「……晴明殿?ご気分でも優れないのですか?」

道満が晴明の心配をしている。反応の鈍い相手を案ずるのは何らおかしいことではないのに、この二人に限ってはどちらかというとあり得ない部類だ。だから、晴明は混乱している。さっきの言葉でも十二分に訳が分からないのにさらに追い打ちが来るなんて。そうして口を開いては何も発せず閉じてを数回繰り返したところで、道満の表情がどんどん曇っていく。

「せ、晴明殿?如何されたのです?拙僧がわかりますか?」

なんとか一つ頷いたがそれだけだ。なんと返せばいいのかさっぱりわからない。
道満がほっと息を吐いたのも束の間、結局それからまた動かなくなってしまったので彼の双眸は不安に彩られていく。

「いったい何が……結界には何の反応も……しかし晴明殿がこのような状態になるほどであれば……内部、否、外部から……?」

ぶつぶつと呟きながら部屋の様子を再度確認する道満は、目に見えて狼狽している。すぐにでも安心させてあげたいのに、晴明の頭も体も動きが鈍い。

「ど、道満」
「晴明殿、すぐに医務室へ!失礼!」
「!?」

何とか名前を呼んだそれへ被せる様に道満がばっと晴明を振り返って叫んだ。次の瞬間には晴明の体は軽々と抱え上げられる。流石に驚いたがそんな晴明に構わず道満は部屋を飛び出して廊下をものすごいスピードで駆けていく。

「風魔殿!風魔殿!おられるのでしょう!!マスターは何方に!」
「突然何なんですか!」
「先ほど晴明殿の様子がおかしくなりました!医務室へ連れていきますがマスターにも報告を!」
「ッ!引き受けました!」

どこから出てきたのか、道満が声を張り上げると忍が姿を現した。このスピードについてくるのは流石だなと晴明は現実逃避をし始める。己の知らないところで事態が大事になっていく気がする。それを黙って見ているしかできない。
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