辺獄の影法師

□本当の恋でした。
1ページ/1ページ



「何故」

何故。
その言葉が何度も、何度も頭の中でこだまする。
愛おしいあの声が、悲し気に、或いは責める様に響く。響き続ける。
貴方にはきっとわかりません。
この心は貴方には届きません。
嗚呼、こんなにも愛おしい。
けれど、けれど、だからこそ貴方と共には在れぬのです。





     本当の恋でした。




いつからか、二人の関係を表す名前が変わった。
どちらから告げたのか、告げられた言葉も何も覚えていない。霞みがかったような記憶では覚えていないのと同じこと。
否。
否、覚えている。
あの時、あの場所で晴明は言った。その言葉もその時の感情も何もかも、鮮明に覚えている。大切な大切な宝物。忘れるものか、大切に仕舞い込んでおかなければ失くしてしまう。だから見えないふりをして。見ないようにした。確かに有るのに、無いもののように扱った。

「私はお前を好いている。お前も私を好いている。なのに、何故?」

晴明が静かに問うた。
けれど儂にはその問いに対する答えを説明できない。
説明したとて、きっと理解してはもらえない。
だから、今日も同じ言葉を返した。同じ問いに、同じ答えを返した。

「お慕いしております。ですから、貴方と共に歩むことはできませぬ」

晴明の表情があからさまに曇った。
それもそうだ。この関係になってから何度この問答を繰り返しただろう。納得いかないと面と向かって言われたことさえある。それでも儂の答えは変わらない。変えられない。
貴方の心に添うことができない。

「何度問われても同じです。ご用はそれだけですか?ではお引き取りを」
「待て」
「何か?」
「どうして、お前は……私にはわからない。道満、話をしよう」
「話をしたところで同じこと。もとより貴方にわかってもらおうなどとは思っておりませぬ。時間の無駄です」
「道満」
「お引き取りを」

三度は言わせない。眉間にしわを寄せた晴明を気にも留めず、そっと扉を閉めた。
諦めてください。
解り合えぬのです。
お慕いしております。嘘ではないのです。

「嗚呼」

吐息と共に音が滑り落ちた。
この胸に仕舞ってある想いが溢れぬように、あれからずっと厳重に管理している。まかり間違ってこじ開けられることがあってはならない。確信したことは、想い合えども晴明と二人で生きていくことは叶わないこと。周りの目も世の理も何も関係はない。気にすることもない。それはわかっている。
でも、踏み出してしまえばもう戻れない。認めてしまったから、ここで踏み留まらねばならない。

「戻れなくなります。だから、だから駄目なのです」

両手で顔を覆う。涙が零れないように歯を食い縛った。
閉ざした扉を背に、すすり泣くような声で呟いた。この扉を開けることができたなら。そうして彼の想いに応えることができたら、どんなに幸せだろう。

「道満」
「!」

弾かれたように扉を振り返る。
聞こえてはいないはずだ。もう帰ったと思っていたのになぜまだここにいるのか。なぜ、なんて。わかりきっている。晴明だって、諦めが悪いのだ。何度も繰り返してきた問答がそれを証明している。

「話をしよう。お前は何をそんなに恐れている?」
「話すことはありませぬ。同じことを何度も言わせないで下さい」
「お前こそ、私に何度同じ問いをさせる気だ」
「……戻れなくなります。だから、駄目です」
「既に関係は変わった。戻れなくなるというのは何を指している?」

目線が落ちる。
上手く説明できるとは思えない。できたとしても、理解してはもらえない。無駄なことだ。無意味な問答だ。
でも晴明はそれでは納得しない。

「拙僧自身でございます」

自分が自分でなくなる。
何もかも手放しで貴方を想っていられたなら。
積み上げてきた何かが、確実に戻らなくなると知っている。それをわかっていて、崩すことは出来ない。自分を構成する一部が、あるいはほとんどが、形を失ってしまう。その状態で生きることを、世界が許してくれない。世界?ああ、いや、きっと、それは自分自身だ。

「お前は私だけを見ていればいい」
「もう、既に」

どういうつもりで言われた言葉なのかわからないまま、答を返した。

「とっくに、貴方に溺れきっております」

だから、貴方しか見えておりませぬ。
貴方だけを見て。
貴方だけを想って。
そうして、終わりを迎えるのでしょう。
全部、全部、見ないふりをして。知らないふりをして。大事に大事に、心の奥底へと仕舞い込んで。

「お前はそうして、一人でゆくのか」
「ええ」
「私と契りを、結ぶことなく?」
「ええ」
「口付けすらも、許してはくれないのか」

いつの間にか開かれた扉。触れようとした晴明の手から逃げるように、一歩下がった。
一夜の夢など見ない方がいい。
触れあってしまったら、想いが溢れてしまう。仕事で接触するのとは訳が違うのだ。口付けなど、もっての外。
きっと、この先、晴明と最後に会う時が来るだろう。
その時ならば、最期ならば、良いかもしれない。
自分を、許せるかもしれない。

「お引き取りを」

何度も口にしたこの言葉を、もう言わなくていい日が来ることを願った。
涙が溢れていることなど自分でもわかっていた。止められない。思いが溢れないように、涙を溢れさせて。驚いた表情の晴明から逃げるように再び扉を閉めた。




******




ここで終わるのか。
これで、最期か。

「晴明殿」
「……道満」

笑って、なんて。言えるはずもない。ああ、そんな顔をしてほしいわけではなかったのに。
どこで間違えたのだろう。何が間違っていたのだろう。
どうして、貴方と共に在れぬのだろう。

「晴明殿、晴明殿……」

伝えなければ。
貴方の心に寄り添えなかったからこそ、儂の心を、貴方へ。

「お慕いしております……これからも……たとえ、千年経とうとも……貴方だけを、想っております」
「道満……!」

あたたかい。
最期に、貴方に触れてもらえるなぞ思いもしなかった。
呪いに塗れたこの身体を、最高最優とはいえ何の用意も無しに抱くなど。常ならばあり得ない、けれど今、こうして現実に。ああ、それだけで、それだけで十分です。

「道満」

晴明殿。儂の、星。こんなにも愛おしい。
その目で見つめてください。
名前を呼んで。
この身に触れてください。
貴方の言葉が欲しい。
その輝きを見つめることを許してください。
儂に触れる手を握り返したい。
心を差し出したい。
この腕で抱きしめたい。
貴方のために涙を流すことを知って欲しい。
名前を呼ぶことを許してください。
隣に在ることを、どうか望んでください。

「晴明殿」

頬を撫でられる感覚。心地よさに目を閉じた。これだけで、こんなにも嬉しい。
名を呼ばれて目を開けた。まるで泣き出しそうな子供のような顔。

「千年先でも、お前に出会えればわかる。また、相見えよう。今度は、私と共に生きてくれ」

はい、と返した言葉はすぐに晴明の口へと消えていった。
初めて、口付けた。
一度きりの契りの証。
嗚呼、嗚呼……想いが溢れてゆく。涙と共に、流れてゆく。滲む視界に、晴明も泣いていた。二人の想いが、一つまた一つととめどなく流れてゆく。

「さようなら」

溢れんばかりの愛を、別れの言葉に添えて。
初めての恋でした。
本当の、恋でした。
きっと、きっと、再び貴方に出会えることを願っております。
どうか見つけてください。
ずっと貴方だけを想っております。
たとえ、千年経とうとも。
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ