アイス

□歌い続けていたい
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今日もいつも通りさして何も変わらぬ朝を迎え、カイトに見送られ仕事に向かった。だが、帰ってきてみると「違い」が聴こえてきた。
そう。
聞き慣れたカイトの歌声は、俺が全く知らない歌を歌っていた。




歌い続けていたい




カイトはいつものように夕食を作っていた。プレゼントしたエプロンも、カイトに言われて新しく買い揃えた調理器具も、全てが毎日目にしていたものだ。
歌っていて俺の帰宅に気付かないのも時々あった。その時に聴こえる歌は俺が教えたものだからもちろん知っている。
けれど今日は違った。
カイトが俺の知らない歌を歌っている。
普通ならば大したことは無いと思うだろうが、カイトはボーカロイドだ。たしかに、歌を入力でなくボーカロイドに聴かせる調教方法もあるが、マスターの指示が無ければ歌うことは出来ないはずだ。
それなのに、大好きな歌声は知らないメロディーを奏でる。
自分でもびっくりするくらい衝撃的だった。目の前が真っ暗になる、とまではいかないが少なからずショックを受けた。俺が知らないカイトが、そこにいるようで。

「♪〜♪……!マスター?!」
立ち尽くしていた俺に気付いたカイトが慌てて駆け寄ってくる。
「すみません、俺、気付かなくて!」
「…………」
「あの、ごめんなさい」
「…………」
「えと、マスター?」

カイトが心配してくれている。そりゃそうだ。いつもならすぐに頭を撫でてやるのに、俺はただ立ってるだけだった。

「マスター……聴いてしまいましたか?」

何も言わない俺に、不安げな顔をしたカイトが尋ねてきた。

「もし、聴いてしまったのなら――忘れて下さい」

忘れて下さい。
どういうことだ?
マスターである俺の知らないところで、俺の知らない歌を歌って、忘れろ?
俺の中に、何かが沸き上がってきた。黒い、冷たい、何か。
咄嗟に腕に触れようとしていたカイトの手を振り払った。当然カイトは驚いた顔をして、次第に悲しそうな顔になった。
そんな顔をするな。
お前は悪くない。
今すぐ謝って抱き締めてやりたいのに、体は、心は思い通りに動かない。
すると、カイトは黙って離れていった。
とうとう嫌われたのだろうか。そう思うととてつもない後悔の念が押し寄せてきた。
こんなにも好きなのに。
好きだから、許せなかった。
俺が教えた歌以外の、俺が作った歌以外の歌を歌うことが。
何か、なんてわかってる。
カイトは俺のものだ、という――独占欲。
カイトは戻ってこない。
どうしよう。
カイトに嫌われたら、俺はどうすればいい?カイトがいない生活なんて考えられない。
それほどまでに、俺はカイトに依存していた。
ぺた、とその場に座り込んだ。突如訪れた非日常は俺をあっという間に絶望させた。

「マスター?!」

少しして帰ってきたカイトが、座り込んだ俺に駆け寄ってきた。

「どうしたんですか?!体調が悪いのですか?!」

先程振り払ったせいか、カイトは俺に触ろうとしない。不自然に伸ばされた手をとってカイトを抱き寄せた。

「ごめん、カイト。嫌いにならないで」
「マスター?」
「俺は、お前がいなきゃだめなんだ」

カイトの手が俺の背中にまわされ、とんとん、とリズムを刻む。

「俺が、マスターを嫌いになるなんて、あり得ません」

落ち着いてきた俺は、カイトの言葉に俺の中の黒くて冷たい感情が収まっていくのを感じた。

「俺が愛しているのは、これからもずっと側に居たいのは、貴方だけです」

その言葉に涙が溢れる。
俺の涙で濡れるのをいとわないようにカイトは俺を抱き締めた。

「ありがとう」

精一杯の感謝を込めて抱き締め返した。
カイトがいてくれて良かった。心の底からそう思った。すこしでもこの気持ちが届くように、カイトの背にまわした手に力を入れた。

「落ち着きましたか?」
「ん」

やっと我を取り戻した俺の顔を覗きこんだカイトはほっとしたような表情を浮かべた。
目が赤くなってるだろうから恥ずかしいのに。
そう思って顔を逸らすと、手を添えられて目を合わせられた。

「マスター。もうこの際だから言います。貴方をそんなふうにしてしまうのは心苦しいです。聞いてください」

青い瞳がまっすぐこちらを見る。

「俺はボーカロイドです。貴方の歌を歌えるのがとても嬉しい」

にこっと微笑みながらカイトは続ける。

「とても幸せです。だから、俺が幸せだって貴方に伝えたかった。それで、見つけたんです」

見つけた?
何を?

「俺達ボーカロイドの調教方法は貴方も知っているでしょう?だけど、三日前に新しい方法を見つけたんです」
「新しい……方法?」
「はい。いわゆるバージョンアップみたいなものです。マスターの調教よりも劣るようになっていますが、ボーカロイドが単体で歌うことができるんです」
「でも……何で……」
「要望があったらしいですよ。俺もそうですけど、マスターのために歌うことがボーカロイドにとっての幸せですから」

カイトは俺をパソコンの前まで連れていくと、何かのファイルを開いた。

「マスターの調教よりも劣りますけど……サプライズだったら驚いてくれるかなって」

音楽ファイルであろうそれをクリックすると、静かにピアノの伴奏が流れ始めた。

カイトが立ち上がって深呼吸をひとつ。



「♪〜♪〜♪」



それはさっき聴こえた歌だった。
確かに俺の調教よりも劣るが、大好きなカイトの歌声だった。
優しい、澄んだ歌声。

俺のために、練習してたのか。
サプライズ。確かに心底驚いた。

「♪〜♪〜……」

歌い終わったカイトに俺は拍手を送った。泣き腫らした顔で笑えてるかわからないけれど、それでも嬉しかったから、優しく微笑んだ。

「本当は、もう少しだけ練習しようと思っていたんですけど……」

照れたのか、少し顔を赤らめたカイトは続ける。

「見つかってしまいましたから」

そう言ってはにかんだ。

「ねぇ、マスター。俺、とっても幸せです。貴方が俺のマスターで良かった」

カイトは、初めて笑った時のように綺麗に微笑んだ。

「俺も……」

きょとん、とした顔のカイトを抱き締めた。

「カイトが俺のとこに来てくれて良かった。すっごく幸せだ」
「マスター……ッ!」

カイトの瞳から零れた涙は、キラキラと光って落ちた。

ねぇ
マスター

俺は
貴方のために

歌い続けていたい


END

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