贖罪の悪夢

□弟たちの井戸端会議
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「次は俺の番かな。バッシュはあれでかなり臆病でな。それで」

思い出し笑いを噛み殺しながら話し始めたところで、二人の表情が驚きに染まったので、何事かとノアは首を傾げた。

「どうした?何かおかしかったか?」
「いや、さっきまで兄さんって言ってたのに、今バッシュって言ったから」

言いあぐねていたラーサーを一瞥してからヴァンが素直に答えた。
なるほど確かに気が緩んでいたらしい。

「すまない、合わせたほうが話しやすいかと思ってな。とはいえ嘘ではない。俺たちは双子だから、一応バッシュが兄で俺が弟というだけでほとんど名前で呼び合っていたんだ。時々は兄さんと呼んでいた」
「そっか、双子だと……あれ?双子ってどうやって一番目か二番目って決めるんだ?」
「地域によって違うらしいです。先に生まれたほうを一番目とするか、後に生まれたほうを一番目とするか」

ヴァンの疑問にラーサーが答える。二人が見あげたノアが事も無げに話す。

「結局は一緒だ。一つだった命が、二つに分かれた。だから兄も弟も、あまり重要ではないな。でもバッシュにもお兄ちゃんぶりたい時期があって、あれは大変だった」

噛み殺せないまま笑い声を零すと、再び少年たちの表情も明るくなる。ラーサーに促されるままノアは続きを話し始めた。

「さっきの話に繋がるんですか?」
「ああ。臆病だから、何かやらかした時は母に怒られないよう隠そうとするんだが、バッシュが思う『兄』はそんなことはしないらしい。悪足搔きを重ねていつも俺も巻き込まれて二人揃って叱られた。傍迷惑な話だ」

昔を懐かしみながら話すノアの顔はとても穏やかな表情を載せていて、ジャッジの顔など欠片も連想できなかった。これが大人なのかなと思って、ヴァンは自分はどんな大人になるだろうかと考える。憧れたままに空賊になるのかそれとも違う道を選ぶのか。いずれにしたところで、好きなように生きられたらいい。過去に縛られるのではなく、過去と共に自由であればいい。

「それは……ふふ、大変でしたね」
「俺のところは兄さんが代わりに怒られることが多かったなー。それで、後から兄さんに何が駄目なのか諭されるんだ」
「優しい兄だな」
「でもまたおんなじことやってまた怒られるんだよなー」
「お兄さん、苦労されてますね。わからなかったわけじゃないんでしょう?」
「いや、わかんなかった」

真顔で言い切ったヴァンにラーサーもノアも思わず笑ってしまった。それを受けてヴァンは眉間にしわを寄せて「だって」と反論する。

「だって難しい言葉ばっかりなんだぞ。頭こんがらがるって」
「それでもわかりやすく説明してくれたのではないのか?」
「わかんなかったから聞いてない」
「お兄さんの苦労が……」

ヴァンらしいといえばそんな気もするがレックスの苦労がすごく伝わってきそうである。今でこそ人の話はちゃんと聞くぐらいするだろうが、当時はもっと幼い子供。嫌だと思ったら耳を塞いでいただろうことは想像に難くない。
自分は弟としてマシな部類だったんだな、とラーサーとノアは思ったが、ヴェインとバッシュにとって彼らが手のかからない弟だったかといえばそんなことはないのだろう。逆もまた然り。

「で、そんな兄の自慢とは?」
「!」

ノアが促すと待ってましたとばかりにヴァンの顔が綻んだ。愚痴から始まった弟会議だが実のところ自慢だってしたくて仕方がないのだ。ラーサーの顔もきらきらと輝いている。さてバッシュの自慢など何があるだろうかとノアは遠い記憶を手繰り寄せた。

「兄さんはなんでも自分でやらないで、俺にも手伝いさせてくれるんだ!」
「素晴らしいお兄さんですね!」
「ほう、それは良い兄だな」

満場一致でレックスは良き兄と認識された。何故か。簡単なことだ。可愛い弟のためとあれこれ世話を焼く兄は珍しくない。自分のような失敗をしないようにと、先回りでコツや経験を語られてしまうこともしばしば。さらには母や父から褒められるのも兄ばかりが目立つ。兄の目を盗んで自分でやろうにも、そも兄がどうこうする前に母や父、果ては周りの年長者や大人に手を出される始末。
レックスが何を思ってヴァンに自分でさせたのかはわからないが、覚えのあるラーサーとノアからすれば羨ましいことだ。自分の力で何かを成し遂げた達成感は軽くない。それが大きなことであれ小さなことであれ、自分の力でどこまでできるのか、他の誰でもない己が一番気になるのだ。そうしてそれを褒めてもらえれば子供にとってなんて嬉しいことだろう。

「しかも俺一人じゃ難しい時はちょこっと手伝ってくれたし、できたら褒めてくれた!!」
「すごい……すごいです!ヴァンはそんなすごいお兄さんの弟なんですね!」
「バッシュにも見習ってほしいものだ。君は幸せ者だな」
「ああ!自慢の兄さんだ!」

ではこの流れで、と今度はラーサーの兄自慢が始まる。

「兄上はとても頭が良くて、人の上に立つことができます!」
「他者を動かすことができるのは誰にでもできることではないからな。素晴らしいお方だ」
「責任も重いなんてもんじゃないのに、それでも胸張って立ってるしな。カリスマってやつか?」
「お仕事もできて、僕にも優しい自慢の兄上です!」

リーダーシップやカリスマ性のある人間は実はそう多くはない。そこに並外れた頭脳も合わされば国を動かすこともできる。少々ラーサーに甘いところもあるが、愛しい弟を思えばこそである。計算といえば聞こえが悪くなるが、その人が何を望んでいて、どんな言葉を待っているのか。それらを与えることで鼓舞し、力を貸してもらうのは人の上に立つうえで大切なことだ。奪うだけでは人は着いて来ない。しかし与えるだけではバランスが悪い。そこを上手く調整するのが難しいのである。

「「ノアは!?」」

少年二人が揃ってノアを振り返る。
しかしバッシュの自慢できるところなど何があっただろうか、いまいち思いつかない。一度愚痴を零したおかげで文句を言いたいところはたくさん思いつくのだが、どうにも良い点が見つからない。

「んーーーーーー……バッシュの、自慢できるところ、だろう?」

しかめっ面で悩むノアをヴァンとラーサーが期待に満ちたまなざしで見つめる。
面倒見がいいだとか、人望があるだとか、一国の将軍に上り詰めるほど強いだとか。思い付きはするものの、ではそれを自慢できるかというとちょっと違うような気もする。
そうだな、強いて言うならば――

「俺の、兄弟であること……か?」

他の誰でもない、自分の兄弟。愛しき片割れ。

(これは自慢、にはならないかな)

そう思って他に何かないかと考えようと顔を上げると、少年たちは満面の笑みを浮かべていた。

「そうだな!」/「そうですね!」

思わず呆気にとられていると、先ほどまでより意気揚々と少年たちは笑い合う。

「そうだよ、やっぱり一番の自慢はそこだよな!!」
「ええ!譲れませんね!!」
「「流石ノア!!」」
「あ、ああ」

二人の勢いに押されながらも、まあ確かにそうか、と自分でも納得する。うん、なかなかいいじゃないか。まさかこんなところで、この子たちとこんな話をしてこんな気持ちになるとは。世の中、何が起こるかわからないものだな、とノアは一人微笑んだ。

「第一回に相応しい話し合いだったな!」
「そろそろ皆のところへ戻った方がいいかもしれませんね」
「すまないな、二人とも。俺のせいで抜け出してきてしまって」
「いいんですよ、気にしないでください」
「また怒られる前に帰ろうぜ」

三人が立ち上がって部屋を出ようとしたところで。

コンコン。

「あ!いた!よかったぁ!」

控えめなノックの後、ドアの隙間から顔を覗かせたパンネロが安堵の表情で声を上げた。

「パンネロ!どうしたんだよ」
「大変なの、早く来て!」
「何かあったんですか?」
「それが……バッシュおじさまが突然泣き出しちゃって」
「は?」
「ノアおじさま、とにかく早く来てください!説明は行きながらしますから!」

困惑する三人を急かしてパンネロが廊下に飛び出る。訳が分からないままノアを先頭にラーサーとヴァンもパンネロを追って駆け出した。

「三人が出て行った後、バッシュおじさま、ちょっと落ち込んだみたいな感じで……すぐにウォースラおじさまが来てくれたんだけど、ぼろぼろ泣き出しちゃって」
「なんでまた?」
「それが『ノア、ノア』って呼ぶだけで他に何も話してくれなくて……ウォースラおじさまに任せて私は三人を探しに来たんです」
「さっきの、バッシュさんにとっても悲しいことだったんでしょうね」
「なんていうか……世話が焼けるな、あんたら」
「お恥ずかしい限りだ」

大きな溜息を吐きながらノアはパンネロについていく。ヴァンとラーサーもつかず離れずで駆けていく。何度か角を曲がって、元居た広間まで戻ってくると、パンネロがそっと扉を開けた。

「ノア」

部屋の奥、ウォースラの隣に座ったバッシュがノアたちを振り返る。パンネロが驚いたのも頷ける、まるで子供のように涙で濡れた頬に、不安げな表情はその場にいたほかの者たちもどうしたものかと困り果てていた。
ノアは溜息を一つ吐いて、バッシュの下に歩み寄った。気付いたウォースラが任せたとばかりに距離を取る。

「バッシュ」
「ノア」
「何をやってるんだお前は」
「…………」
「黙っていてはわからんだろう」
「……わかるだろう、お前なら」
「否定はせんが言葉にすべきこともあると思うぞ」
「……………………ごめん」
「ああ」

とりあえずその顔を何とかしろ、とノアはバッシュにハンカチを差し出す。そのまま背後を振り返って、ヴァンとラーサーを視界に留めるとノアはおいでおいでと手招きした。ヴァンがパンネロも連れてラーサーと三人で駆け寄る。

「すまない、この馬鹿を連れて帰るから、今日はこれで。パンネロ、手間をかけたな」
「いえ、いいんです。大丈夫ですか?」
「ああ、心配いらん」
「では次は第二回の時ですね」
「全員、花持参だからな!」

パンネロの心配そうな顔が晴れると、ラーサーとヴァンもにこっと笑って言った。

「ウォースラ、面倒を掛けたな」
「構わん」
「ありがとう」

バッシュを立たせながらウォースラに礼を言って、ノアは帰路に立つ。帰り際にヴァンがバッシュに何かを耳打ちしていたのは気付かないふりをした。





******





「で?」

きょとんと首を傾げた片割れにノアは今日何度目かわからない溜息を吐いた。

「いい年して人前でボロ泣きしていた理由は?」
「ふふ、ウォースラも似たようなこと言っていたな」

目元が少し赤いが、バッシュの涙は止まって、いくらか落ち着いているように見える。理由はわかっているし、先のやり取りで疑問は解消されているがそれではいお終いというのはなんだか割に合わない。

「わか「わかってはいるがな」じゃあ「駄目だ」そうかー」

いくらかリラックスしたせいか、記憶に残るのんびりした口調を遮ってノアはバッシュに詰め寄る。バッシュは観念したようにぽつりとつぶやいた。

「お前は強いな」

それを聞いてノアは応える。

「お前は臆病だな」

どうしてバッシュが泣いたのか。
ノアに拒絶されたときにようやっと思い知ったのだ、自分が大切なものを本当に手放してしまったのだと。

ずっと一緒に居られると信じていた弟と。
いつか一緒に居られなくなると嘆いた兄。
二人で一つ。
愛しい半身、愛しき片割れ。
いつも一緒だった。
ずっと一緒に居たかった。
兄と呼ばれたバッシュはいつか来る別れの時に怯えていた。
弟と呼ばれたノアはいつまでも変わらない未来を信じていた。
やがて兄は、いずれ離れてしまうならと己が手で弟を捨て置いた。
残された弟はうすうす気づいてはいたものの、兄の帰りを信じて待っていた。
願った未来は同じだったのに、いつしか二人の道はすれ違って別たれた。

「振り回された俺の身にもなれ」

視線を外したノアにバッシュは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ずっと一緒に居たかった。

「ごめん」

勝手に怯えて、不安に押しつぶされて、そうして半身を置き去りにした。どうせなら、自分から。
今頃になってそれが間違いだったと痛感した。
声にならない思いが涙となって溢れ出た。
ヴァンが言った、世話が焼けるという言葉を思い出してノアは自嘲気味に笑った。全くその通りだ。双子だから、片割れが何を考えているかなんて言葉にしなくてもわかった。わからない時もあったけれど、それでも一つ二つの言葉でわかり合えた。だから、気付けなかった。バッシュに憎しみを抱いて、ノアはそこで初めて言葉にすることの大切さを知った。自分たちにはさほど必要ないと思っていたそれが無ければ、その声も聞けないというのに。

「俺たちは、おんなじだろう」

視線を外したままノアが言う。

「そうだな。吃驚するほど違う」

小さく笑いながらバッシュが言った。

「何を怯える必要があったのか」
「すまなかった」

一つが二つに分かれた。
元は同じ、だからおんなじ。
二つに分かれた、だから違う。

「ヴァンに礼を言わないといけないな」
「は?なんでそこでヴァンが出てくるんだ?」
「んー?秘密だ」
「なんだそれは」

いつかの日と同じように二人で穏やかに笑いあった。遠い遠い、思い出のひととき。再び巡った安息の時間。
もう大丈夫。
長い間別たれた道がようやっと一つに交わった。





『バッシュ』
『……?』
『ノアの自慢、バッシュと兄弟であることだって』
『!』
『またな!』





End
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