藤色の付喪神

□再び来る
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本丸へ帰る道を、ゆっくり歩く。日が沈むにはまだ早い。見上げた空は薄い青色で、それでも日は傾いていた。もう少しゆっくり歩いたなら、夕暮れの空を青江と見られるだろうか。なんて考えて、どうしてそんなことに思い至ったのか疑問に思う。確かに青江と一緒に居たいけれど、それではまるで特別を期待しているみたいだ。俺が欲しいのは、そういうものではないのに。何かが、変わってきているのだろうか。俺が、変わっていく?

「……………………」

変わることは、恐ろしい。自分が自分でなくなっていく。ああご主人、俺は不変が欲しいのです。どうか変わらず、お傍に置いてください。
そんな願いを、口にするわけにはいかない。いや、青江は許してくれるかもしれない。
そうして葛藤しているうちに、俺たちは本丸へと帰り着いた。青江の部屋へ向かう途中で燭台切とすれ違った。本丸が見えてきたところでなるべく『戻して』おいたのでいつも通りにはできたと思う。自己評価なんて、あまり宛てにはならないだろうか。だからといって、なんでもかんでも他人任せはいけない。どの口が言うんだ、なんて言われそうだけれど。

「君といるときに他の刀に会うと、実感するね」
「…………お嫌でしたか?」
「まさか。ふふっ、そうして自信がついてきたのは、いい変化かな?」
「…………」

変化。
それこそ、俺が恐れているものなのに。やはり、俺自身が変わっていってしまってるのか。

「悪いことではないよ。良いことでもないしね」
「…………?」

どちらでもない?

「いや、悪いことでもあり、良いことでもあるのかな。なんて言ってみると、それらしいかな?」
「…………それは」

気を、遣っているんだろうか。ご主人は俺のことを理解はできないと度々言うが、それはこちらも同じことだ。どこまで本気なんだろうと気になることがある。すべて本気なら、それが彼の在り方なんだろうか。

「…………」

やめよう。要らぬことを考える必要はない。難しいことはわからない。わからないことを、わかったふりしようなんて思わない。結局わからないんじゃ意味がない。ならば教えてもらうしかない。

「……ご主人、それは」
「残念ながら僕にもわからないよ。言葉遊びというか、言葉流しというか。あんまり意味はないね。いいんだよ、僕は僕さ。気ままにやらせてもらう」
「……流し」
「どちらかというと捨てているかもしれないんだけど……もしかしたら後に意味を持つかもしれないだろ?だから、流す」
「意味を……後に……」
「僕らは神だけど、何も神は偉いってわけじゃあないんだよ」

偉いってことが大事なら、消えたりしないだろ?
青江はそう言ってくすりと笑った。余計にわからなくなった気もするが、わからなくてもいいことだ。余計なことは考えない。考える必要がないから。
この部屋の中でなら、俺は俺で居られる。
時折ここでも、俺で居られないけれど。
青江が適当に腰を下ろした場所から少しだけ離れて膝を折る。手にした箱を、しげしげと眺めると青江がまた静かに笑った。
木でできたそれは暗い茶色で、装飾も模様も無かった。ただひとつ、金色のぜんまいだけが箱の側面に取り付けられている。取り付けられているとはいってもぜんまいは取り外すことが出来るようで、そうすると不自然な穴が現れた。

「さ、巻いてごらん」

言われるままに一度外したぜんまいを取り付ける。かちかち、かちかち、数回ぜんまいを回して蓋を開けた。

「……………………」

綺麗な音色だった。
部屋いっぱいにその音が広がって、思わず目を閉じた。
聴き入る。知らない音色だけれど、好きだなと思ったから。大切なことだと、ご主人が言っていたから。
俺がそれに、納得したから。
「……気に入ってもらえたみたいでよかった」
「…………ありがとう、ございます」
「こちらこそ」

ご主人はいつも、俺がありがとうと言うとそう返してくる。最初に言われたときには不思議で訊けなかったけれど、二度目三度目と重なるとさすがにどうしても訊いてみたくなった。どうしていつもそう仰るのですかと。それはどんな意味なのですかと。そう尋ねてみれば、ご主人はきょとんとして「そういえばどうしてだろう」なんて言い出した。きっと何か意味があるのだと思っていただけに困惑してしまった。考え込んでいるご主人を見て、こんなことなら訊かなければよかったと後悔するがもう遅い。どうしたらいいか考える前に、ご主人はぱっと顔を上げた。珍しく声を上げて笑ったかと思うと、年少者にそうするように少し乱暴に俺の頭を撫でた。

「なんて顔をしてるんだい。答えは出たよ。いや、今作ったわけじゃあないよ?君と一緒なのは、やっぱり楽しいってことだね。だから、こちらこそありがとう」

ご主人はそう言って満足気にしていた。傍に置いてもらえるとわかって嬉しかった。けれどそれより先に、なんとかなってよかったと思った自分に嫌気がさした。せっかく、ご主人に楽しいと言ってもらえたのに。当の俺がこんなのでは。俺も、ご主人と一緒にいるのが楽しいと思えるようになりたい。単に居心地がいいというだけでなく、同じ気持ちを味わいたい。ご主人と慕っておきながら、同じはおかしいだろうか。

「………………」

思い返してみれば、俺は随分と甘やかしてもらっているな。それでも青江は、楽しいからいいのだと言うのだろうけれど。

「にっかり青江」

青江を呼んだ。オルゴールから顔を上げて彼を見ると、驚きを隠さない表情が映った。

「……長谷部?」

言葉を、探しているようだった。言いたいことがあるのに、どう言い表せばいいかわからないような、言わないほうがいいのかもしれないというような。
そんな青江に俺は無表情で応える。
普通なら、笑顔とか泣き顔とかの表情が現れるのだろうけど。これが俺だから。普通になれなかった、普通じゃない俺だから。

「聞いて欲しい。そんな大層な話でもないがな」

青江と二人きりの時に彼の名前を呼ぶことはない。いつも「ご主人」と呼んでいるから。だから青江は驚いた。そして、他の刀剣たちと話すようにスムーズに話そうとする俺に、疑問を抱いた。

「俺に、話ができるとは思えないし思ってもいない。思うということも考えるということも、俺の意志なのかわからない。全部嘘かもしれないし、全部本当かもしれない。好きに解釈してくれ」

オルゴールを両手に乗せたまま、俺は話す。
青江と一緒に過ごすようになってから、ぎこちないなりにもとても救われたのだと。一時だけだとしても、叶わないと絶望的だった願いが具現化されて満たされることが出来たのだと。与えてもらってばかりで申し訳ないのに、自分なりに楽しんでいるからいいのだと言ってくれた優しさが嬉しかったことも。人間みたいに色々な感情を感じるのが不思議だったこと。不思議で、でも嬉しかったこと。願いを叶えてくれたのが青江でよかったと思ったこと。

「ありがとう。にっかり青江、この恩は決して忘れない」

まっすぐに、青江を見たつもりだ。彼は、俺の話を何も言わずに聞いてくれた。そして口にした言葉は。

「へし切長谷部、君の心、確かに受け取ったよ」

青江もまっすぐに俺を見た。

「ひとつ、訊いてもいいかな?」
「なんなりと」
「それを今話してくれたのは、ちゃんと主が見つかったということかい?」
「……なんとなく、伝えたかっただけだ。この関係を終わらせたいとか、変えたいとかそういうことじゃない。青江がまだいいと言ってくれるなら、もう少し俺のご主人でいて欲しい」
「そうか……はははっ、よかった。君に飽きられちゃったんじゃないかとちょっと焦ってしまったよ」
「まさか、そんなこと」
「うん、わかっているよ。だから、こう、遠回しにかなって……いや、でも、そうか」

青江の表情が段々と明るいものになっていく。ひとりでうんうん、と頷いてから俺の方へ向き直った。

「これからもよろしく、長谷部」
「…………」

こくりと一度頷いた。胸の内があたたかいもので満たされていくようだった。言葉で返事をしなかった俺に、青江は嬉しそうに微笑んだ。そっと立ち上がり、引き出しから気に入りの櫛を片手に、もう片方の手で俺の手を引いて大広間へ向かう。手を引かれていることもあって俺は青江の斜め後ろを歩く。いつもの位置だ。部屋へは入らずに縁側へ腰掛けた青江から櫛を受け取った俺は、彼の後ろへ座った。彼の一等気に入っている時間を作るために。

「ん?また長谷部はんに髪梳いてもらいよるんですか」
「また小狐丸が駄々をこねるんじゃないか?」
「おっと、噂をすれば、だな!」
「長谷部!小狐の髪も梳いてくだされ!」

「駄目だよ」

青江の声が響いた。

「今、僕の髪を梳いてもらっているからね。また今度」

俺はなんだか可笑しくなって、小さく笑いながらご主人の髪に櫛を通した。




(うぬぬ……青江だけずるいであろう)
(僕の方が先だったのだから道理だよ)
(まあまあ、今度やってもらえるのだからいいじゃないか)
(あんまり聞き分けないこと言うとったら、また三日月はん呼ばれますよって)



End
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