「結界師」拍手お礼

□蜜月
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 くちゅりと指を吸われる。

 こんなに小さな口で、それでもせいいっぱいに。

 ―…まさか…。まだ腹が減ってるのか。

 思わず傍らのおやつを見やる。

 真っ白で真ん丸い、あかちゃん用のせんべい。

 ―…さっき、腹いっぱい昼飯を食ったはずなのに。

 ―…たくさん離乳食を…食わせてやったはずなのに。



 …仕方ない。

 そろりと躰を起こす。

 途端。

 「…ふっう、ぅぇぇぇー」

 涙をこぼしながら、七郎が着物を握りしめる。

 「お前のおやつの支度をしてるんだろ!」

 たしなめながらも頭を撫でる。

 ―…きっとまだまだ、こいつも人肌が恋しいんだろうな。

 小さな体をくいっと抱き寄せ、膝の上へともたれかけさせる。

 「…ぅぇ…。ぁー…」

 そうすると、ちゅぱちゅぱと口を動かしながら泣き止んでいく。

 「…お前、また俺の着物をよだれまみれにする気だろ」

 そう言いながらも諦める。

 七郎はまだ小さい。言ったって仕方がないのだ。

 おやつのせんべいを引き寄せて七郎を抱き上げる。

 「あぅ」

 こども用せんべいを見せると、ぱくりとそれにかじりつく。

 牛乳を与えると、こくこくと飲んでいく。

 …測るたびに、こいつが大きくなるわけだ。

 体重だって随分重くなった。

 食えば食うだけ成長にまわるのだろう。

 だけど。

 「うぁ」

 口を離して頭をふる。

 「…せっかく開けたんだから、全部食えよ。ほら」

 頬をくすぐる。

 それでも七郎は口をあけない。

 「…ほら。もう少し」

 唇をなぞる。

 「…ぅ」

 差し出した指を吸われる。

 「こっちを飲めよ」

 牛乳を差し出すと、唇を閉じる。

 「…我侭だよな、お前」

 そのまま小さな手が着物にしがみついてきて離さない。

 おやつを食わせることは諦める。

 七郎の布団にころりと転がし、傍らに添い寝する。

 「…ぅ」

 ご機嫌そうに笑っている。

 「ぁ」

 布団を引き寄せた俺の指を手に取り、また口に含んでいく。

 「離せって。それはお前のおやつじゃないぞ」

 きょとんとした無邪気な瞳が見上げてくる。

 ―…仕方がないか。

 笑いながら、七郎が指を吸うに任せていく。



 七郎はまだまだ、ようやく一才になったばかり。

 小さくて何をしでかすかわからない。

 だからちっとも目が離せない。

 自由な手で頬をくすぐる。



 この広い家に、もう俺と七郎しかいない…。

 五郎兄さんも、とうとう一郎兄さんたちのところへ行ってしまった。

 兄弟で残っているのは、もう七郎と自分だけ。



 「…俺がいるから大丈夫だ」

 頭を撫でる。

 「俺たちは兄弟だからな。…俺がお前を守ってやるよ」

 「ぅぅー」

 「わかってんのかお前。…1人は寂しいんだぞ」

 こつんと額をつつく。

 七郎の体を胸の中に抱き寄せる。

 「…寂しいんだからな…」

 七郎が産まれる前。

 …それを思い出す。

 上の兄さんたちには、あまり遊んで貰った記憶もない。

 ましてや親父は。接触すらほとんどなかった。

 使用人だけ。

 …食事も、おやつも、風呂も寝るのも。

 全部全部、使用人だけ。

 それ以外は、ずっとこの家に一人きりで。



 …七郎も同じ想いをするなら、それは寂しい。

 あの頃はきっと俺だって、本当は寂しかったんだ…。



 七郎が産まれて、こうして自分が世話を焼くようになって、初めて気がついた。

 …使用人しかいない生活は、寂しい…。

 ふわふわの猫っ毛をくしゃくしゃとかき回す。



 こうして七郎が、自分に懐いてみせたりするから。

 だから本当に初めて。

 ―…1人は寂しい…。

 そう思うようになった。

 七郎が産まれる前は。

 …こうして七郎と過ごす前は。

 寝るのも、食べるのも、遊ぶのも。至極当然のように。

 いつだって一日中、俺はこの家の中で一人きりだったんだ…。



 「…いいか七郎。お前は俺の弟だからな。お前の面倒は俺がみてやる」

 「ぅ」

 「だから、俺の言うことはちゃんと聞けよ」

 「ぅ」

 「…わかってんのかお前」

 七郎の口から指を引き抜く。

 「…ふぇぇぇ」

 「こっちを咥えてろよ。ほらおしゃぶり」

 小さなそれを咥えさせる。

 「…ぅぇ」

 途端に、よだれまみれのおしゃぶりを吐き捨てる。

 「七郎」

 たしなめてはみるものの、やはり俺は七郎に相当甘い。

 指の代わりに、七郎を胸の中にくるみこむ。

 「…寝てろ。昼寝の時間だろ」

 七郎が寝付いたら、読みかけだったあの本の続きを読もう。




 最近のこいつは、ついに歩くことを覚えたのだ。

 起きている間は、とてもとても危なっかしくて目が離せない。

 縁側から外をのぞき込んだり。

 書き物用に机の上に置いていた筆を口に含もうとしてみたり。

 水差しの水を自分の服にぶちまけてびしょ濡れになっていたり。

 いくら注意をしていてもしきれない。

 俺が叱ればその場では泣いてみせるものの、落ち着いたと思ったらけろりと忘れてまた危ない遊びを繰り返していく。

 布団の山を崩して埋もれて窒息しそうになっているところを見つけたときには、俺の息の方が止まりそうだった。




 …本当に、こいつはあっという間に大きくなる…。

 はいはいして。

 掴まり立ちをして。

 伝い歩きを始めたと思ったら。

 …本当に…子どもの成長は早いもんだな…。



 小さな体をぎゅっと抱きしめる。



 
 昼寝をさせる前に、おしめが濡れていないかどうかを確認する。

 「…おしめは二才まで、おねしょは三才までだからな」

 まだまだおしめは乾いている。

 「早く一人で便所にいけるようになれよ」

 交換する必要はない。それに安心しながら。

 「俺だって、三才のときにはおしめもおねしょも卒業してたんだからな」

 頭を撫でる。

 「だからお前も、三才までな。それまでは俺が面倒をみてやるから」

 「ぁー」

 「…わかってないだろ、ばか」

 笑いながら頬をくすぐる。

 「ほら、寝る子は育つって言うだろ。しっかり寝て育っとけ」

 ぽんぽんと背中をたたく。

 「んんんぅ」

 眠たそうに、七郎が胸の中にしがみつく。

 「…悪いな。ここは女人禁制だからな。…お前だって本当は、母親みたいな女がいいよな…」

 とろんとしている口元のよだれを拭う。

 「薄っぺたい胸で悪いな。…女がいれば、また違うのにな…」

 拭ったところで、すぐに顔中よだれまみれになることはわかっている。

 だけど気になるのだから仕方がない。

 「女の…あの豊かな胸の方がお前もいいよな…」

 ちょこちょこと頬をくすぐる。

 「…お前も…。これからどんどん大きくなるんだろうな…」

 とにかく食欲がすごい。離乳食もあっという間に食べてしまって、最近ではお代りまで要求してくる。

 「…こんなに小さな体の、いったい何処に入るんだか…」




 枕元の絵本を引き寄せる。

 七郎が寝付くまでの、最近の習慣。

 特段絵本の内容だの意味だのを理解しているとも思えないが、こうして絵本を読んでやっていると楽しそうに眠りについていく。

 自分がいなくて絵本を読む人がいない時だと、静かすぎるのが逆に不安になるのか、ずっとぐずぐず泣いたりしているのだ。

 暗い部屋で引き攣れたように泣き続けている七郎。

 見つけたときには、本当に胸が張り裂けそうだった。

 …絵本を読みながら、思わず目の前の七郎を抱き寄せる。

 こんなに小さいのに、こんなに広い部屋に一人きりなんて可哀想だ。

 そうして想う。

 …構ってくれる人がいなくて一人きりだった自分。

 こうして絵本を読んでくれる人も、添い寝をしてくれる人もいなかった自分。

 …七郎を構う事で、その頃の自分の孤独が癒されていくような不思議な感覚を味わう。

 七郎が寂しい想いをしなければいい。

 こうして…人の温もりを感じてくれればいい。

 七郎が笑っていることで、きっと。

 …自分の孤独も、同時に癒されているのだ…。



 ―…七郎がいないと駄目なのは、俺の方だな…。

 七郎のぷくぷくとしたほっぺたを撫でながら苦笑する。

 林檎のような頬。

 その指をつかまれる。

 そしてまた、つかまれた指が七郎の口の中に。

 くちゅくちゅと指を吸い続けている可愛い唇。

 くりくりの瞳が自分を見つめては、それで安心したように眼を閉じる。

 ―…可愛い。

 ―…弟は…可愛い…。

 ―…七郎のことが…俺は可愛いんだ…。

 そう感じることで、胸の奥がほっこりと温かくなっていく。

 そういえば…昔は自分も、ずっと弟が欲しいと思っていたんだっけ…。

 胸の中に七郎を抱きしめて、ふわふわの頭を撫でる。

 赤ん坊独特の甘い匂い。

 それを胸いっぱいに吸い込んでいく。

 「…んぇ…」

 眠たそうな声。七郎もそろそろ眠りにつくころ…。

 読んでやっていた絵本をそっと閉じる。

 ころんと転がっている七郎の頭を撫で続ける。

 しばらくそうして抱きしめて。



 …七郎が、完全に眠りについたころを見計らって、そろりと布団から抜け出していく。

 七郎の首元まで布団を引き上げる。

 風邪を引いてはいけない。

 七郎は丈夫だと思うけれども、それでもやっぱり俺が気を付けていなければ。

 様子を窺いながら、傍らの本を取り上げる。

 ―…寝ているときは、本当に天使のようなのに…。



 こいつはきっと、大きくなったら我侭な子どもになる。

 これだけ食べているから、体だって随分大きくなるに違いない。

 ―…楽しみだ…。

 ―…こいつの成長が…俺は楽しみで仕方がない…。



 母親でもないのに。

 どうしてこいつの成長が楽しんだろう。

 七郎を起こさないように。

 くすくすと、忍び笑いを漏らしていく。




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