鬼滅の刃

□苦悩する長男と無邪気な善逸
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善逸からは、『恋』の匂いがしない。
親愛。
信頼。
友愛。
それらはとても心地が良い匂いではあるけれども、それでも俺はそのことが胸を押さえたくなるほど切なくてたまらなかった。


けれども同時に安心していた。
どれだけ女性に求婚しても、泣き縋っていても、どれだけ甘い言葉を女性に向けて囁いていても。
善逸のそれは恋ではない。
だからその娘達は誰一人として、善逸から恋焦がれてはいない。
匂いを嗅ぎ取る能力を差し引いたとしてもわかる。
俺が気付くほどだ。
娘達にも分かっている。

善逸は強く優しい。とても可愛らしくて愛らしい。
中には善逸に淡い思慕を抱いている娘もいたが、善逸の言葉が本気ではないことを察し、それ以上の身動きが出来なくなっている。
なんせ声を掛けられ何と返そうかと迷っている間に、目の前で別の娘に自分のときと寸分違わぬ言葉を紡いでいるのだから、さもありなんと言ったところなのだろう。
その程度で何も言えなくなるくらいなら、そのまま仄かに芽生えた恋情など枯れさせてしまえば良い。
その程度の想いでしかならのならそれで良い。
自分から本気で想いを伝えることすら出来ない程度の思慕ならば、そのまま朽ち果て霧散してしまえばいい。

そう思っていた。

そしてある日唐突にそれに思い至った。
頭をがんと殴られたような気がした。

想いを伝えることすらままならず、ただひたむきに思慕の念を寄せているだけと言うのなら、俺もまた彼女達と何ら変わりがないということに。
身勝手な想いを、ただ日々募らせているだけなのだということに。

心を固めて「善逸のことが好きだ」と言えば、まろい笑みで「うん俺も好きよ」と返ってくる。
伊之助が「俺はどうなんだ!」と問えば、「伊之助のことも好きよ」と何でも無いような顔で返す。

埒があかない。

どうする。これから先へ進むにはどうしたらいい。
善逸にとって『特別な恋人』になるにはどうしたら。

今のまま良き友人でいたいとはもう思わなかった。
陽の光に溶けそうな綺麗な髪。
こちらを向いて微笑む優しい顔。
鬼が怖いと涙を零すときのあの頬。
善逸の体を纏う甘い甘い匂い。
それらの存在を感じる度に。
会えないときはより一層深く。
…欲しくて欲しくて、たまらなくなってくるのだから。

何の確証もないのに、どうやって先へ進めば良いのか分からない。
そもそも善逸からはまったく恋の匂いがしない。
かき口説くためのとっかかりが見つけられない。


もだもだと悶えるしか出来ないでいたある日のこと。
いつものように甘い甘い善逸の匂い。
その中に、ほんの幽かな一筋。
隙の糸のような匂いを感じ取ってしまった。
甘さだけではなく、胸を締め付けるような切なさと香しさ。
それは『恋』の匂いではないけれども、それでも俺の心を不安にさせるのには充分なほど鮮烈な匂い。

何故。
どうして。
善逸からこんな匂いがする。
もしもこの幽かな気配が、『恋』として育ってしまいでもしたら。

…とられる。
…誰かに。
…嫌だ。

ー…させない…。

ぎり、と奥歯を噛みしめる。

自分のことにはとことん無頓着な彼のことだ。
自分へと向けられる恋の音には気が付きもしないだろう。
現に善逸を慕う娘の思慕の音も、俺から醸し出されているであろう音にも何ら気付いた様子がない。
親愛の情と、色を含む情の違いについて考えもしない。

頭を振る。
もうこれ以上もたない。
俺が壊れるのが先か。
それとも…俺が善逸を壊してしまうのが先か。
伊之助は今夜は任務に出掛けていて帰ってこない。
こんな時に。
…善逸の身が、危ないというのに。


ぐるぐると狂った激情を持て余しているとき、ふ、と善逸が声を掛けてきた。
いつものように布団を並べ、あとは寝るだけとなっていたそのときに。

へにょんと眉を下げ、俺の様子を伺っていた。

「…ねぇ炭治郎。…誰も言わないから俺が聞くよ。最近どうしたの。…時たまひどく辛い音がする。今なんて特に酷い。…何があったの。そりゃ、俺なんかに出来ることなんてたかがしれてるけどもさ」
ずい、と体を寄せ、俺の顔を正面から見つめる。
「それでもさ。…俺は、炭治郎の力になりたいと思ってるわけで」

涙がぽろりとこぼれた。

そこからは怒濤のように、持て余していた激情の全てを打ち明けた。
今の俺は危険だ。
だけど俺から離れることは出来ない。
善逸が逃げてくれ。
そんなことをとりとめも無く喋り尽くした

すべて語り終わったとき、大きな瞳を更に大きく見開いて、困ったように善逸が首をかしげた。

「なんで俺よ?炭治郎を慕ってる子なら、女でも男でもたくさんいるでしょうに」
「他の誰かなんていらない。俺は善逸が良いんだ」
「趣味が悪すぎるんじゃない?女の子みたいに柔らかくもないし、なんも良いことねぇぞ?」
困ったように眉を下げてはいても、善逸から「拒否」の匂いは漂ってこない。
そのことに僅かにばかり安堵する。

「…俺は本当に浅ましい男だ。…今だって、善逸を押し倒してその体の全てを暴いてしまいたいと…そう思っている…だから逃げてくれ。俺から…ずっと」
そう言うと、困ったように腕を組む。

「…それは…困るなぁ…。俺、本当に炭治郎の音が好きなんだよ。炭治郎の音を聞いているとよく眠れるし、嫌な夢も見ないし…ずっと今のままでいたい。…それはだめ?」

「無理だ。…俺が、我慢できない…」
ぎゅむっと己の膝を掴む。

「うぅん…そっかぁ…」
そのまましばらくうんうんと唸っていたかと思うと、「仕方ないなぁ」と善逸が両手を広げた。

…いよいよこれで終わりか。
自嘲めいた笑みが浮かぶ。
恐る恐る善逸の顔を伺う。
善逸からはずっと、困惑したような匂いが濃ゆくたゆたっている。

「炭治郎がそうしたいなら俺も良いよ。あんまり良くないと思うけど」
いっそあっけらかんとしたような笑顔で、善逸がふにゃりと笑う。

「…自分が何を言ってるのかわかってるのか。…そんなことを冗談でも言ってると、俺だって何をするか分からない」
「うん?だから良いよ。炭治郎だもの。…ちょっと怖いけど、そんなに欲しいのなら好きにして?」
「…善逸…。お前のそれは、『恋』ではないだろう…。駄目だ。もっと自分を大事にしろ」
くぐもった声が出る。

「してるよ。俺、自分が苦しいのは嫌だもの。炭治郎の音が聞けなくなっちゃうのと、炭治郎のいいようにされるのと、どっちが良いかって言われたらさぁ。…やっぱり俺、炭治郎を選んじゃうのよね」
あはは、と緩く笑う。
「俺はさぁ。優しくされたら好きになっちゃうの。だから炭治郎のことも伊之助のことも本当に好きよ?それじゃ駄目って言われても、俺にはわかんないのよ」
困ったように眉を下げて笑う。

「伊之助に同じことを言われても…、善逸は承諾するのか?」
「伊之助は言わないでしょ。さすがにそんな物好きは炭治郎だけだよ」
「…それでも。もし、乞われたらどうするんだ」
「…そりゃ、伊之助になら良いよ。…やだなんでそんな怖い音させてるの!?俺がこんなにも妥協してるのになんで!?」
おろおろと泣く姿にぎりぎりと奥歯を噛みしめる。
でも。
だからと言って。
このままやめてやることも出来そうにはない。

「…後悔しても、しらないからな…」

「いやまさにその言葉は今俺が言おうとしてたんですけれど!?」

賑やかな唇をそっと唇で塞ぎながら、震える手で温かい体を布団の上へと押し倒した。

「…本当に、抱くぞ」
「炭治郎がしたいのならどうぞ?初めてだから何もわからないけどごめんなさいね?」
「善逸」
抵抗する気配もない手首を握る手に力がこもる。

「…俺はさぁ。自分が一番自分のこと好きじゃないんだ。だけど炭治郎達といるときは、楽しいなぁなんて思ってる。最近ほんのちょっとだけ、自分のこともそんなに悪くないかも、なんて思い始めたりしててさ」
すん、と匂いを嗅ぐ。
隙の糸。あれと同じ匂いがする。
…自分のことをほんの少し好きになれたから?
だから、あんな切ないような香しい匂いをさせていたのか?
…俺たちは別に何もしていない。
それなのに、善逸からははんなりとした感謝の匂いがたゆたってくる。


「…何度も言ってる。善逸は良い奴だ。…俺は本当に、善逸のことを愛している」
「恥ずかしいから連呼しないで!?」
「これからもっと…恥ずかしいことをするつもりだぞ?」
「やめてやめて!?なんでそんなこと言うの!?恥ずかしさで死ねるわ!!」
頬を赤く染めて照れている様子に、更に情欲をかき立てられるのだから仕方が無い。


「…善逸。俺は本気なんだ」
足で善逸の膝を割る。
「…たんじ…ろ…」
善逸の目が俺の目線を絡め取る。
「…愛してる。善逸の全てが欲しい」
「そんな音させないでよ。…俺が悪いことしてるみたい。…こんな俺だけど。炭治郎が本当に欲しいというのなら…いいよ?」

そんな言葉をさらりと聞かせる善逸からは、少しだけ怯えたような匂いがしている。
…そしてその中に、僅かばかりに。

…俺を侮るような、そんな匂いが一筋。

「…本当には俺が出来ないだろうと考えているのなら、今すぐその考えを改めた方が良いぞ、善逸」
「…いやだってさ…、俺よ?風呂場とかで何度も見てるでしょうが。正直な話、なんで炭治郎がそんなこと言ってるのかわかんないわけでして」
「今こうしている間にも、俺は善逸の全てが欲しいと思っている」
着物の合わせ目から覗いている肌を、つい、と指先で撫でる。
「この体の、すべてを暴きたくて仕方が無いんだ。…善逸…」
しゅるりと帯を抜く。
はらりとはだけた着物から、ずっと触れたいと願ってきた肌が露わになる。
組み敷いた体勢のまま、そっとその肌に口づける。

「…女ではないからと、俺の気が削がれて出来なくなるだろうと、たかをくくってでもいるのなら」
善逸の体から着物を取り払い、俺自身も着物を脱ぎ捨てる。
「…それは大間違いだぞ、善逸。俺は善逸なら、その姿が男でも女でも構わないんだ」

白い体の上で厚く硬い手のひらを滑らせる。
息を飲んだ善逸は、それでも何一つ抵抗しない。

「…嫌になったら俺のことを蹴り倒して逃げて良いぞ。もとより肋の二、三本は覚悟している」
「…あらそう?一応良いって言った手前俺も我慢するけどさぁ…、なんかくすぐったいねこれ…」
本当にくすぐったいからか、俺の熱に当てられたからなのか、善逸が体をくゆらせる。
「…まぁ…、本当に駄目だったら…、蹴っちゃうかも…。そのときはごめんなさいね?」
悪戯をしたときのような笑みを浮かべるものだから、そのまま俺は我慢も出来ずにその唇を貪った。





「…善逸…、大丈夫か…」
事が終わった後、しんどそうにしている善逸の髪を梳きながら問う。
長男なのに、俺は徹頭徹尾駄目だった。
自分だけとても良くて、善逸からはずっと辛そうな、苦しそうな匂いばかりしていた。
それでも何も言わず、手の甲を唇に押し当てて我慢してくれている。その姿に更に情欲を覚えてしまうのだから、俺は本当に駄目だ。


「ごめん…辛かっただろう」
「…んー?むしろ炭治郎の方がしんどかったんじゃない?俺は何もしなかったしさぁ。全部炭治郎1人でやってたじゃない」
「どう考えてもしんどいのは善逸だろう。…がっついてしまった自覚はある。本当にすまない」
頭を下げる。

「…俺は楽しかったよ?四角四面の長男から、聞いたこともないような面白い音がたくさん聞こえてきたから」
くすくすと笑う。
「お前でもあんな音が出るんだね。…あんな切羽詰まった音なのに、やっぱり炭治郎の音は優しくて気持ちいいんだ。自分で聞けないのが残念だろ?」
楽しそうに笑うから、つられて俺も笑ってしまった。
「…俺は欲が深いぞ?一度だけ与えられておしまいだなんて満足できない。何度でも、こうして善逸と体を合わせたい」
「いいよ。…さすがに毎晩だと辛いけど。炭治郎ってば、今まで聞いてた音が何だったのってくらい本当に色んな音を奏でてたから。体はしんどいけど、耳は楽しかったんだ、俺」
「…本当にわかってるのか?…俺は嫉妬深い。…俺以外の誰にも、こんな風に触らせないでくれ。それが伊之助でも。絶対にやめてほしい」
「だから伊之助はそんなこと言わないってのに」
呆れたような色を乗せて、金の瞳が俺を睨む。
「誰が相手でもだ!…絶対に、それだけはやめてくれ」
「炭治郎さぁ、今自分がどんな音させたかわかってないだろ?…本当に面白いなぁ。良いよ。炭治郎だけね?」
何がそんなに面白かったのかはわからない。
でもそうしてずっと笑っているから、思わず「むん」と頬を膨らませてしまっていた。
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