鬼滅の刃

□健気善逸
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「なんだ。そんなことかぁ」
柔らかな笑みが浮かぶ。

「なら、俺が禰豆子ちゃんの代わりに鬼になるよ。俺は禰豆子ちゃんみたいに我慢できたりしないから、俺が鬼になったらすぐに首を刎ねないとね」
手元の日輪刀を確認する。
鬼になると同時に、自分で自分の首を刎ねる。
難しいことではないはずだ。
最期にそのくらいのことなら、きっと俺にも出来る。

「本当に良かった。炭治郎も禰豆子ちゃんも。これで禰豆子ちゃんが人に戻ったら、あの兄妹は今度こそ幸せに暮らしていけるんだ」
声が弾む。

「ありがとう。珠世さんは本当にすごいよ!」
嬉しさを隠しきれない。
ありったけの感謝を捧げる。









炭治郎はずっと、禰豆子ちゃんを元に戻すため頑張っている。
炭治郎は泣きたくなるくらい優しい音をたてる人だし、禰豆子ちゃんもとても綺麗な音をたてる可愛い女の子だ。
こんなに何も持っていない俺に対しても優しくしてくれる。
大事な存在。
俺にとっての宝物。
まぁ俺のものではないんだけど、こっそり大事にするだけなんだから見て見ぬふりくらいはしてほしい。
だから俺は、炭治郎が鬼の血を集めていると知って、いちもにもなく手伝いを申し出た。

もちろん鬼は怖いし俺は弱い。
それでも死ぬ直前に鬼の血を採り禰豆子ちゃんの役に立ててもらえるのだとしたら、俺の死だって無駄にはならない。

それで紹介された珠世さん達とも懇意になり、頼み込んで、俺にも見えない猫をつけてもらったのだ。

相変わらず俺は鬼を切れなくて、鬼を見るたびに気絶してしまう。
それでもなんとか生きてるようだし、どうやら知らぬ間に鬼の血まで採れているようだった。
ならこの俺の強運を是非ともあの兄妹に使ってほしい。

それだけが目標だったのに、珠世さんからこの日聞かされた朗報で、俺にはもっと大事な大事な目標が出来てしまった。






「今すぐにでもそれをしてください」
頭を下げる。
「禰豆子ちゃんが元に戻るなんてすごく嬉しい。お願いします」
珠世さんに頼み込む。

困ったような珠世さんが、俺を見つめる。

「この術はまだ完成ではありません。…それにこれは、とても恐ろしい術です」
「禰豆子ちゃんが元に戻るんですよね?素晴らしい術じゃないですか」
「その代わり、他の誰かを鬼に変えてしまう…。果てのない術です」
「大丈夫、俺が代わりの鬼になります。鬼になったらすぐに首を切れば良いんでしょう。俺は弱いけど最期に頑張るから。禰豆子ちゃんのためなら本当にもう俺頑張っちゃう。いくらでも畑だって耕せますから!」
「…お前が自刃できなかったらどうする。珠世様に危険が及ぶようなことはさせない」
愈史郎君がきつい目で俺を睨む。

「大丈夫だよぉ。俺は弱いもの。誰にだって切れる。…愈史郎君にだって切れるよ」
安心する。
弱くて良かった。
そのことを初めて心底喜んだ。

「早くしてください。お願いします」
がばっと頭を下げると、珠世さんから困ったような音がする。

「すぐには出来ません。…代わりになる方には、薬を飲んで貰わなくてはなりません」
「はい飲みます」
「…少なくとも半年は掛かります。術を受け入れやすいように、体を少しづつ慣れさせるための薬ですから」
「…半年」

今すぐにでも禰豆子ちゃんが人間に戻れるかと思っていたのに。
だけど、いつ戻るかわからなかった時から考えれば、少なくとも半年経てば戻ると言うのは魅力的な話だった。

「わかりました。半年飲めば良いんですよね」
こくりと頷く。

「…1日1粒、必ず飲み続けてください。…私も自分でこの術が恐ろしい。ですが、鬼を人に戻すことができる…。私はこれを、やり遂げてみたいのです」
「もちろんです。俺が頼んだんです」

珠世さんが差し出す薬を受け取ろうと思ったら、横から愈史郎君に叩かれた。

「珠世様に近寄るな!」
怒鳴りながらも、珠世さんから受け取った薬と更に水まで渡してくれる。

結構優しいよね愈史郎君。

「…」
手渡された丸薬を見て少しだけ硬直する。
…なんだかとても苦そうな匂いがするぞ、これ。
もしかして蝶屋敷で飲まされたあの薬湯よりも苦いかもしれない。

えぇいままよ、と水を含み薬を放り一気に嚥下する。
圧倒的不味さ。
とにかく苦い。

「…うわぁ…すごい味…」

「…飲めないほどですか?」
心配そうに珠世さんが俺を見つめる。
綺麗な人が心配そうに俺を見ている。

今日は本当に素晴らしい日だな。

「大丈夫です。飲めます。毎日飲みます」

きりっとした顔で宣言したつもりだったけど、やっぱり少し口元が歪んでいたかもしれない。

…うぅぅ不味い…。



珠世さんの家から抜けると、不意に景色が変わる。
俺は『音』で微かに場所がわかるけれども、何も知らなければもう一度辿り着くのは難しいかもしれない。

招かれなければ辿り着けない。
その安全な場所に珠世さんがいることに安心する。

残念だなぁ。俺が2人いれば、珠世さんの分も鬼化を引き受けることができるのに。
でもまぁ、こんな俺が2人もいたらそれはしんどいだけだよね、と思い直す。
袂に入れた丸薬の袋を握り込む。

この薬を俺が飲み続けて、1日でも早く禰豆子ちゃんを人間に戻す。
それはなんという素晴らしい目標だろう。
生きていくための意義、日々を過ごすことの喜び。
炭治郎と禰豆子ちゃんはそれらを俺に与えてくれた。
その恩に報いなければならない。
生きる糧。生きる意義。生きる目標。
今まで持ち合わせていなかったものを、いきなりたくさん手の中に渡してもらった。
多幸感で胸が膨らむ。
間違いなく、今の俺は幸せだった。





そこから、俺は人生変わったと思う。
誰からも必要とされないまま生きてきた俺が、少なくとも炭治郎と禰豆子ちゃんの役に立てるのだ。

それでもやはり鬼は怖い。
だけど鬼の血はたくさん集めたい。
頑張れば頑張る分だけ炭治郎と禰豆子ちゃんの役に立つ。

俺の生きている理由はあの兄妹だ。
こんな俺にも優しくしてくれる、大切な存在。
炭治郎も禰豆子ちゃんも知らないことだけれども、俺はそれだけで涙が出るほど幸せだった。


だから任務だと言われれば我先にと駆けつける。
鬼を切って血を集める。
目標が出来たから、俺は前ほど泣かなくなったし駄々を捏ねたりしなくなった。
…まぁ、鬼殺隊士としては至極当たり前のことなんだけれど。


急激な俺の変化に周りも気付く。

だよねぇ。
だってこんなにも俺、幸せなんだもの。

鬼が怖い怖いと泣いていた頃とは断然違う。
兄妹のために生きていると言うことが、俺の自尊心を満たしているのだから当然だ。


毎日飲み続けている丸薬にも、周囲は気付く。
特に炭治郎の鼻は誤魔化せない。
まぁいいか。
効果効能さえ黙っていれば分からない。

「…その薬はなんだ?…苦そうな匂いがする」
「…内緒。でもとっても大事なものなんだ」
炭治郎には嘘が通じない。
だから知られたくないことは『内緒』と言っておくに限る。
嘘だと見抜かれたら追及されるが、内緒事には踏み込まれない。
本当に良い奴だよね。

「…あの薬湯より苦そうだが、大丈夫なのか」
心配してくれてる。
やっぱり炭治郎は優しいなぁ。

「大丈夫だよぉ。心配してくれてありがとね」

元より炭治郎の鼻を誤魔化せるとは思っていない。
誤魔化すのではなく、大事なものだから内緒。
その方がきっと炭治郎には納得できるはずだから。

「…最近毎日飲んでいるな」
「そうだねぇ」
「薬湯の時は、ちゃんと飲んだかどうか、煩いくらい確認してたと思うんだが。その薬はちゃんと飲んだか自分で覚えているのか?」
「あらやだあの時はごめんなさいね!これは毎日一粒ずつ飲むための薬だから、1日に5回も飲む薬湯とは違うのよ」
「…そういうものか」
「そうだよ」

当たり前だ。
自分の体を治すためだけの意味しか持たない薬湯と、禰豆子ちゃんのためになるこの丸薬とでは、まったく重みが違うのだ。
俺が生きていくための理由がこれだと言っても過言ではない。

「心配してくれてありがとね」
心からの礼を言う。
俺なんかのことまで、炭治郎はいつもこうして気に掛けてくれている。
それが俺にとって当たり前のことではなく、どれだけ貴重な経験なのか、炭治郎は知らないんだろう。
まぁ一生知らなくて良いことだけどね。

薬の苦味を忘れるために、こくりこくりと喉を鳴らして水を流し込む。

炭治郎がその様子を見つめて、少しだけ変な音を立ててからそっぽを向く。

何かあったのかね。
たまに炭治郎はこうやって、俺をしばらく見つめたあとに、変わった音を立てて反対側を向くことがある。

…何も勘付いてなければ良いけど。

珠世さんも愈史郎君も、この事は炭治郎には内緒にすると約束してくれている。

炭治郎は優しいから、気にしてしまうかもしれない。
炭治郎にとってももちろん、一番大切なのは禰豆子ちゃんなわけだけど。
だからと言って、俺が代わりに死ぬなんて聞かされて穏やかでいられるかどうかはわからない。

俺は炭治郎のこの優しい音が大好きだから、ほんの欠片でさえ、この音を濁らせるかもしれない要因は排除しておきたい。
それが自分のことなら尚更だ。



そんな生活が3月も過ぎた頃だった。
久しぶりに任務で炭治郎達と一緒になり、俺達は共に山に入った。

山の中に巣くっていた鬼は4体。
半分ずつ手分けをしようと言うことになり、俺は山の西側で鬼を探した。
目当ての鬼を2体切り、血を集め猫へと預け、代わりに新たな丸薬を受け取る。

すでに3月が過ぎている。だから残りはあと半分の期間だ。
それで禰豆子ちゃんを人に戻せる。
その日が近づくにつれ、俺の高揚感は増していった。


炭治郎も怪我なく任務を終え、俺達は藤の家紋の家へと辿り着いた。
数はあったがそこまで強い鬼ではなかったので、夜半になる前に湯を浴び食事を取り、寝床へ付くことが出来たのは僥倖だった。

さあ寝るか、と思っていたとき、禰豆子ちゃんと3人の部屋で、炭治郎が口火を切る。
「…最近の善逸は、隠し事をしているのではないだろうか。何か、悩んでいることがあるのなら教えてほしい」
その、俺を案じているらしい気遣いの音。
こんな俺なんかにも、炭治郎は本当に気を配ってくれている。
そのことが嬉しくて、伊之助言うところの「ほわほわ」に包まれてしまう。

対する炭治郎の顔は真剣そのもの。
なるほど落ち着いて話をしたかったんだなと見当をつける。
思えば俺が最初に禰豆子ちゃんの箱のことを聞いたときも、今と同じくらいの刻限だったわ。

「悩みはないよ。心配してくれてありがとね」
「…だが…。最近の善逸は、前みたいに任務へ嫌がらずに行くし、泣いたり喚いたりしなくなった。…急に何があったんだ」

「そりゃ、泣いたり喚いたりしない方が良いでしょ。俺だって成長するの」
そうだ。
やるべきこと、やりたいことがはっきりしたのだ。
泣き言を言っているような暇はない。

「…内緒、と言っていたことと関係あるのか」
「少しだけね」
「…俺には教えて貰えないのか?」
「まだ内緒だから。…その時が来たら言うよ」

まぁその時が来た時には、もう俺は鬼となり死んでるわけだが。
だけど禰豆子ちゃんが人に戻っているのだから、俺の死など炭治郎達にとっては瑣末ごとでしかない。
気にするようなことでもない。
…関連付けて考えることすらない筈だ。

人に戻った禰豆子ちゃんを想像してうふふと笑みが溢れていく。

きっと今よりもっと可愛いんだろうなぁ。
鬼の今でもこんなに可愛いんだから、人に戻ったら更に更に可愛くなる。
月の光の下で見る禰豆子ちゃんも可愛いけど、陽の光の下で輝く禰豆子ちゃんはどれほど綺麗に笑うのだろうか。
その姿を俺が見られないのは残念だけど、今の禰豆子ちゃんも相当に可愛いのだから想像だけで満足出来る。


「…最近、よく嬉しそうにしている」
「そうだねぇ。良いことが起こりそうな予感がしてるのかも。ふふ」

「…前に言っていた…、結婚したい、と言う話と通じるものなのか」
「あ?結婚?…あぁ、そんなこと言ってた頃もあったねぇ」
今では遠い昔の話のようだ。
あの頃の俺は、とにかく自分が可哀想で、死んでしまう自分が哀れで、その空洞を他の人に埋めて貰いたくて必死だった。

だけど今はもう満たされている。

俺を気遣う炭治郎がいてくれて、こんなにも優しい音を聞かせてくれて、可愛い禰豆子ちゃんとも触れ合うことを許されている。
それがどれほど俺を幸せにしているか、きっと炭治郎にはわからない。
お日様みたいに、誰にだって平等に優しい日だまりを作ってくれる存在なのだから。

こうして間近で音を聞かせて貰えるだけで幸せなのに、これ以上望んだらバチが当たりそう。
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