鬼滅の刃

□子分共が面倒くさい
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「…そろそろ良いかもしれません。一度善逸くんと会ってみましょう」
しのぶさんからそう言われたとき、俺は一も二もなく頷いた。

「落ち着きましたか!?善逸は、…俺のことを思い出しては…」
「いいえ。それはまだです。ですが随分と彼の怯えを軽減することは出来ていると思います。…炭治郎くんには、少し酷かもしれませんが」
「ぇ…」
しのぶさんが眉間に皺を寄せる。

「…彼を害する血鬼術ではなく、彼を守るための血鬼術だった。そのため善逸くんからの抵抗がなく、陽の光をどれだけ浴びても解けることがない。…そういう術です。善逸くんが術を解呪しようと自ら望まなければ、このまま解けることがありません。…残念ですが」
「守る…ため…」
「炭治郎くんのことを忘れる方が善逸くんのためになる。…少なくとも、この術を掛けた鬼はそう信じていたのでしょう」
しのぶさんがため息をつく。

それでも善逸に会ってあの匂いを嗅ぐことが出来る。
それだけが救いだった。







「…ん…」
目の前で、伊之助の膝の上に腰掛け伊之助にしがみついた状態の善逸が震えている。
俺に対する怯え、恐怖、拒絶。
そう言った匂いを色濃く漂わせてはいるが、前回ほどの恐慌状態ではない。

「ほら、落ち着け善逸」
伊之助が優しく背中を撫でると、少しだけ震えが収まる。

「何が怖いのか俺に教えろ」
「…音…」
「音がどう怖いんだ」
「…聞いてると…、自分が壊れそうな気がする…。そんな怖い音が、あの人からしてる…」
こちらの方を見ることもなく、善逸がより深く伊之助の体に自身の体を預けていく。

その様子を見て取り、己の心がじりじりと焦げ付いていくのが分かった。
炎も上げず、ただ焼け跡をひりつかせ皹割れさせていく。
がりりと膝を握り込む。

そんな俺の音が聞こえたのか、善逸がより一層伊之助の体に腕を巻き付ける。
伊之助はただひたすらに、じっと俺の様子を見つめていた。

ごくりと生唾を飲み込む。
俺はいつだって判断が遅い。
そのせいでこんなことになってしまった。
それを痛感する。


「…善逸…」
声を掛けるとびくりと震える。

「すまなかった…。俺のせいだ…」
がばりと頭を下げる。

「俺は判断が遅くて後悔してばかりだ。でももうこれ以上の後悔を重ねたくはない。…他の誰かに…それが伊之助でも…、善逸を取られたくはないんだ…。ずっとずっと好きだった。自分のその気持ちに向き合うのが怖くて、俺はずっと善逸の優しさに甘えてきてしまった…。本当にすまない。俺のことを嫌いになってしまったのならそれでも構わない。…だがそれは全て俺の咎だ。善逸は何も悪くない。…それだけは伝えたかった。…本当にすまない」
一息に告げると、驚いたように善逸がこちらを見やる。

「遅えんだよ愚図八郎が」
吐き捨てるように言い放った伊之助が、善逸の体を引き剥がす。

「あとはお前らで話し合え。子分同士で揉めてんじゃねぇぞ。…また皆でご飯を食べるんだろうが。…ご飯は皆で食べた方が美味しいって言ったの、お前だろ」

善逸の頭を軽く小突いて、伊之助が部屋を出て行く。
その後ろ姿を見送る。

「…本当にすまなかった。全部俺のせいだ」
「………」
身の置き所もないという風の善逸が俯いている。

「…お前は…、誰…」
「竈門炭治郎だ」
「…かまぼこ権八郎じゃなくて…?」
「ちっがーう!!伊之助だな!?」

伊之助が出て行った障子を睨むと、善逸が微かにふふっと笑う。

…あの時から、初めて笑う声を聞けた。

そのことに胸の奥がじんと熱くなる。

「善逸が俺を忘れてしまったのも、俺の音を怖いと思っているのも、全部全部俺のせいだ。俺が善逸を哀しませ、苦しませてしまった。…だから、本当にすまなかった」
何度でも頭を下げる。

「…どうして…?」
「え?」
「なんで、俺が苦しんだの…?」

「…俺が、善逸のことを好きになって…。でもそれを、自分で認めるのが怖くて、…それで。…逃げ出してしまったんだ」
「…竈門くんが逃げたら、…俺が怖がるの…?」
「竈門くんじゃない。炭治郎と呼んで欲しい」

善逸からたゆたっていた怯えの匂いが少しずつ薄くなっていく。

「…俺は判断が遅い。それでなかなか自覚することが出来なかった。…だが今思えば、ずっと俺は善逸のことを好きだった。生涯を共に過ごしたい、唯一の相手として」
「…それって…」
息を飲む。

「…そういう意味を含む、好きだという気持ちだ。…善逸も、俺のことを好きだと言ってくれていた。なのに俺は卑怯にも逃げてしまった。…それで善逸を傷つけた。…俺のせいだ」
善逸が目を見開いていく。

「…俺も…、たん、じろ…、のことを…。…好き、だった…?」
「…俺はそう聞いていた。…だが、今も同じ気持ちでいてくれているかどうかはわからない。それが分かるのは善逸だけだ」
真っ直ぐに琥珀の瞳を見つめると、善逸から戸惑ったような匂いが揺蕩う。

「俺が話していることが分からないと思うが…、少しでも、思い出して欲しいんだ…」
「…、…」
善逸が瞳の琥珀色を揺らす。

「…俺が、炭治郎の音が怖かったのは…。自分の心が壊されそうだと思っていたから。…きっと、炭治郎の音を聞くことで、封印して貰った想いがまた、溢れだしてしまうのを止めるためだったんだ…」
はふ、と息をついている。

「音…。炭治郎の音は、ずっと…。なんだか懐かしい気がしていた…」
「善逸は以前、俺の音を『泣きたくなるほど優しい音』だと言ってくれていた。俺の音を聞きながらだと、よく眠れるからと。…眠るときに、だからいつも同じ部屋で寝ていた」

「…そうなんだ…」
「良かったら聞いてみてくれ。…もしかしたら、何か思い出すかもしれない」
え、と驚く金色を自分の胸へと抱き込んでいく。

「…実は先刻、伊之助にしがみついている姿を見て嫉妬をしてしまった。…善逸が抱きつくのはいつだって俺だったはずなのに。…そこは俺の場所なのに、と。…怖い音を出してしまったかもしれない。すまない」
「…ん…。確かに…、落ち着くかも…」
「思う存分聞いていてくれ。…実は俺も鼻が利くんだ。…善逸からはいつだって、強くて優しくて、そして甘い匂いがしている…」
「…もしかして…、今嗅いでるのか…?」
「あぁ。ずっとお預けだったからな。飢えていたんだ」
「…いや、今の音…、…うぅん…、まぁいいか…」
そのまま大人しく抱きしめられていてくれるものだから、思う存分久しぶりの匂いを堪能していく。

自分の気持ちに気が付いてから改めて嗅いだその芳香は、脳の奥底まで痺れるほどに香しかった。

しばらくそうして酔いしれていると、腕の中ですぅすぅといういう寝息が聞こえてくる。

…そういえば目の下には隈が縁取られていた。
…きっとよく眠れていなかったのだろう。
…不安で。恐怖で。



ふぅ、と息をつく。

…俺は長男。俺は長男。

無防備な寝姿を晒されて、久方ぶりの匂いを堪能して、掻き集めなければならないほどに理性がすり減ってしまっている。


今の善逸からはあれだけ怯えていた匂いも取り払われ、穏やかで落ち着いた匂いを醸し出している。
そのことに心底安堵する。


「…好きだ。愛している。俺と生涯を添い遂げて欲しい。…頼む。俺のことを思い出してくれ…」
耳元で囁き続ける。


善逸は寝ているときにも人が話していることが聞こえていて、その内容を覚えていると以前言っていた。
…覚えていて欲しい。
…まぁ起きてきたら覚えていてもいなくても、また同じ事を告げるだけだが。


金色の髪を一房手に取りそっと口づける。



身じろいだ善逸の手が、俺の羽織を握り込む。
記憶をなくす前の癖。

それを確認して頬が緩む。

善逸が起きたらもう一度自分の気持ちを告白しよう。
善逸が許してくれるのなら、ずっと生涯を共に過ごして欲しい。
…出来ればその先の、心と体も全部。

さらりとした心地良い指通りの髪を弄ぶ。

きっと今の自分からは、善逸への愛情に溢れた音がしているのだろう。
眠る穏やかな顔を見ながら、そう思った。


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