鬼滅の刃

□ご褒美善逸
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「あんまり難しく考えるなよ。大丈夫。禰豆子ちゃんも人に戻るし、炭治郎も禰豆子ちゃんも家に戻って幸せに暮らせる。だからさ。今は、鬼の首魁を倒したあとのご褒美のことでも考えていなよ」

そう言ってふわりと笑うから、つられて俺まで力が抜けてしまう。
実際はそんなに簡単なことではない。
それは互いに分かっている。
鬼殺隊全員の命を賭けて働いて、それでも本懐を遂げることが出来るかどうか。
悲壮な覚悟で過ごす者達が大半だと言うのに、それでもこうしてその先の道を示されてしまうと、ついつい意識がそちらへと向いてしまう。
…明るく楽しい未来を、想像してしまう。

禰豆子を人へと戻し、あの家へと帰る。
その時はぜひ、この蒲公英のような彼と、あの猪頭の彼にも同行して貰いたい。
…彼らさえ良ければ、だけれども。

「ご褒美とかさぁ、お前は何にする?お前達兄妹は散々苦労させられて来たんだから、きっとその分たーんと良いことあるからな」
日の光に蕩けてしまいそうな琥珀の瞳が俺に向かって微笑みかける。

「考えるだけでも楽しいじゃんか。…そうだなぁ。全部終わったら、炭治郎は何が欲しい?俺からもご褒美用意してやろうか?頑張ってるもんな、長男。まぁ、あんまり高いものは無理だけどなぁ」
いひひと笑う金の髪が光に透けてとても綺麗だ。
そんなことを思った。

「…なら俺は、善逸が欲しいな…」
ぽろりと本音が口から溢れ出していた。

「え?俺?…そんなんで良いの?」
きょとんとした瞳が俺を見つめる。

「あぁ。俺が欲しいのは善逸だけだ。…駄目だろうか?」
子犬のように見上げると、困ったような匂いが揺蕩ってきた。

「そりゃ、炭治郎が欲しいって言うのならなんでもあげるけどさぁ。…俺とか貰っても困るでしょうに」
「俺は善逸が良いんだ。…その代わりと言ってはなんだが、その時には善逸にも、俺のことを受け取って欲しい」
「え?」
小さくて形の良い唇が薄く開く。
その桜色をついつい見つめる。

「…炭治郎を貰えるの…?」
「あぁ。余すところなく全てを受け取ってくれ」
「本当に…?」
「勿論だ」
力強く頷くと、善逸がふにゃりと笑う。

「そっかぁ。俺を炭治郎にあげたら、俺は炭治郎を貰えるの?すごいなぁ。なんだか俺だけ得しちゃってるけど、本当に良いの?」
甘くて瑞々しい匂いがふわりと辺りに満ちる。
「勿論だ。…約束してくれるか、善逸」
「うん。約束するよ」
うふふと笑いながら俺を見つめる。

「そっかぁ…」
「あぁ。しっかり約束したからな、善逸」
「うん。俺も頑張るよ。ありがとね、炭治郎」

思わず抱きしめてしまいたくなるほど、それはいとけない微笑みだった。







■■■■■■■







「…約束したよな?善逸…」
ぐぐっと拳を握りしめる。
目の前には空虚な部屋が広がっている。

何もない部屋。
何一つ善逸の痕跡が残らない部屋。

ぐつぐつと自分の中で何かが沸騰しているのが分かるのに、頭の芯は冷えている。


「あ?どうした?何やってるんだお前」
伊之助がひょいっと顔を出す。

「…善逸がいない」
怒りの形相のまま伊之助に向き合う。
慣れているからか、伊之助は動揺するそぶりさえ見せない。
…これが善逸相手なら、すぐに反応を返して貰えるところなのに。


「昨夜挨拶して回ってただろ。朝には出立するって行ってたが、早いな」
「挨拶?」
「家に帰るとか言って回ってたぞ。お前の所にも…、あぁ、宴会の間中お前ずっと人に囲まれてたからな。弱味噌は人が多いの苦手だから近くまでは寄れてなかっただろ。…でも遠くからは言ってたぞ。誰も聞いちゃいなかったみたいだが」

「いつだ」
「いつだったっけな。ねず公の所にも行ってたぞ。まぁねず公は寝てたんだろうが」

「…何故だ」
「何がだ」
「何故、直接俺に言わない」
「知るか。そもそもお前の周りにはずっと人だかりが出来てただろ。あの弱逸が近寄れる隙間なんてなかったじゃねぇか。…一応柱とかにも挨拶してたぜ。俺の所にも来た」

「…どうして引き留めてくれなかった!!」
「引き留める?なんでだ」
「俺はまだ話をしていない!」
「…あいつはしようとしてたぜ。あいつにあれだけの人の壁を掻い潜って進むだけの度胸がなかっただけの話だろ」
呆れたような若草色が俺を見ている。
「お前だってあいつがそういう奴だって知ってただろうが。…大事なものなら、何で放っておいたんだ?」
ぐうの音も出ない。


「行き先なら知ってるぜ。この後俺も一緒に住むことになってるからな」
「は?」
「これからどうするのかあいつに聞かれて、山に帰るって行ったら誘われた。色々片付けがあるから一足先にあいつだけ帰りたいって言ってたから、俺はゆっくり出立することにした」
言葉も出せずに立ち尽くした。



「炭治郎、こんなところにいたのか。皆が挨拶に来ているぞ。ほら」
後藤さんが俺の腕を引く。

「あ、いや、俺は今…」
「早く来いよ。柱を待たせるとか勘弁しろよお前」
ぐいっと引かれるまま歩き出した俺を見て、伊之助が肩をすくめて視線を逸らした。



そこからはまた、色んな人達の挨拶へと駆り出された。
こんなことをしている場合ではないのにという想いと、置いて行かれてしまったという現実から逃げたい想いとが交差し続けていた。


それらの人達に善逸のことを聞くと、ようやく義勇さんから「桑島さんの山に帰ったのではないだろうか」という話を聞くことが出来た。
俺も聞いていた、元鳴柱だという育手の方。
「その方の元へ帰ったのですか」と問うと、柱が皆一様に押し黙った。

宇髄さんが俺の手を引き物陰へと連れて行く。
そこで俺は初めて、善逸を翻弄していた運命のことを知った。


俺が辿っていたかもしれない未来。
どうかそれだけはやめてくれと懇願し続けていた出来事。
それが唐突に善逸を襲った。

返事の来ない手紙を書き続けていた背中を思い出す。

「あいつは地味に面倒くさいからな。捕まえたいんなら覚悟しておけ。俺達が共に戦ったとき、善逸だけが先に捕まっていただろう。あれもな。…相手が上弦だと分かった上で、怪我をさせられそうになっていた禿を庇ったのが原因らしい。後始末の時に聞いたんだが。…普段弱音を吐くくせに、見知らぬ相手の生死に関わらない程度の危機であっても、単独丸腰で上弦にさえ噛みつく。…お前の手に負えなかったらすぐに連絡しろ。俺が引き取る」
上から笑われ、ぐわっと何かがせり上がってきた。

「結構です!!!」
その大声に宇髄さんが面白そうな匂いを出す。
こんなに分かりやすい匂いをさせていると言うことはわざとだろう。
そのことも俺の中に苛立ちを産む。

「俺と善逸は、生涯共に生きると誓い合った仲なので!!!」
「…置いて行かれたんだろう?そりゃお前の独り勝手な勘違いだ、竈門」
哀れむような瞳で見下ろされ、思い切り顔をしかめてしまった。



宇髄さんは知っていた。
きっと、他の柱の人達も。
もしかしたら…。伊之助も。

…俺は何も聞いてなかった。
善逸はいつだって、あんなにも俺のことを鼓舞してくれていたのに。

そのことが哀しくて寂しくて、声にならないほど切なかった。







伊之助に同行して向かおうと思っていたのに、いつの間にか伊之助もまた俺を置いて出立してしまっていた。
禰豆子にも相談し、お館さま達とも話し合いを行い、俺達の家へと帰る前に善逸達の所へ寄ることにする。

順番を間違えてしまったら、このまま手の中から逃がしてしまいそうな危うさをずっと感じていた。

善逸も伊之助も、俺達の家に共に帰ってきて欲しい。
そう願った。







教えられた場所を訪ねると、山に近づくにつれ桃の木の馥郁とした香りが鼻をくすぐる。
善逸から揺蕩っている匂いと何処か似ているその香りに、胸が膨らんでいってしまう。

「…なんだ。結局来たのかお前ら」

目の前に現れた伊之助が、呆れたような匂いを醸し出す。

「あぁ。伊之助も元気そうで何よりだ。善逸はいるか?」
「屋敷の方で薪割りしてたぜ。俺はもうひとっ走りしてくるところだ。…ここからなら、匂いで追えるだろ」

じゃあ後でな、と駆け出していく背中を見送る。


そのまま道なりに歩いて行くと、ずっと求めていたあの香りが風に乗って漂ってくるのを感じた。
伊之助は、善逸が薪割りをしていると言っていた。
だからだろうか。
…汗をかいているらしいその体から薫る匂いも、いつもより強く。



「善逸」
声を掛けると、琥珀の瞳が俺を見つめた。

「あれぇ。どうしたの炭治郎。何か用事?…って、禰豆子ちゃぁぁぁぁぁんんん!!??あああ禰豆子ちゃんがこんな所に!?結婚かな!?ついに俺達結婚かなぁぁぁ!?待って今すぐお茶を淹れるから、こっちに上がってぇぇぇ!!!」

急にによによとした笑いを浮かべて屋敷に走る背中を見やる。

…そうだ。結婚だ。俺はそのためにここまで来たんだ。
…善逸が結婚する相手は、禰豆子ではなく俺なのだが。

むんっと気合いを入れていく。




「さささ禰豆子ちゃんこちらへ!!昨日干したばかりの座布団があるからここへ座ってぇぇぇ!!」
甲斐甲斐しく世話を焼いている善逸からは、甘くて蕩けそうな匂いがしている。

「…そういうところだぞ、善逸」
「えっ?何が?あぁお前も適当にその辺座れよ」
いそいそと動き回り、盆を下げて戻ってくる。

「禰豆子ちゃんは羊羹好きかなぁ!?こんなものしかなくてごめんねぇ!今日来るって知ってたらもっと良いもの用意しておいたんだけど。あ、お茶熱いから気をつけて!俺がふーふーしてあげようか!?」

「じゃあ俺のを頼む」
ずいっと自分の前に置かれた湯飲みを差し出すと、ものすごく変な顔でこちらを見る。
「…いや、お前には言ってないけど」

その様子を見て、禰豆子がくすくすと笑う。
人に戻って間もない禰豆子は、まだあまり言葉は話さないままだ。
それも徐々に良くなってきているから、あとは時間の問題だろうとそう考えている。

「天女かな!?ねぇ禰豆子ちゃんは天女だったのかなぁぁぁ!!??知ってたよ!俺は最初から知ってたよ禰豆子ちゃぁぁぁん!!!」

頬を紅潮させているから、その体をぐいっと引き寄せ俺の胸へと抱き込んでいく。

「…なぁ善逸」
「えっ何その音!滅茶苦茶怖いんだけど!?俺まだ何もしてないだろ!?」
「した。いつの間にかいなくなっていたから、俺はものすごく心配したんだぞ」
「いや俺ちゃんと言ったぞ?」
「聞いてない」
「言ったってばぁぁ!記憶力の問題だよお前のさぁぁ!!」
「聞いてない」
ぷいっと膨れる。

「あぁ、そういや何の用事だったの?伊之助今出てるんだけどさ」
「知ってる。下で会った」
「多分あれ夕刻まで帰って来ないだろうなぁ。この山を探索し尽くしてやるって息巻いてたし。その分山菜だの木の実だの、たまに鳥だの兎だの持って帰ってくれるから助かってるんだけどね」

「そもそも何故伊之助を連れて帰ったんだ?」
「俺も伊之助も元々宿無しだからだね。じいちゃんがこの家遺してくれたからさ。なら一緒に帰ろうかってなったのよ」
「…俺は誘われてない」
「炭治郎は自分の家があるでしょうが。…で?何の用事だったの?わざわざお前さんが来るなんて、何かあったのか?」

すう、と息を吸い込む。

「約束を果たして貰いに来たに決まっているだろう!!!」

「うるっさいよお前!怒鳴らなくても聞こえてるっての!」
耳を押さえて苦言を呈すその手を握る。

「約束しただろう?俺にご褒美をくれると」
「ん?何か約束したっけ?」
あれれ、と言った顔で首をかしげている。

ぴき、と眉間の血管が音を立てた気がした。
いや、きっと善逸の耳には聞こえていた。
さぁっと血の気が引いていく姿を久しぶりに見たのだ。


「善逸?」
握った手をより強い力で握り込み、笑顔を作る。
「怖い怖い怖い!!なんだよぉその音!!!」
ぴぎゃあああと髪を逆立てて怯えている。

「約束した。俺はずっとそれを支えに戦ってきたんだ。約束した以上、善逸には絶対に履行して貰う」
「目が据わってるんだけどぉぉ…。え…、俺、お前と何かそんな大層な約束したっけ?」
「したんだ。だから叶えて貰いに来た」
「ええぇ…。禰豆子ちゃんまで連れてこんなところまで、そんなことのために来たのかよ…ごめんよぉぉ禰豆子ちゃあぁぁん!」

俺に両手を取られたままだから、禰豆子の手を握ることは出来ない。
もとより俺にもさせるつもりもない。
いくら妹といえど、目の前でそんなことをされては困るのだ。

元から善逸は禰豆子を最優先にしてくれていた。
自分以外でそんな人は他にいなかったから、そのことに酷く慰められた。

善逸がいなければ、出会うことがなければ、自分たち兄妹は間違いなくここにはいない。
…生きていけなかっただろうとは思っている。
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