鬼滅の刃

□気が付いたのは三日後でした
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竈門炭治郎は悩んでいた。
今まであまり深く考えたことのなかった問題ではあるが、ここに来て、もしかしたらこの問題について、自分はもう少し真剣に考えてみた方が良いのではないかと思い至ったのだ。

きっかけは単純なことだった。
炭治郎には謎なことではあるが、鬼殺隊に入ってから色々な人達が自分へ愛の言葉を告げてくるようになったのだ。

元来山育ちの炭治郎は、今までこうした経験がなかった。
家族で生活し、助け合い、山で暮らす。
たまに炭を売りに町へと降りるが、日帰りでこと足りるため、長居をしたことはなかった。
実はその頃から炭治郎に恋心を抱く娘はいるにはいたのだが、その頃にはまだ炭治郎の年も若く、将来を誓い合うような想いにまで発展することはなかったのだ。

そして家族を襲ったあの悲劇を経て、炭治郎は鬼殺隊へと入隊することとなった。

入隊当時は少年であったものの、着実に武功を重ね、階級を上げ、分け隔てなく優しい人格者であると知れ渡るようになってから、炭治郎が受ける愛の告白は増加の一途を辿った。

少年から青年へと変わる瑞々しい時期であったこともそのことに追い打ちを掛けた。

だが炭治郎には悲願がある。
鬼の首魁を倒し、妹を人へ戻す。
そのために鬼殺隊へと入ったのだし、鬼を切っているのもそのためだ。
勿論、鬼のせいで自分たち家族と同じような不幸への道を歩むような人を、少しでも減らしたいという想いも勿論ある。
だがやはり最も大切な存在は、唯一の家族となってしまった妹なのであった。

なので男女問わず様々な人物から愛を告白されてきた炭治郎であったが、その返答は全て同じであった。

曰く、「気持ちを向けてくれてありがとう。だが俺にはやらなければいけないことがあるし、そういうことは考えられない。申し訳ないが、応えることは出来ない」というものであった。

そう言えば大抵の人は「わかりました」と静かに去って行くのが常であった。
しかし今日は違ったのである。

いつものようにお断りの言葉を告げると、相手の女性が顔を顰めながら尚も食い下がって来たのだ。
「じゃあ貴方は一体どんな人なら良いというのですか。あの人でも、あの人でも、貴方の心には響かなかった」
そう言いながら自分を詰る女性を見て、その初めての反応に炭治郎は戸惑った。
「本当は、誰のことも好きになったことはないのでしょう」
悔しそうな匂いが辺りに満ちる。
「誰にでも優しくしておいて、でも本当は誰のことも見てないのよ、好きじゃないのよ、好きになれないんだわ」
それだけ言って走り去る背中に、炭治郎は何も声を掛けることが出来なかった。





そして今の熟考に至る。
正直、彼女が何処の誰だったのかさえ分からない。
恋心を打ち明けてくれていたのだから、何処かで会って話したことがある女性だったのだろうとは思う。
だが記憶がない。

思えば過去に告白してきた人達のことだって、炭治郎の記憶に残るような存在ではなかった。

優しくして貰った。
助けて貰った。
笑顔を向けられて恋に墜ちた。

そんな言葉をたくさん捧げられては来たが、恐らく自分にとってはあまり意識をせず行ってきた言動であり、特段記憶に残るようなものではなかった。
隊内では炭治郎のことを『初恋泥棒』と言って揶揄するような人達がいることも知っている。
決して自分はそんな大層な存在ではない。
そうは思えど。

ふむ、と考える。
ここまで頻回に告白をされてしまうと言うことは、恐らく自分に何らかの原因がある。
優しさを振りまいていると言われても、自分は普通に過ごしているだけで、何もしていない。
だから『初恋泥棒』とまで揶揄されても、具体的な意味が分からない。

禰豆子さえ元の人のままなら、きっと相談に乗って貰えたに違いない。
だがそもそも炭治郎がここにいるのは禰豆子のためだし、その仮定は本末転倒にもほどがある。


どうしたものだろうか。
炭治郎が物思いに耽っていたとき、その鼻にふんわりと良い香りが届いてくるのを感じた。

…そうだ。彼ならば。
ぱぁっと顔を綻ばせ、炭治郎は自身の鼻を頼りにその匂いを纏わせている主の居場所を特定する。

「善逸!」
笑顔で呼びかければ、花も綻ぶような笑顔でその相手が振り返る。

「たぁんじろぉぉ!!…もう、怖かったよぉぉ!!!」
任務帰りの彼が炭治郎にしがみついてくるのを当然のように抱き留めて、その匂いを胸いっぱいに吸い込んでいく。
優しくて強く、そして甘い。
炭治郎がいっとう好きな匂いだった。


「今回こそ死んだと思ったよ俺は!!でもさぁ。誰かが倒してくれたみたいで、急に鬼の音が聞こえなくなったの。単独任務の筈だったのに、不思議だよなぁ」
毎回同じようなことを言ってはいるが、その実鬼を倒しているのは彼本人であると炭治郎は知っている。
それを何度も伝えているのに、彼本人は全く信用してくれないことも。
だからこの時も、「いや、鬼を切っているのは善逸だぞ」とは伝えはしたが、続く「そんなわけないでしょ。俺は弱いんだぜ舐めるなよ」という台詞には微笑むだけで返事はしなかった。


「これさぁ、帰りに美味しそうな匂いがしたから買って来ちゃったの。こっそり食べようぜ!残り2本だったから、皆の分まではないんだよなぁ」
うふふと笑いながら団子を差し出すから、「なら、俺が茶を淹れて来よう!」と炭治郎はいそいそと立ち上がった。


こっそり食べるとなると、この屋敷の縁側では都合が悪い。
いつ誰が見咎めるともしれないからだ。
それで蝶屋敷の中で定宿とさせて貰っている離れの部屋へ茶を運ぶ。
案の定そこでは善逸が、寛いだ様子で旅支度を解いている最中であった。


「な?美味そうだろ?このみたらしの匂いがまた絶品なんだよなぁ!」
蕩けるような笑顔で団子を見つめている様子を見て、炭治郎も顔を綻ばせていく。

「本当だな。実に美味しそうだ」
団子の方を見てもいないが、炭治郎は本心からそう言った。

そうして「いただきます」と手を合わせ、2人でせーのと団子を頬張った。

「うまっ!やっぱりあそこの団子は別格だよなぁ!今度は並んででも女の子達全員の人数分買ってくるぜ俺は!」
ぐぐっと拳に力を入れ決意に目を燃やす善逸の姿を見て、炭治郎は内心でだけ「可愛いなぁ」と相好を崩す。
本人に言ったら「何処に目をつけてるのよ。その石頭もついに中身が壊れちゃったのか?」と甚だ不躾な心配をされてしまったので、それ以来口にはしていない。

もぐもぐと頬張っている善逸の唇の端に団子のたれがついているのを見て取って、「ついているぞ」と炭治郎は自身の指ですくい取る。
「またついてた?いつもありがとね!」と微笑む唇を見て、相変わらず小さな唇だなぁ。桜の花のようだ。と炭治郎は考えながら指をぺろりと舐めていく。
こんなに良く口が回る友人であるのに、実際その喧しい口は小作りな唇で出来ている。
少しの食べ物で頬袋が膨らみ、小動物のようなまろさを成形しているところも実に可愛らしいと炭治郎は思っているが、やはりこれも口にはしない。


周りに蒲公英でも舞っているのかと思うほどににこやかな彼が、ふわぁっと小さく息をつきながら、団子を食べ終え炭治郎の淹れた茶をこくりと飲む。
「やっぱり炭治郎が淹れてくれたお茶は美味しいよなぁ。炭治郎のお茶の味を知ったら、もう他のお茶飲めなくなっちゃいそうだよ」
「俺は炭焼きの家の長男だからな!」
むんっと胸を張る。
善逸はいつもこうやって、炭治郎の淹れたお茶や炊いたご飯を褒めてくれるし、彼から立ち上る匂いもそれらが全て本心だと伝えてくれている。
そのことが炭治郎には誇らしいし、彼がいっとう好きだと言ってくれるその技量にも自信が湧いてくる。

この友人はいつだってこうして無意識に、自分を鼓舞し、そしてたまに叱咤もしてくれる。
泣き言こそ言うが、実際には皆が寝ている間にも鍛錬に励みその技を磨いていることも知っている。
状況把握も的確で、雷光のように鬼の首を狩る。
その強さも優しさも、立ち上る甘い匂いも、炭治郎は彼のことなら全てが大切で大好きだった。
実に得がたい存在であると、炭治郎は密かに感謝し尊敬している。

そして思った。
自分の抱いているその悩みを、彼に相談してみようか、と。
幸いこの部屋は離れであって周囲に人の存在は感じない。
互いに任務明けであり、もうしばらくはゆっくり出来る。そのはずだ。
そのことが炭治郎の口を開かせた。



「…善逸。ちょっと相談したいことがあるんだが良いだろうか」
「相談?珍しいね、炭治郎が俺に?」
「実は今日も、女性から告白をされてしまって」
「なにその唐突に始まる自慢話は!?」
「いつものように断ったんだが」
「粛正だよ粛正ぃぃ!!」
「その女性に言われてしまったんだ。これだけの人に告白をされてきて、その誰にも応えることがない。あなたは本当に人を愛したことがあるのか、と。…どう思う?」
「妬ましくて血の涙が出そうだわ!!むしろ今炭治郎とは口を聞きたくないとさえ思ってるからね俺は!?」
「それは困る。真剣に悩んでいるんだ!…その…、確かに俺は、そういう意味で彼らを見ては来なかった…。家族のことは大事に思っているし、愛していると言える。俺にとって一番大事なのは禰豆子だ。それは間違いない。…だが…家族以外で人を好きになったことがあるのかと改めて聞かれると…」
「…彼ら?女の子でしょ?」
「いや、男もいたな。女が多いのは間違いないが、男からも告白されてはいるぞ」
「…は?なんなんだよその全方位からの愛され自慢は」
炭治郎は自身の悩みに唇を噛みしめているが、善逸は目を血走らせ炭治郎のことを睨み付けている。

「善逸は、こうしたことには慣れているんだろう?相談に乗って貰えないだろうか。これだけの人から告白を受けているのに、俺は彼らのことをほぼ覚えてはいない。…そんなに接点はない筈なんだ。なのに告白されてしまうのは何故だろうか」
「嫌みかよ!?なぁお前本当は俺のこと大嫌いだろ!?」
「そんなことない!善逸のことは大好きだ!」
炭治郎がばんと胸を叩く。
告白をされ相手を振り続けてきている男が、告白をし弄ばれ振られ続けてきた男に恋の相談を持ちかける。
端から見ればまさに不条理な相談に思えるのだが、炭治郎には真剣な問題であった。

「…駄目だろうか…?」
きゅぅんと子犬のような眼差しで善逸を見つめると、善逸の唇から「くぅぅっ…!」と悶えるような声が漏れる。
炭治郎は無意識でやっていることではあるが、善逸に対しては効果絶大であった。
炭治郎がこうして『おねだり』をしたことで、善逸が拒絶できた例しがないのだ。


「…炭治郎は優しいからなぁ。もう、音からして泣きたくなるほど優しい音なんだよ。炭治郎も誰にでも優しくて、他人のために頑張っちゃえる奴だろ?そりゃ、惚れられるわ。男女問わず惚れてしまうわ。だけどさ、それで優しくされて告白して振られたから逆恨みするのは違うだろ。それが例え可愛い子でも女の子でもなしだわ。優しいのは良いことだよ。優しさを振りまいてて何が悪い。非道な奴より断然ましだね。それにお前さんはいつだって禰豆子ちゃんが最優先で当然だろうが。禰豆子ちゃんと任務のことだけ真面目に考えているんだし、そのために鍛錬したり苦労もしてるだろ。…お前の表面だけ見て煩わせてきてる奴らのことまで背負わなくて良いんだよ。ただでさえ、背負っているものの重みが違うんだから」
炭治郎の自慢とも取れそうな、今までに告白されてきた遍歴のことは一寸横に置いておくことにしたらしく、善逸が渋々と言った体で口を開く。

「そのために鬼殺隊に入ったんだろ。禰豆子ちゃんが人に戻ってからじゃないと自分のことは考えられないって思うのも当然だ。だって炭治郎は長男なんだろ?」
問われ炭治郎は力強く頷いていく。

「だからさ、そんな、禰豆子ちゃんへの愛情より自分への愛情を優先させて欲しいみたいな奴らは無理だよ。だって炭治郎が本当に大切に思っていることを理解してないんだぜ?炭治郎を幸せにしたいんじゃなくて、自分が炭治郎に幸せにして貰いたいってだけじゃんか。…そりゃ無理だよ。そんな奴らが何を言ってきたって、気に病む必要なんて欠片も無いね!だって禰豆子ちゃんだぞ!?あんな可愛い天女のような子が先に幸せになるところを見届けないと、そりゃ安心できなくて当然だわ」
うんうんと頷いている姿を見て、炭治郎はほっと安堵の息をつく。
そうだ。自分にとって最優先は禰豆子だ。
色恋にかまけている場合ではない。
そのことを改めて強く考えた。

だが、それとは別にもう一つの気がかりがある。
「俺が、誰のことも本当に好きになったことがない、とも言われたんだ。…善逸はどう思う?」
「んー。俺も炭治郎の全てを知っているわけじゃあないからなぁ。…いないのか?今までに、交際とまでは行かなくても、好ましいと思った女の子や、可愛らしいと思った女の子は」
「…特段思い出せない」
首を傾げながら思い出すが、どうにもそんな女の子の存在は記憶の中に浮かんでこない。

「いねぇのかよ!?…信じられねぇわお前。ほら、思い出してみろよ。笑顔を見て幸せな気分になるとか。美味しいものを食べているとき、これを食べさせてやりたいと思い浮かぶ顔とかさぁ」
琥珀の瞳に見つめられ、どうだったかなと記憶を探る。
いるような気もするが、どうも目の前の善逸の瞳の色の印象が強すぎて、今はどうにも思い出せない。

「うぅん…」
腕を組んで悩み出した炭治郎を、善逸は別の生き物を見るかのような目で見つめる。
「…善逸。そんな目で見ないでくれないか。自分が人間とは別の、何か情けない生き物になってしまったような気がするぞ」
「いや、普段のお前がやってることそのままだわ。そう思ってるんなら俺にもやるんじゃないよ」
据わった瞳で睨まれて首を竦める。
やっていない、と言い切れない程度には炭治郎にも自覚があるのだ。
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