鬼滅の刃

□とある鬼殺隊士を襲った一連の不幸とその顛末
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「うわぁ、お前これから我妻と任務かよ…」
哀れむような声が聞こえて、炭治郎は思わず廊下の角で足を止める。

「気をつけろよ。…ほら、こないだもさ…、あったじゃん…。ほら、俺の同期で一番背の高い奴。…本当我妻と任務ってやばすぎだろ。あんなんだから、普段は我妻って単独任務ばかりなんだろうに。…お前、貧乏籤引いちまったなぁ」
やれやれと語るその口調は辛辣で、思わず出て行こうかと足を踏み出す。
しかし良すぎる鼻は違和感をも嗅ぎとる。
善逸のことを話しているのだとは分かるのに、善逸を嘲るような匂いは微塵もしない。

「いやぁ、俺は大丈夫だって。お前の同期のそいつが特殊だったんだろ?必ず全員そうなるとは限らないって聞いてるぜ。我妻自身、あいつの同期との任務も多いだろ。ほらあいつ。竈門と嘴平だっけ?あいつら、なんともなってないだろ?だから俺だって大丈夫だって」
語るその口調に、徐々に不安の匂いが混じってくる。

「いや、だからさ。俺の同期もそう言って出掛けた訳よ。んで、帰ってきたらもう駄目だった」
「たまたまそいつの性癖がそっちだったとかじゃねぇのか?」
「いいや。ちょっと良い感じになってた女はいたんだよ。でも、我妻との合同任務から帰って来たと思ったら、もう完全に見向きもしてない。…本当に気をつけろよ」
「…どうしよ。やばいかも。…今回ちょっと特殊任務らしくてさ。俺と我妻しかいないんだわ。しかも俺は完全に後方で、実際鬼と対峙するのは我妻だけなんだよ。俺はそれを後ろから見ているだけっていう…」
「うわ。絶対にそれ堕ちるぞお前。あーあ、お気の毒様」
「…音柱さまの計画なんだよ。…せめてもう1人入れて貰えるように頼んでみようか…」
「そうしろ。…本当に我妻だけはなぁ。普段はあれだけ姦しいのに、黙って大人しくしてれば可愛い顔だし髪の色も瞳の色も珍しいし目を引くもんなぁ。つい引き込まれて思わず見つめてしまって…、それでもう駄目になっちまう輩も多いのになぁ。でもってあれだろ。霹靂一閃。それまでは守ってくれとか泣きながらしがみついてこられて、あいつただでさえ普段から距離感おかしいのに、そこから鬼と対峙してあれ見せられて、一気に堕ちる奴が多いんだってよ。…本部も分かってるだろうに。あれだけ犠牲者出して最近ようやく我妻は単独任務、ってことで落ち着いて来てたのになぁ」
ため息をついている彼の言葉を、炭治郎はうまく咀嚼できない。

…善逸が?
…霹靂一閃?
…堕ちる…?

首を傾げながらも、何故か身の内から湧き上がる焦燥感が胸を焦がす。

「…俺が堕ちたら骨は拾ってくれ」
「まぁ、誰に何を言われても我妻が受け入れたって話は聞かないしな。お前も他の奴らと同じように、ごめんねごめんねぇって泣かれてしまえ」
「…それで更に堕ちるんだろ…?本当に不安になってきた…どうしよう俺…」
「誰か誘え誰か。周りで他の奴が堕ちてれば、案外冷静になれるもんだぜ」

そこまで聞いて、炭治郎は我慢が出来なくなった。
廊下の角から姿を現すと、話をしていた先輩隊士達が驚いたような顔で炭治郎を見つめる。

「なら、俺が同行します。今任務から帰ったばかりなのでしばらくは大丈夫の筈ですし。…今のお話、どういうことですか?」
あぁ、と納得したような顔で、1人が口を開く。

「そうだよ。竈門と一緒なら安心だろ。なんたって同期でずっと一緒にいるんだし。そうしとけそうしとけ。危なそうになったら頭でも叩いて貰って、目を覚まさせて貰えお前」
「…本当に良いのか?任務は今夜だから、昼過ぎには出立なんだ。道中で音柱さまが待っていて、そこで支度を調えて向かうことになってる。…頼んで良いか、竈門」
真剣な顔持ちで自分を見つめる男に、炭治郎はこくりと頷く。

「…ちょっと安心したわ。お前らも知ってるんだろ?我妻が単独任務ばかりの理由」
「足が速くて、他の隊士では追いつけないからだと聞いていますが」
「まぁそれもあるんだろうが。…我妻と合同任務になって、あいつに惚れちまう奴が続出したのが原因だよ。相手はほとんど男ばかりなのが笑えるけど。あいつ、普段と任務とで落差が大きいだろ。あの金の髪が月夜に翻って鬼の首を切り落とす所なんて見せ付けられたら、そりゃ見惚れるわな。それに優しいわ、気が利くわ、決断早くて的確だわ、普段気が付かなかったそれらに一旦気が付くと、あとはもう済し崩しになって堕ちていくらしいぜ」
「…知りませんでした…」
「お前も同期で合同任務多かったんだろ?だから大丈夫な奴と堕ちちまう奴に分かれるんだってよ。お前は堕ちないけど、こいつはわからんだろ?だからこいつが堕ちないよう、見守ってやってくれよな」
ぽんと肩を叩かれ、思わず頷く。

だから言えなかった。
善逸との合同任務は何度もあったが、自分は善逸が鬼の首を狩る所を見たことは一度もないということを。
善逸は大抵他の場所で首を狩りとっているし、目の前にいるときは自分も別の鬼にかかりきりになっていて視線を向ける暇もない。
なので善逸がどんなふうに鬼を狩るのか、自分は知らないのだと言うことは言えなかった。
言えば同行を断られてしまうかもしれない。
それがなんとなく不安だったのだ。



炭治郎が善逸に「俺も一緒に行くことになった」というと、善逸の顔が輝きを増した。
「ならさぁ、もう俺行かなくて良いんじゃない?炭治郎が鬼を切ってくれるんだろ?…そもそもあのおっさんが俺を指名なんてしてくれちゃったから俺は怖い思いしてるわけだよ!炭治郎が行ってくれるんなら、俺は後方で良いって事だろ!?助かったぜ!ありがとうな炭治郎!!!お前は本当に良い奴だよぉ!」
首元に抱きつかれ、なるほど確かに距離が近いなとは思う。
普段からこうしているし、元々炭治郎は弟妹が多かったからこういう距離には慣れている。
慣れていない人がこうしていきなり善逸の優しくて強くて甘い匂いを吸い込むようなことがあれば、それは恋に墜ちることだってあるかもしれない。
炭治郎は初めてそのことに思い至った。

元来炭治郎は鼻が良い。
感情の匂いや体調の匂いも嗅ぎ取ることが出来るほどに。
今までに嗅いできた中で、一番良い匂いをさせていたのは間違いなく善逸だった。
そして善逸は耳が良い。
炭治郎と同じく、感情も体を巡る音もすべて聞き分けることが出来た。
そして善逸は、炭治郎の音がいっとう好きだと告げてくれている。

そう言ったわけで、互いに互いの音と匂いを感じながら眠るととても心地良く熟睡することが出来るのだった。
なので合同任務の時も、蝶屋敷にいるときも、2人はいつも同じ部屋で眠るのが習慣だったのだ。

善逸がこうして自分にしがみついてくることも、抱きついてくることも、眠るときに炭治郎の布団に潜り込んで胸元に耳をつけて寝ていることも、炭治郎はずっと微笑ましく思っていた。

先刻聞いた話を思い出す。
もしも善逸に懸想しているような人が同じようなことをされたら、それはきっと色々なものが我慢出来なくなってしまうだろう。気の毒に。

気の良い長男は、ひっそりとそれだけを思った。






指示されていた藤の屋敷に辿り着くと、そこにはすでに音柱とそのお嫁さん達が待っていた。
「おう、来たか」
面白そうな顔をして、善逸達を受け入れる。
「お前も来たんだな、竈門」
「はい。今回はちょっと特殊な任務だと聞きましたが」
「炭治郎が来たんだし、俺が後方で良いよね?炭治郎が鬼の首を切るところ、ちゃんと見てるからさぁ!」
「いいや、駄目だ。こいつは嘘がつけないだろ。遊郭で女装させた時だって、すぐに男だとばれてたしな。ド派手な髪の色といい、瞳の琥珀といい、お前が適任なんだよ。諦めろ」
「なんでさぁぁぁ!なんで一番弱い俺が先鋒なのよ!?しかも鬼と対峙するのも首を切るのも俺任せって本気かよおっさん!!」
「お前が言い出したんだろうが。最初は胡蝶の継子に話を持って行ったのに、女の子にそんなことをさせるわけにはいかないとか言って、義侠心出してきたのはお前だろ」
「そりゃカナヲちゃんにこんな真似させるわけにはいかないでしょうが!でも炭治郎とか先輩とかさぁ、野郎なら良いと思うんだよね俺は」
「すがすがしいほど女にだけ優しいんだなお前は。…須磨達が支度するのに待ってるぞ。綺麗なお姉さん達に可愛がって貰え」
「それを早く言ってくださいよ!!皆さんがお揃いなんてここは天国かな!?」
浮かれたように奥の部屋へと向かっていく善逸を見送る。
どの部屋へ行けとも言われてないし、音柱も口にはしていない。
それでもきっと音だけで分かるのだろうと炭治郎は思っている。

「お前達はこちらだ。作戦を説明する」
くいっと示され、その後をついて行く。
藤の屋敷ではあるが、家人を先ほどから見掛けない。
きっと宇髄から人払いをされているのだろう。
不安そうな、怯えているような、そんな匂いが屋敷の中には満ち満ちている。




「…まぁつまり、この先の社に鬼が出る。これは間違いない。…だが、ただの鬼じゃぁねぇんだ」
胡座を掻いた音柱と炭治郎達のために、雛鶴が茶を運ぶ。
その湯飲みを傾け宇髄が喉を湿らせていく。

「元々ここらは神佑地でな。神の膝元として、さしたる天災も人災もないまま栄えていた。人々が神を讃える神社を建て、その社に供え物を欠かさず、信仰厚く過ごしてきたんだ。…それが、ここ三月の間様子がおかしい。鬼が巣くっているとしか思えねぇ」
宇髄の目線が厳しさを増す。

「伝承されている神の姿は八本の尾を持つ蛇だとされている。酒好きで女好きで、だが悪さをするわけでもない。そこで神を讃える祭りの時には、未婚の女達が唄って舞って、神に酒を奉納するのがしきたりだった。三月前の祭りの際にも同じ事をしたところ、舞っていた女のうち1人が消えた。未だに見つかってはいない」
…鬼の仕業か。
炭治郎達も背筋を伸ばす。

「そして二月前、普段通りに神の社へ供え物を持って行くと言って家を出た女が消えた。そして先月、社の掃除をしに来ていた巫女が、宮司が目を離した隙に消えていた。…その巫女というのが、この屋敷の縁戚でな。それで流石にこれはおかしいということで鬼殺隊へと依頼が来た。だがこの辺りの人間は神の恩恵を受けていて信心深い。神を切るなんて以ての外だと言う奴らが多い。…鬼殺隊だとばれれば、鬼の元へと辿り着く前に邪魔をされかねない。だが住民達も不安は感じている。本当に神だとしたら俺達には太刀打ち出来ねぇ。だが俺は、こいつは神を騙った鬼の仕業だと思っている。…ここまではわかるな」
問われ、2人の隊士はこくりと頷く。

「なのでここからが俺の譜面だ。村長には、神の意向を問うため巫女を派遣すると言ってある。酒を用意し、神をもてなす。そして消えた女達の話を聞く。…鬼だとしたら、食事が月に一度のみというのは逆に解せない。女達が生きている可能性も捨て切れねぇ。だからまずは対話を試みる。とにかく伝承上の神は女好きで、着物の上から体を触られただの袂から手を差し入れられただの逸話には事欠かねぇ。だったらすぐに殺されることはないだろう。酒を喰らい、歌を聴いて、舞を鑑賞して、鬼が自身の本性を現すのは恐らくそこからだ。最初にいなくなった女も二番目にいなくなった女もそうだった。…酒瓶が空になっていたからな。だから最初は女を派遣しようと思ったんだが、そこを善逸に止められた。女の子にそんなことをさせるなんて許さないって言うから、ならお前が女装して来いやと言ったら了承した。…あいつ、女装に抵抗はないし女のように振る舞うことも如才なくやるしな。神だか鬼だかに酌をして歌を唄って三味線でも弾かせて舞でもさせれば、あちらさんも油断するだろうよ。そうして合間に女達のその後を聞き取り、最後には首を狩る。今までは消えていなかった供え物が、最初の女が消えた頃から無くなり続けている。鬼は人の食べ物を食べない。…女達が食べている可能性がある。生きている可能性が捨てきれないんだ。だからあいつが適任なんだよ。遊郭でも唄だの三味線だの重宝されていたしな。見たことはないが、あれだけ音に聡いなら歌いながら舞を舞うことだって出来るだろう。最後に首を切るところまで1人でこなせるのは、鬼殺隊の中でもあいつくらいなものだろう。…お前達は念のための後方だ。女達が生きていれば人手がいる。そうでなければ善逸1人いれば充分だ。不測の事態に備えて配置するだけの飾りだな」

炭治郎は首を傾げる。
「わかりました。それならば確かに善逸以上の適任はいないでしょう。…なら何故、後方に宇髄さんが行かないんです?ここまで来てるのなら、俺達は不要なのでは」
「馬鹿かお前。柱の気配はすぐにばれちまうだろうが。お前達は村人に変装して後ろに控える役だよ。気配が凡人じゃねぇと、そもそも鬼が出て来やしねぇだろうが」
宇髄は呆れたように言い放つ。
「ならなんでこちらに?お嫁さん達がいれば、宇髄さんが来る必要はなかったんじゃ…」
「本当に馬鹿だな。こんなに派手で面白い出し物、俺が見逃すわけないだろうが」
「…なるほど…?」
それは善逸も気の毒に。
炭治郎は心の底からそう思った。



「天元さまぁぁ!出来ましたよぉぉ!改心の出来です!こないだの遊郭とは全然違いますよぉ!善逸くん、すごく綺麗です!」
喜色満面の須磨が飛び込んでくる。
「ほぅ。そりゃ楽しみだ」
にやにやしながら席を立つ宇髄に続き、炭治郎達も後を追う。

「ほらぁ!どうですか天元さま!?」
嬉しそうに弾む須磨が部屋の扉をがたりと開けると、ふわりとした甘い匂いと心を射貫くような月の光が瞳に飛び込んできた。

柔らかな金の髪をすっきりとまとめ、しゃらりと鳴る簪を揺らしている。
薄く化粧を施され、桃色の頬がまろい稜線を描いている。
桜の唇には紅が載せられ、頼りなさそうに薄く開かれた隙間から赤い舌が覗いている。
仄かに薫る花の匂いが鼻腔をくすぐる。

体型を補正し尚きちんと着込まされた着物が、甘やかしい体の線を形作る。
簪と合わせられた色合いの、少し暗めの赤い着物。
金糸銀糸で縫い取られた帯が、その背中で華やかな花の形を作り咲き誇っている。
ふっくらとした胸元を強調するかのように挿し込まれている帯揚げも赤。
着物より僅かに明るいその色が目を惹き付ける。
帯締めの黒金がきりりと全体を引き締めて、金の髪と琥珀の瞳を引き立てている。
隣にいた先輩隊士が、ごくりと喉を鳴らしたのが分かった。
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